1996年 学界展望
労働法理論の現在─1993~95年の業績を通じて(6ページ目)


紛争処理

論文紹介「労働契約と紛争処理制度」「労働紛争処理法」

中嶋

それでは第5番目のテーマは、「紛争処理」ということになっています。道幸さん、お願いします。

道幸

これは、浜村彰「労働契約と紛争処理制度」、と毛塚勝利「労働紛争処理法─個別労働紛争処理システムの現状と課題」の二つの論文です。

中身は若干異なっておりますけれども、基本的には似た内容になっております。具体的には、まず個別紛争処理のニーズが高まったという現状認識を前提として、既存の民事調停、労働基準監督署等の紛争処理機構が必ずしも十分に機能していないと。それに対して比較法的に、特にドイツとかフランスでは、個別紛争処理の独自のシステムがそれなりに機能している。それを踏まえて具体的な提言を行い、個別紛争処理システムを新たに導入する。具体的には労働委員会がそれを担うか、民事調停で行うかというのが基本的な流れになっております。

この問題は労働法学会で最近議論されておりますし、労働委員会でも随分議論されていて、多くの人が興味を持っております。その問題を提起したという点では、この両論文は特に社会的な意義が大きいと思います。議論している中身、それから目配り、提言内容、いずれも的確だと思いました。今後の議論の論点を提示しています。

ただ2点だけ感じたことを言いますと、一つは個別紛争処理法を考える場合の、強制のシステムというのをどう考えるべきかということです。労働委員会でも民事調停でも、強制システムというのを必ずしも前提にしておりませんけれども、強制システムがないところでそういう機構が十分な処理ができるだろうかという問題です。

もう一つは、労使がこういう問題をどう考えているんだろうか。どうも今までの議論は学者もしくは役所主導的な議論であって、実際の労使がこういうニーズを持っているんだろうかという疑問はあります。

討論

山川

基本的に同じような感想を抱きました。二つの論文の違いとしては、浜村論文が契約紛争に焦点を当てて相当詳しく検討しているのに対し、毛塚論文は、紛争の性格に応じた手続を提唱し、たとえば公序紛争には強力な是正措置や制裁的措置を提唱しています。労使がどう考えるかという点については、両論文の出発点になっているのは、現在の労使の自治的な苦情処理や労使協議のシステムではとらえ切れない紛争が増えているということではないかという気がします。その点労使が、自分たちの用意したシステムに入らないで抜け落ちていく問題に対してどう思うか興味深いところですね。

判定的機関の要否

中嶋

単なる調整というか、和解を進めるなら、今の労政事務所のようなところでもやっているわけでしょう。

道幸

そうですね。

中嶋

もう少し判定的な機関をつくるとすると、労働裁判所とかですが、これは現在ちょっと不可能でしょう、政治的にも経済的にも。そうすると今の通常裁判所以外に判定的機関を見いだすとするとやはり労働委員会だ、そういうことになってきているんですかね。

道幸

判定的というより、労働委員会の仕事も減ってきています。

中嶋

行政機関のために労働紛争があるわけじゃない。判定はしないのかな。

道幸

それもはっきりしてません。処理の具体的中身はこれから詰めていくということでしょうね。ただ、労働委員会ではあっせんとかやっていますから、そういうノウハウは若干蓄積しています。

中嶋

調整を想定しているんですかね、主として。

山川

そうですね、主として調整だと思います。

中嶋

それで申し立てられたら、相手方にやや強制的に参加、出頭というか、それぐらいは強制しようということですね。私が思うには、使用者は、たとえば配転命令権があるとか、就業規則の定年制をどうしても引き下げなきゃいけないとか、こういった企業の根幹にかかわるものだったら、紛争が生じても調停を嫌がるのは普通じゃないですかね。むしろ裁判所なら裁判所で白黒を判断してくれという傾向が、そういう問題についてはあるように思うけれども。

道幸

それは重要な点だと思います。つまり、労働委員会であっせんがうまくいく、もしくは使用者がそれに乗ってくるというのは、やはり組合の申請だからだと言えます。組合がいわゆる少数派だとか、合同組合だということになれば、個別的事件にすぎないとして必ずしも十分乗ってこない。個人の事件でもある程度一般性があると影響力が大きいので使用者としては下手にその事件を解決はできない。解雇みたいのは比較的処理しやすいと思いますけれども。紛争を解決したいという使用者のインセンティブをどう高めるかを、十分考えなければ機能しないのではないか。

山川

たとえば変形労働時間制の採用に対して異議のある労働者がいて、配慮義務の問題は別として、調整でその労働者だけは変形労働時間制を適用しないとしますと、制度の実施が困難になるとして、使用者はなかなか応じない、そういう意味でしょうか。

中嶋

そのとおりです。その辺だと思うんですね。それから、あまり推測してはいけないことですが、労働委員会を利用するということになりますと、使用者が反対するんじゃないかという、一般的推測を私は持っていますね。しかし、こういう事件は現実に激増しているんでしょう。

山川

実際には解雇や賃金不払いが多いわけですから、個別処理に適した問題は多いかもしれませんね。ただ、一方で、労基法上の監督署の権限とオーバーラップしますけれども。

機能するシステムとは

中嶋

ある程度強く機能するシステムができたらほんとうにいいですね。

道幸

労使紛争が労委のような第三者機関のところに持ち込まれたということだけでも、公平に処理せざるをえないという側面がありますから、強制力はないとしても、やっぱりそういうシステムがあること自体、意味があるという感じがします。

