1997年 学界展望
労働経済学研究の現在─1994~96年の業績を通じて(7ページ目)


6. 家族構成と就業行動

論文紹介(金子)

駿河輝和「日本の出生率低下の経済分析」

日本経済の高齢化や将来の若年労働者不足の要因として出生率の低下が認識されるようになり、大きな社会問題として議論されるようになった。出生率の低下の背景には、男女の結婚観の変化、晩婚化、あるいは女性の高学歴化に伴う就業率の上昇などの要因が指摘されている。この論文は、こうした要因のうちベッカーの家族の経済学に基づいて導かれる経済的要因が出生率にもたらす影響が認められるかどうかを、実証分析している。

まず、戦後日本の出生率を経済学的に実証分析した研究をサーベイし、Osawa(1988)や大淵(1988)が使用したButz-Wardモデルは、女性が一定年齢で結婚する率は時代が変わっても変化しないと仮定していることに留意すべきことを指摘した。なぜならば、この仮定は、1970年以降のわが国の晩婚化と一致しないからである。1970年代以降、20歳代後半と30歳代の男性、および20歳代後半と30歳代前半の女性の未婚率が上昇している。したがって、このような仮定に依存しない推計式として、原田・高田(1991)と同様に、ログ線形の推計式を用いている。

推計式の被説明変数は、合計特殊出生率であり、説明変数はベッカーの家族の経済学によって出生行動と関係づけられる男子現金給与総額、女子時間当たり賃金、および子供の直接的費用に関する変数と女子の雇用機会に関する変数である。時系列データの回帰分析の推定期間は、晩婚化や少子化が現れ人口再生産出生率を合計特殊出生率が下回るようになった時期を含む、1971年から88年である。推定結果は、家族の経済学の予想するとおり、男子現金給与総額の係数は正で有意、女子の時間当たり賃金は負で有意となった。これから、男子の所得の上昇が結婚の魅力を高め出生率を上げる傾向があること、女子の賃金の上昇は出産育児の機会費用を高めるため出生率を低下させることが確かめられた。

松浦克己・滋野由紀子「日本の年齢階層別出産選択と既婚女子の就業行動」

従来の分析では、女性の就業行動を分析する場合には、出生行動から独立した就業関数を推定していた。また、女性の出生行動を分析する場合には、就業行動と出生行動が同時に影響することを前提として推定を行っていた。これに対して、この論文は、1989年の「家計調査」と「貯蓄動向調査」の個票データを用いて、既婚女性の就業行動と出産行動が同時決定かどうかを年齢階層別に検討し、同時決定が認められる年齢層についてはbivariate probitモデルを適用して出産関数と就業関数を推定し、同時決定が認められない年齢層については出産関数と就業関数それぞれにプロビット・モデルを適用して推定を行った。

出産関数と就業関数の定式化は、駿河輝和(1995)等と同様に、Becker (1965)、Willis (1973)に依拠して説明変数を選択するとともに、遺産動機を考慮して家計の資産も説明変数に加えている。

年齢階層別に既婚女性の個票データを選択したbivariate probitモデルの推定結果によれば、25~29歳層で出産行動と就業行動の同時決定性が認められたのに対して、35~39歳階層では同時決定性が認められなかった。したがって、25~29歳層についてはbivariate probitモデルで就業関数を推定し、35~39歳層についてはプロビットモデルで就業関数を推定した。このような同時決定性の有無を考慮した既婚女性の就業関数の推定結果は、Beckerの家族の経済学が示唆するとおり世帯主(夫)の所得の係数が負で有意、既存子数が負で有意となったの対して、正味資産の係数が有意とならず遺産動機については検出できない結果となった。

金子

なぜこれらの論文を選んだかという根本の視点は、長期的な日本経済の見方の変化です。最近まで労働力不足が非常に真剣に取りざたされており、重要な研究課題でもあった。それが一転して、景気がなかなかよくならない。しかも、高齢化が進む。そこで将来をいかに考えるかということがごく普通に認識されるようになったわけです。

特に重要な認識の変化は、高齢化の原因を考えるようになったことです。言いにくいことなんだけれども、将来の若年労働力をどう確保するか。高齢者の数が増えていくということは既成事実で、これは変えられないというわけです。高齢化をとめなくていいんだ、人口減少をしてもいいんだという人もいるんだけれども、経済を成長させる、あるいは経済を安定化させるためには、新古典派の理論でも明らかなように、人口成長率がプラスでなければ、1人当たり国民所得や1人当たりの消費が均斉成長経路に維持されるということがありえないわけです。景気後退を回復させ、若年者や高齢者の失業を抑えながら経済成長を持続させようとすると、どうしても、今までタブーに近かったことを検討しなければいけない時代になってきた。

将来の若年人口をどうするかということを考えると、子供の問題が表面に出てくるようになった。そうすると、出生率と経済問題というのを結びつけざるをえない。これは、男性の口から言うのは非常に難しい問題なのだけれども、やはり人口構成の変化と労働問題、あるいは人口問題と長期的な労働市場の動向が深くかかわりあっていることを認めざるをえなくなってきて、かつそれを研究対象にする必要が出てきた。今までも研究対象になっていたんだけれども、大手を振っては研究できなかったんですね。しかし、将来の人口、労働力人口を考えると、子供の問題と労働の問題を関連させて考えざるをえない時期に来たと私は考えるわけです。もちろんこれを批判する人もいますが。

