フォーカス:ビジネスと人権 ―アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの取り組みの状況
はじめに:国連指導原則と国別行動計画
取り組みの変遷
国際社会における「ビジネスと人権」に関する取り組みの原点をたどると、45年ほど前まで遡る。そこから現在までの主な動向をまとめたものが、表1である。
時期 | 組織 | 概要 |
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1976 | 経済協力開発機構(OECD) | 「OECD多国籍企業行動指針」発表。 ※「OECD多国籍企業行動指針」は、2011年の5回目の改定時に人権に関する章を追加。 |
1977 | 国際労働機関(ILO) | 「ILO多国籍企業および社会政策に関する原則の三者宣言」(以下、「ILO多国籍企業宣言」)策定。 ※「ILO多国籍企業宣言」は、2017年の改定時に国連「指導原則」への言及を追加 |
1998 | ILO | 「労働における基本的原則および権利に関するILO宣言」を採択。ILO条約のうち、①結社の自由および団体交渉権(87号、98号)、②強制労働の禁止(29号、105号)、③児童労働の廃止(138号、182号)、④雇用および職業における差別の禁止(100号、111号)の4分野8条約を中核的労働基準と定め、条約批准にかかわらず、全ての国の政労使が尊重・遵守していかなければならないと宣言した。 |
1999 | 国連 | 「国連グローバル・コンパクト」を提唱。 グローバル・コンパクトが企業に対し実践するよう要請する4分野・10原則のうち、2分野(6つの原則)は、「人権」および「労働」。 ※【6つの原則】 原則1:人権擁護の支持と尊重 原則2:人権侵害への非加担 原則3:結社の自由と団体交渉権の承認 原則4:強制労働の排除 原則5:児童労働の実効的な廃止 原則6:雇用と職業の差別撤廃 |
2005 | 第69回 国連人権委員会 |
「人権と多国籍企業」に関する国連事務総長特別代表として、ハーバード大学ケネディ・スクールのジョン・ラギー教授を任命。 |
2008 | 第8回 国連人権理事会 |
ラギー特別代表が「保護、尊重および救済」枠組みを提出。 ※同枠組みは、企業と人権との関係を、(1)企業を含む第三者による人権侵害から保護する国家の義務、(2)人権を尊重する企業の責任、(3)救済へのアクセスの3つの柱に分類し、企業活動が人権に与える影響にかかる「国家の義務」および「企業の責任」を明確にすると同時に、被害者が効果的な救済にアクセスするメカニズムの重要性を強調し、各主体がそれぞれの義務・責任を遂行すべき具体的な分野および事例をあげている。 |
2010 | アメリカ | 「金融規制改革法(ドッド・フランク・ウォールストリート改革および消費者保護法)」制定。 「カリフォルニア州サプライチェーン透明化法」制定(2012年施行)。 |
〃 | 国際標準化機構(ISO) | ISO26000(社会的責任に関する手引き)発行。 |
2011 | 第17回 国連人権理事会 |
「ビジネスと人権に関する指導原則:保護、尊重および救済枠組みの実施(指導原則)」策定。 |
〃 | OECD | 「OECD多国籍企業行動指針」改定(企業の人権尊重責任に関する章を新設)。 |
2013 | イギリス | 「国別行動計画(アクションプラン)」策定。 |
2014 | EU | 「非財務情報開示指令」制定。 |
2015 | 国連総会 | 「持続可能な開発目標(SDGs)」を中核とする「持続可能な開発のための2030アジェンダ」において、「国連のビジネスと人権に関する指導原則」「ILOの労働基準、児童の権利に関する条約」、その他の主要な多国間環境関連協定等の取り決めに従い、労働者の権利や環境、保健基準を遵守し、民間活動を促進することを採択。 |
〃 | G7エルマウ・首脳宣言 | 「指導原則」を支持し、各国の行動計画策定を歓迎する旨の文言。 |
〃 | イギリス | 「現代奴隷法」制定。 |
2016 | ドイツ | 「国別行動計画」策定。 |
〃 | アメリカ | 「国別行動計画(責任ある企業行動)」策定。 「貿易円滑化および権利行使に関する法律」制定。 |
2017 | ILO | 「ILO多国籍企業宣言」改定(ディーセントワークの課題に対応する原則の強化)。 |
〃 | フランス | 「企業注意義務法」制定、「国別行動計画」策定。 |
〃 | G20ハンブルグ首脳宣言 | G20は「指導原則」を含む「国際的に認識された枠組みに沿った人権の促進にコミット」し、「ビジネスと人権に関する行動計画等の適切な枠組み構築に取り組む」ことを強調。 |
〃 | EU | 「紛争鉱物規則」制定。 |
2018 | 第37回国連人権理事会 | SDGsの実現と人権の保護・促進は、相互補強、表裏一体の関係にあるとの採択。 |
〃 | OECD | 「責任ある企業行動のためのOECDデューデリジェンス・ガイダンス」公表。 |
2019 | オーストラリア | 「現代奴隷法」施行。 |
〃 | オランダ | 「児童労働デューデリジェンス法」制定(2022年施行予定)。 |
〃 | EU | 「企業の人権デューデリジェンス」に関するEU共通のフレームワークを提起。 |
2020 | 日本 | 「国別行動計画」策定。 |
〃 | カナダ | 「現代奴隷法」上院議会での審議開始(2020年10月29日)。 |
2021 | ドイツ | 「サプライチェーン・デューデリジェンス法案」成立(2023年1月施行予定)。 |
〃 | EU | 「デューデリジェンスに関するEU指令案」提出見込み。 |
