2002年 学界展望
労働法理論の現在─1999~2001年の業績を通じて(12ページ目)


9. 国際労働関係法

紹介

山川隆一『国際労働関係の法理』

水町

国際労働関係法について、山川隆一『国際労働関係の法理』を取り上げます。本書は、国際的な労働関係にどの国の法が適用されるのかという問題について、アメリカにおける議論の状況などを踏まえながら、そのアプローチの仕方から具体的な適用法規の決定まで、包括的な整理検討を行った大作です。国際労働関係法という新たな研究領域を労働法の側から切り開いてきた山川先生が、その研究を集大成させた歴史に残る作品と言ってよいでしょう。

その骨子を紹介しますと、まず第1章で国際労働関係における法の適用のあり方をめぐる問題の所在と検討課題が明らかにされ、続く第2章ではアメリカにおける問題の処理状況が検討されています。そこでは、当事者自治が原則として承認される準拠法選択のアプローチと、個々の法規の地域的適用範囲の画定のアプローチという二つの異なるアプローチがあり、それらに基づいて具体的にどのように処理がなされているのかが詳細に分析されています。第3章では、以上の分析を参考にしながら日本法の検討を行います。まず、「私法」については準拠法選択、「公法」については地域的適用範囲の画定と考えられてきた伝統的なアプローチの仕方に疑問を投げかけ、両アプローチを統一的に把握する枠組み、すなわち、労働契約の準拠法に関しては当事者による法選択を基本的に承認しつつ、当事者の選択は地域的適用範囲の画定のアプローチによって直接適用される絶対的強行法規によって制約されるという見解(「絶対的強行法規の直接適用」説)を提示しています。そのうえで、日本の主要な労働法規について、各法規の目的、規制対象、法の実現方法などに照らし、絶対的強行法規に当たるのか否か、その地域的適用範囲はどこまで及ぶのかという点が具体的に検討されています。

これに対し、山川理論とは異なる観点からこの問題を検討した論考として、米津孝司「グローバリゼーションと国際労働法の課題」(『講座21世紀の労働法』第1巻)があります。米津論文は、国際労働契約法に関して日本とドイツの比較法的考察を行った著書『国際労働契約法の研究』(尚学社、1997)を基礎としながら、日本法をめぐる諸問題について総論的な検討を行ったものです。その特徴は、第1に当事者の法選択によって、当該法選択がなければ適用されるであろう法による労働者保護が奪われてはならないとする最低基準保障原則を、準拠法決定のアプローチの中で確立しようとしている点、第2に、契約準拠法となる労働者保護法は、これと重なり合う介入規範(絶対的強行法規)の目的を現実に妨げる場合に限って排除されるとして、最低基準保障原則を含んだ準拠法決定のアプローチによる解決を重視し、山川先生の言う絶対的強行法規の直接適用に対して抑制的・限定的な態度をとっている点にあります。

このお二人の業績によって、国際労働関係法という難解な法分野に二つの水準の高い法理論が構築されたと言ってよいかと思います。この二つの理論を対比してみますと、両者は次の2点で重要な違いを持つものと言えそうです。第1に、その背景にある法的基盤の違いです。山川理論はアメリカの議論の影響を多分に受けて、法規の目的・内容からその適用範囲を決定する地域的適用範囲の画定のアプローチをより重視し、実際に労働法規のほとんどはこのアプローチによるとする結論に至っています。これに対し、米津理論は、サヴィニー以来の大陸ヨーロッパ的な国際私法の伝統に基づき、法律関係を出発点とする準拠法決定のアプローチの中で、当事者自治と最密接関連法の適用との調整を図ろうとしています。前者は、最終的には国家・立法者の意思を重視するアメリカ的価値観、後者は内外法平等を前提に国際的判決調和を重視する大陸ヨーロッパ的価値観に基づくものと言ってもよいでしょう。第2の違いは、現行法である法例7条、特に行為地法主義を定める7条2項に対する態度の違いです。立法上疑問が提起されることが多いこの規定に対し、山川先生は基本的にこれと矛盾しないような解釈上の工夫を凝らしていますが、米津さんは事実上死文化しているこの条項にかえて、反制定法的解釈をとることを明言しています。

