1996年 学界展望
労働法理論の現在─1993~95年の業績を通じて(4ページ目)


労働保護法

論文紹介「労働基準法の二面性と解釈の方法」

中嶋

では、三つ目のグループの労働保護法の領域について、まず山川さんから……。

山川

それでは、西谷敏「労働基準法の二面性と解釈の方法」を紹介いたします。

この論文は、労働基準法が公法としての性格と私法としての性格の二面性を持つことに着目して、私法的な側面について弾力的な解釈を主張したものです。

論旨は、労働基準法が労働保護法として刑事制裁規定を持つ公法的な側面と私法的な側面の二つの性格があること、また公法的な側面については、罪刑法定主義の観点から厳格な解釈が必要になることを指摘した上で、従来の裁判例や学説は、両者を一元的に解釈すベきであるという立場に立っていると把握いたします。西谷論文は、そうした一元的解釈によると、労基法の規制が及ばない場合に、民法上の公序に頼らざるをえないことになるが、それには保護の程度が減少したり、法的安定性を損ねたりするといった問題があると主張します。

具体例として、まず労働時間の概念につきまして、労基法32条の「労働をさせ」という文言を根拠として概念決定をする蓼沼説や荒木説に対し、公法としての労働基準法の解釈としては妥当ではあるけれども、私法的側面については狭すぎるので、当事者の約定も考慮をした上で、労働者が事実上拘束される時間も含めるベしと主張いたします。また、年休の成立要件の一つである出勤日につき、労災等による療養期間等を出動したものと見なす労基法39条7項について、年休の取得日も出勤日と考える行政解釈や、さらに使用者の責めに帰すベき休業日なども出勤日に加える学説に対して、公法的側面の解釈としては罪刑法定主義に反するおそれがあるけれども、私法的側面の解釈としては妥当であると述ベられています。

こうした例を踏まえまして、私法的側面については罪刑法定主義の要請が働かないので、柔軟な解釈をなすべきであると主張されます。

方法論としての意味

コメントに移りますが、労基法の私法的側面について柔軟な解釈をすべきであるということは、たとえば従来、結婚退職制について、罰則の関係では労基法違反ではなくても、私法上は労基法違反であるという沼田説などがありましたので、従来こういう考え方がなかったわけではありません。しかし、解釈の方法論として明確に打ち出した論文としては初めてではないかと、思います。刑罰という効果が発生する場合と、私法上の権利義務関係の変動のみが生ずる場合とで要件が異なり個々に解釈できるという発想はもっともなものだと思います。

従来の裁判例でも、公法的な側面の存在を意識せずに、逆に言うと、私法上の問題だからそれが可能なのだということを意識せずに柔軟な解釈をした例もあるかもしれません。

疑問点の一つは、あらゆる労基法上の規定についてこういう作業をすると実務上煩雑になるのではないかという点です。しかし、煩雑になっても必要であればそれはやるべきことであると思いますが、もう一つは、後で取り上げる国際労働関係との関係で、労基法の私法的側面については、たとえば外国の会社が日本で活動する場合に、西谷説によると労基法を適用しないという当事者の法選択が可能になるのではないか。ちょっと細かいですが、そういった疑問が生じてきます。

討論

中嶋

道幸さん、いかがですか。

道幸

このような問題が重要になっていることがよくわかりました。論理展開についても、非常に興味深く読みました。ここでは議論されていませんけれど、関連して、労働基準監督をする際に、たとえば、賃金不払いの問題が争いになったときに、賃金債権があるかどうかというように、私法的な問題に監督署が一定程度関与せざるをえないという問題があることも指摘されています。

労働時間と年休

道幸

本論文に関しては、労働時間と年休で議論の仕方に違いが出てきている。年休の例ではむしろ、当事者の意思ではなく制度目的から年休制度をどう解釈すべきかが争われていると思いました。

