1997年 学界展望
労働経済学研究の現在─1994~96年の業績を通じて(9ページ目)


8. 福利厚生と税制・社会保障の影響

論文紹介(金子)

安部由紀子・大竹文雄「税制・社会保障制度とパートタイム労働者の労働供給行動」

女性の労働力率が高まり就業行動が多様化する中で、既婚女性のパートタイム労働は近年著しく増加し、これに対して税制・社会保障制度が及ぼす影響に対する関心が高まっている。この論文は、パートタイム労働が労働時間を調整しやすい就業形態であるため、税制・社会保障制度が労働供給に及ぼす効果が大きい可能性があるという視点から、税制・社会保障制度が既婚女性に及ぼす効果を1990年「パートタイム労働総合実態調査」を用いて実証分析している。

税制がパート労働に及ぼす影響については、配偶者特別控除に消失控除が取り入れられたので、限界的に所得が増加した場合に家計の手取り収入が純減することはなくなった。しかし、配偶者特別控除が消失していく範囲では、追加的な世帯所得の増加よりパート労働所得の増加による世帯所得増加の割合は低い。しかも、このようなパート労働所得に対する税制の効果は夫の所得にも依存しており、配偶者特別控除と本人の給与所得控除を合わせた所得税の実効的限界税率は複雑である。さらに、社会保険料負担と配偶者手当の支給制限を考慮した場合には、実効的限界税率はより複雑になる。そこで、夫の所得をいくつか設定して、それぞれの所得水準において既婚女性のパート労働に対する実効的限界税率を算出した。これに基づいて、パート労働所得が65万円から100万円となる範囲で実効的限界税率が急増することを指摘した。

このようなパート労働所得に対する税率の急増に対して、限界税率が上がらないように労働時間を調整するパート労働の所得調整が起きていないかどうかを、1990年「パートタイム労働総合実態調査」の個票を用いてパート労働の賃金率弾力性を計測することによって検証している。このデータから推計された25歳以上非学生の女性パート労働者の年間労働時間数に対する時間当たり賃金の弾力性は、-0.5~-0.6であり、限界税率が急増する所得に至ることを回避するために賃金率が上昇する場合に労働時間を減らして女性パート労働者が所得調整する可能性があることが確かめられた。これらの結果から、税制・社会保障制度を女性パート労働者の労働供給になるべく影響を及ぼさないように改める必要があることを指摘している。

樋口美雄「税・社会保険料負担と有配偶女性の収入調整」

この論文は、既婚女性のパート労働に対する税・社会保険料負担の影響を、収入調整への既婚女性の意識的対応の有無、および労働時間の抑制や賃金選択による収入調整の実態を1990年「パートタイム労働総合実態調査」を用いて実証分析している。まず実態を見るために、パート労働者の年間賃金収入分布を4大都市圏とその他の地方それぞれについて調べると、非課税限度額ぎりぎりの収入に分布が偏っている。これから、配偶者特別控除と本人の給与所得控除が受けられなくなることおよび社会保険料負担が課されることに対して、パート労働者が収入調整を行っていることが確かめられた。

収入調整には、賃金率を所与として年間労働時間を調整する方法と、年間労働時間を所与として非課税限度内に収入を抑えられる相対的に低い賃金を選択して世帯所得を引き上げる方法とがある。同調査によれば収入調整に対する既婚女性の意識的対応のうち多くのパート労働者がとる方法は、年間労働時間を計画的に抑制するかまたは非課税限度額を収入が超えそうになる場合には休暇等によって調整する方法であった。こうした収入調整への意識的対応を行う頻度がどのような既婚女性の属性に依存するかをプロビット分析によって見ると、高学歴女性のほうが高く、賃金率の相対的に高い4大都市圏居住の女性のほうが高くなっている。また、収入調整の有無を考慮した時間当たり賃金率の年間労働時間に対する効果はマイナスとなっており、賃金率が高くなっても収入調整をするために年間労働時間が短くなる傾向があることが確かめられている。

以上の推定結果等から、既婚女子パート労働者の15~30%が税・社会保障制度の適用に対して収入調整している可能性があり、このような労働市場への税・社会保障制度の影響を取り除くような改善が求められると述べている。

