1996年 学界展望
労働法理論の現在─1993~95年の業績を通じて(7ページ目)


不当労働行為

論文紹介「労働委員会命令の司法審査」

中嶋

6番目のグループは不当労働行為についてです。山川さん、お願いします。

山川

それでは、道幸哲也「労働委員会命令の司法審査」に移ります。この論文は、不当労働行為事件における労働委員会命令の取消訴訟につきまして、これまで十分議論されてこなかった問題を検討して、労働委員会命令の特質に即した取消訴訟のあり方を検証する論文です。

内容としては、まず取消訴訟の実態について、ヒアリングに基づき、再審査と行政訴訟がどう選択されているか、命令の取消率はどのくらいか、あるいは労働委員会は取消訴訟にどう対応しているかなどを明らかにいたします。

次に、取消訴訟をめぐる判例法理の展開を詳しく紹介したうえ、特に訴えの利益の問題や取り消しの範囲の問題について、最近の裁判例の問題点を指摘いたします。また、取り消しの範囲については、救済方法の一部が違法と判断された場合に、どの範囲で命令を取り消すか、あるいは、そもそも取消訴訟の対象である命令の個数をどう判断していくかという問題があると指摘しております。

続きまして、アメリカにおける取消訴訟の状況を紹介した後に、労働委員会命令の独自性に即した取消訴訟の法理が提唱されております。まず、取消訴訟の対象、ないし、訴訟物と取り消しの範囲について不当労働行為の個数ごとに判断するという裁判所サイドの見解に対して疑問を提示しまして、むしろ命令の違法事由にも留意しつつ、命令の主文を基準とする考え方によるべきではないかという意見を示しております。具体的には、(1)たとえば個々の組合員に対する救済措置は、それぞれ可分のものであって、不当労働行為の成立が認められない組合員についてはその部分だけ取り消される、(2)複数の不当労働行為について包括的な救済命令が出された場合は、それだけの救済命令を出すに足りる不当労働行為があったかどうかを判断して、そうした不当労働行為がない場合には全体が取り消される、(3)特定の救済方法、たとえばポスト・ノーティスが違法とされた場合には、主文ごとに取り消すのが原則であるけれども、複数の救済方法が関連性を持つときには双方とも取り消されると論じます。

それから、労働委員会の裁量等の関連で問題がなければ、救済方法の一部の取り消し、たとえば中間収入を控除しない部分のみの取り消しができると述べられております。また、新証拠の提出制限につきましては、民事訴訟法139条による、時期に遅れた攻撃防御方法の却下という手段の活用を提唱いたしまして、最後に、訴えの利益に関して、命令の履行がなされたかどうか、あるいは事情変更によって履行の不能が生じたかどうかなどの問題を考える場合には、司法救済とは別個の行政救済独自の立場から判定すべきであると主張しております。

訴訟手続論の検討

コメントとしては、労働委員会命令の取消訴訟につきましては、従来、司法審査の範囲の問題を中心に議論されてきておりますけれども、訴訟手続に関わる問題のような行政訴訟のあり方につきまして、学者サイドから突っ込んだ検討を行った初めての文献として意義が大きいと思います。しかも、内容としても、労働委員会命令の行政救済としての特色を踏まえた考察がなされていると感じました。たとえば、命令後の事情変更をめぐる訴えの利益の判断につきまして、行政救済に即した判断をすべきであるという主張には同感いたします。

他方で、取消訴訟の対象について、不当労働行為の個数に着目するという実務の基準を批判して、主文に着目するという基準が唱えられておりますが、その基準には、なお議論の余地があると思います。たとえば、複数の組合員に対して救済がなされた場合に、主文が一つの場合でも組合員ごとに取り消すとされていますが、それは主文ごとに考えるというアプローチからは徹底しないのではないかという感じがありました。ただ、このアプローチの実際上の意味は、主文ごとに考えることによって、なるべく争いのない部分の確定を早くしようという方向性にあるのではないかと思われます。

実務上はさまざまな問題が生じてくると思いますけれども、いずれにしても、労働法学者がほとんど考えてこなかった、いわば行政訴訟プロパーの問題について、不当労働行為の特色、あるいは実務の経験を踏まえた考察を行ったものとして貴重であると思いました。

討論

中嶋

どうもありがとうございました。確かに今までの労働委員会命令と裁判所の関係というか、司法審査問題というか、これには一種の精神論争の側面があったと思います。裁判所は裁量を尊重せよとか、労委は自由闊達にやれとか、大胆不敵にやれとか。私自身もそうでした。もはや精神論ではどうにもならない。今度の道幸論文はかつての司法研修所編「救済命令等の取消訴訟の処理に関する研究」の学者版のような側面があり、学界でも遅ればせながら始まったという感想を持ちました。ところで、研修所編のあの論文とは大分違うんですか。

道幸

当時とは判例の数も違うし、最近、この種の問題が随分議論されていますから問題点が明確になっています。それからもう一つは、あの本は裁判官の立場から書いているんです。本論文は、どちらかといえば労働委員会の立場から書いているという点で、具体的な中身、特に命令の個数とかがかなり違います。

主文基準の意味

中嶋

訴えの利益とか、認容部分は早く確定させろとか、これはさほど難問が生じなくてもいいように思うけれども、やっぱり裁判所としては不当労働行為の個数とかという点になるとなかなか譲れない点でしょうね、どうですか。山川さん。

山川

譲れないかと言われると難しいんですけれども、ただ、行政処分の個数は不当労働行為の個数によって決まるという裁判所の見解は、基準としてはそれなりに明確なものであると考えます。