山川

そうですね。労働時間の概念のほうは、32条の文言は抽象的ですから、類推解釈というよりは、拡張解釈で対処できる問題じゃないかと思います。

中嶋

この論文の趣旨は、どういうことですか。労基法違反ではないので、刑罰は科せられないが、その外側の契約でも労基法の趣旨には違背するから私法上は無効だとされる領域を確保するべきであるというのか、それとも、むしろ労基法の罪刑法定主義の外側では、なるべく当事者意思を自由に機能させる方向をめざすべきだというんですか。あるいは、規定の性質によっては両方ありうる。だからそれは「弾力的解釈」になる。そういう意味なんですか。

山川

つまり、刑罰は科せられないけれども、私法上は無効になるという領域があるということです。

道幸

たとえば時間外労働ならば割増賃金の問題も生じますね。

時間外労働と割増賃金

山川

その点は複雑になりまして、たとえば割増賃金については、私法的な意味での労働時間が8時間を超えたら、支払義務が発生するけれども、その不払いに対しては公法的意味での労働時間が8時間を超えるまで刑事制裁を行わないと述べられています。おっしゃるとおり、法律行為が無効かどうかという問題のみならず、権利義務の発生についても関係があります。

弾力的解釈の意味

中嶋

そうすると、たとえば労基法の56条、15歳未満の者のみを雇用してはいけない。同じ中学生が夏の段階で、15歳を過ぎた場合を考えます。これが使用者と契約を結ぶと、罰則は科せられないんでしょう、使用者は。罪刑法定義とはそういうものでしょう。そうすると、西谷理論で言うと、やっぱり私法契約としては無効だとなるの。私法契約としては有効だとなるのですか。どっちに機能するかというのは、それは条文によるという、つまり、弾力的というのは、両方に弾力的なんですか。

山川

それは片面的な弾力性だと思います。つまり、刑罰が科せられるものを私法上有効にするということにはならないと思いますが。

中嶋

15歳を過ぎた中学生を雇った使用者との契約は?

山川

それはつまり、刑罰は科せられないけれども、無効になるかどうかという問題ですね。

中嶋

刑罰は科せられないんなら、有効だというのは当たり前のことですもね。刑罰が科せられなくても契約としては無効だという方が多いのですか。

山川

今の年少者の契約の問題には触れられてはいませんが、この論文のアプローチによると無効となしうる点に意味があるというんでしょうね。

中嶋

そういう意味だろうね。

道幸

規定の目的をどう考えるかによって有効になったり無効になったりするということでしょう。

中嶋

そうすると、労基法のなかでも労働時間と年休とは違うし、年少者雇用契約問題の独自性もありうる。「合目的観点」というのはそのことですかね。

いずれにせよ、確かに今後の重要な検討課題のように思います。しかし、いくつかの具体例を類型的に示してほしかったですね。

次の論文について山川さんのほうから……。

論文紹介「労働保護法と『労働者代表』制」

山川

それでは、籾井常喜「労働保護法と『労働者代表』制」に移ります。

この論文は、事業場における労働者の過半数代表制について、立法論的な検討を行ったものです。内容を簡単に紹介しますと、労基法の昭和62年改正によって役割の増大した労使協定及び過半数代表制度につきまして、制度的な不備があるという問題意識が出発点となります。ただ、過半数代表制に対する不信感から労使協定に基づく枠組み設定自体に反対するという議論には与しておりません。しかし、現行の過半数代表は、事業場の労働者のある程度の世論の動向を反映する立場にあるという推定をなしうるにすぎないと考えまして、法律の改正による過半数代表への信頼の回復という方向をめざしております。他方コストがかかるという理由による立法論への消極的な姿勢にも賛同しておりません。

その場合の基本的な視点は、過半数代表制はあくまでも労働保護法上のものであって労働組合とは別であるというスタイルで、しかも、労働組合の補完的存在とも位置づけておりません。あくまで労基法上の規制解除に対する労働者集団によるチェックの制度的保障という位置づけを徹底させております。

どのような代表制を考えるかについては、(1)個別の問題ごとについて代表を考えるか、任期を持った持続性のある代表を考えるか、(2)単独の代表か複数のメンバーからなる委員会制か、(3)選出母体から独立して権限を行使しうるような代表制か、あるいは選出母体の意思の統一や形成という仕組みを備えた従業員組織代表委員会かという選択肢を提示します。この論文は、任期があり、統一意思の形成のプロセスを持った従業員組織代表委員会を原則的に選択しております。

