2002年 学界展望
労働法理論の現在─1999~2001年の業績を通じて(10ページ目)


7. 企業組織の変動

紹介

吉田哲郎「純粋持株会社解禁と労働法上の諸問題」

大内

では、次に、吉田哲郎「純粋持株会社解禁と労働法上の諸問題」を紹介いたします。本論文は、純粋持株会社の解禁により、既存の単一の企業が各事業部門ごとに分割され、企業間における人事異動が増加してくると予想される状況において、法人格の相違に固執する伝統的な労働法理論を批判し、一定の企業グループを一つの「企業」と見る「実質的単一企業」理論を提唱して、従来の配転・出向理論の組み替えを行おうとするものです。吉田氏によると、実務的には形式的な法人格の違いがあっても、一定のグループ企業内であれば、労働者は同じ企業に所属するという意識を持つものであり、同氏は、そのような実務感覚をストレートに法理論に投影しようと試みております。

本論文では、持株会社や企業グループをめぐるさまざまな論点がありますが、理論的に注目されるのは、「実質的単一企業」を単位に人事異動と雇用保障を考えていこうとする点です。吉田氏は、「実質的単一企業」の範囲では、出向や復帰が予定されている転籍に配転法理を適用し、労働者の同意がなくてもよく、他方で雇用保障の点では、例えば持株会社の基幹労働者に対する整理解雇については、いわゆる4要件の充足について、「実質的単一企業」レベルで見て判断をしていくべきであるというふうに述べます。

ここで言う「実質的単一企業」は、その範囲が労働者ごとに決まる相対的なものであるという点に特徴があります。具体的には、労働契約の内容や採用の趣旨において、当該労働者の人事管理の単位がどこまで広がっているのかといった要素などによって決まるというふうに述べられています。そのため、持株会社の基幹労働者については、子会社も含めて広く「実質的単一企業」となるのに対して、子会社で採用された労働者については、その子会社を中心に「実質的単一企業」が措定され、同じ企業グループに属しながらも、子会社の労働者のほうが、持株会社の基幹労働者よりその「実質的単一企業」の範囲が狭くなるという結論になります。

本論文における具体的な主張として注目されるのは、先ほども触れましたが、出向や転籍には「実質的単一企業」内での異動と、そうでない異動とがあり、前者は配転と同視すべきであるということを明確に提示した点であります。

しかし、本論文で批判の対象とされている伝統的な労働法理論の理解が正確であるのかどうかについては、やや疑問もあります。一例を挙げますと、吉田氏は、配転は使用者の一方的な権限により行使できるものと理解しているようですが、それが妥当でしょうか。吉田氏は、配転は労働者の同意が不要で、出向は労働者の同意が必要であるが、その峻別が法人格の違いから由来しているのはおかしいとして、その区別を「実質的単一企業」の内か外かという基準にシフトさせようとしています。しかし、労働契約論の観点からは、配転も出向も労働条件の変更という点では共通であり、どちらにせよ労働者の同意が必要であります。従来の学説は配転と出向について、法人格の違いを決め手として具体的な議論をしていたのでしょうか。むしろ、別企業への異動(労務提供先の変更)は労働者の事前の同意に含まれていないことが通常なので、出向命令権の根拠となる同意の有無について、配転よりも慎重な認定が必要とされていただけではないのでしょうか。いずれにせよ、吉田氏の言うように、「実質的単一企業」の範囲を労働契約などを媒介に画定していこうとする限りは、「実質的単一企業」の枠内での出向について、労働者の具体的な同意があると認定しうる場合が多いと思われますから、そうであるとすると、既存の労働契約論と、「実質的単一企業」理論との違いはそれほど大きくないということにもなります。

この論文は、このほかにも、使用者責任、労使関係論、コーポレートガバナンスにまで踏み込んでおります。ただ、いろいろな論点に触れることにより、論文の内容が「実質的単一企業」理論からやや離れてしまっているところがあります。学術論文としてみれば、人事異動と雇用保障に絞って論じたほうがインパクトがあったように思います。とはいえ、持株会社の解禁をめぐる問題を横断的に分析したことの意義は小さくありませんし、とりわけ吉田氏が実務的観点からの分析を行おうとしたことを考えますと、むしろ包括的に多くの問題点に触れる手法を取ったことにも、それなりの価値があったのではないかと思われます。

なお、吉田氏は、持株会社の解禁は労働者の専門職化を促進し、労働契約の内容を限定する結果、内部労働市場一辺倒から外部労働市場の形成と、そこへの依存を強める方向で、我が国の労使関係を新たな局面へと展開させる契機をはらんでいる、という注目すべき主張もされていることを最後につけ加えておきたいと思います。

討論

「実質的単一企業」の理論のオリジナリティ

水町

配転と出向については、大内さんの理解も可能だと思いますが、転籍については、従来の学説は、やはり配転や出向とは法形式が違うものだとして処理してきたわけですよね。吉田論文は、そういう法形式にとらわれずに、実務感覚に基づき実態に即した法的処理を行っていこうという観点から、新しく「実質的単一企業」の理論を創造した点で、とても新鮮でおもしろい論文だと思いました。

