特集1:フランスにおける失業保険の位置づけとその歴史
失業保険の歴史的経緯

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

カテゴリー:雇用・失業問題若年者雇用労働法・働くルール

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  • 国別労働トピック:2003年9月

現行の強制的な失業保険制度が成立したのは1958年と、それほど昔のことではない。しかし、失業者の社会的保護をめぐる議論そのものは、新しくもあり古くもある。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、失業者を保険によって救済するか、それとも扶助によってか、補償の水準はどうあるべきかといった議論がすでに見られた。

ところが、実際の強制的失業保険制度の確立は遅れた。1931年には、失業者41万人のうち労組金庫によって失業保険手当を受けていたのは4万1000人と全体の10%にすぎず、そのほかに14万7000人が公的な扶助を受けていた。

第2次大戦後も、経済復興と基礎的な社会保障制度の確立に追われるなかで、失業者救済制度の改善はなかなか進まなかったが、1951年に比較的重要な制度変更がなされた。フランスが国際失業条約に署名したことに伴い、1951年3月のデクレにより、地方自治体による失業者扶助の制度が導入されたのである。しかし、扶助手当は少額で、受給には年齢・収入・居住に関して厳しい条件がつけられた。一方で当局は、失業保険制度が任意のままであることに異議を唱えなかった。そのため1957年時点では、失業保険制度の加入者は10万人、失業保険手当受給者は1000人という状態だった。

そして1958年に失業者救済制度が根本から改められることになる。この時初めて失業保険への加入が全被用者に強制となり、それまでの「私的保険」の仕組みと決別した。以降、原則として、失業保険被保険者が失業した場合、再就職に十分と見られる一定期間、失職前の給与に応じた収入を、就労中の被保険者からの保険料によって保証する制度が確立する。

(参考)失業保険制度小史

1884
ヴァルデック=ルソー法。労働組合の承認と労組失業金庫の法的整備
1914
全国失業基金創設。失業者救済のための国による地方自治体への助成金交付
1939
失業法典制定
1951
地方自治体による失業者救済扶助制度の導入(デクレ)
1958
強制的失業保険制度の導入。全国商工業雇用連合(UNEDIC)、商工業雇用協会(ASSEDIC)創設
1963
全国雇用基金(FNE)創設
1966
全国成人職業訓練協会(AFPA)創設
1967
国立雇用機関(ANPE)創設
1974
失業保険制度の農業部門への拡大
1982
失業保険制度30 億ユーロの赤字。失業者200 万人を超える
1984
失業者救済を失業保険と国の連帯制度に分離
1985
雇用適応契約、資格取得契約の導入
1988
再就職訓練手当(AFR)、社会参入最低所得(RMI)導入
1990
連帯雇用契約導入
1992
一律漸減手当(AUD)導入
1993
失業保険制度53 億ユーロの赤字。失業者300 万人を超える
1995
雇用代替手当(APRE)導入
1996
雇用主導契約導入。失業保険制度黒字化。ロビアン法(時短)
1997
若年者雇用導入。雇用主および被用者に対する失業保険料率引き下げ、失業保険手当増額。ルクセンブルクEUサミット
1998
貧困・社会的疎外者対策計画。第1次オブリ法(35時間法)。第1次国家雇用行動計画
1999
第2次オブリ法。
2001
再就職支援プラン(PARE)導入。各種失業保険手当の統廃合
2002
失業保険制度赤字化

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