具体的な立法構想の特色は、過半数組合がある場合でも、別個に代表を選出するべきであるという点です。それから、原則は任期を備えた委員会制が望ましいけれども、小企業では単独の代表でもよいという点、また、秘密、無記名投票を行うべきであるという点、さらに少なくとも変形労働時間制のような制度的な問題については、従業員総会やグループ総会によって、多数決に基づいて行動をすべきであるという点が述べられます。なお、そうした過程によって結ばれた労使協定の民事上の効力については、少し迷われたようですけれども、結論的に否定しておられます。

労働保護法上の位置づけ

コメントですが、過半数代表制の位置づけを明確にして、その位置づけに沿った具体的な立法構想を示している点に意義があると思います。最近の議論の流れを整理してみますと、一方では、過半数代表制の整備に対する消極論があります。たとえばコストがかかるからという主張や、労働組合に期待するのが筋だとする、中村圭介氏の論文(「従業員代表制論議で忘れられていること」『ジュリスト』1066号136頁)などもあります。また。労使協定の役割を限定しようという方向もあります。たとえば変形労働時間制の採用については個別的同意が必要であるという説はその一つですし、また、労使協定が就業規則を通じて労働者を拘束するという別の面に着目して、就業規則の合理性判断を枠づけようとする野川論文(「就業規則と労使協定」『ジュリスト』1051号69頁1052号116頁)などがあります。

他方で、過半数代表制を整備する方向をとる立場でも、その位置づけについては差がありまして、一つには、労働組合に対する補完的役割を認めるものとして、坂本論文(「従業員代表制と日本の労使関係」『日本労働法学会誌』79号5頁)や毛塚論文(「わが国における従業員代表法制の課題」『日本労働法学会誌』79号129頁)などがあります。これに対して本論文は、労働保護法上の位置づけを徹底させております。同様の方向を志向するものに西谷論文(「過半数代表と労働者代表委員会」『日本労働協会雑誌』356号2頁)がありますが、本論文ほどには保護法上の位置づけに限定していないようです。

本論文では、このように労働保護法上の位置づけを徹底させた結果、過半数組合がある場合でも労働者代表を別個に選出すべきであるという主張が導き出されております。西谷論文も同趣旨ですけれども、本論文では、労使協定の締結が問題になる場合、労働者集団による討論や多数決による採決まで要求する点で、さらに徹底しています。いずれにいたしましても、過半数代表制度に関する一つの立場を徹底させて、その立法論を提示したという点で重要なものだと思います。

討論

無組合企業と過半数代表

中嶋

ありがとうございました。道幸さん、いかがですか。

道幸

私たちが、組合がないところの過半数代表の選出の仕方とか役割というのを調査したときにはっきりしたのは、組合がないところでは、的確な選出は非常に難しいということで、監督署もそういう問題についてはそれほどチェックはしていないという事実です。チェックを厳しくすると、協定を監督署に提出しなくなるということでした。そのときに、組合がないところの従業員代表制というのは、どのような法的な整備をしても機能しないのではないかと感じました。確かに籾井論文は、制度構想としては魅力的ですけれども、それを支える組織とか担い手についてのイメージが非常に持ちにくい。特に組合がある場合でも独自に選出せよというのはやや問題です。

中嶋

一方で、労基法上の労使協定制度がすでに10項目にも増えた。他方で、それらを従業員代表制一般の中で解決しようとすると、いまだ試論段階にすぎない。労基法の方はそんな悠長なことを言っていられない段階だから、さしあたり早急に解決したいとの思いでしょうか。もう一つは、かつての籾井さんを知る者にとっては驚くベきことなんですが。労働組合はいまや信用できないという、そういうことを言っているじゃないかということです。そのために実際的に評価するには、賛否両論あるところだろうと思いますけれども、非常に歯切れのいい方なので、勉強になったというか、おもしろかったと思いますね。籾井さんとしても、ここに至り“決断した”ということでしょう。

組合の機能への影響

山川

問題は、労働保護法上の位置づけに純化しても、組合の機能に影響を与えないかどうかですね。理論上の位置づけと実際上の機能とはまた別で、過半数組合は、やはり保護法上の代表としての機能も果たしておりますから、それが存在するのに別個に代表委員会をつくるとすると、労働組合側からは反論があるんじゃないかと思います。

