2002年 学界展望
労働法理論の現在─1999~2001年の業績を通じて(7ページ目)


4. パートタイム労働と均等待遇原則

紹介

菅野和夫・諏訪康雄「パートタイム労働と均等待遇原則」

水町

それでは、パートタイム労働と均等待遇原則の問題について菅野・諏訪論文を中心に、土田道夫「パートタイム労働と『均衡の理念』」(民商法雑誌119巻4=5号。以下、土田論文(民商法雑誌)と略)、林和彦「賃金の決定基準」(『講座21世紀の労働法 第5巻 賃金と労働時間』)にも触れながらご紹介したいと思います。

まず、菅野・諏訪論文は、先進諸国におけるパートタイム労働者の均等待遇に関する法的アプローチを概観し、パートタイム労働者のための均等待遇原則は、産業別団体交渉などによる職種別賃金率の確立というヨーロッパ的労働市場の構造と、社会的弱者の保護や社会的平等の実現を重視するヨーロッパ的な社会的市場の思想とに基づいた、ヨーロッパ的な法政策であって、自由競争市場の考え方を基盤とするアメリカなど、先進諸国に共通した普遍的な法原則とまでは言えないとします。そのうえで、女性への間接差別の禁止という手法でパートタイム労働者の均等待遇の実現を図っていったイギリスで低技能・低報酬の職種につく女性パートタイム労働者が増加するという職種分離の進行現象が見られたことを指摘し、均等待遇原則の導入は、女性労働者を二極分化、パートタイム労働者の低技能職種への集中につながる可能性があることを指摘しています。

これらの考察をもとに、日本における解釈論および立法論のあり方について検討し、普遍的な法原則とまでは言えないパートタイム労働者の均等待遇原則を、その前提となるヨーロッパ的な社会的基盤のない日本に導入することは困難であり、立法政策としても職種分離の可能性を考慮すると、全体としてのパートタイム労働者の地位向上にはつながらないとして否定的な考え方を示しています。救済否定説を代表する論考であり、極めて明快な論旨でこの説の論拠をまとめた作品と言えるのではないかと思います。

これに対し土田論文(民商法雑誌)は、パートタイム労働者の適正な労働条件の確保等について、通常の労働者との均衡を考慮すべき事業主の努力義務を定めたパートタイム労働法3条に着目し、この条文が表明している「均衡の理念」はパートタイム労働者への著しい労働条件格差を違法とする司法上の根拠になるという見解を述べ、著しい差別に対する法的救済を図ろうとしています。

土田論文(民商法雑誌)のオリジナリティーは、第1に、パートタイム労働法3条の「均衡の理念」が不法行為上の公序を形成しているという独特の法律構成をとっている点とともに、第2に、基本的に労使自治を重視しつつ、使用者が格差是正の努力を怠り、著しい格差を放置している場合にのみ「均衡の理念」による柔軟な救済を行おうとしている点にあり、均等待遇原則による強行的な解決を図ろうとする従来の救済肯定説と、一切の強行的関与を否定する救済否定説の中間に位置する柔軟な解決方法を提示したものということができます。その意味で本論文はこれまでの見解には見られなかった画期的な考え方を打ち出したものと言えます。

また、林論文は、同一労働ないし同一価値労働同一賃金原則を日本にも導入しようとする従来の救済肯定説を基盤としながらも、同原則を男女間や正社員・パート間の問題のみならず、賃金決定の一般原則として位置づけようとする点、同原則が公序を構成するだけでなく、使用者が同原則に基づいて労働契約上賃金平等取扱義務や賃金差別是正義務を負うとしている点、および、使用者が格差の合理的理由を立証できない場合には、このような格差を生み出した賃金決定基準自体が違法とされ、同基準によって生じた格差をすべて救済の対象としようとしている点で、本多説(本多淳亮「パート労働者の現状と均等待遇の原則」大阪経済法科大学紀要13号(1991年))に代表される従来の見解をさらに理論的に進めたものと言えるかと思います。

このように、この時期には、救済否定説、救済肯定説、およびその中間的な説が理論的な進展を見せながら展開されてきたと言えますが、これらの見解にはなお次のような問題点があるようにも思われます。

まず、菅野・諏訪論文については、労使間の交渉による問題解決を志向している点で、正社員を中心とした日本の労使関係の実態に対して楽観的すぎる展望を抱いている点、および、労働者の二極分化の議論についても、旧来の正社員中心の硬直的な雇用システムを前提とした議論であり、むしろ今後の方向としては、正社員も含めて多様で柔軟な雇用システムを築いていくなかで、差別のない能力発揮社会を築いていく必要があるということが十分に認識されていない点で、現状にとらわれすぎている見解であるように思います。

