EU憲法批准否決の波紋:フランス(1)
EU拡大を背景に高まる雇用情勢悪化に対する国民の不満と不安
—新内閣の優先課題は、「雇用創出」

2005年5月29日、欧州連合(EU)憲法の批准の可否をめぐる国民投票が実施されたフランス。即日開票の結果、反対が54.87%、賛成45.13%で、同憲法批准は否決された。今回の結果は、ラファラン政権下の社会政策に対する国民の不満の高まりが導いた結果ともいわれている。上昇傾向に歯止めのかからない失業率や、リストラの増加等、厳しい状況の中、ドビルパン新内閣は、「雇用創出」を優先課題に掲げ、国民の不満・不安の解消、信頼回復に全力を尽くす意志を表明した。

国民が「Non」の答えを出すまで

現在までの様々なEU条約の集約と、EU大統領・外相の新たな設置を盛り込んだEU憲法案が、紆余曲折を経て、加盟25カ国の首脳会議で承認されたのは、2004年6月18日であった。同憲法発効のための次の段階として、全加盟国での批准(議会または国民投票による)が要件。シラク大統領は、同年7月14日のフランス革命記念日の演説で、同憲法の批准の可否を国民投票で問う意向を表明した。この時点では、国民から同憲法に反対する声は大きくなかったためである。

しかし、同年秋に、トルコのEU加盟問題が再び議論に上ったのを機に、国内の状況に変化が現れた。トルコは、フランスに比べ面積も広く、人口も多い。自国の社会・経済状況が悪化するなか、フランス国民の間には、文化も宗教も異なるこの大国に対する警戒感が広がったのである。そこで、シラク大統領は、当初は2005年末に予定していた国民投票の実施時期を早める意向を示した。国民の間で広がり始めたトルコへの警戒感が、同憲法の批准の可否に与える影響を恐れての決断であった。

その一方で、野党である社会党内における党員投票では、賛成が反対を上回る結果となった。それまで社会党内には、同憲法の批准について、賛否が大きく分かれていただけに、この結果を受けて政権内には、安堵の空気が流れた。

ところが、2005年に入ると、国民の現政権に対する不満がさらに高まりをみせる。同年一月には、郵便制度改革に反対する郵便局員や人員削減に反対する国鉄や公立学校職員、医療関係者など、公務員のストライキやデモが頻発。2月5日には、民間企業で働く従業員も加わり、「週35時間労働制」の改正法案に反対する全国規模での抗議運動が展開され、数10万人がデモに参加した。その後も、3月10日に、公務員の賃金のベースアップや、「週35時間労働制の維持」を要求して、民間部門と公務員の労働組合が、全国で統一デモを行い、事前の予想を大きく上回る約30万人(労働組合側の発表では約100万人)が参加した。

こうしたなか、3月16日、17日に、パリジャン誌がEU憲法批准に関する世論調査を実施。結果は、反対が51%に達し、初めて賛成を上回った。その後も、各種世論調査で反対が、賛成を上回るという結果が続いた。これを受け、野党だけでなく、与党内でも批准反対派が復活。党の「批准賛成」という決定に反して、批准反対運動を繰り広げるなど、反対派の勢いは増すばかりであった。

政府は、社会的不満を静めるため、公務員の給与を0.8%引き上げることに同意(3月29日)、若者のとの対話集会を大統領自ら主催(4月19日)するなど、批准反対派の説得に努めたが、その勢いを止めることはできなかった。

さらに、これまで「聖霊降臨祭の翌日の月曜日」として祝日であった5月16日が、「連帯の日」として無給の労働日に定められると(注1)、国民の不満はさらに増大。当日は、公務員を中心に多くの労働者が出勤を拒否した。多くの自治体では役所の窓口は閉じたままとなり、各都市の公共交通機関がストの影響を受けるなど、国内は混乱に陥った。EU憲法批准可否を問う国民投票は、「連帯の日」の2週間後。与党内では、この「連帯の日」問題が、国民投票に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が広がっていた。

投票直前の5月26日には、シラク大統領自ら、10分にも満たないラジオ・テレビ表明で、国民に対して正式にEU憲法の批准を呼びかけた。最新の世論調査の結果が、反対派の更なる増大を示したためである。大統領は、同憲法が、アメリカや日本、中国、インドとの経済的競争に対する「欧州の対応」であり、「フランスの社会モデルを強化するものである」ことを強調。批准を拒否することは、ヨーロッパに「分裂と疑念、不安定な時代」をもたらすことになると訴えた。

「Non」の背景にあるもの

こうして迎えた5月29日、シラク大統領の説得の効果も無く、国民の出した答えは「Non(反対)」であった。しかし、この「Non」の背景には、「EU憲法自体への反対」というよりも、国内の社会・経済状況に対するフランス国民の不安や不満が存在するとされる。

世論調査機関のIPSOSの出口調査によると、反対理由の第一位は、「現在のフランスの経済・社会状況に不満があるから」であった。その他にも、「政治全般に対して不満を示したいから」「シラク政権に対する不満を示す好機であるから」――等、国内の状況に目を向けた理由が挙げられている。賛成派では、この憲法が「米国や中国に対するヨーロッパの重要性を強化するから」「25カ国もの加盟国を抱えているEUの円滑な機能に不可欠であるから」――等、「EUそのもののあり方にどう影響するか」という視点にたつものが多いのと対照的である(グラフ参照)。