この両理論の問題点も、この2点に対応して指摘できるのではないかと思います。例えば、山川理論に対しては国家・立法者の意思を重視する立場、特に労働法規については当事者自治がほとんど排除されてしまう解釈では、グローバル化の中で高まっている国際的調和の要請や契約の多様化に対応した当事者による柔軟な法形成の要請に反するのではないかという疑問。米津理論に対しては、現行法の解釈としては無理があるという問題とともに、最低基準保障原則の適用の場面で必要となる、どちらの法が有利かという判断は社会の複雑化の中で次第に困難になるのではないかという疑問が指摘されうるでしょう。いずれにしても、両理論は極めて高い水準の研究でありつつ、その背景の違いを反映して、かなり対照的な内容を持つものとなっており、今後、学説や判例、さらには立法がどのような展開をたどっていくのか興味深いところです。

討論

山川説の特徴

大内

ありがとうございました。よく勉強したことのない分野なのですが、一つだけ。山川理論では、ほんとうに当事者自治がほとんど排除されてしまうのですか。

水町

実際の労働法規の適用の問題については、ほとんどの法規が地域的適用範囲の測定のアプローチによるので、その結果、問題が生じている地域の法が絶対的強行法規として直接適用されて、それが準拠法になります。ただし、例えば、日本にあるドイツの企業がドイツ人を雇って、日本で労働関係を展開しているときに、その当事者同士がドイツの法律を適用法規として指定していた場合には、準拠法は日本の、例えば労働基準法になるけれども、当事者によるドイツ法の指定は、実質法の指定だとして、実質法の解釈として、日本の労働基準法を上回る部分についてはドイツ法が実質的には適用されるということになります。したがって、結果的にはどれぐらい差が出るのかは、実はよくわかりませんが、理論の立て方として大きな違いがあることは確かだと思います。

大内

たしかに、山川説では、ドイツ法を準拠法と指定した場合でも、日本の裁判所は、ドイツ法の規制する事項について、日本法で規制していれば、そのドイツ法の適用は排除されるのですよね。

水町

日本で、例えば労基法上の規定が絶対的強行法規になるということであれば、それは直接適用されますので、準拠法としても日本の労働基準法ということになります。したがって、ドイツ法は準拠法としては排除される。

大内

ただ、ドイツ法の中でも、日本法の規制していない分野については、ドイツ法を準拠法として選択できるのですよね。

水町

日本の法が絶対的強行法規でない部分についてはドイツ法を準拠法として選択できます。

大内

逆のケースで、日本法を準拠法として選択していて、外国で勤務している場合、このときには山川説でいけば、日本法を準拠法として選択している以上、労働基準法の内容は実質法的指定により契約内容に入ってしまう。したがって、たとえ海外に行って労働基準法の適用が及ばない場合でも結局は労働基準法が適用される。その論拠は形式的には意思解釈ですが、実質的には、強行的な解釈準則に近い。しかも、準拠法が選択されていない場合で、法例7条2項(行為地主義)により日本法が準拠法になる場合でも、つまり準拠法指定がない場合でも、結果としては黙示の日本法の選択を認めることになります(162頁)。つまり、ドイツの労働者が日本で働いていれば、なかなかドイツ法の適用は認められないが、日本の労働者が海外で仕事をしていたという場合には、日本法の適用が認められやすい。当事者自治が片面的かなという気がしないわけではありません。

水町

当事者の法選択が存在しない場合には、行為地法主義によって行為地法である日本法が適用されることになるけれども、その場合にも黙示の法選択によって解釈上柔軟に準拠法を決定することができるという考え方ですね。

大内

そうです。その結果、日本法が適用されるということなのです。

水町

そういう解釈上の操作をすることで実質的な不都合を回避しようとする。

大内

はい。当事者が日本法を準拠法としてはっきり選択すれば、山川説では、それはまさに日本法の実質法的指定もあったことになる。それはわかるのです。一応は、日本法を準拠法にするという合意が存在しているのだから。ところが、行為地主義によって日本法になる場合には、黙示の合意によるといっても、相当にフィクションとなるので、なにか日本法の適用を認めようとするほうに誘導的な結論になってしまうように思えるのです。

