2000年 学界展望
労働経済学研究の現在─1997~99年の業績を通じて(3ページ目)


2. 仕事と家庭

論文紹介(玄田)

永瀬伸子「女性の就業選択」

数多い女性研究のなかでも、引用されることの多いのがこの論文である。従来、女性研究では就業の有無、もしくは労働時間の決定という観点が多かった。それに対し、正社員、パート、家族従業、内職、専業主婦といった多様な選択肢のなかから、就業がどのような要因によって決定されるかを「1983年職業移動と経歴(女性)調査」(雇用職業総合研究所)の個票データから実証分析。そこから正社員と非雇用就業の賃金格差を伝統的な補償賃金差理論で説明できることを確認した。しかし同時に正社員とパートの間の格差はこの理論では説明できず、新たな理論的枠組みが必要という問題を提起している。ここでは若年時点における「正社員の割り当て現象」を有力仮説として示唆しているものの、その発生原因とパート労働との関係については今後の課題として残されている。

Nakamura, Jiro and Atsuko Ueda, “0n the Determinants of Career Interruption by Childbirth among Married Women in Japan”

乳幼児を持つ女性が正社員を継続するか否かに強い影響を及ぼしている要因を「1992年就業構造基本調査」を用いて実証分析した論文。この分野の研究には個票データの使用が不可欠であることを再認識させられる。考えられうる様々な要因のうち、就業決定に特に強い影響をもたらすのが本人の学歴、親との同居、そして地域における保育施設の充実度である。学歴の高い女性は就業断念の機会費用が高く、同時に離職した場合の再就職コストが低学歴者に比べて高いことを示唆している。さらにM字型の女性労働力率の解消には、保育施設の充実が有効である一方、高賃金や短時間労働が就業継続を促すものの、その影響は学歴や保育施設に比べて強くないことも指摘している。

残された課題として、産業や企業規模による女性の就業継続の違いをどのように説明できるかという問題があり、大企業や金融業で就業継続の傾向が弱いのは、何らかの理由によって未婚女性との代替関係が強いためか、それとも別の理由によるのかは未解決の問題である。

森田陽子・金子能宏「育児休業制度の普及と女性雇用者の勤続年数」

育児休業制度が個々の女性の就業継続や出生に与える影響を分析。上記2論文では未就学児数を外生変数として扱い、育児休業制度の利用有無もデータに含まれていない。この点を「女性の就業意識と就業行動に関する調査」(日本労働研究機構、1996年3月)のやはり個票データを用いて分析した。

その結果、動学モデルを用いた理論(動学モデルを理論的に明示している日本の労働経済学研究は意外なほど少ない!)を前提に、育児休業制度利用は育児コストを低下させ、結婚・出産後も継続就業意志のある女子雇用者の勤続年数を延ばすことを確認した。具体的には、育児休業制度の利用は女子正規雇用者の勤続年数を延ばし、同時に出生児数を増加させること等を指摘し、年功賃金体系の下では育児休業制度の普及が男女間賃金格差の縮小をもたらす可能性があることを示唆している。

残された課題として、それではなぜ企業によって育児休業制度に対する取り組みに違いがあるのかが不明であることがある。なぜ100-999人程度の中堅規模の企業での取り組みが最も活発であるのかを明らかにすべきであるし、さらに女性の就業選択で考慮される女性の特徴が、年齢、学歴、同居などに限定されている点も今後改善の余地あり。同じ年齢、学歴でも育児休業制度を利用できる(する)女性とそうでない女性の違いはどこにあるのかについても今後の課題であろう。

紹介者コメント

玄田

「仕事と家庭」ということで簡単に解説すると、これらは広い意味で女性の問題だと思います。女性の就業選択に関する論文が90年代に数多く輩出されているというのは、今回の文献リストを見ながらつくづく思いました。余談ですが、『日本労働研究雑誌』に掲載された投稿論文を見ても実力のある女性労働経済研究者が増えており、そのことも女性研究拡大の一翼をなしているように思えます。おそらく、その原因は、雇用機会均等法や育児休業制度等の制度変更が労働に与えるインパクトを知りたいという背景があるのだと思います。もう一つには80年代に普及すると思われたコース別人事制度がうまく機能しなかったのはなぜかというのが、労働経済学者の関心を呼んだのでしょう。