これに対し、林論文には同一労働ないし同一価値労働同一賃金原則が一般的な法原則であると言いながら、労働や労働価値にかかわらない住宅手当や家族手当の支給も違法でないとするような説示が見られている点で、なお理論的に肝心な部分が十分に詰められていないという問題があり、また、土田論文(民商法雑誌)は、その要件として極めてあいまいな実体的概念が用いられているため、当事者にとっては予測可能性がなく、裁判官としてもそこまでの実体的判断をする知識・能力を有しているとは思えない点で疑問があります。

もっとも、いずれの見解にしても、パートタイム労働者が不当な差別を受けている場合があり、その能力が十分に発揮されていない現状を改善する必要があるという点ではある程度共通の認識が見られるように思います。問題がますます深刻になっている今日の状況を考えると、このような活発な議論を踏まえて、立法や判例が具体的で実効性のある対策を講じていくべき時期に来ているように思います。

討論

各論文の評価

大内

どうもありがとうございました。盛先生、いかかでしょう。

パートタイム労働に関する菅野・諏訪論文は、どちらかというと現状肯定の議論という感じがして、もう少し展望を持てるようなことを書いてほしかったという気もしています。

私が水町さんの評価とやや違うのは林論文です。林論文は、果たしてこれを従来の同一価値労働を主張する学説の延長上に位置づけていいのかどうかです。むしろ、従来の同一価値労働に関する議論に発想の転換を迫ったものではないでしょうか。というのは、従来の議論ですと、同一価値労働の原則というのは、労働の価値に従ってのみ賃金が決定されるべきであり、労働の価値と関係のない賃金決定要素は排除されるという原則だいうことを前提にして、それが日本に適用できるかどうかを議論していたように思います。それに対して、林論文では、むしろ同一価値労働の原則自体が非常に柔軟なもので、各国の賃金制度に合った内容であるべきだし、日本には日本的な同一価値原則があるべきだと主張しています。

そのために、例えば、学歴・年齢などがむしろ同一価値労働の基準として機能すると考えるべきであるとか、職種や職務の同一性は必ずしも同一価値労働の原則の適用にあたっては重要な意味がないと考えるべきだという点を主張しています(講座第5巻86頁)。それが成り立つかどうかは別として、まさに同一価値労働原則の理解そのものに再考を迫った論文だというのが、私の理解です。

水町

同一価値の判断の仕方が前よりも柔軟になったという点は、おそらく盛先生ご指摘のとおりで、これまでの、いわゆる同一価値労働同一賃金原則に立つ見解からは一歩進んだ解釈かもしれません。林論文では、同一価値労働同一賃金原則を、男女差別の問題とか正社員・パート間の問題を超えて普遍的な法原則であると言われているんです。そこで、普遍的な法原則にするにあたって、同一価値の認定を少し柔軟にしようという考え方のようですが、同時に合理的な理由の立証というのをこの原則の中に組み込んでいる。では、同一価値労働同一賃金原則が普遍的な原則であることと、合理的な理由の中身との関係がどうなっているのかというと、この点が具体的に詰められていない。詰められていないので、議論がしにくい。

唐津

その点は私も同じことを感じます。林論文では、同一価値労働同一賃金原則が普遍的な原則と言いながら、むしろ合理的理由があれば格差も認められるという論理になっている。正社員とパート間で賃金をどう決めるか、いかに格差をつけるかは、それを正当化する理由があれば自由であると。そして、その合理的理由として職種、職歴、職務、学歴、年齢、勤続、能力、権限、責任、実績、業績等、ありとあらゆるものが入ってくる。今の格差は、そのどれかで説明可能だと思うのです。

おそらく、これは、立証責任の問題を念頭に置いているのでしょう。格差があることを労働者側が主張し、証明すれば、あとは使用者側でその合理的な理由を反証できなければ原則違反になるということでしょう。

水町

結局、同一価値労働同一賃金原則ではなく均等待遇原則、合理的な理由のない差別をしてはいけないという原則に落ち着くような気がします。

唐津

格差をつけるなら合理的な理由がないといけないと主張しているわけですから。

大内

しかも、合理的な理由はどういうものであるべきかという点までは議論が詰められていないように思えます。

他方で、土田論文(民商法雑誌)によると、均衡と均等とはどういう関係にあると理解すべきなのでしょうか。

水町

均等プラス均衡ではないですか。均衡の真ん中には均等があって、均等も均衡の射程に入っている。そういう広いものとして位置づけている。ただ、その射程は漠然とした概念でアプローチするというものです。

