2000年 学界展望
労働経済学研究の現在─1997~99年の業績を通じて(2ページ目)


1. 雇用システムと労働市場

論文紹介(阿部)

櫻井宏二郎「偏向的技術進歩と日本製造業の雇用・賃金」

櫻井論文は、SBTC(skill-biased technological change; スキル偏向的技術進歩)に注目し、IT(information technology; 情報技術)の進展がわが国の労働市場にどのような影響を及ぼしたのかを分析している。この論文は、公表されている「工業統計表」を利用するが、産業を4ケタ分類(428業種)までさかのぼることで緻密な分析を行っている。その結果、 [1] 80年代後半の日本の製造業では非生産労働者のシェアが上昇している一方で、生産労働者と非生産労働者間の賃金格差に変化は見られないこと、 [2] 非生産労働者のシェア変化は過半が産業内で起きていること、 [3] その変化を説明する要因としてSBTCが考えられること、などを観察したうえで、 [4] 技術進歩の代理変数であるコンピュータ投資比率が非生産労働者の賃金シェア変化に大きく影響していること、 [5] 賃金格差があまり変化しなかったことについては、非生産労働者への需要シフトが労働供給要因により相殺された、ことを確認している。

玄田有史「雇用創出と雇用喪失」

本論文は、最近注目されている雇用創出・喪失分析の手法を用いて、近年の労働市場の変化を検討している。この手法は労働需要側の視点を重視したものであると同時に、供給側の視点からの失業分析と対になって分析が精力的に進められている。玄田論文は「雇用動向調査・事業所票」の個票を利用して、事業所レベルの雇用変動をとらえることに成功している。そこで得られたファクトファインディングは、 [1] 日本の雇用創出と喪失はOECD諸国に比べて少ない可能性がある、 [2] 雇用創出・喪失は小企業ほど大きい、 [3] 個別事業所間での雇用創出率・喪失率の違いを企業規模や産業属性だけでは説明できない、 [4] 雇用喪失による離職は会社都合による離職に比べて相当大きい(特に小企業で顕著)、 [5] ひとたび雇用が喪失すると元の水準に戻ることは難しく、1990年代前半に発生した雇用喪失の8割程度が2年後も失われたままである、などである。

紹介者コメント

阿部

「雇用システムと労働市場」ということで、労働市場のマクロ的側面から見て最初に、櫻井論文と玄田論文を紹介したいと思います。

まず、先進諸国の労働市場で1980年代以降に高学歴・熟練労働者に対する需要が増え、一方で低学歴・未熟練の需要が減ってきたわけです。その結果、イギリスやアメリカでは熟練・未熟練の賃金格差が拡大し、一方で欧州は低学歴者や未熟練労働者の失業率が上昇した。こうした観察事実に関して労働経済学者がどんな研究をしてきたかというと、一つはこういう事態を起こした原因を分析する研究、もう一つは、国によって失業率が上がったり、賃金格差が拡大するのはなぜかを分析する研究がある。

櫻井論文は、労働市場の構造変化の要因として基本的にはスキル偏向的技術進歩に注目し、分析している。構造変化の原因には技術革新だけではなくて、国際競争もあるはずですが、櫻井論文では取り上げていません。もちろん、それにはいくつか理由があると思うんですが。

玄田

意外に国際競争を取り扱った労働研究って日本には少ないですね。

阿部

ええ。たとえば樋口・玄田論文注1のように中小企業を対象にした分析がありますけど。国際競争については重要な論点でしょうね。

僕がこの論文に注目したもう一つの理由は、櫻井さんが「工業統計表」の公表データを利用している点です。産業を428業種まで細かく分け、労働者の移動や生産性の変化を見ていることには感心しました。僕たちはすぐ個票で分析しないとまずいと思うのですが、それを集計公表データで分析している。

玄田

個票データがほとんど使えないころはこういった研究が多かったんだけど、今は珍しくなっている。

阿部

珍しいですよね。しかし、その努力がよくて……。

玄田

個票データを使うのが増えたこと自体はいいことだけれども、こういう研究の重要性も評価されていいと思う。

阿部

最近、失業率が上がってきたわけですが、もう一方で企業経営のダイナミズムが失われつつあるとも言われています。後で三谷論文を紹介しますが、自営業の分析でもそういう問題点から分析が進んでいくんだろうと思います。