水町

たしかに、黙示の法選択というテクニックまで用いて日本の労基法の適用を導こうとしているとも言えます。

大内

他方、気のせいかもしれませんが、外国法の準拠法選択をした場合には、黙示の外国法の実質法的指定まであったとする論調では書かれていないような気がします。

山川説と米津説との違い

大内

これに対して米津説は、客観的に連結点のあるところがあれば、それがまずは絶対最低基準のベースになるわけです。日本とドイツの場合だと、ドイツ人であるとか、ドイツで労務を提供するとか、何かドイツと関係があれば、ドイツの法が基本的に適用されるということで、そこは山川説とかなり違う。

水町

内外法平等という観点からは、米津論文のほうが貫徹はしていますよね。特に日本の国際私法学は法律関係から出発するので、米津論文に近いような、いわゆる準拠法決定のアプローチを主流として考えて、そこに実質法の要素を組み込んでいくという発想なんです。

そうすると、山川さんによると、まず地域的適用範囲の画定のアプローチがあって、制定法に強行的性格が認められるかぎりでそれが当事者意思を排除する形で適用される結果、従来の理解以上に法令の適用範囲が広がるということなのでしょうか。それに対して、山川さんの場合、準拠法選択のアプローチの適用範囲は、一見すると従来よりも限定されるようにも思えますが、従来の議論とはどのように違うのか、どうもよく理解できませんでした。例えば、準拠法の連結という点では米津説を支持していますね。

大内

山川さんが米津説を支持しているところは、準拠法選択についての黙示の合意の認定のところで、結局は労務給付地の法が適用されるという結論になるのです。ここは両説は一緒です。違うのは、当事者自治を正面から制限する法理についてです。

水町

絶対的強行法規の直接適用という概念を使ったところが新しいのでしょうね。

大内

それによって法例7条との抵触を避けたということですね。

やはり、法例7条2項の意義をどう理解するかということが前提にあるわけですか。労働契約の場合は、行為地か、履行地かということだけでなく、契約の履行自体が継続的な労務給付であることや、労働法令が複合的な性格であることが、議論を複雑なものにしているわけですね。

大内

米津さんの場合には、とにかく実質的に密接な関連があれば、当事者自治を制限できるという議論であり、山川さんは、それは7条2項の行為地主義に正面から反するということで批判しているのです。

しかし、結論としてはそんなに大きな違いがあるのでしょうか。

唐津

山川著(159頁)では、絶対的強行法規というものを措定されてますが、これは従来の公法の延長なんでしょうね。国際私法の研究者によれば、アメリカは、米津論文の注にあるように、自国法優位で、それらを域外適用させるという発想、アプローチが採られ、それとは異なってヨーロッパでは、最低基準で全部整理していく。こういう絶対的強行法規という概念を打ち立てれば、その法規が適用されるかどうかは、全部、法規自体が決めてしまうということになる。そうすると処理は非常に簡明ではある。でも、そういう処理の仕方で、果たしてみんな納得するのか。やはり、法抵触の問題ですから、どの法規を取るかというときに、この法規がそこも規制するというふうに決めているから、ということで足りるのか。日本では労基法を全部適用させるという政策的な意図であれば、それは、非常に便利な考え方かもしれないけど、国際私法の分野では一般的な考え方ではないんじゃないですか。

水町

特にヨーロッパみたいに、国境を越えて人や資本が盛んに移動している地域ではそうかもしれませんね。

唐津

だから、米津さんみたいな発想も出てくるんだろうと思います。最低基準保障で、法適用が重なった場合の利益調整をする。もちろん、その判断は難しいですよ。山川さんはこの点について適切に批判されている。

大内

その重なった場合の調整の点が米津説の弱点だと思います。労働協約の有利原則における有利性判断でも似たような問題がありますが、ここでみんな苦労している。だから、米津説は、理念的にはわかるんだけれども、実際の適用が難しいように思えます。ただ、実質的妥当性という点では、どちらのほうがよいのでしょうね。何が実質的妥当かという基準がよくわからないんだけど、労働者保護という点では、やはり米津説のほうがいいのでしょうか。2カ国が関係したとして、比べて有利な国の労働条件基準は最低限、確保されるわけですから。