ここで取り上げた論文は3本です。

従来の研究ではデータの制約もあって就業の有無とか、労働時間の選択という観点からの分析が多かった。一方、永瀬さんが注目するのは、正社員、パート、家族従業、内職、専業主婦等の多様な選択肢からのチョイスを念頭に置いている点です。それが可能になったのは、「職業移動と経歴調査」という魅力的な個票データが使えるようになったことが大きな原因です。

次は中村・上田論文で、これは乳幼児を持つ女性が正社員を選ぶか選ばないかを検証したものです。「就調」(総務庁統計局「就業構造基本統計調査」)の個票が使われていて、女性の就業選択や、仕事と家庭を分析するには、もう個票データがなければこの分野に参入できないのかと、改めて思いました。

このようなデータを用いてここでは、乳幼児を持っている女性が就業を選ぶかどうかは、本人の学歴や、親との同居、保育施設が充実しているかなどによって明確に影響されていることを厳密な形で確認しています。日本の女性労働力の特徴だと言われるM字型の労働力率が解消の方向に向かうとすれば、それには保育施設の充実が不可欠という政策的なインプリケーションも明快です。

3番目の森田・金子論文で焦点を当てているのは、研究の一つの傾向でもある「制度分析」です。具体的には、育児休業制度が与える影響を考える。育児休業制度の重要性を分析しようとする論文は、森田さんたち以外もいろいろな方が積極的にチャレンジされています。

ここでまず思ったことは、理論研究では動学モデルを使うことが今や一般的であるにもかかわらず、実証研究では静学的な発想から脱していない研究が多いと改めて思いました。その意味でこの論文は例外で、動学モデルを念頭に育児休業制度がその後の勤続にどういう影響を及ぼすのかという研究です。動学モデルを明示的に扱っているという意味では、今後の理論仮説と実証研究の方向性を暗示しているものの一つと思っています。

その結果としては、やはり育児休業制度が女性の勤続年数に重要な影響を持っている。加えて出生児数、子供がいるかいないかという状況を経済外生的にとらえる場合が多いけれども、出生児数も内生変数としてとらえてみると、育児休業制度は出生児の増加に効果をもたらしている、と指摘しています。

今後の研究としてどういう方向があるか考えると、中村・上田論文とも関係するんですが、企業側のあり方によって取り組みがどう違うかということを理論的に明らかにするという重要性がここにも出ている。さらにこういう研究では、年齢や学歴、親の同居の有無が注目されるけれども、実は同じ年齢や学歴でも、育児休業制度を利用する女性とそうでない女性ではこれこれの点が違うといった、女性側の違いをもっと細かく見ていく研究も今後ますます必要になってくるという印象を持ちました。

討論

動学モデルとパネルデータ

川口

玄田さんが動学モデルの重要性を指摘されましたが、僕も全く同感です。労働市場がスポットマーケットに近いところだったら、静学モデルでも結構うまく説明できるでしょうが、日本みたいに長期雇用があるところでは、やはり労働者はライフサイクルで考えると思います。そういう点で、動学モデルを用いないとなかなかうまく説明できない場合が多いと思います注15。たとえば永瀬論文も静学モデルですが、推定の結果、未就学児童数が多いほど女性正社員の労働時間が長くなっています。これも、静学モデルでは説明つかないですね。動学モデルを使って、現在の就業形態が将来の就業形態へ与える影響を分析する必要があると思います。玄田さんが指摘された動学モデルの必要性というのは、全くそのとおりだと思います。

ただ、動学モデルをうまく利用するためにはパネルデータが必要です。森田・金子論文でも動学モデルは用いているけれども、データの制約があって、それを全部生かし切っていません。今後、女性の就業問題を研究するには、パネルデータが必要だと思いました。

阿部

森田・金子論文は女性だけの効用関数を考えていますが、制約条件も女性だけです。ところが、今までの研究でダグラス=有澤法則が注目していたように、やはり核所得者や、夫や、他の世帯構成員の賃金や労働供給を考えておくべきでしょう。効用関数や予算制約を世帯単位で考えるべきなのか、個人単位で考えるべきなのかは議論があると思います。

