2000年 学界展望
労働経済学研究の現在─1997~99年の業績を通じて(8ページ目)


7. 政策・法の評価

論文紹介(三谷)

中馬宏之「『解雇権濫用法理』の経済分析─雇用契約理論の視点から」

この論文は「解雇権濫用法理」の存在意義について、雇用契約理論の視点から論じたものである。

第1に、「解雇権濫用法理」成立の歴史について概観している。第1次石油危機後の人員整理の激増期に法理が確立したこと、1950年代には第1次石油危機後の時代に勝るとも劣らない厳しい人員調整が行われたが、解雇に対する寛容な判決が散見されるなど、解雇権濫用の法理に関する明確なルールが確立されていなかったことを示している。

第2に、整理解雇の妥当性をめぐるいくつかの裁判判例を検討することにより、この法理が経営層の経営決定権を形式上のみならず実質的にもかなり大きく制約していることを確認している。実際、「解雇権濫用法理」は整理解雇の際に、4条件を義務づけることにより、経営層の経営決定権(あるいは「使用者決定の自由」)に対して大きな制約を課していることを具体的に明らかにしている。

第3に、雇用契約理論をもちいて、このような法理を導入することが、経済システム自体の効率性をも促進する可能性があることを明らかにしている。すなわち、企業特殊的人的資本への投資量が、裁判所のような第三者にも同じ正確さで観察可能(verifiable)でないような状況の下では、雇用契約は若年期に一定水準の企業特殊的人的資本投資を行って中高年期に所定の賃金をもらったほうが労働者に有利になるよう賃金制度を設計するなど、共に自発的に受け入れられる(self-enforcing)タイプのものとしなければならない。

しかし、このような賃金支払契約の実効性は法的に保護されているわけではないので、少なからざる数の企業が法的な拘束力のない口約束を事後的に反故にするようになると、多くの労働者と企業は、企業特殊的人的資本投資を行う雇用契約が締結できる可能性を知りつつも、それを結ぶことができなくなってしまい、人的資本投資は社会的に望ましい水準より過少にしか行われないことになる。「解雇権濫用法理」は、解雇費用を高めることにより企業特殊的人的資本投資を行う雇用契約を結びやすくし、経済システムの効率性を促進する法的制度の一つとしての役割を果たしていると考えられる。

論文の特徴は、 [1] 雇用契約の理論を用いて、法制度が経済効率性に果たしている役割を明らかにしていること、 [2] 企業特殊的人的資本が第三者から立証不可能であることに焦点を当てて分析していることである。

大竹文雄「高失業時代における雇用政策」

日本の最近の高失業の発生原因について理論的に概観し、雇用・失業問題に関する政策的課題について論じている。

失業の発生原因としては、 [1] 賃金の調整が短期的に硬直的な下での重要不足、 [2] 摩擦的・構造的失業、 [3] 雇用不安から流動性選好が高まったことによる消費の減少を挙げている。

対策としては、 [1] 都市部を中心とした効率性の高い公共投資、 [2] 過剰な雇用保護策(解雇権濫用法理を含む)の抑制による賃金調整能力や職業紹介機能の向上といった労働市場の効率性を高める政策、 [3] 適切な失業給付・訓練給付・年金のポータビリティの確保・住宅資産の流動化等の政策が必要であるとしている。

具体的な対策として、 [1] 定期雇用の導入による雇用機会の拡大、 [2] ジョブサーチ型の派遣を推進し、労働市場の職業紹介機能を高めること、 [3] 職業紹介制度の効率化、 [4] 退職金・企業年金のポータビリティの向上および企業倒産に対する保全措置、 [5] 定期借家権の創設等住宅市場の流動性を高めること、 [6] 失業保険の給付期間や給付額を適正なものとし、職探しの努力を高める失業保険制度の改革、 [7] 教育・訓練バウチャーを導入するなどの公的職業訓練制度の見直し、 [8] 個別紛争処理システムの強化である、を提案している。

論文の特徴は、 [1] 雇用・失業政策について広範かつ詳細で具体的な提案をしていること、 [2] 解雇規制や雇用調整助成金などの雇用失業政策について、短期的効果と長期的効果に分けて功罪を論じていることである。

紹介者コメント

三谷

最近、労働法制度や労働政策も大きく変わっているなかで、労働法や判例、あるいは労働政策が果たしている役割を経済学的に分析するという研究はますます重要になってきています。法と経済という学際的なところにも、労働経済学の研究が及んできたという意味で、非常に注目すべき研究の動向が見られたということが言えます。

ここでは、雇用契約の理論を使って、労働判例、とりわけ解雇権濫用法理の経済学的意味を分析した中馬論文と、最近、急増している失業に対する政策を詳細かつ包括的に論じた大竹論文を挙げたいと思います。

中馬論文では、解雇権濫用法理について分析しています。実際、法律上は解雇はかなり自由なんですが、判例の積み上げによってなかなか企業が解雇できないようになっている。その法理の存在意義を雇用契約の理論を用いて、経済効率という視点から見てみようということです。

今後、法と経済学という分野で、こうした雇用契約の理論等を使って、ほかの労働法制度を分析することは非常に大きな課題ではないかと思います。それから、国際比較も重要でしょう。特に、解雇権や解雇規制については、たとえば1999年のOECD Employment Outlookは非常に詳細な国際比較をしています。そういうものを用いて本論文の結論を実証的に見てみることも、おもしろいのではないかと思います。

