2002年 学界展望
労働法理論の現在─1999~2001年の業績を通じて(6ページ目)


3. 労働市場法

紹介

諏訪康雄「キャリア権の構想をめぐる一考察」

大内

次に、諏訪康雄「キャリア権の構想をめぐる一考察」(以下、諏訪論文(JIL)と略)を紹介いたします。本論文は、雇用政策と労働法の理念として、キャリア権を提唱した非常に独創的なものです。周知のように、諏訪先生は菅野和夫教授との共著の「労働市場の変化と労働法の課題」(日本労働研究雑誌418号、以下、菅野・諏訪論文(JIL)と略)で、労働法を市場経済のサブシステムの一つとして位置づける新たな視点を打ち立て、最近では、諏訪康雄「労働市場法の理念と体系」(『講座21世紀の労働法 第2巻 労働市場の機構とルール』。以下、諏訪論文(講座)と略)で、労働市場法を労働法の中での主要分野へと体系的に位置づける重要な貢献をされています。そして、「キャリア権」は、諏訪教授の労働市場法論の中の一つのキーコンセプトとなっています。

それでは、「キャリア権」とはどういうものなのか。諏訪教授はこれを「理念としてのキャリア権」と、「基準としてのキャリア権」に分けて論じています。雇用政策の「理念としてのキャリア権」については、「キャリアは財産」というスローガンを立て、これを「職務は財産」、「雇用は財産」という過去のスローガンの核心を引き継ぎながらも、外部労働市場の比重が高まる現状にあわせてアレンジしたものであると位置づけます。

そして、この「キャリア権」を、労働権、職業選択の自由、自己実現の権利といった憲法上の規範と関連性を有するものとして、法的に根拠づけています。他方、「基準としてのキャリア権」に関しては、個別の雇用管理においてキャリア決定が組織決定型から個人決定型に移行することを予想し、そのようになると、雇用保障よりもキャリア保障が重要になると述べられます。また、具体的な解釈論においても、「キャリア権」は教育訓練、配置転換、出向、整理解雇などの人選基準、さらに就労請求権などにおいても新たな視点を提供するものと述べます。

この論文の評価ですが、まず、伝統的な労働法学においては、必ずしも労働市場法、あるいは雇用政策は重要な分野とは位置づけられてきませんでした。労働法の出発点を労働契約に求めると、それは採用から退職までの過程に重点が置かれ、採用前や退職後の問題は雇用政策の問題として法理論的検討の対象とほとんどされてこなかったわけです。これに対して、最近では雇用の流動化が進むなかで、採用前、退職後の外部労働市場の重要性が高まり、さらにそれが採用から退職までの内部労働市場の法理論にも影響を及ぼしています。諏訪教授の見解は、「キャリア権」という概念で外部労働市場については政策の理念を示し、内部労働市場における労働契約論などの新たな基準を示すという形で、労働市場全体を統一的にカバーしようとするものです。

このように「キャリア権」が、雇用流動化政策とマッチする単なる政策的な主張として提示されているわけではないという点は注目されます。本論文では憲法27条の「労働権」の規範的意味の検討をはじめとして、キャリア権を憲法の観点から規範的に根拠づけようとされています。立法政策の議論においては、経済学者と法学者が共同作業をすることが多いのですが、経済学者は、その学問の性質からかもしれませんが憲法論をせず、規範論にはほとんどコミットしないのに対して、諏訪教授の見解は法律家としてのオーソドックスな方法論に依拠しようとするものです。諏訪教授は立法政策にも深くかかわられ、実務に影響力が大きいことを考えると、このようなスタンスは貴重であると思います。