それから、金子さんたちが考えているモデルとは別に、ゲーム理論で考えるモデルもあるのではないかと思うんです。たとえば女性に子供ができたときに、家族の中で誰が働くか働かないかの意思決定は逐次的に交渉しているのではないか。金子さんたちのように、労働供給の最初の段階で何人の子供が最適だとかを決定しているというモデルよりも、現実的で含蓄のある分析ができる。パネルデータを使った実証研究では、ポイント、ポイントで家族内部の意思決定を見ていく分析が行われています。それを積み重ねていくという形でモデルもつくれないだろうかと思うんですけど。そういうモデルはありますか。

川口

以前はよく、企業はブラックボックスだと言われていたでしょう。でも最近は、かなり企業の中まで分析されています。ところが、いまだに家庭はブラックボックスに近いんじゃないでしょうか。たとえば夫婦間の意思決定や不平等、権力関係を分析した経済学の理論は、僕が知っている限り、ほとんどない。夫婦間のバーゲニングの理論はありますが、あまり現実の分析には役に立っていない。

そういう研究は他の学問にはないのかなと思ったら、社会学では、夫と妻の関係や、親と子の関係など家庭の中でどういう資源配分がなされているかという研究がなされていて、経済学にも生かすことのできる理論やデータが結構あるように思います。今後の研究課題になるのかもしれないけれど、家庭の中での人間関係を経済学的に分析するというのは、重要なのではないでしょうか。

企業のファミリーフレンドリー施策

三谷

非常におもしろい分析で、供給側の分析ですが、結果を見ると、需要側の対応も見えていますよね。たとえば中村・上田論文では、大企業、金融業で女性の就業の中断が多いとか、あるいは森田・金子論文で言えば、中小企業で最も育児休業制度に対する取り組みがなされているけれど、大企業ではどうもあまりなされていないなどです。その辺の、企業側女性に対する育児休業や、もっと言えば、ファミリーフレンドリーですか。(笑)

玄田

そう、ファミフレ注16

三谷

そういった女性に対する企業の施策の分析も重要だと思います。どうして大企業でこんなにファミフレ度が低いのか。

それから、もう一つ、今不況だからということなんでしょうが、労働時間に関する分析が少ないですね。女性の就業に関しては、労働時間が非常に大きく効いているんですね。

労働時間から見た女性就業研究

玄田

労働時間の研究ってない。

三谷

ほとんどないですね。特に女性が正社員で働くと言ったときに、労働時間が短いということが、正社員で働けることの非常に大きな条件になっていると思います。たとえばヨーロッパでは、パートタイマーの労働時間の選択に非常に多様性があるけれども、日本ではあまりないですね。労働時間の分析からの女性就業というものをもっと分析できるのではないかということです。

玄田

さらに研究すべきは、失業との関係でしょう。最近の失業率が上昇した原因もわかっていない部分がたくさんあるけど、重要なのは女性が失職しても非労動力化する傾向が弱まったことです。

一体、この背景には何があるのかは、いくつかの仮説がありうる。高学歴化の結果、非労働力化する機会費用が高まったのか、世帯主の所得が低下したのか注17、何が要因なのかはまだ不明です。これは早急に誰かが研究すべきテーマでしょう。

阿部

それは、ある意味で世代効果でしょう。僕がデータをいろいろいじくってみた結果、夫の所得の(妻の労働供給への)弾力性が若い世代で小さくなっているみたいですね。就業構造基本統計調査を何年にもわたって観察すると、そういう点が見えてきますね。

脚注

  • 注15 動学モデルとは複数の期間にわたる意思決定のモデルである。たとえば、ある人の現在の就業状態は、その人の将来の労働能力に影響を及ぼす。したがって、人々は現在の効用水準だけでなく将来の効用水準も考慮して就業するか否かを選択する。これに対して、静学モデルは1期間の効用水準のみを考慮して意思決定を行うモデルで、初級レベルの教科書に出てくるモデルはほとんどが後者である。
  • 注16 「『ファミリーフレンドリー』企業をめざして」(1999)大蔵省印刷。ファミフレとは脇坂明氏による造語である。
  • 注17 いわゆる「ダグラス=有澤の法則」である。
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