1997年 学界展望
労働経済学研究の現在─1994~96年の業績を通じて(5ページ目)


4. 賃金構造

論文紹介(奥西)

石川経夫・李昇烈「製造業下請制の賃金効果」

企業の下請指標を含む通産省「工業実態基本調査」と労働者の賃金情報を含む労働省「賃金構造基本調査」(いずれも1987年)を、県、産業、企業規模別にマージしたデータを用い、製造業で下請制による企業タイプが、労働者の賃金格差にどのような影響を持つかを調べたもの。

主な事実発見の第1は、親企業への依存度が高い「専属タイプ」の下請中小企業の労働者の賃金は、他の中小企業に比べ低いこと。特に女子生産職でそのマイナス効果が大きいこと。下請中小企業の労働者の勤続が特に長いとか、労働時間が短いということはないので、この賃金格差は、いわゆる「均等化差異」からは解釈できない。こうした事実は、いわゆる「収奪仮説」と適合的だが、著者たちはその原因として、労働市場の局地性(買手独占)を示唆している。

主な事実発見の第2は、「独立タイプ」の下請中小企業については、非下請企業に比ベプラスの賃金効果が見られたこと。これは親企業-下請企業間の「情報の共有仮説」ないし、独立タイプ下請企業の「高技術仮説」と整合的だが、一方で、男子生産職の勤続年数が短いなど、それらとは相反する事実も見いだされた。こうした点の一層の解明は、今後の課題だとしている。

玄田有史「『資質』か『訓練』か?」

統計データに直接現れる労働者の属性の違いを調整しても、なお大きな企業規模間賃金格差が残る。それは、統計データには直接現れない労働者の「資質」の違いなのか、企業が提供する「訓練」機会の違いなのか、それぞれの定量的ウェイトを測定するのが目的。

理論モデルは次のような前提から出発する。[1]大企業では採用に際し、ある最低能力水準を課し、採用された労働者には職場訓練を行う。[2]一方、小企業では、採用にあたって最低能力水準を課すことはなく、また職場訓練も行われない。[3]ただし、小企業労働者のうち、大企業の最低能力水準を満たすものは、途中で大企業に中途採用される。こうした中途採用労働者は、大企業の生え抜き労働者に比べ、職場訓練を受けていない分ハンディを持つ。したがって、職場訓練終了後の大企業労働者の賃金と、小企業から大企業に中途採用された労働者の賃金差は「訓練」機会の違いを反映している。一方、小企業から大企業に中途採用された労働者と小企業に残った労働者の賃金差(この言い方は論文のモデルと異なり不正確ですが、より直感的なのでとりあえずこうしておきます)は、大企業による中途採用が能力を基準に行われるなら、労働者の「資質」の違いを反映している。

実証分析では、主として「雇用動向調査・入職者票」(1992年上期)のマイクロ・データを用い、小企業から大企業への転職確率、転職による賃金変化などの推計を行い、上記理論モデルの主張に基づき、賃金格差のうち、「訓練」機会の違いによる部分の割合、「資質」の違いによる部分の割合、その他、を算出している。

その結果、[1]「資質効果」は規模間賃金格差のうち半分もあればいいほうで、多くの場合「訓練効果」が凌駕していること、[2]「資質効果」が比較的高いのは中高年、低学歴、生産労働者で、[3]「訓練効果」が高いのは大卒、事務労働者であること、等がわかった。

奥西

賃金構造の関係では、マイクロデータとか複数のデータをマージして用いたもの、それからスイッチングモデルなど新たな計量手法を用いたものなど、ここ数年間すぐれた実証研究が数多くあらわれたと言ってよいと思います。駿河さんのセクションで取り上げられたいくつかのすばらしい論文も含め、本来取り上げるべき論文は数多いと思いますが、議論をあまり拡散させないために、ここではいずれも規模別賃金格差についてそれぞれ異なる視点から新たな光を当てた石川・李論文と玄田論文の二つを取り上げてみたいと考えました。

このうち石川・李論文は、二つの統計データをマージして、これまで計量的な分析のほとんどなかった下請の賃金効果を非常に丁寧に検証した統計的研究です。一方、玄田論文は理論と実証の双方を含んでおり、そして何よりもテーマが企業規模間の賃金格差における労働者の能力要因と、企業が提供する訓練機会要因の定量的測定というきわめてチャレンジングなもので、話題性も非常に大きいと思い、取り上げたわけですけれども、いかがでしょうか。

