2000年 学界展望
労働経済学研究の現在─1997~99年の業績を通じて(5ページ目)


4. 失業・転職・離職

論文紹介(川口)

阿部正浩「企業ガバナンス構造と雇用削減意思決定─企業財務データを利用した実証分析」

阿部論文は、企業ガバナンスと雇用制度の補完性という比較制度分析でよく知られている仮説を、雇用調整のデータを使い実証したものである。この分野における理論研究は、主に日米比較に基づき発展してきた。また、計量分析よりも制度自体の比較が中心であった。それに対し、阿部論文は日本のデータを使い計量分析を行った点で、しかも雇用削減という雇用制度の根幹にかかわる現象に着目した点で注目に値する。

論文では、企業ガバナンスの指標として、「10大株主持株累計率」「その他事業会社持株率」「金融機関持株比率」「個人投資家持株比率」などを用い、それらが企業の雇用削減行動にどのような影響を与えるかを分析している。その結果、メインバンクの重要性を示す「金融機関持株比率」や、株式の相互持ち合いの度合いを示す「その他事業会社持株比率」は、雇用削減行動に負の影響を持つこと、ただし赤字期においては、「金融機関持株比率」が正の影響を持つことを発見している。

太田聰一「景気循環と転職行動:1965-94」

太田論文は、現在の景気だけでなく、過去の景気が転職行動に影響を与えることを、理論的、実証的に明らかにしている。関連するテーマの論文に大竹・猪木論文や玄田論文があり、併せて読むと、理解がより深まる。太田論文の特徴は、理論と実証のバランスがうまくとれていることである。比較的単純な理論モデルから仮説を導き、それを「雇用動向調査」の時系列データを用いて実証している。労働経済学研究における典型的なスタイルとして、大学院生などに参考にしてほしい論文である。

主な結論は、以下のとおりである。第1に、労働市場が逼迫すると、その時点の転職率は上昇するが、過去に労働市場が逼迫した時期があると、それは現在の転職率を下げる効果を持つ。というのは、過去に労働需要が大きいときがあると、そのときよい仕事を見つけており、現在転職する必要性が小さいからである。このことは、今後わが国の景気が回復すると、転職率が一気に上昇する可能性を意味する。第2に、特に学校卒業時点での労働市場の需給状況が将来の転職に大きな影響を与える。卒業時には、学校も生徒も非常に大きな費用を使って本人に適した職を探すからである。このことは、新卒者の就職紹介は、彼らのその後のキャリアに大きな影響を及ぼすことを意味する。

照山博司・戸田裕之「日本の景気循環における失業率変動の時系列分析」

照山・戸田論文を取り上げたのは、第1に、失業率の変動という、今ますます重要になりつつある問題を取り扱っていること、第2に、ミクロ的ショックとマクロ的ショックを区別するという新しい分析手法を取り入れていること、第3に、数少ないマクロ経済研究の一つであること、からである。

欧米では、1970年代以降長期にわたって高失業率が続いたため、失業率の変動に関する理論的、実証的研究が数多く現れた。それに対しわが国では、つい最近まで失業率が低かったため、失業率変動についての研究は比較的少ない。この論文は、欧米での研究をふまえ、「構造VAR注22モデル」を利用し、わが国の失業率変動を分析している。

主な結論は、以下のとおりである。第1に、わが国の失業率の変動には持続性があり、それは失業率に対するショックが均衡失業率自体を変動させているためである。第2に、均衡失業率の変動の原因としては、マクロ的ショックに伴う「履歴現象」と、ミクロ的ショックに伴う部門間の労働再配分(摩擦的失業)があり、1975年以降では後者がより重要である。ここで「履歴現象」とは、いったんショックにより雇用が減少すると、それが恒常的になり雇用が回復しない現象をいう。これは訓練費用の重要性やインサイダー・アウトサイダー理論によって説明される。

紹介者コメント

川口

3本論文がありまして、最初が、阿部論文です。これは、ここへ入れるのがいいかちょっと微妙なところで、雇用システムの分析としてもおもしろいと思いました。比較制度分析では企業ガバナンスと雇用制度の補完性という仮説がありますが、それを実際の雇用調整のデータを使って分析した研究は、多分これが初めてです。そういう点で、非常に注目すべき論文だと思いました。

