1997年 学界展望
労働経済学研究の現在─1994~96年の業績を通じて(6ページ目)


5. 昇進・査定・技能・移動

論文紹介(奥西)

有賀健、ジョルジョ・ブルネッロ、真殿誠志、大日康史「企業ヒエラルキーと人的資本形成」

まず、労働市場を、技能形成と作業編成の仕組みの違いから「内部労働市場」タイプと「職能別労働市場」タイプの二つに分け、それぞれで企業組織、採用、昇進、賃全体系等がどう異なるかを、定性的に、ついでモデル分析により明らかにしている。たとえば、「内部労働市場」タイプ企業では、昇進時期が遅れ、能力の昇進確率への効果が小さい、複数の職務に必要な技能を習得する。一方、「職能別労働市場」タイプ企業では、昇進時期が早く、(資格など客観的な)能力指標の昇進確率への効果が大きく、キャリアを通じて単一の職務に特化した技能形成が行われる。

上のようなインプリケーションのいくつかに関し、2種類の実証分析を行っている。一つは、『別冊中央労働時報(労働委員会審決)』に含まれる4社の昇進の分析、もう一つは、「賃金構造基本統計調査」を用いた職種別賃金・勤続プロファイルの推定である。

前者の分析からは、「内部労働市場」タイプ企業では「年功」的要素が昇進にプラスに働くが、「職能別労働市場」タイプ企業では逆なこと、そこではむしろ外部の公的資格などが有効なことを見いだしている。後者の分析からは、「内部労働市場」タイプの職種(勤続年数が職種経験年数を上回る)では賃金-勤続プロファイルの勾配が急だが、「職能別労働市場」タイプの職種(職種経験年数が勤続年数を上回る)では賃金・勤続プロファイルの勾配が緩やかなことを見いだしている。

伊藤秀史・照山博司「ホワイトカラーの努力インセンティブ」

いわゆる「インセンティブ理論」では、企業の賃金、昇進、評価制度等が、労働者の努力水準を高めるべく設計されていると論ずるが、果たしてこうした理論が現実に妥当しているかどうかを、労働者に対するアンケート調査(連合加盟民間大手5組合の組合員および管理職約2000人が対象)に現れた彼らのパーセプションを変数に用いて検証したもの。

分析の第1は、労働者の努力水準を被説明変数に、同じ企業内の競争相手との賃金差、労働者の賃金への反応度、業績評価の賃金への反映度合い等を説明変数としたモデルの推計。結果はおおむね、ベーシックな理論に整合的で、たとえば、賃金への反応度が大きい労働者は努力水準が高く、かつ賃金差が大きいほど、また、業績評価の賃金への反映度合いが高いほど努力水準が高まる。さらに、将来の昇進可能性も努力水準を高める。

分析の第2は、賃金プロファイルの議論でおなじみの賃金と生産性の関係についてである。やはりアンケート調査を用いて、賃金と貢献度(業績)との関係を分析し、5社中3社で、勤続が短いうちは賃金が貢献度を下回る傾向が見られた。ただし、賃金と貢献度のギャップと勤続との関係は概してそれほど強くなく、ラジアー流の「後払い賃金プロファイル」が支持されたとは必ずしも言えない。

いわゆる「インセンティブ理論」のいくつかの基本的前提が、少なくとも労働者のパーセプションのレベルでは、それなりに確認された。

奥西

次に昇進・査定・技能・移動のほうですけれども、賃金同様、非常にいい研究がたくさん出ています。個別企業のデータ等を用いた実証研究がいくつかありますし、かなり先端的な理論研究もあらわれています。おそらくここ数年の日本の労働経済学の中で先ほどの賃金構造も含めて昇進関連は大きな収穫のあった分野の一つと言っていいのではないかと思います。したがって、多数の論文の中からどれを取り上げるかというのはきわめて難しいのですが、ここでは有賀ほか論文と伊藤・照山論文の二つを取り上げてみました。

有賀ほか論文は、理論と実証の双方を含み、サーベイ的な性格も持っております。それから、昇進だけではなくて、ほかの雇用制度との関連を扱っておりますし、さらに企業間で雇用制度がどう違うかも分析しています。いわゆる日本的雇用慣行論では、あたかも日本の企業がすべて同じような制度を持ってやっているような誤解を招きかねない議論が多いわけですが、かなり明示的に企業間の雇用制度の違いといったことを意識して分析しています。それから、最近の流動化論等とも一定のかかわりがあります。そういった点から議論してみてはどうかと考えたわけです。

一方、最近の昇進や査定をめぐる中心的な理論といえば、何といってもいわゆるインセンティブ理論で、その中身はいろいろですけれども、それに触発されていろんな研究が出ていますので、伊藤・照山論文を取り上げてみたわけです。ただ、これは通常の経済分析とは少々色合いが異なります。というのは、アンケート調査を用いているんですが、その中で従業員の意識について尋ねた部分を変数として主に用いているのです。たとえば努力については、与えられた仕事以上にやっていると思っているかどうかとか、労働者にとって賃金が仕事のやりがいを決める上でどの程度重要と認識されているか、といったことです。実証的な経済分析というのは、一般に、労働者なり企業の具体的な行動の結果として選択された変数に焦点を当てるのですが、ここではかなりの程度、意識面を直接尋ねた変数を用いているという点に特徴があります。