討論

駿河

両方の論文ともこれまであまり分析対象とされてこなかったような問題にメスを入れていて、非常に意欲的な作品だと思いました。しかも、個票を他のデータとマッチして使うというのはちょっとひねったというか、高級な使い方をしていまして、おもしろいと思いました。反面、こういう賃金構造の分析では、もはや個票を手に入れないといい論文ができなくなったのかなという感じがします。そういう意味で、個票にアクセスできない人には非常にハンディがあるという気がしました。

奥西

それは同感ですね。

駿河

それで、最初の石川・李論文なんですけれども、これは要するに専属タイプの中小下請企業は賃金が安くなってしまう。それでいて、均等化差異からは説明できない。純粋に賃金が安くなるんですけれども、これは収奪理論から出てくる結果を支持しているというふうに見ていいですか。

奥西

その辺について著者の言い方は慎重ですけれども、私の受けた印象では、そういったことが起きているんじゃないかというふうに読み取れたんですけれども。ただ収奪というのは一種の不均衡現象ですが、それがなぜあるかという点は最後の結論部分で説明しています。女子の生産労働者についてはマーケットが狭くて、自分のすぐ近くに就業機会があれば、均衡賃金より低くても自分の留保賃金より高ければすぐそこに行ってしまっているんじゃないか、ただ、今後はモータリゼーションの普及等で、そういったことはなくなるだろうという言い方をしています。

駿河

女子はある程度わかるんですけれども、男性側にもかなり残っていますよね。

奥西

ええ、そうですね。男子の生産職の場合は、専属下請と下請じゃない中小企業を比べると、8ポイントぐらいマイナス効果がありますね。

駿河

それが残っていますから、中小企業関係の労働市場というのは、需給が均衡して賃金が決まっているという印象が強いので、どうして専属タイプ下請の賃金の安さが生じているのかというところが、依然として不明のまま残されていると思います。

奥西

ええ。新古典派的に言うと理解しがたい現象です。制度学派的な人にとっては都合がいいといいますか、専属タイプの場合は「ほら、見たことか」という結果にはなっていると思うんです。

駿河

制度学派的というのはやはり収奪が起こっているんだということですか。

奥西

ええ。能力があるにもかかわらず、悪い仕事に閉じ込められているんだと。なぜそういうことが起き、かつ存続しているのかということは、私個人としては別途説明されるべきと思っていますけれども。

金子

ただ、この均等化差異から解釈するというのは、いわゆる収奪仮説の理由は適合的だと言うんですけれど、データを使った時点が1987年だけですよね。だから、バブルの始まりか直前ぐらいですか。

奥西

むしろ製造業については円高不況期と言ったほうがいいでしょうね。

金子

そうすると、逆に好況期と不況期で、下請関係あるいは下請に出したときの値引き率とかが変わってきますよね。

奥西

それは大いにおもしろい点で、今後のテーマだと思いますね。

金子

少なくとも2時点をとってきてやる必要がある。もちろん先ほど駿河さんが言われたように、個票から出したものだけがこういう分析ができる時代になってしまったということで、データを整理すること自体が重要で、お二人も二つの個票をマッチさせる努力をしたと思うんですけれども、今後の発展の方向は少なくとも2時点で比較することだと思います。

奥西

ところが、残念ながら通産省の調査は1987年が最後です。したがってその前の時点のデータをとるということでしょうね。

金子

そうですね。下請の関係は二重構造の分析で、数量経済史的な観点から見れば、いくら過去にさかのぼってもいいわけですよね。この二つの仮説というのは、数量経済史的なフレームワークで分析してもおかしくない仮説だから、過去にさかのぼってやってみても意味がある。

駿河

そうすると、金子さんの意見では、専属タイプの下請の賃金のほうが景気の波にさらされやすいという仮説になるんですね。

金子

ええ。

奥西

それが1987年は円高不況の最中だったから、特にしわ寄せが来ていたと。逆に、好況期には賃金も上がっていた可能性があるんじゃないかということですね。それは非常に興味深い視点だと思います。

駿河

しかし、逆に言えば、親会社があるわけですから、むしろ下請になっているがために、賃金が安定するということは言えないんですか。専属でないために、サポートするところがないから、余計景気の波をかぶるのではないですか。