これまでも、比較制度分析での理論を用いた研究はたくさんあるのですが、計量分析は意外に少なく、制度自体がアメリカと日本でどう違うかというような調査・研究が非常に多い。制度分析では、阿部論文の中で紹介されているように取締役の賃金とか、取締役の更迭の研究注23がいくつかありますが、ここでは、雇用制度の根幹にかかわるような雇用削減のデータを使って、それと企業ガバナンスの関係を見たという点で、非常におもしろいと思います。推定した結果も、理論とかなり整合的です。

先日の日本経済学会の大会(1999年10月16・17日)でも、これと似たテーマの報告注24がありました。今後、こういう研究がどんどん出てくるのではないかと思います。

2番目の太田論文は転職行動に関する研究です。先ほど、何度か世代効果という話が出ましたか、まさに転職行動における世代効果を分析しています。「雇用動向調査」の時系列データを用いており、あまり細かなデータではないにもかかわらず、理論と整合的な結果を導いています。

注目すべき点としては、特に新卒で労働市場に入るときの影響が、どうも非常に大きいらしいということです。したがって、新卒のときの景気動向が、その人の人生に非常に大きな影響を及ぼすということで、大竹・猪木論文や玄田論文の賃金に対する影響の分析とも整合的です。

3番目は照山・戸田論文です。ミクロ的ショックとマクロ的ショックを区別するという分析手法は、アメリカではかなり行われているのですが、日本での本格的な研究はこれが初めてだと思います。日本でこういう研究が最近までなかった理由は、やはり失業率が非常に低かったことにあるのでしょう。欧米、特にヨーロッパでは高い失業率が長期間にわたって続く事態が現れ、それを説明する理論が必要だということで、いろいろ研究されてきたと思います。

この論文の結論として、一つは日本の失業率の変動というのはかなり持続性があり、どちらかと言えば、アメリカよりもヨーロッパに近いということです。もう一つの結論としては、特に1975年以降では、ミクロ的ショックに伴う部門間の労働再配分、言い換えると摩擦的な失業による失業の変動が非常に大きいという結論を導いています。ただ、この論文の扱っている期間が1955年から95年までですね。最近の失業率の急激な上昇は、残念ながらこの研究の対象になっていません。最近の上昇についても、ミクロ的ショックが大きいと言えるのかどうかは、今後もう少し検討する余地があると思います。ちなみに、後で出てくる大竹論文は、ミクロ的ショックに伴う再配分効果説には否定的です。その理由として、有効求人倍率が最近かなり下がっているので、摩擦的失業が失業率上昇の主要な原因ではないだろうということです。

それから、この研究はミクロ的ショックとマクロ的ショックを区別していると言っても、使っているデータはマクロデータだけです。いくつかの仮定を設けて、2種類のショックに分けている。しかし、もう少し厳密にやろうと思えば、産業別、職業別、あるいは地域別と、いろいろなショックのデータを用いて、それがどういう影響を及ぼしているかを分析する必要があると思います。

討論

日本の労働経済研究に求められているもの

玄田

これらの論文から感じられるのは、日本の労働経済研究に求められているのが、次の三つの問いに対する明確な答えだということです。

一つは、経済環境の変化の中で、金融システムの変化が、今後、雇用にどういう影響を与えるのかという問いです。阿部さんの論文からそれに対する答えを見いだすとすれば、金融システムの変化は雇用のあり方に大いに影響するだろうという点です。

二つ目の問いは、雇用の流動化が言われているけれども、それに対して流動化すべきとか、すべきじゃないとかという議論以前に、一体、進む方向に変化しているかどうかを明らかにしてほしいという点。

三つ目に重要なのが、やはり「失業は今後どうなるんだ」という点。そのなかで雇用政策として何が正しいのか。照山・戸田論文からすると、失業率は長期的には上がっていくだろう。雇用対策としては、マクロ的な雇用対策の効果がどんどん弱まっている。失業率に影響するショックがミクロ的になってきて、経済全体の有効需要をかき立てようとするより、もっと個別の企業や部門に着目したきめ細かい政策でないとダメだろうというわけです。

三谷

今言われたことに大体賛成です。若年の転職が高まっている理由として、これまでは、どちらかというと供給側の要因、つまり若年の意識の変化ばかり言っていた。言い換えると、若年失業は大したことはないという見方だったのですけれども、太田論文では、実は需要がないからだという、政策的にも重要な点を明らかにしたところに大きな意味があると思います。

それから、新規学卒の入職過程と中途採用の転職過程というのはかなり違うことが明らかになったと思うんですね。特に新規学卒で社会に出るときの入職過程でうまく軌道に乗らないと、中途採用でもなかなかいい職につけませんよということで、今の新規学卒に対する職業紹介の重要性を、逆にここで明らかにしている。だから、そこのところをもっと細かく分析していく必要があるのではないかという気がしました。