ただし、理論化の仕方や、要件の立て方については、不十分な点があるという気はしましたが。

私も同感です。「実質的単一企業」というので、読み始めたときは、なるほどと思っていたのですが、読み進むうちに、論点が拡散してしまいました。例えば、使用者概念のところでは、「実質的単一企業」ではなくて、実質的労働契約という別の基準が持ち込まれていて、最後には、外部労働市場や内部労働市場の問題にまで触れています。しかし、これはなかなかの力作だと思います。

唐津

この論文では、著者本人の実務感覚からでしょうか、働いている人は、配転や出向で、自分がどういう労働条件規制を受けるか、どういう手続きで働くかをよく知っているんだということを前提として議論されていますが、でも、そうなのかなという気がする。実際、論文では、「ただし」と限定されて、「実質的単一企業」と言えるためには、最低限充足すべき条件として、そういった「実質的単一企業」を構成する企業間に資本保有関係など一般に企業グループと言われる関係があることが必要、とされています。また、その後のほうでは、「さらに当該範囲を実質的単一企業と認定するには、配転法理を支える基盤と同一の状況を創出することも必要となる」と、何か循環論法みたいな形で展開する。配転法理を適用するための単位がこうだから、だから形式的には出向でも配転として扱うんだと。そこが、説得力がないような気がする。

大内

それは私の理解では、その範囲での配転とか人事異動を予定しているからできるというだけで、労働契約論からすると当たり前に出てくる話だと思います。

水町

要は、配転も出向も転籍も、法的根拠は当事者の合意なんですよね。その点は、究極の根拠として押さえておかなければいけないところなんですが、吉田論文ではこの合意以外に、実態を強調しすぎてこれに左右されすぎている気がします。要件を三つ立てるときにも、一つは合意に関するような要件だけれども、第1の要件と第3の要件は、実態を全面に取り入れて、密接的企業関係の要件というのを入れている。この実態の要件が一人歩きして、人事異動を命じる権限があるんだという構成になっているところもある。この合意と実態をきちんと峻別しながら整理して理論化できれば、理論的にも整合性のあるものになったような気がします。

理論的な観点からはそうでしょうけれども、多分、吉田氏は、それはおかしいと考えているのです。それが実務的感覚ということの意味でしょう。例えば、学説・判例上は出向に同意が必要だというけれども、実際には、出向も配転の延長で、どちらも人事部の命令一本でやっていて、労働者だってそれを当然のことと受け止めていますよと。むしろ、現実とずれているのは理論のほうだという発想があるのではないでしょうか。ただし、実務的感覚なるものが、現実ベッタリとか、実務の無批判的な受容に陥る危険がないとはいえません。

水町

ただ、その合意が、人事異動時の個別の合意ではなくて、契約締結時かもしれない。その契約締結時の合意がどういうものだったのかというのを合理的に意思解釈して、その範囲を画定するということであれば、今までの理論と、実態を考慮して理論化しようとする吉田論文との整合的な解釈はできると思います。

大内

興和事件(名古屋地判昭和55年3月26日労判342号61頁)のように、採用時に労働者が関連会社間での人事異動がありうるという説明を受けていた場合には、配転と同じように出向命令は出せるんですよね。それと同じじゃないかという気がします。

水町

復帰予定のある転籍はどうですか。吉田理論と従来の学説とはちょっと違ってくる。

大内

復帰の予定のある転籍って、命令権の要件のところではかなり出向に近い扱いができるのではないですか。

むしろ、復帰が確実に予定されている転籍なら、もはや転籍ではなくて、出向でしょう。

大内

ただ、出向元との契約関係が一応切れるということはありますけどね。

水町

そこがこれまでは、出向類似だから出向と同じ要件でいいと言ってきたと思うのですが、出向と同じだからというよりも、そもそもそういう合意が契約締結時にあって、その合理的解釈によって、そういう人事異動もできるんだというふうに考えた論文だと思います。

大内

従来の議論が、ほんとうに、そんなに法人格の違いを重視していたのでしょうか。

唐津

転籍は法人格が違うというよりは、契約解消をして、新しい契約を結ぶという構成ですから。ただ、それは法律的な説明で、実態はそうではないでしょう。

大内

吉田氏の主張には、人事異動がある範囲において、雇用保障も考えていくということがあり、配転と解雇の牽連関係を認める議論をここで応用するわけですね。それは説明としては受け入れられやすい。ただ、既存の理論を批判するなら、配転法理、出向法理をもう少し詰めて議論したほうがよいと思います。それから、最後の、持株会社の解禁が外部労働市場の形成を展開していく契機になるという話はおもしろいと思うし、また、持株会社の解禁が労働者の専門職化を促進するという点も指摘として興味ぶかい。

その点は、どう理論的に説明できるのか、ちょっと理解できませんでした。外部労働市場というよりは、むしろ持株会社という枠の中での内部的な市場でしょう。

水町

拡大された内部労働市場の中での組織理論ですかね。