資料出所:国連、ILO、外務省、各国政府などのサイトを基に調査部海外情報担当が作成。
近年の取り組みで、最も大きな転機となったのは、2011年3月の国連人権理事会における「ビジネスと人権に関する指導原則(指導原則)」(Guiding Principles on Business and Human Rights)の承認であろう。
これに呼応するように、同年5月にOECD多国籍企業行動指針が改定され、「企業には人権を尊重する責任がある」という章が新設された。これにより企業はリスク管理の一環として、自らの企業経営が引き起こす(あるいは一因となる)潜在的・顕在的な悪影響を特定し、防止し、緩和するため、リスクに基づいたデューデリジェンス(注意義務)を実施すべきとした規定が新たに盛り込まれた(注1)。
その後2017年には、ILO多国籍企業宣言が改定された。これにより、インフォーマルからフォーマル経済への移行、賃金、社会保障、強制労働の禁止、安全衛生、救済へのアクセスおよび被害者への補償などの分野におけるディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の課題に対応するための原則が強化された(注2)。
なお、これらの動きに先立ち、2010年には国際標準化機構(ISO)が設定する国際規格ISO26000(組織の社会的責任に関する国際規格)が発効されている。同規格は、組織(企業)が持続可能な発展への貢献を最大化するために尊重すべき7つの社会的責任の原則として、「説明責任」「透明性」「倫理的な行動」「ステークホルダー(関係者)の利害の尊重」「法の支配の尊重」「国際行動規範の尊重」「人権の尊重」をあげている。
指導原則の概要
国連の「ビジネスと人権」に関する指導原則は、全ての国家や企業(規模、業種、拠点、所有形態、組織構成に関わらず)に適用される。また、表2のとおり、「人権を保護する国家の義務」「人権を尊重する企業の責任」「救済へのアクセス」の3つの柱で構成され、31の原則を規定している。
Ⅰ.人権を保護する国家の義務 | Ⅱ.人権を尊重する企業の責任 | Ⅲ.救済へのアクセス |
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A. 基盤となる原則(原則1-2) B. 運用上の原則
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A. 基盤となる原則(原則11-15) B. 運用上の原則
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A. 基盤となる原則(原則25) B. 運用上の原則
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資料出所:ヒューライツ大阪「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重および救済」フレームワークの実施のために」、外務省「ビジネスと人権」を基に作成。
「Ⅱ.人権を尊重する企業の責任」においては、企業が尊重すべき人権として、国際人権章典(世界人権宣言、国際規約)とともに、「労働における基本的原則および権利に関するILO宣言」で定められた中核的労働基準(4分野8条約)が明記されている(指導原則12)。企業は、自らの活動を通じて人権に負の影響を引き起こしたり、助長したりすることを回避し、影響が生じた場合に対処するだけでなく、サプライチェーンを含む取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接関連する人権への負の影響を防止・軽減するよう努めることとされている(指導原則13)。
さらに、企業は人権を尊重する責任を果たすため、①人権方針の策定②人権デューデリジェンス③救済メカニズムの構築――を行うべきであるとしている。①は、人権尊重責任を果たすというコミットメント(約束)を企業方針として発信することを求めている(指導原則16)。②は、人権への負の影響を特定し、防止し、軽減し、対処するため、影響の評価、評価結果への対処、その反応の追跡検証、対処方法に関する情報発信を実施することを求めており、この一連の流れを「人権デューデリジェンス」と呼んでいる(指導原則17~21)。③は、企業が人権への負の影響を引き起こしたり、助長したりしたことが明らかな場合、自らまたは他のアクターとの協力を通じて、その是正に積極的に取り組むことを求めている(指導原則22)。
従来のILO多国籍企業宣言、OECD多国籍企業行動指針や国連グローバル・コンパクトには法的拘束力がなく、各国労働法の水準を超えた国際労働基準の遵守やサプライチェーンへの適用は、企業の社会的責任(CSR)に基づく、任意の自主的な取り組みと位置づけられてきた。これに対し、国連の指導原則は、「人権」という概念を用いることにより、企業の人権尊重責任を、CSRの取り組みを超えたコンプライアンス(法令および社会規範の遵守)上の課題として位置づけた。指導原則は、労働に関する個別的な権利やルールについて具体的に規定してはいないが、普遍的な「人権」概念に基づき、企業に対して、企業活動における国際労働基準の遵守やそのサプライチェーンへの適用を強く要求している(注3)。
なお、指導原則は、オリンピック・パラリンピックなど、大型の国際大会の開催にあたり、物品・サービスの調達過程における人権保護等の法令遵守も求めている。日本でも2020年10月16日に、関係府省庁連絡会議において、企業活動における人権尊重の促進を図るため、「ビジネスと人権」に関する行動計画が策定されたところである。