ところで、企業経営のダイナミズム、という、どちらかというと労働需要側から失業構造をとらえる形で、雇用の創出と喪失を分析しているのが玄田論文です。

この論文では雇用動向調査の事業所票の個票を利用して、事業所レベルでの雇用変動を分析しています。従来の研究の多くは失業の変動を供給側から分析してきたわけですが、最近では需要側の行動でとらえて、しかもミクロレベルで見ていこうというスタイルが出てきたことは重要ではないかと思います。

話題としては、学界全体について言えることでもありますが、最初の櫻井論文について言ったように、国際競争が労働市場に与えたインパクトが大きかったと言われているにもかかわらず、それがちゃんと分析されている論文をあまり見かけません。

それから、日本の労働市場の需要構造が変化した結果、失業率が高まったのか、賃金格差が大きくなったのか、という点をちゃんと分析したい。そうすると、やはり国際比較をやるべきではないかと思いますが、この3年間で国際比較をやっている文献は、今回の学界展望ではあまり登場してこなかったなというのが、残念です。

もう一つ、日本の雇用システムに関しては比較制度分析など労働経済学以外でも分析されているわけですが、理論的仮説をしっかり実証分析する必要もあるのではないかと思いました。

討論

玄田

ありがとうございました。櫻井さんのも僕のも、労働市場のマクロ的側面を扱った論文です。ただ阿部さんが言ったように、いわゆるマクロ問題をマクロデータでやる研究がすごく減っていて、雇用創出・喪失研究もミクロデータがなければできない状態になっている。これは最近の労働研究に関する一つの大きな特徴だと思います。

知的熟練と賃金格差

三谷

この2本とも最近の日本の労働市場問題をマクロ的にとらえていて、非常に問題意識の高い論文でおもしろいと思います。

櫻井論文に関して、先ほどちょっと阿部さんもいわれたように、比較制度分析などでこれまでいろいろ知られていることがあるわけですね。たとえば賃金格差にしても日米に差がある。櫻井論文によれば、日本では需要側で賃金格差が拡大する傾向にあるけれども、供給サイドでの進学率上昇などにより、それが相殺されているという結論になっているわけです。しかし、その点はまだ分析する余地がたくさん残っているんじゃないかと思います。事業所や企業の中での配転、あるいは技能形成のやり方など、日米で随分と違うということが明らかにされていますから、それらが賃金格差にどう影響しているのか。これは政策的にも非常に重要な点ですから、まだまだやる余地があると思います。

玄田

アメリカだと熟練・未熟練は学歴で分けられて、そのレベルが入職段階ですでに確定しているニュアンスで受け取られがちですが、日本の場合、熟練・未熟練はむしろ入職後の訓練機会の影響を大きく受ける。だから、熟練労働者が今後増えるかどうかは、おっしゃるように技能形成自体がどうなるかと密接に関係しています。

阿部

日本では、知的熟練と言えば高卒の現場の方たちをイメージしますよね。熟練を持っている人たちをどう考えるかという視点も重要です。櫻井論文では学歴だけで分析している。

三谷

かなりステレオタイプなとらえ方ですね。

玄田

そういう意味では、阿部さんが言われた高卒の知的熟練を念頭に置いた研究はあるのですか。最近は中高年ホワイトカラーに意識が向いていますが、ブルーカラーで知的熟練者という部分の研究はどうなっているのでしょうか。

三谷

「6. 賃金・昇進制度・技能形成」で、それに関連する論文が出てきますが、ただ、統計的計量的な分析に乗るような論文は、割に少ないですね。

阿部

計量分析をどうやればいいのかというのも問題ですね。

玄田

データの問題ですか。

阿部

データの問題なのかもしれませんが、どういう視点から分析して、実証分析の俎上にのせるかというのも、難しい問題だと思います。たとえば、賃金格差を分析するにしても、勤続や学歴などの変数を使って、その収益を測ってきたわけですが、同じ学歴でも全然違う人たちがいるというところが重要だと思います。