討論

金子

伊藤・照山論文は実証分析の前提にモデルを提示していて、とても示唆に富む研究です。ただし、分析のフレームワークでヘドニック賃金アプローチみたいなものは使ってないわけですね。従業員の意識というとき、主観的な賃金の評価をしているという考えがどこかあるわけで、モデルをつくるとき、推計式を導いてくるときになぜそれを使わなかったのかなと思うんです。

奥西

このアンケート調査がどういう調査だったかがわかる質問票のようなものがついてないのでわからないんですが、実際の賃金額は聞いてないんじゃないでしょうかね。

金子

仕事の貢献度として努力を挙げていますが、努力を要する理由には、会社の勤務時間の厳しさや有給休暇の取りやすさや職場環境などの仕事属性があるはずです。そう考えると、貢献度と従業員が比べる賃金はヘドニックアプローチのような主観的な賃金になると思うんです。それから、業績評価するときの企業も仕事属性の割にはよく働いているいないという具合にヘドニックアプローチのような賃金を提示すると思う。推計式を導いていくときのきちっとしたフレームワークがよくわからなかったんです。

駿河

ヘドニック賃金アプローチでは、具体的にどういうふうな変数が要るかを説明していただけますか。

金子

伊藤・照山論文は推計作業の前にもモデルを提示していますから、これと関連させるとこうなります。仮に仕事属性を表すベクトルをZとすれば、仕事属性の割には貢献した、しないと判断する企業が提示するヘドニック賃金はW=W(Z)となるとします。企業は賃金を業績に依存させることができると言っていますから、業績が高いときの賃金WH(Z)、業績が低いときの賃金はWL(Z)と表せます。一方、労働者の不効用が立ちっ放しの仕事など仕事属性に依存していると思えるから不効用の費用関数のうちRという項が仕事属性に関係するようになる。つまり、C(e)=e2/2R(Z)と表せると考えられます。企業の提示する賃金と努力水準eを選択したときの均衡条件をこうした考え方で修正してみると労働者の努力水準の決定条件は、

e=R(Z)×[WH(Z)-WL(Z)]

となるのではないか。奥西さんの言われたようにこのアンケート調査のデータには制約があったのかもしれないけれど、ヘドニックアプローチの考え方でモデルがつくれたのではないかと思うのです。

駿河

企業側のデータが入ってない。企業要因は単にダミー変数で吸収されているという形になっていますけれども、各企業のいろんな制度であるとか、それに関連する変数も入れてきたほうがいいということですね。

金子

発展方向としてはそう思います。インセンティブ理論のいくつかの基本的前提が、少なくとも労働者のパーセプションのレベルでは、それなりに確認されたと、奥西さんが「それなりに」とおっしゃっている理由がよくわからないです。

奥西

完全にではないにしろ、ある程度まで確認できたということですよ。といって、完全否定でもないという意味です。

金子

主観的なことを聞く心理学の立場に立つと、主観的な調査項目を使う分析がこれでいいのかなとは思うんです。

奥西

その辺の限界は著者も最初のところで断っているんですが、有益な情報を与えていることは確かだと思うんです。ただ、問題は、一方で企業側が賃金、昇進、評価といった制度を設計するわけですが、そのときどういう考え方で設計するのか、それに対して労働者はどういう考えを持ち、実際にどう反応するのか、企業はまたそれをどこまで予測しているのかといったように意識や行動にもいろんなレベルがあって難しい。おそらく心理学の分野では、この手の分析はもっとたくさんあるんだと思うんですが。

金子

たとえば、心理社会的構造方程式アプローチとかいうのがあります。

奥西

そういったものが、車の両輪のように進むというのが本来あるべき姿かもしれません。

金子

心理学的に言うと、インセンティブの理論に似ているんだけれども、エンビー(envy)という概念があって、レラティブ・ディプライベ一ション(relative deprivation)の実証分析があります。ある平均あるいは相手と自分を比較して、自分は満足している、やや満足しているという点数化したようなデータがあれば努力の分析にも応用できるんだろうけれども。

奥西

そうした分析は心理学ではかなりありますね。心理学の場合は実験も凝っていて、わざとサクラを使っていろんな操作をするとか。報酬とインセンティブの研究は心理学の分野でもかなりあるので、そういう研究と経済学的なインセンティブ理論はどこが合うのか合わないのか、その辺を詰めるのも、この分野の今後の一つの方向性かなという気がします。