中嶋

使用者としても、労働組合との間で今まで確立してきた信頼関係が高いところでは、迷惑な話なんでしょうね。逆に、労働組合が少し弱いところでは、使用者側はこれを利用して労働組合を無機能にするという、そういう危険性はありますね。

山川

投票を行うと、組合に対する不信感を示すような票が出てくる可能性もありますね。

中嶋

かといって、今のように労働者代表に、親睦会の幹事が出てくるというように、真の労働者代表じゃなくて、人事・労務の一員というような人が出てくるような状況は放っておけませんし、これはちょっとにわかには……。

山川

何とかしないといけないけれども、具体的にどうするか……。

中嶋

難しいですね。だから、かえってあれこれ言わないで、籾井論文のように旗幟を鮮明にしてくれたというのは非常に意義がありますね。通常言いにくい問題ですからね。

代表システムは機能するか

道幸

こういう議論の延長には、代表というのは機能しないという議論はありうるんでしょう。つまり、個別事項ごとに直接参加の発想です。代表というのはその人にある権限を付与して、その人が一定の裁量をもって使用者と折衝する。そういうのは組合という組織がない限りは機能しえないんだとすると、直接に提案の是非を問う選挙制度みたいなのが一つのアイデアだと思います。

山川

代表を選ぶのではなくて、協定の締結についての選挙でしょうか。

道幸

イエスかどうか、を問題とする。

中嶋

むしろ、代表になじまないものがあるという意味ですね。

道幸

それならば初めから個別従業員に対しイエス、ノーを聞いたほうがいいのではないか。ある意味では従業員代表制否定論みたいなものですけど。特に小っちゃな企業はそうではないかと思います。

中嶋

つまり10個全部についてそういうふうなことも考えられるというわけですか?

道幸

そうでしょうね。この論文からちょっと離れますけど、従業員代表制は、結局、使用者のイニシアチブで選出させるということです。使用者のイニシアチブで、場合によれば使用者に不利なことをやらせるというシステムなわけです。それがなぜうまく機能しうるかという根本的な疑問もあります。

山川

選挙の公正さを確保するために中立的な選挙機関をつくれということになると、代表制と似たような問題が生じないですか。

道幸

ただ、特定の人の責任で決めるということはなくなります。従業員代表になったら、従業員からも嫌われるし、会社からもにらまれる。それよりも、投票の秘密さえ確保されたならば、従業員の真意が反映されるのではないかという可能性はあるでしょうけど。

山川

ほんとうに秘密が確保できるような仕組みというのは……。

道幸

それはあるでしょうね。

山川

かといって、それをすべて行政が監督しろとなると、大変なことになるわけですね。いわばアメリカのNLRB型の直接投票を行えというのは、ちょっと難しいのではないか。

道幸

さらに、その場合に提案に対する諾否しか問えないので、量的な処理はできないとの問題もあります。基本的には籾井論文でいろいろ検討しているような、労基法の規制を緩和するような代表的なシステムが、組合がないときに機能する基盤というのは、あるのだろうかというのがやっぱり疑問ですね。

中嶋

我々の議論不足の感は免れませんが、これはこの辺にします。

論文紹介「労働安全衛生法規の法的性質」

中嶋

それでは、労働保護法の三つ目を私から。小畑史子「労働安全衛生法規の法的性質」。副題がついておりまして、―労働安全衛生法の労働関係上の効力―、こういうものです。現行労働安全衛生法の諸法規、諸法令は20を超える、その各規則の条文の合計は1500を超える。冒頭小畑さんはそういいまして、こういったような労働安全衛生法というのは、一体どういう法的性質を持っているか。簡単に言うと、公法的性質を有するにすぎないか、私法的性質をも有するか、こういう問題意識で出発します。