西久保浩二「転換期を迎える日本型福利厚生」

福利厚生制度は、労働者が企業に定着するように導く手段として利用され、従来から重視されたのは退職金と企業年金と住宅補助(社宅や家賃補助)等であった。この論文は、これらの福利厚生に対する費用の動向を、法定福利費と法定外福利費に分けて、日経連の「福利厚生費調査」によってそれぞれの動向を時系列的に観察するとともに、福利厚生費の変化に対して労働組合が福利厚生要求の対応を変化させた結果、福利厚生の内容が従来の退職金・企業年金・住宅補助中心から多様なニーズにこたえられるものへと転換し始めていることを明らかにしている。

「福利厚生費調査」によれば、福利厚生費は増大しているが、その主たる要因は法定福利費の急増であり、そのためにかえって法定外福利費の福利費用に占める割合は低下している。近年では、法定福利費は法定外福利費の2~3倍に達し、企業の収益が伸び悩んでいる状況では法定外福利費の増加は抑制されるようになった。労働組合は、このような福利厚生費の変化に対して、女性従業員の増加による育児休業に対する要望の増加や従業員の意識の変化による休暇制度の充実など、福利厚生に対するニーズの多様化を踏まえて、要求項目を変化させてきている。「福利厚生要求と妥結状況に関する労働組合調査」(労務研究所『旬刊 福利厚生』)の福利厚生に関する総要求件数に占める項目別要求件数をそれぞれの福利厚生ニーズの要求度合いを示す指標として、1971年、72年、73年の3ヵ年平均値と1993年、94年、95年の3ヵ年平均値とを比較した。その結果、持ち家・財形・社内預金に対する要求や社宅に対する要求が減少したのに対して、「育児休業・短時間勤務制度」「介護休業・短時間勤務制度」や「リフレッシュ休暇制度」など新しいニーズに対応する要求が増加したことが明らかになった。こうした分析から、福利厚生制度は、従来の金銭的手段による従業員定着を主たる役割とするものから、従業員の活力や企業への貢献を引き出すための多面的な役割を担うものへと転換しつつあるという結論が導かれている。

金子

まず、安部・大竹論文です。今度、消費税が引き上げられ、所得税に関しては、今までの減税分を取りやめることになりました。法定福利費の問題もありますが、企業のコストを税制の面でも下げるという意味で、法人税減税が議論されています。従来からこうした税制改革が行われるたびに、いわゆる配偶者特別控除や税率の刻みが、女性のパート労働に対して悪い影響を及ぼしているのではないかという議論がされていたけれども、それについて、個票データに基づく実証分析で検討することはほとんどなされていませんでした。安部・大竹論文は1990年「パートタイム労働総合実態調査」の個票データを使って、パート労働の労働供給の時間当たり賃金の弾力性を推計することにより、パート税制の影響を検討しています。

パート税制の研究でこれと比較すべきものとして、丸山桂さんは、配偶者特別控除が消失するような仕組みになり、刻みが変化したことによって、パート労働が増えるのか減るのか、所得調整を行っているのか行っていないのか分析しているんですけれども、丸山論文はシミュレーション分析ですね。典型的なモデル賃金やモデル税制に当てはめ、刻みが変わったときに、どう労働供給が変わっていくのかを調べています。ただし、労働経済学的な分析の観点から見ると、安部・大竹論文のほうがより着実な研究をしているかと思います。

安部・大竹論文を取り上げたもう一つの理由は、パート労働者を類型化している点です。パート労働の累型化は、永瀬伸子さんが正社員と対比するために短時間パートと長時間パートに分けて実証分析した例があります。安部・大竹論文は、DINKS・パート労働と、そうでないパート労働に分けている。思考実験をするために、パート労働を類型化した。これが新しいところだと思うんですね。なぜそういうことをしたかというと、DINKSでないパート労働者というのは、生活に追われてパート労働をするということですから、若干行動パターンが違うというわけで、刻みが変わっても働かざるをえなければ相変わらず働き続けるだろうということで、自分の選択に応じて、純粋に弾力性の高い経済行動をするかどうかに関しては疑問が持たれるわけです。労働経済では最近、家族の構成が労働供給に及ぼす影響について、随分慎重に扱うようになったので、そういうものの考え方を延長しながら実験の一つの基準として類型化して比較しているというような感じがします。