三谷

ちょっと脱線しますが、最近のフランスの賃金構造調査の中に企業内の職場組織や技能形成に関する項目があります。たとえば「変化と異常への対応を行うのは誰ですか」といった知的熟練に関する質問項目なんかもあって、やや粗いのですが賃金構造との関係を分析できるようなデータもあるわけです。

玄田

それは政府統計ですか。

三谷

政府統計注2です。こういったデータが日本にもあれば、計量的な手法で知的熟練を分析できて非常におもしろいと思うんですが……。

阿部

櫻井論文に戻ると、需要側から分析する場合、生産性というのは重要な一つの指標で、それに賃金や雇用量も必要な指標です。この三つの指標を利用して分析したい。ところが、個票で需要サイドを分析するのは難しいなと思うのは、現状の日本のデータでは、賃金は「賃金センサス」が、生産性に関するものは「工業統計表」がとっている。われわれが本当に必要なのは、それらをマッチングしたデータです。そういう統計が出てくると、生産性がどれぐらい上がったのか、それが分配面で賃金にどうかかわっているのか、という分析ができると思います。

玄田

最近、有価証券を使う研究が増えてきました。有価証券の財務データは、賃金や雇用に関する定義が非常にラフです。財務データでも労働関連の統計をもっと整理しようという議論をそろそろ始めないといけない。金融と労働で問題意識が重なってきても、今のデータでは限界がある。

三谷

玄田論文に関してですが、雇用創出・雇用喪失という分析手法は、たしかに雇用創出のダイナミズムをとらえて非常にいいんですが、こういう手法だけでは、同じ産業、同じ規模の中で、片方の事業所では雇用が伸びて、片方はどんどん縮小していっているという実態はわかっても、その変動要因は何なのかというのが結局はわからない。たとえば、日本で比較的事業所間の配転が多いのは他のOECD諸国に比べて雇用創出率が少ないことに関連があるのかどうか。今後の研究の方向として、そういうことをやるのも非常におもしろいのではないか。

玄田

後の阿部君の論文もそうですが、企業ガバナンスも個別企業の雇用調整に影響を与えているかもしれない。今後もっと増えていくべき研究の方向ですね。……。川口さん、座談会なんだから、うなずくだけじゃなくてしゃべらなきゃ。

阿部

「うなずく」って書いておこうか(笑)。

川口

(笑)。この玄田論文は、僕が担当した戸田・照山論文と非常に関連があります。戸田・照山論文はマクロの分析ですけれども。マクロで見た雇用の増減と、玄田論文のようにミクロで見た増減と量が全然違うんですね。だから、三谷さんはちょっと厳しいコメントをされましたが、僕としては、やはりこういう研究があるというのは、摩擦的な失業の重要性を分析するうえで非常に重要だと思います。

雇用創出に関する政府統計整備の必要性

玄田

雇用創出に関する統計は、最終的に政府で整備すべきだと思います。失業率や有効求人倍率がマクロ全体の労働市場の動向を表すものとして注目されていますが、この二つだけでは表せない変化もある。今後、経済構造が変化していくと、雇用創出も雇用喪失も同時に増えるでしょうが、その状況を客観的に示せる統計を政府が整備する時代になっている。

阿部

ホルティワンガーたちがつくったデータ注3は米国政府がつくっているんですか。

玄田

Bureau of Statistics注4

阿部

日本でもあのようなデータをきっちり作るというのが重要ですよね。

玄田

最近、会社ができることによる雇用創出とか、会社がつぶれたりすることによる雇用喪失にすごく関心は集まっているけど、それを議論するのに耐えうる年次レベルのデータは日本にはまだない。だから、みんながほんとうに知りたい、事業所新設が雇用創出に与えるインパクトとか、事業所がなくなることによる雇用喪失のインパクトというのを正確に測れないまま、何となく「緊急雇用対策で70万人雇用創出」といった言葉だけがひとり歩きしてしまう。これに対しては経済学者がもっと「客観的な評価をするためのデータを創ろう」という声を上げていくべきだと思うんだけど。

三谷

私も全く同感です。行政の持っている業務データがもっと使えないかとも思います。たとえば雇用保険の適用関係のデータなどを、もっと使っていったらいいのではないかと思いますね。