そして、私法的性質をも有するとすると、諸規制に違反した状態があるときは、規制の義務主体を相手としてその義務の確認請求や履行請求を行うことができるということにもなるので、果たしてそれが適当かどうか。判例の立場は必ずしも明確ではないが、我が国の労働法学説は一般に、労働基準法を中心とした労働条件の基準を定める労働保護法規の法的性質については、私法的法規でもある、つまり「労働契約関係上の権利義務を直接的に規律する」という理解に立っている。そして労働安全衛生法もまたかつて労働基準法の中に定められていた安全衛生の規定を独立させる形で制定された立法であることもあって、それが安全衛生という分野に関する労働条件の基準を定める法律であるのだから、行政的、公法的規制とともに、労基法13条の規定と相まって私法的効力をも生ぜしめる、また法所定の基準は安全配慮義務の内容をも形成するというのが通説だとするのが小畑さんの分析です。そして彼女自身は、それらはそうならないのではないか、労働安全衛生法はそれ自体、労基法とは別個独立の民事的色彩を含まない法的規制及び行政的取り締まりの法体系で、自己完結的なものではないかと結論づけます。

この結論を論証するためにとった構成は、まず労働安全衛生に関する現行法の仕組みの解明、次に労働安全衛生法の法的性質に関する裁判例、学説とそれに対する疑問の提示、そして続いて比較法研究を行いまして、我が国の法体制に近い、アメリカとイギリスの両国の安全衛生法規の法的性質を検討するという作業に入ります。そしてその後に、いよいよ我が国の労働安全衛生法の法的性質は、いかなるものかということを、種々の角度から詳細に論じたものであります。

結論としては、我が国の労働安全衛生法は、強行法規制を定める労基法13条のような規定を置いていないのみならず、そういう労基法13条を引用して、私法強制力を認めるような立法経過でもなければ、そういう内容的構成にもなっていないということ。つまり労働安全衛生法が純粋に公法的な法規であることは、その目的、構造、規制内容、義務の履行確保の方法からも明らかである。そして、この安全衛生法の構造は、関係者の義務とともに、履行確保方法を規定する自己完結的なものである。それから安全衛生法の定める義務の主体は、使用者、労働者だけではなくて、さまざまなその他の関係者をも含んでいる。さらには、安全衛生法上の義務の履行方法としては、勧告、要請、勧奨、指導等、任意的、誘導的な行政手法が多用されているものである。そこに私法的請求権が生ずる余地はほとんどないものと考えられる。

このようなことを逐一論証いたしまして、これは直接的、民事的効力を生ぜしめる基準ともならないのだと言います。ただ唯一の例外として、民事的効力を持つとすれば、労働災害の被災労働者が安全配慮義務違反の損害賠償請求訴訟を提起した場合に、安全衛生法の定める基準に違反していたことが、安全配慮義務違反の証拠として主張される場合があるし、主張された場合に、それを考慮する一つの大きな要素にはなる。つまり、安衛法規は安全配慮義務の「具体的内容」にこそならないが、「内容の検討の際に基準となるか、又は斟酌すべきもの」とはなる。そしてその限度でのみ肯定します。

コメントですが、労働法学では従来、私ももちろん含めて労働法学者一般に、安全衛生法規について勉強するなどという気はまったく起こらなかったのです。そして通説、判例は若干形成されているかもしれませんが、小畑論文によって引用されているものは、安全衛生法を綿密に研究した教科書や論文ではなくて、一般的な教科書や論文で、確固たる通説、判例と言っていいかどうかさえわからない状態でありました。つまり民事的効力を有するという場合に、従来の論者が想定したことは、安全衛生法上の非常に強い義務を定めたような、たとえば61条、ああいう明確な禁止規定、こういったものを想定して連結していたんですけれども、そのような規定は確かに少ないわけで、小畑さんはまずそのような基本的な認識につき注意を喚起した。つまり、通説のいいかげんさを明らかにした、こういう意味があるんじゃないかと私は思っております。とにかく取り上げたテーマ自体が非常に勇気があって、よく頑張ったとの評価が与えられていいと思います。

しかし、読んでいくと、すこし張り合いがないというか、あまり優等生のようなきれいな答案で、処女論文としては、力強さ、荒っぽさに欠けるという印象です。それにもかかわらず、今後安全衛生法についてたとえば大学で講義するときとか、研究に際して参照するためには不可欠な文献となったと考えております。

これについて道幸さん、いかがですか。

討論

「通説」とは?