ベッカー流のモデルをいくつか実証してきた人もいるんですけれども、駿河論文が的確に指摘しているように、外国の文献をそのまま持ってきてもいいわけではない。日本の人口構成の変化を踏まえて、外国の研究者が使っている前提が、日本の前提と合致しているかどうかを吟味してからでなければ使うべきではないというわけですね。駿河論文は、この視点からサーベスターの推計式が日本の晩婚化に適切な推計式であることを確かめたうえでベッカーの家族の経済学のインプリケーションが、日本の時系列データにこの式を当てはめた場合に出てくるかどうかを吟味しています。人口構成の変化を慎重に処理しながら、家族の経済学の妥当性を検証しているという意味で、駿河論文を取り上げました。

次に、計量経済学的な問題になるのかもしれないんですけれども、出生行動と経済的な変数が関係しているとするならば、経済的な変数に賃金や所得が入ってきますね。たとえば、夫の所得と女性の賃金が変数に入ってくる。そうすると、簡単な労働供給関数を考えれば、女性は賃金が上かれば働くということになるし、ダグラス=有沢の法則を考慮すれば夫の所得が高くなれば女性の労働供給は減ることになります。女性の出生行動が賃金に依存しているならば、同様に労働供給のほうも影響を受けているのだから、女性の就業行動と出生行動が同時決定なのか、まったく別個な問題なのかというのを考えざるをえなくなる。従来、それは別個の問題として扱っていたわけです。ところが、それも計量経済学の発展で、同時決定かどうか個票データと適当な推定方式を用いれば検証できるようになったわけです。

個票データを女子労働分析に使うことについて言えば、冨田論文、育児休業制度を実証分析した樋口論文でも個票データを使っています。松浦・滋野論文は労働経済学的なインプリケーションは弱いと言われる批判があるかもしれないけれども、このような個票データ利用の流れにのって少なくとも就業行動と出産・育児行動の同時決定性について初めて検定したという意味で意義があるので取り上げました。

討論

駿河

妻の就業は非常に重要な問題になってきますが、育児休業制度や労働時間の短縮といった政策が出生率にどういうふうに影響するのかについて、両方の論文とも全然考慮していないので、そのあたりの分析が今後必要ですね。

奥西

たしかに、駿河論文にあるように女子の結婚や出産に関する機会費用は上昇してきているのでしょうが、一方であとから出てくる冨田論文が示すように企業の雇用管理のあり方等によって出産・育児のコストを軽減することもかなりできそうですね。となると、それぞれの効果が計量的にどれくらいで、ネットとしてはどうなるのかといった点は興味がありますね。

駿河

それでは滋野・松浦論文に行きますが、滋野・松浦論文の場合には、一番肝心の妻の機会費用に使っている変数がものすごく弱い。

金子

弱い。それはデータの制約にもよるので、利用したデータが「家計調査」と「貯蓄動向調査」の個票ですから、所得はあるけれども、賃金率は得られないというわけですね。

駿河

だから、妻の機会費用の変数として、夫がホワイトカラーであるかどうかという、夫のほうの変数を持ってくるんですね。夫の変数を代理に使ったことがどう影響しているのかというのが問題ですね。

それからもう一つは、これもデータの制約があるのですが、就業についてフルタイムとパートをきちんと分けていないですね。したがって、母親同居であるとか、持ち家と言った変数が効いていない。大体母親同居や持ち家という変数は、どちらかというと、フルタイムのほうに効いてくるんですね。その辺がごちゃまぜになっていて、きれいな結果が出ていないという気がしますね。

それから、推定結果として妻の就業と子供を生む選択の同時推定の結果だけを提示しています。妻が25~29歳のときに同時推定をする必要があると言っているんですけれども、同時推定せずに、おのおの別々に推定したときとどのくらい推定結果が違うのかというのをできれば示してもらうと、同時推定とそうでない場合で、どのくらい係数が違うのかが明確にわかっていいと思います。

奥西

滋野・松浦論文は、意欲的な計量研究として興味を持って読んだのですが、あえて言えば2点コメントがあります。いずれも、結局はデータの制約ということになってしまいますが。まず年齢層を区切って、それぞれの年齢層ごとに就業と出産の同時決定性を見ているわけですね。ただ、これはパネルデータがないとできないことですが、たとえば25~29歳のときに産む産まないという決定と、30~34歳で働き続けるか続けないかという決定は何らかの関連がある可能性があると思うのです。そういう異なる時期の間の意思決定の関連も見られたらもっとおもしろいと思います。

もう一つは、「家計調査」のデータのことで、著者も脚注で指摘しているんですが、30~34歳で妻が就業している世帯が約200のサンプル中一つしかないというのは、相当すごいサンプルセレクションがあるといういい証拠ですね。おそらく共稼ぎ世帯とか、小さい子供を抱えているところでは、家計簿なんてつけていられないということだと思うんですが。

金子

答えられないのでしょうね。

奥西

その辺がバイアスを生む可能性もあるのかな。いずれもこの「家計調査」の範囲内では解決のつかない問題だと思いますけれども、その辺がちょっと気になりました。

金子

パネルデータがやっぱり必要ですね。逆に言うと、今の労働経済学の研究者、実証研究をやる人たちというのは、やはりパネルデータが欲しいけれども、得られないから、それに限りなく近いものをつくっていく努力をしているわけですね。奥西さんのご指摘のとおり家計の消費貯蓄行動と就業行動を合わせたデータを含むパネルデータの整備が日本でも必要だと思います。