玄田

使えないでしょう、雇用保険の業務データは。

三谷

ドイツの場合、ニュルンベルクの連邦雇用庁に同じような社会保険のデータがあって、それをうまく使って、雇用創出・喪失の分析用に非常にいいデータをつくっていますよ。だから、日本でももっと社会保険の業務データを使って、分析できるようになればよいと思います。もちろん、プライバシーの保護には十分注意しなければいけませんが。

論文紹介(阿部)

中馬宏之「経済環境の変化と中高年層の長勤続化」

本論文は、個票データをつぶさに観察することで、1980年代に中高年層の長期勤続化傾向が進展していたことを明らかにしており、興味深い研究と言える。具体的に長期勤続化の指標として、「正社員比率」「平均勤続年数」「終身雇用者比率」「終身雇用者の残存率」を用いているが、80年代に入り、 [1] 民間企業の多くがパートタイマー志向の強い女性労働力を多く活用することで雇用柔軟性を確保する一方で男性の正社員比率には変化がないこと、 [2] 中高齢者の平均勤続年数が延びており勤続年数の長期化傾向が観察されること、 [3] 年齢や学歴や企業規模にかかわらず終身雇用者比率は年々高まっていること、 [4] 各人が属するコーホートによって動きがまちまちであるが、終身雇用者の残存率は平均的に高まっていること、が観察される。さらに、中馬論文では年齢や企業規模、学歴、地域、産業の点から長期勤続化の要因についても検討を行っている。一般には労働市場の流動化が高まっていると言われているが、中馬論文での観察事実によればむしろ終身雇用制度が広範に普及しているのではないかと考えられる。

三谷直紀「高齢者就業と自営業」

三谷論文では、まず、わが国の高齢者層の労働力率は欧米諸国に比べてかなり高いが、それには高齢自営業主の存在が大きな影響を与えていることを公表データから明らかにしている。また高齢自営業主の多くは若いころから自営業に従事しており、雇用対策の一つとして独立開業を促進するためには若年層に対する独立・開業支援を行わなければならないと指摘している。またアンケート調査の結果から、 [1] 勤務経験の有無によって開業者の属性が異なること、 [2] 開・廃業率の高い業種や新しい職業での開業者が多いこと、 [3] 開業者の中で他社経験がある人の多くは中小企業出身者であること、 [4] 開業者に大卒者は少ないこと、 [5] 企業の退職管理を機に開業した人はわずかであること、 [6] 開業後2~4年は開業者の経営は厳しいが、公的融資により切り抜けたとする人の割合が高いこと、などをつまびらかにしている。最後に、自営業者の年収を分析しているが、 [1] 開業者と事業継続者ではそのプロファイルの形状が異なること、 [2] 開業者のそれは一見して年功カーブに見えるが、 [3] 開業した年齢にかかわらず事業が軌道に乗るまでには市場の厳しい選別が待っており、それが年収に大きな影響を及ぼしている、といった点を明らかにしている。

紹介者コメント

阿部

中馬論文と三谷論文を紹介します。

巷では労働市場が流動化しているのではないかと言われていますが、中馬論文は個票データから80年代に中高齢者の長期勤続傾向が強まってきたということを明らかにしているのが一番の特徴です。

最近は、中高齢者の雇用危機と言われていますが、中馬論文では全然逆のことが起きていると言っている。世代効果を考える論文が最近は出ていますが、それらと中馬論文をどう比較検討するかというのも重要だと思います。中馬論文の観察事実もよく見ると、世代によってちょっと動きが違っている。

もう一つは、最近の国会でも中小企業をどうしていくかということが重要になっていますが、開業率は日本では依然として低いわけです。そのなかで中小企業や自営業などのダイナミズムを取り戻すためにはどうしたらいいかという議論はやはり重要だと思います。

三谷論文はそれを意識した分析で、タイトルに高齢者とありますが、結論は高齢者ではないですよね。つまり、高齢になってからでは独立開業には遅いというところにインパクトがあって、「そうか!」と思いました。三谷論文はアンケート調査を独自にされていますが、高齢者といいながら、企業の退職管理を機に開業をした人はわずかであって、自分から開業している人が多いというのが、こういうデータで確かめられたというのは興昧深かったですね。