水町

山川説の場合には、実質法指定の解釈のあり方によって結論が異なってくるように思います。実質法的指定が柔軟に解釈・認定されれば、米津論文と同じような結論に実質的に近づくような気がします。

多元的処理の可能性

水町

刑法的側面、行政法規的側面と私法的側面を切れるかどうかの問題ですが、国際私法の場合には、私法的側面を中心に議論をしているんで、これらの側面の関係があまりわからない。山川説の場合はアメリカ流の考え方なんで、法規の性質から出発して、刑法的側面とか行政法規約側面があると、やはり私法的側面だけそれを切り離すのは難しいだろうということで、一体として適用している。そこはクリアなんです。国際私法の考え方からすると、他国の法が契約準拠法として適用された場合に、私法的側面だけが適用されて、あとの行政法規約側面や刑法的側面は適用することが難しいわけです。それと、その法廷地国の介入規範との兼ね合いをどう考えているのかの問題もある。

山川さんの著書では、日本で契約上の問題として外国法を選択したとしても、刑罰法規については日本の労基法が適用される結果、民事上は割増賃金請求権が発生しないにもかかわらず、刑罰によってその支払が強制されるのはアンバランスだから、労基法について準拠法選択のアプローチを採用することは無理だといっていますが、他方で、労基法と両立しうる外国法については、なお契約準拠法として適用が可能であるとも述べています(181-182頁)。それなら、地域的適用範囲画定のアプローチと、準拠法選択のアプローチを区別する意味はどこにあるのでしょうか。

それから、準拠法の問題を考える場合にいつも思うのですが、どういう場面を想定するかによって、議論の中味が違ってくるような気がします。外国人労働者や多国籍企業、海外勤務や海外での事業活動など、いろいろな場合がありうるわけですね。果たして同じような考え方がすべてに妥当するのでしょうか。

大内

つまり、山川著では渉外事件という概念を使っていて、渉外事件を一くくりにして同じ法理で説明しようされているのだけど、盛先生の指摘では、同じ渉外事件と言っても、いろいろなパターンがあるということですか。

そうです。準拠法が問題となるのは、それについての合意がない場合や、合意が妥当でない場合でしょうが、実際には、国際的な労働関係のパターンに応じて、ある程度合理的な準拠法決定のルールというものがあるはずです。一つの原則を立てて、具体的な場合に応じてそれを微調整するというよりは、そのようなパターンごとに原則を立てて、それを統合するという発想があってもいいのではないでしょうか。いわば、演繹的な方法ではなく、帰納的方法ですね。最初に原理原則を立てて、それを具体的な場合に適用しようとするために、どうしても議論が抽象的になってしまって、私などにはなかなか理解できない。

水町

地域的適用範囲の画定のアプローチのところは、法規の性格から出発して地域的に適用されるので、契約関係の類型はあまり細かく見る必要はないのですが、準拠法選択のアプローチのところは山川先生の本の中でもきちんと場合分けをされていて、ある程度類型化しながらアプローチされていると思いますけれども。

だから、その部分は比較的すんなりと理解できたように思います。

大内

例えば、ドイツの企業が日本に支社をつくって、ドイツ人ばかりを働かせている場合でも、日本で訴訟を起こせば、日本の労基法が適用されますよね。

水町

少なくとも私法上の争いについて、労基法が行政法規的な側面とか刑法的な側面を持つから、それと一体となって私法まで直接適用されるというふうに考えるのか、それとも私法は私法だから、当事者がドイツ法の文化でドイツ法を適用しようと言っているんだから、契約準拠法についても、ドイツ法でやろうというふうになるのか。それはアメリカの発想か、大陸ヨーロッパの発想かの違いなんでしょうね。

大内

でも、山川説だと、労働基準法が適用されますね。しかも、ドイツ法のほうが仮に有利であったとしても、規制が重複している限りは日本法が適用されてしまう。そんなもんだと言えばそんな気もします。でも、何か変な感じがしませんか? 国際私法ってそいうものなのでしょうか。国際私法の問題じゃなく、労働基準法の問題か。

水町

絶対的強行法規ってそんなものなのかなということでしょうね。

唐津

そういうものとして絶対的強行法規という概念をつくったんでしょう。