特集1:フランスにおける失業保険の位置づけとその歴史
失業保険の歴史的経緯
現行の強制的な失業保険制度が成立したのは1958年と、それほど昔のことではない。しかし、失業者の社会的保護をめぐる議論そのものは、新しくもあり古くもある。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、失業者を保険によって救済するか、それとも扶助によってか、補償の水準はどうあるべきかといった議論がすでに見られた。
ところが、実際の強制的失業保険制度の確立は遅れた。1931年には、失業者41万人のうち労組金庫によって失業保険手当を受けていたのは4万1000人と全体の10%にすぎず、そのほかに14万7000人が公的な扶助を受けていた。
第2次大戦後も、経済復興と基礎的な社会保障制度の確立に追われるなかで、失業者救済制度の改善はなかなか進まなかったが、1951年に比較的重要な制度変更がなされた。フランスが国際失業条約に署名したことに伴い、1951年3月のデクレにより、地方自治体による失業者扶助の制度が導入されたのである。しかし、扶助手当は少額で、受給には年齢・収入・居住に関して厳しい条件がつけられた。一方で当局は、失業保険制度が任意のままであることに異議を唱えなかった。そのため1957年時点では、失業保険制度の加入者は10万人、失業保険手当受給者は1000人という状態だった。
そして1958年に失業者救済制度が根本から改められることになる。この時初めて失業保険への加入が全被用者に強制となり、それまでの「私的保険」の仕組みと決別した。以降、原則として、失業保険被保険者が失業した場合、再就職に十分と見られる一定期間、失職前の給与に応じた収入を、就労中の被保険者からの保険料によって保証する制度が確立する。
(参考)失業保険制度小史
- 1884
- ヴァルデック=ルソー法。労働組合の承認と労組失業金庫の法的整備
- 1914
- 全国失業基金創設。失業者救済のための国による地方自治体への助成金交付
- 1939
- 失業法典制定
- 1951
- 地方自治体による失業者救済扶助制度の導入(デクレ)
- 1958
- 強制的失業保険制度の導入。全国商工業雇用連合(UNEDIC)、商工業雇用協会(ASSEDIC)創設
- 1963
- 全国雇用基金(FNE)創設
- 1966
- 全国成人職業訓練協会(AFPA)創設
- 1967
- 国立雇用機関(ANPE)創設
- 1974
- 失業保険制度の農業部門への拡大
- 1982
- 失業保険制度30 億ユーロの赤字。失業者200 万人を超える
- 1984
- 失業者救済を失業保険と国の連帯制度に分離
- 1985
- 雇用適応契約、資格取得契約の導入
- 1988
- 再就職訓練手当(AFR)、社会参入最低所得(RMI)導入
- 1990
- 連帯雇用契約導入
- 1992
- 一律漸減手当(AUD)導入
- 1993
- 失業保険制度53 億ユーロの赤字。失業者300 万人を超える
- 1995
- 雇用代替手当(APRE)導入
- 1996
- 雇用主導契約導入。失業保険制度黒字化。ロビアン法(時短)
- 1997
- 若年者雇用導入。雇用主および被用者に対する失業保険料率引き下げ、失業保険手当増額。ルクセンブルクEUサミット
- 1998
- 貧困・社会的疎外者対策計画。第1次オブリ法(35時間法)。第1次国家雇用行動計画
- 1999
- 第2次オブリ法。
- 2001
- 再就職支援プラン(PARE)導入。各種失業保険手当の統廃合
- 2002
- 失業保険制度赤字化
2003年9月 フランスの記事一覧
- 7月1日にSMICを5.3%引き上げ
- CFDT:退職年金改革案に関する政府との合意で、深刻化する内部対立
- 特集1:フランスにおける失業保険の位置づけとその歴史
- 失業保険の基本的位置づけ
- 雇用政策のなかの失業対策
- 失業保険の歴史的経緯
- 失業保険と連帯制度
- 特集2:失業保険制度
- 特集3:連帯制度と早期退職制度
- 特集4:職業訓練制度
- 特集5:フランスにおけるWelfare to Work政策
関連情報
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