金子

金融面に留意すれば、駿河さんの言うことが当てはまるかもしれません。下請に入り、系列に入っていると信用が高まるから不況期で資金繰りが悪くなっても資金が借りられる。賃金は債務ですから、賃金を下げなくてもすむような債務の資金調達能力が下請企業にはあるということを考えれば、もしかすると親会社との関係を持つことによる信用がバッファーになっているかもしれない。先ほど、2時点で比較すればといいと言ったんだけれども、今言ったメカニズムまで比較しようとするならば、さらに一工夫しなければいけないです。資金のフロー、系列かつ金融の関係まで考慮しないといけないかもしれない。

奥西

でも、いずれにしても2時点を比較すれば、金子さんの言っていることが正しいかどうかがわかります。

駿河

石川・李論文についてはそのぐらいでよろしいですか。

次に、玄田論文にいきましょうか。

玄田論文はわれわれの考えている通説を覆すもので、普通、規模間格差というとき、どちらかというと訓練差より能力差のほうが大きいんじゃないかというふうに考えていたわけですが、それを完全に覆す結果になっている。もう一つは、われわれの常識で言えば、小企業から大企業へ移るケースはきわめて少ないというふうに考えているわけです。玄田さんの場合は、小企業から大企業へ移るデータを使って仮説を検証している。その二つが意外なところです。

ただ、小企業から大企業へ移った人は、玄田論文の26頁の表2の高校卒の事務職であれば、35~39歳はもちろんのこと、50~54歳ぐらいでも約2割弱の人が中小企業から大企業へ移っているという推定結果になっているんです。これはあまりにも高すぎるんじゃないかという疑問を少し感じます。若い人のデータが非常に多くて、それを使って推定しているために、若い人たちのデータから中高年者の転職率が非常に高く出ている可能性はないかなという疑問がありますね。ただし、この計算で言えば、転職率が少々変わっても訓練効果が大きいという結果には全然影響しないんです。

奥西

先ほども時期のことが話題になりましたけれども、この論文が扱った時期は1992年の上期なんです。そうしますと、労働市場においてはまだバブル景気の余熱があった時期ですので、いわゆる上方移動というんでしょうか、小規模から大規模への移動は、おそらく景気循環的にはかなり多かった時期なのかなという気がしています。玄田さんのモデルでは景気循環の要因は入っていませんから、そのことは理論モデルには影響はないんですけれども、実証分析の解釈で影響が出る可能性があると思うんです。

駿河

ただ、転職率が少々高く出ていても、先ほど言いましたけれども、訓練効果のほうが能力効果よりも大きいという結果は計算上変わってこないんですね。

奥西

それはこの理論をそのまま受け入れるとそうなんですが、たとえば非常に景気が過熱して、大企業が中途採用を活発に行ったときに雇い入れる人の能力基準を下げるというようなことがもし起きたならば、解釈は違ってくると思うんです。理論モデルのほうでは、大企業の中途採用者の採用基準はその企業の新卒の採用基準と全く同じであるという前提からスタートして、それをまさにベンチマークとして訓練効果を測っているわけです。だから、その前提を受け入れるならば景気は関係なくなるんですけれども、実際問題としては、おそらく大企業の中途採用者の採用基準はいろいろな要因によって変わるでしょうし、また採用する労働者のタイプも変わっている可能性がありますね。先ほど駿河さんのセクションで非正規従業員の増大ということが出ましたけれども、正規の内部昇進型として採用するのか、あるいは間接補助的な役割として採用するのか、その構成はいろんな環境要因によって変わると思われますね。だから、実証結果を理解するときにはその辺の注意が要るのかなという気はするんです。

駿河

大企業が採用した人をそのあとどういうふうに使用するのかというのが、このデータだけでは不明です。

奥西

もっとその辺の情報が提供されると、より結果の解釈がしやすくなるように思います。

駿河

結局、小企業から大企業へ転職した人は、一体どういう人なのかという情報がもう少し欲しいということですね。

もう一つは、移動したときの賃金上昇が規模間の賃金格差に比べると低いというところが結局、結果に効いてきています。規模間賃金格差のほうは「賃金構造調査」でとっていて、これはかなり精密です。それに対して「雇用動向調査」の移動ではどのぐらい賃金が上がったかのデータは割と雑ですね。その問題が一つあるのかなと思います。