道幸

確かに徹底的に議論するという点では強くひかれました。しかし、通説は労働安全衛生法のすべての規定を、労基法13条を媒介にして無効としているわけではないのです。どうも、そういう説を前提として攻撃しているような立論になっていると感じました。

中嶋

現存する「通説」というようなことになるかどうかは、ちょっと疑問がありますね。みんな、ほんの試論にすぎないのではないか。

道幸

もう一つは労働安全衛生法の観点からはこのとおりでしょうけれども、労働契約論とか、安全配慮義務とか、いわば契約論のレベルから、こういう法律をどう考えるかという作業が必要ではないかと思いました。確かに一定の配慮をするとか、ファクターになるということを言っているんですけれども、我々からすると、どのように関連するかというのにむしろ興味がある。

そうすると労働安全衛生法の中でも、実質的には私法的なレベルでとらえやすい条項と、まったく関係のない条項があって、それぞれに見合った議論をしてくれたほうが、今後の問題を考える際には参考になるという感じはします。どうもきれいに議論しすぎているという印象を持ちました。

山川

確かに非常にスマートな論文で、論理的にもすっきりしていると思います。ただ、今のお話との関連では、私法上の効力があらゆる規定にないこと、つまり例外がないことを証明するのは、実はかなり難しいことでして、この論文も不利益取り扱いの禁止規定だけは私法上の効力があると言っていますね。この点は十分検討されてのことなんでしょうけれども、そうすると、ほかにも例外があるかもしれない。

安全配慮義務との関係

山川

それから、この論文の検討対象ではないのかもしれませんけれども、安全配慮義務との関係で、「斟酌する」とか「参考にする」ということの法的意味は、一体何かという問題があります。どちらも法律概念ではないわけですから、事実認定の問題として、こういう安全衛生法上の措置をとっていれば、結果は回避できたであろうという結果回避措置、あるいは結果予防措置の内容の認定の問題なのかなという気がしますね。

中嶋

認定の問題か、立証責任の問題かどっちかなんでしょうね。

山川

むしろこの点は、安全配慮義務そのものの問題になってくるんでしょうね。

中嶋

そうそう。しかし、小畑さんとしては、安全配慮義務論に重点を置いた気持ちは多分ないと思うんです。要するに労働安全衛生法は、労働行政としての独自の体系であって直接的な民事的効力はないと、まず差し当たりそこは明らかにしたかったんだと思いますね。その試みは、相当程度成功していると思います。

山川

一つ納得したのは、労働安全衛生法規が民事的なものであるとすると、安全衛生法規さえ守っていれば安全配慮義務違反もないという結論になりかねないという指摘です。確かに安全衛生法規は行政上の基準ですから画一的なものになっていて、事情によってはそれ以上の注意をしなければいけないケースはあるわけです。ですから、安全衛生法規の中身と、安全配慮義務の中身が一致すると、場合によってはかえって労働者の保護を減少するおそれがあるということは言えると思います。

道幸

いわば最低基準だという議論をすると、その問題はクリアできるんでしょう。

山川

そうですね。8時間労働というような最低基準とは、ちょっと性質が違うような気がするんですが……。私も、よくわからないのですが、安全配慮義務の最低基準ということでしょうか。

道幸

この基準自体が最低基準のような部分と、ややガイドライン的な部分とかいろいろ性質があるからちょっと難しいですね。おもしろいことに、私法上の効力も認めると申告が多くなるとか、訴訟を激増させるとか、論理的でなく、世故にたけたような論理をも展開しています。ちょっとニュアンスの違うことを言っているなという感じはしましたね。

山川

これは、例外的に履行請求をなしうる規定もないという、証明の困難な問題であるから、こういう根拠を持ってこざるをえなかったということでしょうか。

中嶋

最近の若い人は物わかりがいいね。

道幸

ええ。この部分は。花見先生が言うようなことを突然いっていますね(笑)。

中嶋

私は怒りを忘れてしまったが、若い人はもう少し怒りを持ってほしいね、確かに。それでは次に、4番目のグループで非典型雇用労働についての文献を道幸さん、お願いします。

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