西久保論文を取り上げた理由は、ほかにも、山内さんの「フリンジ・ベネフィット課税の経済分析」など、福利厚生制度に関連する論文はあるんですけれども、女性の働き方と、これまでサーベイした文献が取り上げた育児休業制度、介護休業制度などの休業制度のあり方などとを直結する視点を与えているからです。従来、日本型福利厚生の分析では、退職金あるいは社宅の問題に限られていた。松川滋さんの論文が、かつて社宅と離職率の関係を実証分析していましたけれども、そういうことから離れて、広範囲の日本型福利厚生制度のあり方について述べています。

どうして福利厚生のニーズの分散化が進んだかというと、西久保さんが言われているように、法定福利費が急増しているからです。これは厚生年金財政が逼迫してきて、保険料率が引き上げられる。1992年の厚生省人口問題研究所による中位人口推計よりも、もっと出生率が下がったような人口推計の場合には、田近・金子・林(『年金の経済分析』)が分析したように、将来の社会保険料率はもっと引き上げざるをえない。もしそれがだめだったら、スライド制を賃金スライドから物価スライドのほうに引き下げるような、何らかの給付カットが必要になってきます。今は、ネットスライドのような新しい改革の方向に向かっていますが、西久保さんは保険料率が上がってきた過去を見ています。法定福利費がどんどん急増する。西久保さんは、それをはっきりと法定福利費の時系列データを示して警鐘を鳴らしているわけですね。その警鐘を認識したうえで、労働組合の対応も変わったんだ、福利厚生制度の内容も変わってきているんだということを明らかにしているという意味では、新しい視点を出しているというわけで、取り上げたわけです。

討論

駿河

では、奥西さん、まず安部・大竹論文のコメントをお願いできますか。

奥西

制度の説明、そこから導かれるインプリケーション、実際のデータを用いた検証と、非常にわかりやすく順を追って書かれていたので、なるほどなと納得させられました。あえて細かいことを言えば、最後のところで、労働時間の賃金弾力性を推計するときに、労働供給関数を推計しているんですが、予算制約線に屈折点(kink)があるとき、1本の供給関数は引けないので、場合分けして推計するというのがアメリカでのこの種の分析ではいくつかあるわけです。この点は著者も脚注で触れていますが、そこまで凝ったことをやらなくても、著者が目的とした、税制がもたらす予算制約線の屈折点が供給行動に有意に影響を及ぼしているという点はかなり明瞭にあらわれているので、これでいいと思いました。

駿河

この分野のパート税制と妻の就業研究は、ほとんどすべてが配偶者控除や配偶者特別控除、それから配偶者手当、社会保険料などによって妻が就業調整を行っているという結果を示しています。一つは、労働時間が短くなっている。それからもう一つは、そのために賃金も低くなっている、という二つの結果を出していて、もっと抜本的な解決が必要であるということを言っているわけです。今後、実際に配偶者控除や配偶者手当などがなくなった場合、あるいは社会保険料を働いていない主婦も負担するようになった場合に、どうなるかというようなシミュレーションをやっていただけるとありがたいという印象を持ちました。

もう一つは、こういった分析では、税制は専業主婦を優遇しているという議論が主ですね。しかし、家庭での仕事の評価が分析に入っていない。

金子

そういう議論は入っていないですね。女性の年金権の問題なんかを扱うときは、よく専業主婦がなぜ社会保険を免除するかというと、それ独自の価値があるからという、そういう議論はないですね。