それから、開業後、2年から4年間は新規開業者の経営は厳しいけれども、公的融資で切り抜けたとする人の割合が高いということは、結果的に公的融資は結構効いているということです。労働経済には直接関係ないけれども、民間の銀行はベンチャーキャピタルに関して何やっているのかなと、読んでいて思いました。銀行が独立開業にどのように影響しているのかというのが次の研究課題だろうと思います。

さらに興味深いのは、自営業者の年収構造を分析していて、開業者と事業継続者では形状が違っていることを見いだしている。開業者のほうは、一見して年功的に見えるけれども、実際には開業した年齢に関係がないから、年功的とは必ずしも言えない。結局、事業が軌道に乗るまでは低い所得に甘んじて、事業が軌道に乗ると、所得が上がっていく。今まで自営業というのは、どちらかというと中小企業論や二重構造論的に語られることが多かったのですが、別の視点からの分析が出てきました。独立開業=転職の一形態というとらえ方ですね注5。もう一つは、事業家・経営者としての能力を分析して、それが所得にどうはね返っているのかという分析も興味深いなと思いますね。

討論

独立開業と雇用創出

玄田

労働経済学のなかで自営業研究が増えてきているのも最近の特徴ですね。阿部さんも自営業を研究しているから、三谷論文にご不満があればどうぞ。学界展望は、褒めるのとけなすのと両方やるのが大事だから。

阿部

不満よりむしろ、僕たちは高齢者だけのデータしか使っていないので、三谷論文のおかげで、見えなかったところが見えたなと思いました。

川口

三谷論文に関して一つお聞きしたいのは、先ほどの雇用創出の問題と関係するんですが、自営業がどの程度、雇用創出に役立っているのかです。たしかOECDの研究注6には、雇用への波及効果は小さいと書かれていましたが、やはり雇用者なしの自営業者が多く、あまり雇用創出には影響がないのでしょうか。

三谷

たしかに自営業に限ればやはり規模が小さいですから、それほどインパクトは大きくないかもしれません。けれども、どんな企業でも最初に開業する段階は非常に小さいところで始まりますからね。そこのところの雇用がやはり増えていかないと、全体の雇用が増えていかないというのは明らかなことですね。1980年代の雇用創出・喪失の研究などを見ると、いわゆる既存事業所のネットの雇用の増加より、新規開業による純増のほうがかなり大きい。だから、そういう意味でも、自営業に限らないで、中小企業として、もう少し広い範囲でとらえれば、やはり雇用創出に非常に重要だと思いますね。この論文でも分析対象を自営業主に限ってはいません。

玄田

三谷論文は若いうちに自営業を開業することが必要という趣旨ですが、実際、日本では若い自営業主はどんどん減っている。40-44歳の非農林業自営業者は、91年に112万人いたのが98年には半分の56万人になっている注7。若いうちに開業する人が減っているということは、高齢者で自営業になるという人も将来的に減ってくることになります。

ところで、30代、40代の自営業がどんどん減っていますが、減った自営業者は一体どこに行ったのでしょうか。

三谷

商店や農業でも同じことは言え、そういう人たちが雇用者になっているということはあると思います。ただ、ここら辺のかっちりした分析はあまりないですね。

玄田

政策的にもどう独立開業を進めるかが注目されますが、実際は、どうやって円滑に廃業するかも重要でしょう。事業がダメになったとき、どういう政策的なサポートが経済学的にはありうるのか、まだわかっていないよね。

三谷

同感です。

中高年齢層の長期勤続傾向とその原因

川口

中馬論文は、ファクトファインディングとして、通説で言われているのと実際は違うんだよというのは、すごくインパクトがありました。どうしてそうなるのかというのを、これからもっと分析しないといけないと思います。その一つの説明としては、さっき阿部さんが言われたような世代効果ですね。後に出てくる太田論文や、玄田論文注8大竹・猪木論文注9などの世代効果の論文を読むと、就職したときの景気の善し悪しが、その後の離職率や賃金にかなり影響があるということです。今の中高年は高度成長期に就職した人が多いのですが、今後、もしかしたら変わってくるかもしれません。

阿部

最近、若年者の離転職行動はものすごく複雑だという論文注10がありました。複雑すぎるために、ジョブサーチ理論などで説明するのは難しいというのです。

若年層がどう労働移動しているのかを細かく見るのは重要です。僕は世代効果を考えたときに、別のアプローチとして国際比較が必要だと思っています。日本で世代効果が強いのかどうかを、国際比較を通して見てみる。それから、世代効果が国によって違うのはなぜかを考える。