もちろん、このような諏訪教授の理論志向には、労働法学において強い反対もあります。ここでは、諏訪教授の議論に真っ向から反論を加えている脇田滋教授の見解を取り上げてみたいと思います(脇田滋「雇用・労働分野における規制緩和推進論とその検討」、萬井隆令・脇田滋・伍賀一道編『規制緩和と労働者・労働法制』)。脇田教授は、「労働市場法論」の持つ市場重視の議論に反対をするわけですが、とりわけ諏訪教授の「キャリア権」構想については、使用者の雇用責任を後退させ、解雇の自由へ大きく道を開くものであると批判し、さらに雇用流動化を推進するなかで必要となる雇用保険などのセーフティーネットに関しては十分な目配りをしていないという点も批判をします。

また、脇田教授は、労働市場法論全般についても、そこに見られる個人としての労働者を重視する傾向について、これを労働者の現実を無視していると批判します。脇田教授は、派遣労働者をはじめとする非典型労働者の保護に目を向けてきた研究者であり、強い自立した労働者像というものは虚構であると強く批判するわけです。また、外部労働市場における労働者の連帯に目を向けていない点、同一労働同一賃金の原則を否定するため、労働市場の二重構造を放置することになるという点などを指摘して批判を行っています。

ただ、「キャリア権」の問題に絞れば、諏訪教授の見解が解雇の自由への道を大きく開くという批判はあまり的を射ていないのではないかと思われます。なぜならば、諏訪教授は、雇用流動化を前提に、そこで求められるものとして「キャリア権」を提唱しているというに過ぎず、実は解雇の自由をどこまで認めるべきかということについては、具体的な見解を示されていないと思うからです。そして、この雇用流動化という前提については、むしろ諏訪教授の予測のように事態が進むと考えざるをえないわけで、「キャリア権」構想はそういう雇用流動化が進むであろう状況を前提に、使用者に対して雇用保障責任にかわるキャリア保障責任のようなものを課す、そういう議論ではないのかと思うわけです。したがって、諏訪論文では、キャリア保障を重視して、その限りでは雇用保障が後退するということは認められるのですが、積極的に雇用保障を軽視していくという議論ではないのではないかと、私には思えました。

他方、諏訪教授をはじめとする労働市場法論がやや雇用流動化の面に傾斜した議論をしている点も事実です。セーフティーネット論や企業横断的な労働者代表の議論を軽視しているような印象を与えているのも事実でありまして、その点では脇田教授の指摘には賛成できるところがあります。

いずれにせよ、雇用の安定を軸として内部労働市場の規制に著しく大きなウエートを置いてきた労働法は、外部労働市場を視野に入れたものへと改革しなければならないと思われます。それにより、雇用政策面だけでなく、解雇論も含めた労働契約論も大きな発想の転換が必要となるだろうと思います。キャリア権は、このような新たな議論への目を開かせる刺激的な概念であると思われました。

討論

キャリア権構想の広がり

私も、諏訪論文は、非常に斬新な発想で感心しました。ただ、脇田論文の批判にも、もっともなところがあると思います。この「キャリア権」の論文ではあまりはっきりとはしていませんが、諏訪論文(講座)を見ると、「キャリア権」が、いうなれば労働市場法論全体、さらには労働法全体を支配するような基礎理念として位置づけられています(講座第3巻14頁)。「キャリア権」こそが労働法全体の新たなパラダイムだというわけです。しかし、果たしてそこまで「キャリア権」を広げていいのかどうか、かえって「キャリア権」の持つ意味があいまいになるのではないかという気もします。

もう一つは、労働市場法論と、従来の雇用保障法の関係です。諏訪さんは、雇用保障法を全部、この労働市場法の中に組み込もうと考えておられるようです。しかし、従来の雇用保障法には、単一の理念というよりは、複合的な理念がかかわっていたと思います。一般の労働者についての雇用保障や適職選択権という面もあれば、障害者や女性、高齢者の雇用促進など、さまざまな要素が入っていたはずです。「キャリア権」という、いわば職業的な概念を中心にしてしまうと、そういうさまざまな理念が捨象される危険はないのかという疑問もあります。