「国別行動計画」の策定状況
現在、2011年の国連人権理事会で承認された指導原則の決議に基づき、専門家で構成される作業部会が設置されている。作業部会は、ビジネスと人権に関する指導原則の普及、実施にかかる行動計画の作成を各国に奨励している。これにより、各国政府は、国別行動計画の策定や関連法の整備等を進めている。
「国別行動計画」の策定状況をみると、2021年6月時点で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、オランダ、日本など25カ国が行動計画を発表しており、オーストラリア、ブラジル、インドなど25カ国が策定中である(表3)。
行動計画策定済みの国 | 行動計画策定中の国 |
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英国、オランダ、デンマーク、フィンランド、リトアニア、スウェーデン、ノルウェー、コロンビア、スイス、イタリア、米国、ドイツ、フランス、ポーランド、スペイン 、ベルギー、チリ、チェコ、アイルランド、ルクセンブルク、スロベニア、ケニア、タイ、日本、ペルー(25カ国) | アルゼンチン、オーストラリア、アゼルバイジャン、ブラジル、エクアドル、グアテマラ、ギリシャ、ホンジュラス、インド、インドネシア、ヨルダン、ラトビア、マレーシア、モーリシャス、メキシコ、モンゴル、モロッコ、モザンビーク、ミャンマー、ニカラグア、パキスタン、ポルトガル、ウガンダ、ウクライナ、ザンビア(25カ国) |
資料出所:国際連合人権高等弁務官事務所(注4)。
スマートミックスに向けて
指導原則の実施にあたっては、企業の人権尊重を促進するために、国内外の措置や強制的・自発的な措置を組み合わせた「スマートミックス」が必要だとされている。
つまり、「自主的な取り組み」と「義務的な法規制」が両輪になることが重要であるが、現状は、自主的な措置のみを意味するために使われる傾向が見られる。この傾向に対して、指導原則の草案者であるジョン・ラギー教授は、2019年12月の「企業の人権デューデリジェンスに関するEU共通のフレームワーク」が提起された会議において、自主的と義務的の組み合わせの重要性を強調したうえで「義務化」を支持している(注5)。
法規制による義務化は、国際NGOが強く主張しており、近年、親会社のサプライチェーンにおける法的責任を求める運動が活発化している。多国籍企業を規制する国際条約の必要性を指摘する国際NGOもある。これに対して、指導原則に基づき、NGOが求める迅速さはないものの、自主的に人権分野の取り組みを推進する企業は増えつつある。
法規制の強化や国際条約の締結を求める国際NGOに対して、国際使用者連盟(International Organization for Employers)からは、企業が自主的に取り組む余地をなくすべきではないという見解が示されている。特に多国籍企業のような大規模でない中小企業にとって、過度な法規制は使用者による小さな行動から起こる変化の芽を摘んでしまうと反論している(注6)。
そのため、各国政府に求められるのは、「企業等による自主的な取り組み」と「強制的な法規制の制定」の適切な組み合わせによって実効性ある政策を実施することであると言えそうだ。
以上のような国際的な動向を踏まえて、調査部海外情報担当では、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの国別行動計画の策定状況や関連法の整備状況について、労働分野を中心に情報収集を行い、とりまとめを行った。
注
- 外務省サイト(企業の社会的責任(CSR)、OECD多国籍企業行動指針)(本文へ)
- ILOサイト(ILO多国籍企業宣言とは)(本文へ)
- 高橋大祐(2019)「ビジネスと人権」が拡げる労使間の対話協働の可能性」『季刊・労働者の権利』2019年7月号、p.4。(本文へ)
- United Nations High Commissioner for Human Rights, State national action plans on Business and Human Rights(本文へ)
- 山田美和(2021)「人権デューデリジェンスをいかに促すか ―日本政府『ビジネスと人権に関する行動計画(2020-2025)』を活用する」アジ研ポリシー・ブリーフ、2021年4月5日。(本文へ)
- 山田美和(2015)「ビジネスと人権に関するグローバル・ルール形成の展開 ―『二〇一四年国連ビジネスと人権フォーラム』を振り返る」『アジ研ワールド・トレンド』233巻、60-63頁、2015年2月。
木下由香子(2017)「ビジネスと人権に関するEU政策からの考察 ―日本の行動計画策定にあたって」『アジ研ワールド・トレンド』、263巻、8-11頁、2017年8月。(本文へ)
2021年7月 フォーカス:ビジネスと人権 ―アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの取り組みの状況国
- はじめに:国連指導原則と国別行動計画
- アメリカ:「責任ある企業行動」を支援
- イギリス:他国に先がけ2013 年に国別行動計画、2015 年に現代奴隷法を制定
- ドイツ:「サプライチェーン・デューデリジェンス法」2023年施行へ
- フランス:人権デューデリジェンス法制化のパイオニア ―企業による行動計画の策定とNGO による告発・提訴
関連情報
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