山川

それは労働委員会の実務に携わっているお二方ならではの発言と思いますが、こういう紛争処理システムを設けること自体による、法律的な解決以外の実際上のメリットですね。

道幸

たとえば、会社の人事担当者が従業員に対していろいろなことを言う場合と、地労委の委員に対して言う場合は違いますからね。少なくとも何か理屈で言わなきゃだめだという意味では、一種の社会化の機能を果たすのではないか。

中嶋

最終的には人事権行使による労働条件の実施というものを扱えるかどうかということですね。これに失敗したらひどいことになる。

山川

制度的枠組みに関わるような問題は、調整システムであれば使用者としては合意を拒否することができて、裁判所に行く道は残されているわけです。ただし、裁判所の調停などでも、むやみに長引くと、かえって当事者双方が困ってしまうことがありますから、裁判所に行く場合のルートやタイミングをはっきりさせる必要はあると思いますが。

中嶋

山川さんは、かつて弁護士もなさっていたから、実際の経験はないとしても、民事調停法による提言、枠組みというのはどういうふうな印象をお持ちですか。

山川

現在では労働法の専門家がいないこともありますし、民事調停では、ある程度合意の見込みがつきそうな事件でないと、強制力がないわけですから、さっき言いましたように、かえって時間がかかってしまう場合もあるように思います。それで裁判所に行くルートを明確化する必要があると申し上げたんですけれども。

中嶋

なるほど。相談程度のもの、つまり、労政事務所や労働センターとかいうような機関がやっている相談制度で決着した率の統計がありましたよね。どれくらい解決するんですか。

道幸

でも、労政事務所の相談件数というのは電話を含むんでしょう。

山川

ええ。それを含めて約4万件ということです。

道幸

北海道でも3000件ありますけれど。もっとも、これは電話とか、何か相談と言えるかどうかもわからないようなものも含みますから。ただ、具体的な紛争処理の場に持ってくるまでのニーズがあるかどうかはわかりません。

山川

これは紛争処理という観念をどう考えるかにも関わってきて、最初の菅野=諏訪論文に戻るんですけれども、交渉力のサポートとしての情報提供としては意味があるのではないかと思います。

道幸

企業オンブズマンとかね。この問題は、企業内における苦情処理みたいなものを一緒に考えなければうまく機能しないのではないでしょうか。

中嶋

毛塚さんの論文の235頁の左上段の最後から……。たとえば企業内処理手続の通過を求めることが前提となるようなことを書いていますよね、括弧でね。これがしかし、一番利用率が低いんですよね、企業内コミュニケーション調査(労働省)を読むと。だから、形としてはいいけれども実際は機能していかないおそれがある。これがほとんど機能しないというのは、不満の主が、要するに組合内少数派とか、そういう人たちだからです。つまり多数派が持っている集団的な力に、いわば無視、軽視されている人たちなので、企業内処理手続に進むことは望ましいけれども、企業内手続はあまり機能していない。そうすると、いわば少数派としては、自分の問題は外に持ち出すというほかない。単なる相談ではなくて、もう少しオーソリティがあるようなところで。

道幸

でも、少数派でも、組合があればまだ発言権がある。むしろ、ないというのが圧倒的に多いという感じがしますね。ともかくそういう形で企業を社会化する、つまり、あるルールのもとで人事管理しなきゃだめだというのを明らかにする必要があります。

山川

そうすると、調整による個別紛争処理システムができたとしても、裁判の機能自体は重要であり続けるということでしょうか。

道幸

そうでしょうね。私の感じでは、労働委員会で和解がうまく機能する前提は、調整が失敗したら救済命令だ、救済命令では使用者はこういう形で命じられる、つまり、何かの形で強制力があるから、和解がうまくいくという側面がある。そういう意味では、調整システムがあったとしても、これがうまくいかなければ裁判に行って、裁判では特定の判断が出るということを前提とした場合、調整自体がうまくいくと思います。

中嶋

合法的な脅かしというかね。だから和解も進められるし、それに応ずるんでしょうね、多分。

道幸

それは痛感しましたね。なあなあ、まあまあ、ボス交で解決するというのは少ない。

山川

裁判所に行けばこういう結果になるという予測を示すことが重要ですね。

道幸

もう一つは、会社も組合もバックがある。たとえば和解に出てくる人事担当者というのは、会社の内部で和解内容を説明しないとだめなんです。その場合に、力関係で決まりましたというよりは、ここでこう決めなければ、結局こういう結論になります、といったほうが説得力が増します。そういう意味では法律のルールとか、強制のシステムというのは和解を促進する機能を果たしていると思います。

中嶋

そうですね。だから、私も判定はどうなるかといったのも、それが判定できるのであれば、相当和解を進めやすいけれども、両方の意見を聞くというだけではなかなかどうでしょうかねという……。

山川

だからといって、もし労働委員会制度を改編して個別紛争処理システムをつくるとした場合に、判定まで行わせるということには直ちにはならないので、裁判所に行った場合にはこうなるというノウハウと専門的知識を持っているかということでしょうね。

中嶋

それはそうかもしれない。これはこれぐらいにします。

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