さらに、阿部論文については、今、企業環境が激しく変化していて、それがほんとうに雇用調整にどういう影響を与えているのかという意味で非常に興味深いと思います。たとえば、最近大手の自動車メーカーが外資系の経営者を受け入れているように、ガバナンス構造も大きく変わっているところも出てきているわけですね。そういうところで、実際にこれまでの雇用慣行がどう変わっているのか、そこももっと調べていくべきではないかという気がします。

企業ガバナンスと雇用関係

阿部

90年代に日本の金融市場が激変したので、その経過をこれから見ていくとおもしろいことがいろいろあると思います。

最近、NBERのワーキングペーパーに「解雇が株価の上昇につながるか」というおもしろい論文があるんですよ注25。最近、日本では、企業が解雇をすると株価が上がると言われています。ところが、アメリカの分析結果では、逆のことが起こっているんです。僕の分析結果もまた何年後かには全然違う結果になるかもしれない。もしかしたら長期雇用は、金融システムとはあまり関係がない可能性も今後はあるかなと。

玄田

阿部さんはコーポレートガバナンスと雇用の関係を分析する場合に、どの辺に苦労しましたか。

阿部

データがまず問題でしょうね。僕の論文は財務データを使っていますが、玄田さんが言っておられたように、財務データの雇用者の定義というのはやはり厳密でないところがかなりあるかなと思います。前から指摘されていますけれども、注意しておく必要がありますよね。それから、第7回労働経済学コンファレンス(1997年11月)でも言われたことですが、企業ガバナンスの指標とは一体どういうものなのか。この論文では、株主シェアを使っていますけれども、それだけで果たしていいのかという問題があります。

海外の研究を見ていると、たとえば取締役の派遣行動に対する日米比較があったりと、結構おもしろい論文がいっぱいあります。日本でも同じような分析ができると思います。

玄田

取締役の個別報酬データってとれないの。

阿部

とれない。難しいけれども、分析はいろいろとできるんじゃないかな。たとえば株主についてもおもしろい分析ができるのではないでしょうか。

金融ビッグバンで金融商品も投資信託などの幅が広くなりましたが、それが企業ガバナンスにどう影響するのかというのも分析対象になるかもしれません。ただし、これは労働ではなくて、金融問題なのかもしれません。

最後にこの分析をやってみて、金融経済面での日本の産業特性が労働経済で言われていることに似ていることがわかった。たとえば、大規模装置産業は雇用調整速度が遅いと言われていますが、そういう産業ほど資金を間接金融で調達している。一方、雇用調整速度が速いと言われている産業では、直接金融方式で資金調達している。ただし、産業によって資金調達の仕方がなぜ違うのかという点については、まだはっきりしていない。

玄田

経済学の内部でも、金融とか、労働とか、財政とか、いろいろな分野をどうコーディネートしていくかが、重要になっているね。

中小企業のガバナンス研究

阿部

中小企業のガバナンスはどうなっているのかというのもおもしろいと思いますね。

三谷

そうですね。雇用システム論などが中小企業に欠けている部分ですね。

阿部

そういうところを研究するのもおもしろいのではないですか。

玄田

今でも雇用規模がすごく減っているのは、1000人以上の企業と、逆に非常に規模の小さいところです。雇用が一番堅調に維持されているのは中堅規模ですし、さっきの女性のところで、比較的女性の活用が進んでいるように見えるのも中堅規模。「中堅」って、結構、研究の穴場だ。

脚注

  • 注22 VARは Vector Auto Regression の略。
  • 注23 村瀬英彰・梁松堅(1995)「日本企業の株式所有構造と経営者への利益配分」、倉澤資成・若杉隆平・浅子和美編『構造変化と企業構造』日本評論社。 胥鵬(1992)「日本企業は従業員主権型か─日本企業における経営者インセンティブからの検証」『日本経済研究』No.23。 Abe, Yukiko (1997) “Chief Executive Turnover and Firm Performance in Japan,” Journal of Japanese and International Economics, Vol.11, No.2 などが参考となる。
  • 注24野田知彦・浦坂純子「コーポレート・ガバナンスと雇用調整─企業パネルデータに基づく実証分析」日本経済学会 1999年度秋季大会報告論文。
  • 注25 Farber, Henry S. and Kevin F. Hallock (1999) “Have Employment Reductions Become Good News for Shareholders? The Effect of Job Loss Announcements on Stock Prices, 1970-97,” Working Paper 7295, NBER.
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