三谷

外国にも世代効果があるという論文はあります注11。きちんと国際比較をしないとまた日本だけが特殊だという偏見に陥る可能性がある。

阿部

そうですね。世代効果がなぜ起こるのかというのも、やはり調べる必要がありますね。

三谷

私も川口さんと同じで、どうしてそんなに中高年層の長期化が進んでいるのか、その原因をもう少し究明する余地が─言い換えれば研究の材料が─あるのではないか。世代効果だけでなく、景気の動向や、あるいは定年延長といった政策効果もあると思う。そういうものがどうなっているのかというのも、やはり調べていくべきだし、調べていける、そういう材料を提供しているのではないか。もう一つは、こういうふうに80年代に中高年の長期勤続化が進んだわけですけれども、同時に賃金プロファイルの傾きがむしろ急になっていったでしょう。

玄田

いつごろからですか。

三谷

70年代から80年代にかけてです注12。こういうふうに中高年化していけば、本来でしたら寝るというのが普通ですよね。ところがほとんど寝ないでむしろ立っていったんです。その後、通説どおりほんとうに寝ていったのですね。だから、そこらあたりの賃金プロファイルとの関係を理論的にも実証的にも分析するのは非常におもしろいんではないかと思います。

阿部

もう一つ、情報化が労働市場にどういうインパクトを与えるかを、もう少しきちんと分析しておくべきではないでしょうか。清水(方子)さんたちがやっている分配の問題注13もありますが、それだけではなくて、教育はどういうふうに影響するのかとか。

玄田

コンピュータの使用が賃金とどう結びついているのかも、関心の割にこれからといったところだね注14

脚注

  • 注1 樋口美雄・玄田有史(1999)「中小製造業のグローバル化と労働市場への影響」、関口末夫・樋口美雄・連合総研編『グローバル経済時代の産業と雇用』東洋経済新報社。
  • 注2 INSEE, ENQUÊTE SUR COÛT DE LA MAIN D'OEUVRE ET LA STRUCTURE DES SALAIRES EN 1992. 詳しくは三谷直紀(1999)「フランスの賃金決定制度について」『国民経済雑誌』第179巻第6号 pp.61-75を参照されたい。
  • 注3 Steven J. Davis, John C. Haltiwanger, and Scott Schub(1996) Job Creation and Desruction, MIT Press.
  • 注4 The Bureau of Census が作成したLRD(Longitudinal Research Database)が用いられている。
  • 注5 独立開業を転職の一形態としてとらえた論文としては、阿部正浩・山田篤裕(1998)「中高年齢期における独立開業の実態」『日本労働研究雑誌』No.452(論文データベースにて全文参照可能)がある。
  • 注6 OECD(1992)“Recent Developments in Self-Employment,” OECD Employment Outlook, Ch.4, pp.156-194.
  • 注7 総務庁統計局「労働力調査年報」。
  • 注8 玄田有史(1997)「チャンスは一度─世代と賃金格差」『日本労働研究雑誌』No.449(論文データベースにて全文参照可能)。
  • 注9 大竹文雄・猪木武徳(1997)「労働市場における世代効果」、浅子和美・福田真一・吉野直行編『現代マクロ経済分析:転換期の日本経済』東京大学出版会。
  • 注10 Neal Derek (1999)“The Complexity of Job Mobility among Young Men,” Journal of Labor Economics, No.17, vol.2, pp.237-61.
  • 注11 たとえば Bloom, D. E., Freeman, R. B., and S. D. Korenman(1987), “The Labour-Market Consequences of Generational Crowding,” Europian Journal of Population, vol.3, pp.131-76.
  • 注12 労働省(1988)『労働白書』日本労働研究機構。
  • 注13 清水方子・松浦克己(1999)「技術革新への対応とホワイトカラーの賃金」『日本労働研究雑誌』No.467(論文データベースにて全文参照可能)。
  • 注14 ただし、コンピューター使用と賃金の関係については現在多くのアンケート調査が実施されており、今後の成果が期待できる。
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