例えば、ILO条約のように、フルタイマーとパートタイマーで同じものは同じに扱い、そうではないものは比例して扱うという発想があります。その点、土田論文では、あくまで均衡を前面に掲げるために、フルタイマーと本来均等であるべき部分がややあいまいになっているような気がしました。読み込み不足かもしれませんが。

唐津

正社員とパートタイマーの格差是正のために比例的救済というのがありますが、その比例的救済でよいのはなぜかというと、均衡がとれているからということですよね。土田論文はパートと正社員の待遇格差が比例的だったらいいという考え方、それを根拠づける議論ではないですか。そうすると、何が比例的かという問題がまた出てくる。

結局、それは裁判官の裁量に委ねられるということでしょうか。それとの関連で、土田さんは丸子警報器事件での8割という救済を均衡ということで説明しているけれど、やや強引かなと思いました。あれはむしろ、許容限度でしょう。

不均等状態の是正はどうあるべきか

大内

菅野・諏訪論文については、救済否定説という評価を与えてよいのでしょうか。私の理解では、菅野・諏訪論文では、救済の仕方としては労使自治に委ねましょうという議論だと思います。

だとすると、やはり法的救済としては否定説ですね。それと、今の日本に均等原則を導入すると、女性の二極化を生む可能性があるという指摘についてはいかかですか。

大内

立法論としても妥当ではないという点ですよね。菅野・諏訪論文では、イギリスの経験からも、水平的分断か生じてしまうと指摘しています。

ということは、女性は下位レベルに固定して一元化すべきだという主張だと言えなくもない。

大内

水平的分断と垂直的分断のどちらがまだましか。現在、日本は垂直的分断であり、そちらのほうがまだよいという考え方もありえます。

唐津

ただ、政策として、均等待遇原則がわが国社会において是か非かという議論をするときは、その前に法理念としてのその妥当性について詰めて議論する必要があると思うのです。単にイギリスでこういうことが起きたということだけでなく。社会的公正さについても、ヨーロッパ的な公正さと、アメリカ的な自由主義的な考え方における公正さとは違うという区分けがありますが、それを法学者が、これはヨーロッパの考え方、アメリカの考え方というように区分けして議論していいのかなという気がするのです。やはり、その底流にある普遍的な考え方を追求するという姿勢は必要ではないでしょうか。

大内

そのような普遍的な考え方はないというのがこの菅野・諏訪論文の主張ではないですか。

唐津

それは現実がそう動いているからということでしょう。ヨーロッパ型とアメリカ型は違うと。

大内

もっと底流に何かあるだろうということですか。

唐津

例えば、人権の思想があるわけでしょう。均等待遇の議論は人権論に近いと思うのです。それを、日本で受け入れていないときに、パートといっても多様化しているわけですから、イギリスではだめだったから、日本でもやっぱり無理というのはどうでしょうか。

大内

でも、実験しなきゃわからないこともあるでしょう。その実験結果としてイギリスの例があり、日本もこうなる可能性がある、という議論はできるんじゃないかと思います。ただ、この水平的分断というのは、実験と同時に理論でも出てきそうな結論ではありますが。

唐津

だとすると、むしろ、そうならないように何か政策として選択肢がないかと考えるのが必要ではないでしょうか。ヨーロッパ型とアメリカ型は違うが、日本はどちらなのかという形で、政策選択肢を狭めるのではなくて、広げる方向で考えるべきでしょう。

大内

でも、おそらく、菅野・諏訪論文の根底には均等待遇理念というものに消極的な姿勢があるのではないでしょうか。これは、ほんとうに人権問題なのか。実は、私自身もそのような印象を持っていて、何でも人権に絡めるのにはちょっと抵抗がある。

水町

仮に人権じゃないとした場合にも、アメリカ型の平等社会と、ヨーロッパ型の平等社会があって、では、日本社会を政策的にどういう社会にしたいのかというビジョンが重要なのだと思うのです。そこで、既に正社員とパートの処遇がかなり離れた二項分離的な状況にあって、そこで平等にしても、結局その差が開くだけなので、少なくとも法的には介入しないという選択肢と、それとも、この二項分離的な状況に手を入れて、理想とする社会に近づけていくような法政策を考えるかの選択の問題ではないでしょうか。あまりにも正社員・非正社員が分かれていて、将来進むべき方向と乖離しているのであれば、後者の選択肢をとって、政策的に工夫をしながら能力を発揮できるような柔軟な雇用社会をつくっていくというビジョンを描くべきだと私は思います。

大内

私は、それは、パートタイマーが自分たちで考えていくべきで、自力で解消することができるはずだと言いたいのです。だから、国が誘導していくのではなくて、労使自治に任せましょうということなのです。