駿河

どういう問いかけをするかということ、それから問いかけに対してどういうふうに答えるのかが問題です。問いかけを変えれば答えは変わってきますね。先ほど言われたように、答える人が比較をどこに置いているかという問題もありますね。与えられた職務と自分の会社への貢献の二つを比較するにしても、同じ職務の人と比べているのか、地位の上の人と比べているのか、下の人と比べているのかといろいろ比べ方があります。自分は会社に職務以上に貢献しているかどうかを判断するのにいろんな基準があるので、結果の解釈はなかなか難しいと思うんです。ただ、努力水準は簡単には計測できないですから、そういう意味ではおもしろい試みという気はします。努力水準は個人の判断と上司の判断で、大分異なっている可能性はありますね。

奥西

特に賃金と貢献の関係なんかは、本人ではなく上司や人事に聞くと逆の結果が出るかもしれませんね。

金子

年俸制の企業の割合が少しずつ増えてきているけれども、インセンティブにどういう影響を与えるかというのは、このフレームワークで分析できるのかもしれない。それは将来、時間がたてばもっと細かい分析ができるかもしれないですね。

駿河

それは賃金格差がどのくらいついているかという説明変数が入っていて、一応やっているんじゃないかと思うんですが。

金子

いえ、年俸制に限った分析です。雇用管理や賃金体系の変化の議論では年俸制に注目することが多いだけに、インセンティブと年俸制の関係に範囲を限定して、伊藤・照山論文のような分析がされてもいいのではないかと思います。

駿河

分析の中で賃金に反応する人としない人、これが分かれていて、賃金に反応する人だけに賃金の格差が効いているという結果になっているんですけれども、賃金に反応する人としない人はどのぐらいの割合なんでしょうね。賃金に反応しない人が多ければ、インセンティブがさほど効かないということになります。

金子

その場合は年齢によっても違うんでしょうね。

奥西

有賀ほか論文のほうはいかがですか。

駿河

有賀ほか論文というのは、昇進パターンの違いを上位職種への人的投資と下位職種への人的投資の代替が職業によって異なるとして、昇進を人的資本理論の視点から説明しようとしているという点がおもしろいと思います。大体、われわれは、昇進パターンをどちらかというとインセンティブの理論のほうから説明していますので、こういうふうに人的資本理論から説明しているというのは非常におもしろいと思いました。本文に例がありますけれども、電車の車掌の訓練をしながら、将来運転士になったときの訓練もしているというわけです。プログラマーをやりながらSEの技術を磨くとか、経理の事務をしながら経理の課長のための訓練投資をしている。両方の職種の人的資本の訓練の代替度が高いほど、より内部昇進型になるということを言っているんですね。

銀行業を分析した冨田論文の場合、年功が昇進に非常に効いてくる、それに対して大竹論文のエレベーターの保守点検であれば年功が昇進に効かないという結果を出していますから、この二つの結果を統一的に説明できています。

ただ、銀行とエレベーターの保守点検業の昇進に関する結果の違いを、インセンティブ理論からどのように説明するのか知りたい気はします。

また、ホワイトカラーの職種でも、たとえば大卒の数が非常に少ないようなときには、いろんな職種を短期間順番に回って広い範囲のジョブローテーションをして、上位職種の訓練を初めから行う。大卒でない人は、狭い範囲のジョブローテーションで低い職種の訓練を受ける。ホワイトカラー職種でも、大卒が少ないときは上位職と下位職では分離した訓練の仕方をしているわけです。だから、かなり供給側の要因にも依存しますし、現在は大卒がものすごく増えて、だれか特定の人に上位職種専用の訓練ができないというふうに考えると、訓練法にインセンティブの要因もかなり効いてきているという気がしたのですが。

金子

モデル分析の結果を全部検証したことになるんでしょうかね。

奥西

いや、全部ではなくて、その中のいくつかのインプリケーションということですけれども。

金子

ILM型とOLM型を区別する基準となる昇進の機能や技能形成の関係などについて立証すべき仮説を導くことができるモデルを上手につくっていると思うんです。上位のランクと下位のランクの労働サービス供給は交差項が入っているけれど、人的資本と能力の線型関数として特定化して、一方投資費用は2次関数とすることによって最適化条件が求められるといった具合にモデルのつくり方がすごく適切であると思うんです。従来、インセンティブとか、内部市場論、外部市場論とか、あるいは内部型市場をさらに類型化していろいろ行動分析をすることはありました。そのインプリケーションを言葉で書いて、さらに実証分析するということが多かったけれども、有賀ほか論文が企業の利潤最大化行動からきっちりモデルをつくり上げているところでは、経済学的に非常に強固、あるいは信頼に値するような分析手法だと思います。

あともう一つは、ここで取り上げられた分析はもともとは海外でも読まれる英語の学術雑誌ですよね。最近の傾向は、日本の学者が日本の計量分析をするにあたって日本の実情を海外の学者に知ってもらいたい、あるいは海外の学者と共同研究したいという目的で、英語の学術雑誌に発表することがしばしばあります。労働経済の分野でも最近は大分英語論文が増えました。有賀ほか論文も、 Journal of the Japanese and International Economics に発表されたものです。そういう意味で、研究のスタイルあるいは研究成果の発表の仕方、情報交換の仕方が1990年代に入って一層国際化しました。

奥西

私もこれは非常にうまくまとめており、好論文だと思いました。