中嶋

それ自体はね。

山川

応用面になると問題は出てきます。これに対し、道幸論文の基準は、主文に着目するとありますが、別にそれだけが唯一の基準ではないわけですか。

道幸

申立ての一部が認容された命令を考えると、組合のほうから棄却された部分について取消訴訟を提起したいという場合に、今までの議論だったら、取消訴訟を提起すると命令全体が確定しないことになる。そうすると、使用者が争わない部分についても確定しませんから、強制の方法がない。ただ、使用者が履行すると問題はないんですけれども。組合としては、非常にリスクを負わなければ取消訴訟を提起できないというのはやはりおかしいのではないかというのが、個数を考える際の基本的な問題意識でした。

中嶋

つまり、一部は棄却されるとしても、ほかの認容された部分は早く確定したいわけですよね、中立側としては。

道幸

事件としてはトータルだという側面も、当然ありますが、少なくとも取消訴訟の段階になると、少しドライに考えたほうがいいんじゃないか。和解する場合は別ですけれども。強制の仕方ではなるベく確定するほうに考えたほうがいいのではないかというのが基本的な立場です。あともう一つ言わせていただければ、結局、この種の取消訴訟でも、多くの裁判官は普通の行政処分を前提とした法理を適用しています。しかし、労働委員会命令の特殊性を踏まえて、それを修正した理屈が必要ではないかということです。

山川

そのことと命令主文に着目する基準はどう関連してくるのでしょうか。

道幸

まず、不当労働行為の個数というのははっきりわからない。

中嶋

裁量ですね。道幸さんの命令主文説というのは、いわば労働委員会の裁量を前提にして、そういうふうに裁量でやったものを対象にすベきだという考えなんでしょう。

道幸

裁量重視といえますが、命令主文に注目しても、どういう命令主文にするかについて明確なルールはないんですね。だから、その点では、命令主文説に大きな意味があるのではなくて、なるベく早く確定させるための理屈をどう考えるかということなんです。

中嶋

主文にしたほうが確定が早い、迅速であると。

道幸

その部分は確定しているから履行しなさいということですから。同時に、取消訴訟の具体的理由に応じて全然違うということにもなります。

山川

そうすると、たとえばA、B、Cというまったく別個の不当労働行為があったとして、主文においてまとめて一つのポスト・ノーティスを出したとしますね。その場合に、Cという不当労働行為だけは不成立とされた場合には、どういう処理になるのでしょうか。

道幸

それは可分かどうかということになりますね。不当労働行為の個数と主文がどう対応するかの問題です。たとえば団交拒否の例で考えると、団交拒否が3回あったけれども、救済命令は一つだ。その3回のうち一つが不当労働行為でないという判断をされた場合にも、「団交に応じなさい」というように、救済命令はまったく同じことがあります。

不当労働行為の成否と救済命令との関係が密接に連動する場合と連動しない場合があるから、無限に細かい議論になっていっていく。だから、こういうあまり細かい議論は事件処理上適切でないという議論はありうるでしょうけれども。基本的には、取消事由との関係でどの範囲で主文を取り消すかということを考えればいいのではないかと思います。

命令主文と不当労働行為の個数

山川

判決主文で具体的に取り消すのはまさに命令主文ですけれども、実務の基準では、理論上は、主文としてはひとつでも不当労働行為の個数に応じた行政処分が存在するのではないでしょうか。たとえば、一つの主文であっても、不当労働行為が三つあった場合には、三つの命令が併存していると考えるのではないでしょうか。

道幸

そういう場合はね。でも、一つの不当労働行為で三つのというのはどういう場合ですか。

山川

三つの不当労働行為でも主文が1個のポスト・ノーティスにまとめられた場合ですが、その場合には三つの命令が併存していると考えるのではないでしょうか。

中嶋

一つの文章に三つの命令が包含されているわけですね。

山川

ただ、現実に取り消す際には、もちろん三つの命令を取り消すとは言わないわけですね。ですから、理論上の問題ではあるんですけれども。

道幸

今言った三つというのは具体的にどういうことですか。

山川

継続する行為の問題があるので難しいんですけれども、たとえば先ほどの団交拒否について、解雇についての団交拒否が成立し、もう一つ、配転についての団交拒否が成立し、さらに、出向についての団交拒否が成立する場合、主文は一つで、解雇、配転、出向について、団交拒否してはいけないという命令になったとすると、命令主文は一つだけれども、理論上は三つの不当労働行為に対する救済命令が併存しているということにならないでしょうか。実務の基準から言えばですね。

道幸

今の場合はそのとおりだと思います。たとえば中間収入控除の問題で、救済命令の違法性を理由として取り消したような場合は、不当労働行為の成否の問題ではないわけです。そういう場合は、一つの不当労働行為だけれども、取り消すのはその部分だけです。だから、不当労働行為の個数と救済命令が対応しているような場合は、一応、どっちの議論でもあまり違いはないと思います。不当労働行為の個数と救済命令の主文がきれいに対応していない場合、どう考えるかという問題だと思います。

山川

それはまさに労働委員会に裁量があるがゆえに、そういうケースが起きてくる。

道幸

裁量があるし、同時に救済命令の書き方というのは申立書の記載にも影響されるので、バック・ペイと原職復帰を一つの文書で書く場合と、二つに分ける場合とあるんですね。

中嶋

道幸さんは判例等を詳細に引いてはいるけれども、やっぱり幾つかの個別解題のような形でやってみないとちょっとよくわからないですね。だから、道幸さんには、意図的にそういう形で展開してほしかった。

道幸

そうですね。ただ、問題に関しては、さっき言ったように、なるべく分離して確定させるための理屈だということです。

山川

逆に言うと、なるべく早く確定させるように命令主文を工夫するということですね。

道幸

そうなるでしょうね。

中嶋

そんなことでよろしいですか。今後に期待しまして、これで終わります。

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