2002年 学界展望
労働法理論の現在─1999~2001年の業績を通じて(14ページ目)


おわりに

大内

最後に一言ずついただきたいのですが。

唐津

ふだんはあらゆる方面について論文を読んで考えてみるということもなく、自分の関心領域に応じて論文・著作に目を通していましたから、今回、この仕事を引き受けさせていただいて、ほんとうにいろいろな議論があるということを実感しました。

ただ、ここで取り上げた論文の背後には膨大な数の論文、著書があるわけですが、実際には、何か新しい議論枠組みを切り開くとか、今までの理論をきちんと踏まえて新しく再構成していくという作業が活発になされているかというと、そうでもないような気がしました。というのは、やはり、幾人かの論者によって議論がリードされているように思えるからです。これは自戒の念も踏まえてのコメントですが。やはり、それぞれの研究者がどういう方向で今までの議論を進めていくのかという気持ちで取り組まなければいけないように思います。

水町

全体として見ますと、土田論文のように、経済学的な視点を取り入れて法解釈をしようとする論文や、吉田論文のように実務の観点から、これまでの法理論に問題を投げかけたようなチャレンジングな論文、大内論文のように、従来の判例学説を根幹から理論的に見直そうとする論文、さらに、ここでは紹介できませんでしたが、日本の具体的な問題を念頭に置きながら、緻密な外国法研究を行った論文も少なからず見られるという印象を受けました。さまざまな問題について、多彩な観点からおもしろい議論が展開されていて、労働法学にも確実な進歩が見られた3年間であったような気がします。

ただし、一つだけ物足りなかったのは、法政策学的な観点から、具体的な立法政策の提示につながるような緻密な研究を行った業績があまりまだ見られていない。したがって、解釈論では強いけれども、立法政策論ではまだまだ手薄であるという印象をぬぐえなかった点が、若干物足りないと思いました。自戒の念を込めてですが。

たしかに、過去3年間、非常に多彩な業績が現れたと思います。テーマや内容はもちろん、方法論や議論の視点という点でも、多様なものがありました。特に、若い世代の研究者が次々と注目されるモノグラフや論文を発表して、学界が大いに活気づいたといえると思います。それと、労働法学界全体としては、やはり、日本労働法学会編『講座21世紀の労働法』の刊行が一つの到達点であり、新たな出発点ともなるでしょう。

それから、個人的な印象としては、現状を筋立ててうまく説明したり、手堅い解釈論を志向したりする業績が多かった反面、現状に対する批判や、現代の問題状況に鋭く切り込むような業績は、以前に比べるとだいぶ減ったような気がします。そのせいかどうか、特定のテーマについて議論は集中するものの、なかなか論争と呼べる状態にまでには至りません。その意味で、今回取り上げた脇田論文や、唐津さんの大内批判(「労働条件変更の法的論理について─段階的構造論・集団的変更解約告知説(大内伸哉『労働条件変更法理の再構成』)が提起するもの」南山法学24巻1号)のような論文が増えることを期待したいと思います。

もう一点、先ほど話題になりましたが、学者がそれぞれの理想を追求するのはいいとして、その反面で、議論が現実から遊離した抽象論レベルのものになってはいないかという疑念があります。理論を実際に適用したらどうなるのか、そのことが労使関係の実態との関係でどのような意味を持つのかということの検証が必要だと思います。私自身は、労働法理論というものは、よかれ悪しかれ、それが前提とする実態を離れては存在しえないと考えているものですから。

大内

2回連続で参加させていただいたので、前回との違いで感じたことをちょっと述べたいと思います。前回は、労働基準法や雇用機会均等法、さらには職安法や派遣法の改正が絡んでいた時期であり、また、変更解約告知といった、かなり大きなテーマがありました。労働法学界全体がかなりそれらへの対応に追われていたという印象を受けました。しかし、今回を見ますと、特に選考された業績のほとんどが、新たな問題に理論的に取り組むという姿勢がより強く見られたのではないかと思います。また、労働法の理論状況の中で、労働市場論が大きな影響を及ぼしているということをひしひしと感じる一方で、団体法の比重がかなり小さくなってきていることも指摘しておかなければなりません。

この6年間の理論動向を見てみますと、変更解約告知から始まった解雇論争は、理論的な点では議論がかなり出尽くしたのかなという気がしております。ただ、この解雇論争をどう反省するかということなのですが、どうも経済学や、あるいは一部の裁判所の動きに、労働法学は受け身になってしまったのではないか。それは率直に反省すべきではないのか。つまり、今後、労働法理論がやるべきこととは、やはり基礎理論、原理論をしっかり固めておくということではないかなという気がします。

そういう観点から見ますと、今回取り上げられた業績の中でも扱われておりましたが、労働権の問題、賃金の問題、あるいは差別、平等の問題については、もっと掘り下げた理論的検討が必要なのではないか、と思いました。

(本座談会は、2001年11月2日に東京で行われた)