水町

それは、現状に対して非常に楽観的すぎると思います。

大内

労使交渉に委ねることか楽観的だということですか。

水町

労使で話し合いをしなさいと言って、これまでパートタイム労働政策を進めてきたのですが、一向に改善していない。他方で、市場に委ねておけば、パートの需要が高まってパートの待遇が上がっていくはずだとも言われたのですが、実際には、パートの有効求人倍率のほうが正社員のそれよりも上がっているにもかかわらず、賃金格差は拡大する傾向にあり、市場でもうまく対応できない問題になっています。労使関係でも市場でも対応できないとすれば、あるべき社会に近づけていくためには、やはり規範的な介入や政策的な介入が必要なのではないでしょうか。

大内

なぜ正社員と格差があってはだめなのですか。それもパートの選択の結果だとは考えられませんか。

水町

時間制約があったり、一度やめてその後また再就職をしたいという人の能力を活用できる社会にするのか、それとも、そういう人は一度やめたのだから、短時間を希望している人たちの選好かあるのだから、彼(女)らの能力は活用されなくてもいいと思うかの、ビジョンの違いだと思います。

大内

企業だって能力のある人だったら活用するわけでしょう。

水町

そこが、今の正社員と非正社員の分離慣行、日本の企業文化と結びついた一種の強い思い込みのなかで一向に前に進まない状況になっている。

大内

企業が何か偏見を持っていて、パートを無能だと決めつけているということがあるならば、それを啓蒙するのはいいのですが、そこから均等待遇の原則の導入という話になるとちょっと行き過ぎているような感じがします。

水町

啓蒙や労使自治に委ねて改善するのであれば、まずそれをやるべきかもしれませんが、それができないときに何をすべきかという議論の時期にもう来ていると思います。

大内

そうでしょうか。やるべきことはされ尽くしたのでしょうか。

日本の正社員・パート格差問題の特殊性

やはり日本の場合、外国と比べると、あまりに正社員・パート間の格差が大きすぎる。これは、グローバルスタンダードという観点からしても許容されえないでしょう。でも、この問題は非常に難しくて、均等、均衡といっても、それは一つの企業の中での問題ですね。ところが、パートタイマーの労働条件は企業内だけで決まっているわけではなくて、むしろ企業を超えた市場で決まっている。大企業だからといって、中小企業よりも高額の賃金を出すかというと、出すはずがないですね。そういう意味では均等とか均衡をいくら問題にしても、労働条件決定のメカニズムそのものを何とかしないと、事態は一向に変わらないということになります。

大内

企業横断的な組合の登場が必要ということですか。

それも一つです。それから、最低賃金制度の改革もあるでしょう。最低賃金は、日本は先進国の中でもアメリカと並んで低いと言われています。

水町

市場がうまく機能していないのは、正社員を内部労働市場に抱え込みすぎたためではないでしょうか。正社員の賃金は内部労働市場で決まり、それ以外のパート等の賃金は外部労働市場で決めるという慣行のもとで、いくら外部労働市場の賃金を10円、20円上げたとしても、内部労働市場との格差は埋まらない。根本的にどこに問題があるかというと、やはり正社員の内部労働市場の閉鎖性・画一性に問題があり、これをどう再構成していくかが重要だと思います。

大内

だから、正社員の賃金をもう少し弾力化させて、場合によってはもっと下げるべきであるという議論もあるわけでしょう。

水町

安易・単純に正社員の賃金を下げるという方向ではなくて、正社員の雇用形態も多様化してきているので、多様化している雇用形態の中で、いわゆるパートと言われている人たちも、その多様な、複線的な雇用管理の上に乗せて、均等待遇、平等な処遇を実現していくという方向に進めていくことが重要だと私は思います。

大内

仮にそれがありうべき筋だとしても、それを法で強制していいのだろうか。

唐津

ただ、疑似パート問題もある。これは完全に社会的な不正義です。単に正社員と同等に扱いなさいというだけでは、これは克服できない。私は、労働者が選択できるよう、いろいろな雇用形態があっていいと思うんです。ただ、今のパートタイム労働者の問題は、単に選択肢の問題ではない。疑似パートというのは、パート問題を凝縮しているような気がしている。だから、立法政策的な介入は、何か必要ではないかと思います。それが何であるかというのは大議論なのですが。

大内

何かやってもいいと思いますけれども、賃金の決定に法律が介入するというのには抵抗があるのです。最低賃金法で十分ではないのか。賃金は契約で決めるべきものだという先入観が強すぎるのかもしれませんが。

水町

男女差別では法的に介入しています。さらに、アメリカでは年齢差別で介入し、ヨーロッパでは労働時間差別や契約時間差別で介入している。日本ではなぜ介入できないのかという話にもなりますね。