大内

なるほど。それは、脇田教授の指摘する強い自立した労働者のみを対象にしているという点ですね。

そうです。たしかに、特定の範囲の労働者には、ぴったり当てはまる。むしろ、従来の労働法は、そういった範囲の労働者を無視してきたと言ってもいい。諏訪論文がそこに焦点を当てて、「キャリア権」という新たな理念に基づいて鮮やかにそれを組み立てたのは、卓見だと思います。

唐津

私も、さすが諏訪先生の論文という感じがしました。ただ、気になったのは、盛先生も指摘された、労働法全体を支配する法理念という形での「キャリア権」のとらえ方です。菅野・諏訪論文(JIL)は、労働法を交渉力の劣る労働者のためのサポートシステムと位置づけられましたが、この諏訪論文は、それを規範的に体系化したものと理解することができるのでしょう。ここでは、憲法13条の個人の主体性と幸福追求権、22条1項の職業選択の自由、25条1項の生存権、26条の教育権・学習権、27条1項の勤労権を組み合わせて、労働法を基礎づける社会権のグランドデザインを壮大に組み替えるスケールの大きな議論がされています。

でも、今までの、例えば労働契約関係における個人の自由意思の問題や、個別労使間で労働契約を起点にして権利体系を組み立ててきた労働法と、この「キャリア権」構想とでは、何か違和感がある。それが実際にどこまで説得力を持っているのか。つまり、キャリアといえば、むしろ転職というイメージが連動する。そうすると、雇用の流動化を推し進める論理だと、脇田論文にあるように反発が出てくるでしょう。

大内

「キャリア権」構想は正しい方向なのでしょうか。

唐津

そこで失われるものもあるでしょうね。

大内

それがよくわからない。内部労働市場や契約論にまで具体的な議論が波及して初めて、この議論のほんとうのインパクトの大きさが明らかになるかもしれません。

唐津

解雇についてはたしかに何も言われてませんね。

大内

どちらかというと解雇規制の緩和の主張のほうへと傾いているのかなとは思いますが、脇田先生の批判のように諏訪説が解雇の自由へ大きく道を開く、というのは言いすぎだと思います。

唐津

諏訪先生は、人が働くということ(労働生活)をトータルにとらえて、このようなことは今までの労働法が想定してこなかったことだという気はしますが、労働法というものを労働市場も含めたうえでの大きなライフサポートシステムとして考えておられるのでしょうね。

水町

私も、各先生方が言われたように、非常に壮大なテーマで、これまでの労働法のあり方を、違った観点から見直さなければいけないという、大きな問題提起だと思いました。脇田論文との関係でも言われている、交渉力の劣る労働者が存在して、これに対するサポートをしなければならないという点については、昔から量的な変化はあるとしても、質的にはまだ根本的な問題として解消されてはいないと思います。ただ、交渉力のサポートの仕方として、雇用保障以外の方法もありえますし、ここで出されているようなキャリア保障という方法もあると思います。いろいろな制度的なサポートの仕方がありえますので、その問題提起としては非常に重要な視点を提供したものだと思いました。

ただ、雇用保障から一気にキャリア保障に行って、キャリア保障が労働法の中核概念になるという点については、若干懸念もあります。今後おそらく相対的には専門能力型のキャリアで、企業を移動しながらでも養成されるような技能が増えていくと思いますが、同時に、長期雇用の中で養成されていくような長期熟練型の技能もやはり残ると思います。そこの部分ではやはり雇用保障が重要になる。そういう相対的な問題なので、多様な社会の実態を考慮しながら、それを受け入れられるような柔軟な制度枠組みをどうつくっていくのかが重要だと私は思います。

大内

だから、キャリアの保障は、別に雇用保障と対立するものではない。キャリアの内容によっては雇用保障の下でのほうがちゃんと育成されていくということですね。

ある意味では、キャリアにふさわしい雇用保障ということも必要なことでしょう。