駿河

そのあたりのアンペイドワークの評価の必要性というのも感じますね。ただ、流れとしては、社会的に労働力不足になってきて、労働供給の増加を図る必要がある。

金子

だから、所得調整はまずいと……。

駿河

ええ。全体としては、女性がもっと働くような感じの税制、保険制度に持っていこうという主張が主です。

奥西

たしかに労働供給関数を見ても、おそらくデータの制約なんでしょうがそういうハウスホールドプロダクションに相当する変数は直接には入っていないようですね。

金子

多分、「パートタイム労働総合実態調査」の制約かなと思うんだけれども、まだこの質問票を見ていないから、はっきりとは答えられません。

駿河

西久保論文に移りましょう。人手不足の好況のときには、従業員確保のために福利厚生が充実していないと、若い人は採れませんという感じの議論だったのが、不況になってくると、今度は、福利厚生の目的、効果がどうもあいまいになってきており、不況になって議論が変わってきているなという印象を受けています。

金子

少なくともちょうど好況期に対応するような時期だと思うんだけれども、清家さんが、退職金が離職率に及ぼす影響について『日本経済研究』の論文などで実証分析をしていますが、従来のそういう分析とはまた違った分析を提示しています。

駿河

そうですね。だから、現在の企業のリストラクチャリングの中で、福利厚生費というのも、効率化、改革というのが求められているというのがよくわかりました。それから、報酬全体を能力によって格差をつけていこうという動きの中で、福利厚生というのは、そういう動きと逆行する面がありますから、企業の政策および労働者の要求として福利厚生よりは賃金でというふうになっていくのかなという印象を持ちました。

金子

今回の学界展望では取り上げられなかった労使関係の視点が、この論文には明示的に入っていると思うんですね。今まで取り上げた論文というのは、計量経済学的な手法がテクニカルであるとか、あるいは個票データを上手に利用しているとかという面で、どれも遜色のないもの、あるいはモデルと実証がマッチしているなどのいい点を持っているんだけれども、残念ながら、労使関係論に直接あるいは間接的に非常に関係が深い部分を取り上げることができませんでした。今後、また別の角度からの展望もできるんですけれども、そういう意味では、労使関係、労働組合の動きにも注目した分析は必要かなと思いました。それで、これを取り上げたわけです。

奥西

福利厚生の問題を経済学的に考えるとき、二つの問題があって、一つはコスト面の話ですね。それは、この論文を読むと、法定福利費を中心に、企業にとってかなりコスト面で圧迫要因になっているというのはよくわかりました。もう一つの話として、たとえば退職金が足どめ効果を持つというように、福利厚生費の仕組みをいろいろ工夫することによって、特定の労働者層を引きつけたりすることができるということが言われていますね。そういった観点から、過去の変化を見ると、どの程度企業がそういう企業の人事労務管理目的に合わせて、福利厚生の中身を変えてきたと言えるのか言えないのか。その辺がいまひとつわからなかったのです。

たとえば西久保論文の表3で、組合からの要望というのを見ると、1971、72、73年の平均と93、94、95年の平均との比較ですが、健康管理、成人病対策、この辺の要求が増えており、住宅関係は特に増えているわけではないのです。一方、前の頁の表2で、1983年から93年にかけての実際の変化を見ると、住宅関連が増えていて、一方、医療・保健関係とか、生活援助の関係が大きく減っている。時期は違うし、医療・保健ということになると、法定福利費のほうに含まれる部分もあるでしょうから、直接の比較はできないんですが、果たして企業がどの程度労働者のニーズにこたえているのか、あるいは企業自身、何らかの人事労務管理目的に即して、中身を変えてきているのかいないのか。この辺がもう少しわかると非常におもしろい研究になるのではないかなと思いました。

また、先ほどの育児休業との関係で言えば、おそらく社会政策的な見地から言っても、あるいは女性労働者のニーズから言っても、育児休業とか介護休業のニーズは非常にあるし、実際、組合の要望事項として高いわけですけれども、果たして企業がそれに対応して、制度を充実させていく方向にあるのか。この辺なんかもわかると非常におもしろいと思ったんですけれども。

金子

たとえば企業の経営者のヒアリングがマッチしていればよかったですね。せっかく労使関係の観点が入っていて、労働組合の要求項目の変化、要求の度合いの変化というものを調べたのに対して、経営者の立場はこれから何を望んでいるのかというのが不明確ですね。

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