次に、大竹論文ですが、まず最近の高失業の発生原因について理論的に概観して、雇用・失業問題に対する政策的課題や提言をかなり具体的に論じています。

具体的な提案としては、一つは、定期雇用の導入で雇用機会の拡大、あるいはジョブサーチ型の派遣の推進による労働市場の職業紹介機能の高度化、コンピュータを用いた職業紹介制度の効率化、退職金、企業年金のポータビリティの向上、企業倒産に対する保全措置、そして、定期借家権の創設等の住宅市場の流動性を高める政策、あるいは失業保険の給付期間、給付額を適正なものにして、職探し中の努力を高める失業保険制度の改革、教育・訓練バウチャーの導入などの公的職業訓練制度の見直し、さらに個別紛争処理システムの強化、こういうものを提案しております。

この論文の特徴として、雇用・失業政策について、広範かつ詳細で具体的な提案をしていて、非常におもしろいと思います。それから、解雇権濫用法理を含む解雇規制や、あるいは雇用調整助成金などの従来型の雇用維持・失業政策、法制度について、失業に対する短期的な効果と長期的な効果に分けて、それらが互いにトレードオフの関係にあることを論じています。

今後の課題としては、大竹論文はどちらかというと、労働市場の流動性を高める政策をいろいろ提言していますが、そこで一番気になるのは、人材形成がどうなるのかということです。特に先ほどの中馬論文と比較した場合なおさらそう感じます。2番目は、たとえば教育制度について全く提言がなかったのですが、労働市場と密接に関連しているいろいろな制度があるわけですね。そういう諸制度との関連の検討も必要だと思います。さらに、この論文にはかなり広範な提言が盛りこまれていますが、それらの個々の政策についてどこまで効率的で、しかも公平性が保たれているのか、地道で実証的な分析が必要ではないかという気がします。

討論

雇用契約理論から見た労働法制度分析

玄田

ありがとうございました。

今回、政策・法の評価が、今回の学界展望の一つの柱になっているということが、新しい労働研究の方向性を端的に示していると感じました。その中では経済学のエッセンスを法律家や政策担当者に語るかがいかに大変な作業であるかも改めて思います。

川口

法律の経済的な分析というのは、玄田さんが言われたとおり、労働経済の分野では今までほとんどなかったので、非常におもしろいと思います。第37回計量経済学研究会議(1999年7月18~20日)でも、大竹さんと藤川さんが、解雇権濫用の問題を経済学的に分析されていましたし注36、今後、ますますこういう研究は増えると思います。

解雇権監用法理については、中馬論文とは別の解釈も可能ではないでしょうか。たとえばラジアのインセンティブ理論注37でいう賃金後払いの制度も、この解雇権濫用法理によって保障されます。あるいはこの中馬さんのモデルでは、労働者が投資費用を負担するという前提なんですが、同じような枠組みでもこれを企業が投資費用を負担するようにしたら、また違った結論が出てくると思います。

玄田

解雇権濫用法理以外に労働に関する法制度では何がおもしろい経済学的な分析の対象になりますか。

三谷

いろいろあると思います。たとえば、職業紹介制度です。今、職業紹介制度をもっと規制緩和すべきだという議論があって、現実にもそういう方向に進んでいます。しかし、そのことの経済学的な分析というのは、ほとんどないでしょう。

阿部

女性に関しては、男女雇用機会均等法が分析対象になるのではないでしょうか。男女雇用機会均等の「均等」とは、どこに水準があるのか。今は男性に合わせようとしているんですけれども、それでは、女性が働きづらい。均等水準を法的にどこに押さえるかは、労働市場にフィードバックがかかるし、それを経済学者として何か言わないといけないと僕は思っています。家庭の生産関数、職場での男女の分業構造、そういうところから、均等水準がどこにあるのかというのを考えてみたいですね。

川口

均等法に関連して言うと、アファーマティブ・アクションはアメリカでは広く行われていますが、日本では今度、ポジティブ・アクションが導入されました。こちらは強制力がなくて、こうするのが望ましいという程度です。アメリカの場合ですと、政府と取引している企業は、アファーマティブ・アクションをしなければならないというように、かなり強い。だから、もしそういう制度を日本に導入したら、どういう影響があるかもおもしろいのではないかと思います。

阿部

中馬論文は法律や政策をどう決めていくかというのを経済学で分析しましょうというものでした。大竹論文は、法律や制度の効果をどう経済分析するかという点に注目しているわけです。今後もこうした研究はどんどんやらないと。たとえば育児休業制度の効果はどれぐらいあったのかとか、均等法の効果はどれぐらいだとか、雇用調整助成金が労働市場にどう影響してきたのか、もっと分析されるべきですよね。

脚注

  • 注36 大竹文雄・藤川恵子「日本の整理解雇」第37回計量経済学研究会議報告論文。
  • 注37 年功賃金制度は、賃金を後払いすることによって、怠業や不正行為で解雇されることなく定年まで働きたいというインセンティブを労働者から引き出すという理論。 Lazear, E.P. (1979) “Why Is There Mandatory Retirement?” Journal of Political Economy, Vol.86, pp.1261-84.