では、どのような人々が反対の票を投じたのか。職業別では、工場労働者(反対79%、賛成21%)と農業従事者(反対70%、賛成30%)に多い。また、社会的地位・身分でみると、失業者(反対71%、賛成29%)だけでなく、これまでEU拡大に肯定的とされていた公務員(反対64%、賛成36%)や民間企業の会社員(反対56%、賛成44%)までも、今回は反対派に転じた。

フランスでは、近年、衣料品や自動車産業のみならず、情報技術などの最先端分野でも、企業が生産拠点を海外(主に、東ヨーロパやアジア、マグレブ諸島)へ移転する傾向が続いている。その理由は、安い人件費と緩やかな労働法規制にあるとされる。EU拡大による東欧への投資増加、ユーロ高による国際競争力の低下、そして失業率の上昇――という最近の経済情勢を背景に、こうした産業の「空洞化」が国内の雇用に及ぼす影響への懸念が広がり始めていた。特に失業率は、2005年に入り、10%を突破。5年ぶりの2桁を記録した(注2)。さらに、同年3月には、「国際競争力の維持・強化」を理由に、労働時間を延長する「週35時間労働制」の改革法案が、労組の激しい非難を浴びながらも可決された。

こうした国内の社会・経済状況を背景に実施された今回の国民投票。雇用不安を高めていった国民は、EU憲法そのものよりも、シラク・ラファラン体制下の社会政策に対する不満を突きつけたと言える。

新内閣発足と雇用政策の新たな方向性

国民の「Non」という答えを受けて、シラク大統領は、5月31日、ラファラン首相を事実上更迭。ドミニク・ドビルパン内相を新首相に任命した。大統領は、同日のテレビ演説において、批准の否決は「欧州の理想の拒否ではない」とし、「欧州における我々の地位をつなぎとめることができなければ、我々の経済社会モデルを維持し、世界に我々の価値観をもたらすことは望めない」と強調。EUとの強い関係を復活させる決心を明らかにした。さらに、高失業率など社会経済情勢の悪化に対する国民の「不満と不安」が政府批判を生み、「批准否決」という結果を招いたとの認識を表明。ドビルパン新政権における優先事項として、「失業対策」を掲げ、この分野における全国的な動員を訴えた。

これを受けて、ドビルパン新首相は、6月8日の一般施政演説に際し、今後2年間にわたる政府の計画を発表した。絶対的な優先事項として掲げられたのは、「雇用のための闘い」。同首相は、「我々の術策の余白全ては、雇用へ向けられる」とし、2006年の失業対策に、45億ユーロの追加予算を費やす予定であることを明らかにした。そのために「所得税の引き下げ」は、一時的に中断される。また、「受け入れ難い水準に達している」失業対策として、「雇用のための緊急計画」を提示した。

同計画では、1)零細企業(従業員数10名未満)における雇用の創出、2)雇用への復帰の促進、3)若年者及び50歳以上の者への援助、4)困難な状況にある「雇用の受け皿」に対する公的援助サービスの創設、5)購買力の活気付け――等が盛り込まれている。

特に、最も注目すべきは、零細企業における雇用の創出に関する施策である。これによると、2005年9月1日以降、労働法典を遵守しつつ、「新雇用契約」と呼ばれる新たなタイプのCDI(期間の定めのない雇用契約)が実施される。これは、零細企業における採用促進を目的としており、「使用者にはより多くの柔軟性を、労働者には新たな安心」を両立させて保障する「柔軟な雇用契約」とされる。つまり、「企業側のマネジメントに関する柔軟性=従業員の試用期間を二年とする」と、「労働者の安定性=失業給付資格が最初の月から生じる」を同時に考慮した内容となっている。この他にも、雇用手続きの簡素化のための「雇用小切手」の活用、10人目以降の採用にかかる追加的コストとなる保険料負担の減免が決定した。

また、若年者と50歳以上の者に対する援助も興味深い。若年者については、ANPE(職業安定所)が、過去1年以上失業状態にある57000人の若者に対し、個々に適応した解決策(企業や公共部門における雇用の斡旋等)を提示しなければならない。50歳以上の者については、1)公務員試験の年齢制限を引き上げるか、あるいは撤廃する、2)労働収入と年金受給の併給に関する制限の緩和、3)ドラランド拠出金(注3)の廃止の検討――が決定した。

2005年6月30日に発表された同年5月の失業率は、10.2%。依然として国内の雇用情勢の厳しさに変化は現れていない。フランスのEU憲法批准否決を受け、各方面で「今後のEUの行方」が議論されるなか、フランスはまず、自国の社会・経済状況の建て直しが急務の状況にある。「雇用創出」を優先課題に掲げ、国民の不満・不安の解消と、信頼回復を目指す新内閣の行方が注目される。

2005年7月 フォーカス: EU憲法批准否決の波紋

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