それと、一番大きい問題は、中途採用をした人に対して企業はどういう賃金の支払い方をするのか。この論文では、一応能力に応じた払い方をしているというふうになっていますけれども、それまでいた人に比べると新しく採ってきた人の能力というのはもう一つ不明なわけですから、能力より多少低い賃金を払うという可能性はあります。これまでずっといた人とポンと入ってきた人と同じ賃金を払うというふうにすると、中にずっといた人のインセンティブが損なわれるという意味で、移動した人の賃金が能力に比べるとやや低めに抑えられるんじゃないかということが考えられると思います。

奥西

今、言われたことは二つあると思うんです。一つは、中途採用労働者の能力が実際には採用側の企業にとって十分わからないんじゃないかという点と、もう一つは、玄田さんのモデルでは個々人の能力が生産性を決め、その生産性が賃金を決めているという基本的前提が一貫してあるわけですけれども、賃金決定については人で決まっているんじゃなくて、仕事で決まっているとか、あるいはインセンティブの観点から何らかのプレミアムをつけている可能性があるという点ですね。たとえば効率賃金仮説やインサイダー・アウトサイダー理論などがありますけれども、そういう可能性は玄田さんのモデルでは最初から排除されているわけです。玄田さんのモデルの中ではそれでいいわけですけれども、実証分析の結果をどう解釈するかというときには、やはり別の解釈の余地も残されていると見たほうがいいんじゃないかという気はします。

金子

賃金は人で決まるのか仕事で決まるのかという二つの観点があって、後者の解釈の余地、仕事で決まるという説明もあるのではないかと奥西さんは言われたけれども、パート労働に関してはどちらか一方の立場を支持する結果にはなっていないように思います。この論文では、従来の正規から正規への転職の分析と同時に、パート労働者同士が転職したときの効果を分析しています。この辺が玄田さんの分析の守備範囲の広さを感じさせるところで、パート労働者についても高校卒の生産職の転職率と賃金変化率を用いて賃金格差の要因を資質と訓練の効果に分解しています。規模間で職場訓練に基づく賃金格差があること、規模間のパートの資質に基づく賃金格差が小さいような結果になっている。前者は賃金は人で決まるという見方を支持するけれども、後者は賃金は仕事で決まるという説明の傍証になりますからパート労働市場に限っては、同質的な労働市場をつくっているということを実証しているとも言えます。

駿河

説明変数としてパート、一般労働者を分けて、それからいろんなタイプの職種という変数が入っていますね。

金子

それは小企業からの転職者の大企業転職率と賃金上昇率の推計式の変数についてですね。従来、パート労働者の実証分析は、そのほかの正規雇用労働者の分析と分けられていた面が強かったんですけれども、玄田さんはこれを同一のフレームワークでやっている。ただ、奥西さんのコメントに対しては、男子パート労働者として建設業や保安業のような厳しい労働条件のパート労働を対象に含める場合には、たとえ大企業でのパートになったとしても補償差額賃金の効果を含める必要は出てくるかもしれません。そのかぎりでは奥西さんの批判は当たっているんじゃないかなと思うんです。

駿河

それから、玄田論文の表2ですけれども、訓練投資の差が規模間賃金格差にとってものすごく重要であり、よりウェイトが高いとなると、訓練投資の貢献ウェイトは年齢が高くなるほど大きくなるんじゃないかという気がするんですけれども、むしろ反対に、若い人ほど訓練投資が規模間賃金格差に対する貢献が大きいという結果になっていますね。これは、ちょっと矛盾しているような気がします。いずれにしても、今まで計量的にはまったく扱っていなかった規模間賃金格差は一体どういう要因によるのかというのを、チャレンジングに要因分析したのは非常に価値があって、今後発展が望まれますね。ただし、データがなかなか手に入らないという問題があります。

奥西

これは今回、読んだ中では最も興奮したものの一つで、理論仮説は大胆、実証分析は緻密という非常に魅力的な論文だと思いました。今後のいくつかの方向を言うとすれば、先ほどの繰り返しになりますが、果たしてどういう人がどういうときに移っているのかという情報がもうちょっと欲しいし、またそれを理解したいなということを感じました。あとは特に大企業側の採用行動の分析ですね。