JILPTリサーチアイ 第36回
精神障害の労災認定事案を読む─過労死共同研究への参画から─

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経済社会と労働部門 副主任研究員 高見 具広

2020年6月10日(水曜)掲載

わが国において、「働きすぎ」の問題は依然解消されていない。過労死・過労自殺は、いまなお少なからず存在している。厚生労働省「過労死等防止対策白書」によると、脳・心臓疾患を発症し、労働災害(労災)として請求された件数は、過去10年余りの間、年700件台後半から800件台後半の間で推移し、認定件数も、200件台から300件台の間で推移している。また、精神障害の労災請求件数は増加傾向を続けており、認定件数は、2012年度以降、500件前後で推移している。

では、労災をもたらす労働条件・職場環境とはどのようなものなのか?なぜ健康を害するまで働いてしまったのか?今回紹介する研究は、こうした問いの解明に挑むことで、心身の健康をこわす過重労働の防止に役立てられればという願いで行われている。

JNIOSHとの共同研究

JILPTは、2018年より、独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所(JNIOSH)と過労死等に関する共同研究をスタートさせた。筆者は、池添弘邦主任研究員、藤本隆史リサーチアソシエイトとともに、その共同研究に参画している。

現在、JNIOSH内に「過労死等防止調査研究センター」が設置され、過労死等に関する研究拠点となっている。JNIOSHが中核となって進める過労死等防止のための研究は、実験研究、コホート研究など多岐にわたるが、JILPTとの共同研究プロジェクトでは、事例解析に取り組んでいる。事例解析とは、労災として申請された過労死等事案について、労災認定に関わる行政資料を素材に、個別事案の労災発生要因等を分析するものである。具体的には、労働基準監督署が労災認定判断のために作成する「調査復命書」や、調査復命書作成のベースとなった関連資料が、研究目的でJNIOSHに収集されており、それを資料として事例の分析を行っている[注1]

「調査復命書」を読む

では、労災認定に関わる「調査復命書」には何が書かれているのか。筆者は、精神障害の労災事案を検討しているので、以下では、その内容について紹介しよう。精神障害の労災認定に関わる調査復命書には、労災認定の総合判断のほか、「業務による心理的負荷の有無及び内容」「出現した心身の症状に関する事項」等の記載項目がある。そこでは、「被災者の申述」と「調査結果」が対照して書かれている。「調査結果」は、業務日報等の資料によるほか、被災者の家族、職場の上司・同僚等に対する聴取などに基づく。筆者は、まず、2010年1月~15年3月に労災認定された事案を対象に、調査復命書等の記述内容を資料として研究に着手した。

資料に書かれていること

事例分析では、どのような出来事が強い心理的負荷(ストレス)となり、精神障害発病がもたらされたのか、当事者の認識をもとに解明する方法をとっている。業務に起因して発病した精神障害は、うつ病エピソード、適応障害、心的外傷後ストレス障害などが多い。

調査復命書には、被災者本人や、その周囲の人々の申述・聴取結果が書かれている。まず、被災者本人がどういうことにストレスを感じ、発病に至ったと認識しているのかを、資料から読み取る。読み進めると、被災者のストレスは、長時間労働事案であっても、労働時間の長さばかりでなく、ノルマ認識や社内外の人間関係など、いろいろな要素が複合されて生じていることがうかがえる。

次に、上記の発病過程において、周囲の人々、特に職場の上司・同僚は、被災者の業務負荷や体調変化をどのように認識していたのか、資料を読み込む。そうすると、被災者とは認識を異にする場合も少なくないという発見に行き着く。そういう「認識のギャップ」があるからこそ、労災となる精神障害発病を未然に防ぐことができなかったのかもしれない。こうした視点を持って、精神障害発病に係る過重労働の中身と、それが発病をもたらす過程を考察している。

若年者事案の3類型

まず、共同研究1年目として、若年者(発病時年齢39歳以下)の精神障害・生存事案(自殺以外の事案)を検討対象とし、長時間労働をはじめとした業務量・質が主要な負荷とされる事例を検討した。ここでは事案の詳しい紹介は省く。労働政策研究・研修機構(2020)「過重負荷による労災認定事案の研究 その1」JILPT資料シリーズNo.223 第2章で、20事例を取り上げて検討しているので、参照してほしい。

要点を簡潔に述べるならば、若年者の事案において、典型的なものとして次の3類型が見出された[注2]。第1に、主に初期キャリアにおいて、仕事の過酷さや長時間労働から、仕事・職場への適応困難が強く認識され、それが発病過程と関係するケースである。そうした事例では、被災者が抱えていた負荷に周囲の意識が向かないほど、多忙な働き方が当然視される職場環境だったことに問題がうかがえた。

第2に、業務責任・達成義務を強く感じたことで、健康を害するまで働いてしまった例がある。この種の事例も労働時間がきわめて長い。職場の上司・同僚の認識では、ペナルティがあるほど強い達成義務のあるノルマはないとされるなど、責任やノルマに関する認識が被災者と異なり、本人の負荷の大きさは見過ごされていた。

第3に、特定の社員に業務負荷が偏ったり、サポートの乏しい中で困難な業務に従事したりしたことが体調悪化をもたらした事例がある。キャリアを積み、能力が高いと評価されている社員であっても、その心理的負荷が周囲から見えなくなる場合があることをうかがわせる。

事例が問いかけるもの

事例分析からは、総じて、会社の常識、業界の慣行といわれるものが、被災者と職場の上司・同僚との認識ギャップを生成するなど、労災となる精神障害発病の背景をなしていることがうかがえる。非定型の質的データを扱うゆえ、鮮やかな分析には欠けるきらいがあるが、ひとつひとつの事例を丹念に読み解いて研究成果を世に出していくことで、労働環境の改善、職場風土の見直しにつなげていければと願っている。

脚注

注1 共同研究の経緯や詳細については、労働政策研究・研修機構(2020)「過重負荷による労災認定事案の研究 その1」JILPT資料シリーズNo.223の「調査研究の概要」「序章」を参照。

注2 もちろん若年者の事例がこの3類型に集約されるということではない。事例を探索的に読んでいくなかで、ここで述べるような共通性を持ついくつかのタイプが見出されたということである。

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