2001年 学界展望
労働調査研究の現在─1998年~2000年の業績を通じて(10ページ目)


9. 労働研究の品質向上を目指して─結びに代えて

小池和男『聞きとりの作法』

柴田

小池和男先生はこの『聞きとりの作法』(東洋経済新報社、2000)のなかで、数量分析はもちろん重要だが、例えば技能など、聞きとり調査でしかできないテーマがある。そして、聞きとり調査は仮説の発見に有効だと言っておられます。この本は、聞きとり調査の準備段階、実施段階、それから調査後の段階にわたって、それぞれ非常に親切なアドバイスを与えています。準備段階では、小池先生ご自身が書かれた調査依頼の手紙を示しながら、どのような手紙を調査先に書くべきか、どのような機関から調査資金が得られるかを紹介しておられます。また、有価証券報告書や技術書を用いての事前勉強と、仮説設定の重要性を指摘しています。調査の実施段階においては、相手企業が聞きとりのコストを払っていることを忘れず、インタビューは2回程度、1回1時間半から2時間以内にするべきであること、また、聞きとりは職場のキーパーソンにすべきであり、その相手とは議論をしてはいけないと言っておられます。他にも多くの貴重な助言があるのですが、私はこれほど懇切丁寧な聞きとり調査の指南書は、海外にもあまりないのではないかと思います。その意味で、とてもありがたい本なのですが、同時にここまでやらないと有効な聞きとり調査としては認められないとも読めるわけでして、極めて親切な、しかしある意味では同時に極めて厳しい本であるといました。

松村

私も、なるほどと納得できる部分が、テクニカルな問題も含め非常に多くありました。例えば聞きとりの際にたくさんの人から聞いては失敗に終わるだろうということですが、私自身もかつてフランスで、こちらは1人なのに、相手側が5名ぐらいで、インタビューそのものが全くうまくいかなかったという経験があります。それ以外にも数多くうなずけるところがありました。

それから、これは柴田さんも言われましたが、相手はコストを払っているという点も非常によくわかる。しかも、これは小池先生も言われていたと思いますが、必ずしもインタビューそのものは相手にとって役に立つかどうかはわからないと。もちろん、事例紹介が会社への評価を高めるという形で跳ね返ってくることがあり得るかもしれないけれども、ほとんど役に立たない可能性もある。そういう意昧でのコストに対する指摘には非常に納得できました。

では、どうすれば協力してもらえるのかという点ですが、小池先生の場合、あらかじめ準備をしておく、勉強しておく、そのことが的を射た質問にも結びつくだろうということを言われています。この点も非常によくわかる話で、私も一度フランスでの調査で、あなたは非常によくわれわれの人事制度について理解していると褒められたことがあります。そのためかどうかわかりませんが、多くの資料を受け取ることができた経験があります。私の経験から見ても、非常に納得できる話でした。

ただ、最後の書かれている調査報告書の草稿の確認は外国の場合には必ずしもうまくいくかどうかわからないという気はしますが……。

柴田

日本での調査の場合、私も草稿は確認してもらいますが、アメリカでは最終的なアウトプットだけ送ってくれと言われたことが多かったですね。

松村

私も調査相手によっては、むしろ迷惑である、読む暇もない、忙しいというふうに断わられた場合がかつてありました。

良質な聞きとり調査を実現するために

守島

小池先生の最初のポイントは、聞きとり調査しかできない(優位な)テーマがあるということでしたよね。仮説づくり(発見)に有利であると─。つまり、労働研究の品質向上に対して、聞きとりという方法は非常に有効であるということを言った上で、こうしなさいとアドバイスされておられるわけです。では、もし小池先生が言われるように、聞きとり調査が研究の品質向上に貢献するのだとすれば、何でもっとたくさんの、聞きとりをベースにした良質の研究が出てこないのか。それは、聞きとりの作法が悪いのか、それとも、聞きとりという方法自体が一般的に活用しにくいからなのか。もちろん、数量的調査についても、佐藤・石田・池田編『社会調査の公開データ』のように、2次分析などを通じて、もっとデータ分析の質を確かめていくという議論も起こってきています。

柴田

聞きとり調査は相手との信頼関係に基づき、かなり長期にしかも深く行わないと、価値あるものにはならない。しかし、それはなかなか難しく、浅い聞きとり調査で終わってしまうことが多いのかもしれません。

守島

確かに、みんながみんな小池先生みたいな非常に丁寧な聞きとりをすぐにできるようになるとは思いません。では、ある意味では下手でも下手なりにやっていったほうがいいのか、それとも、ここまでやれないならやらないほうがいいのか。

柴田

結局、多くの聞きとり調査を行いながら、スキルアップをしていくということでしょうね。

守島

いずれにしても、日本の大学院教育の中で聞きとり調査がはっきりと方法論的に位置づけられてはいませんね。これから、例えばこの本を教材にして、聞きとりの方法論を位置づけていく作業は必要でしょう。

労働調査研究の品質向上のために:[1]五つのステップ

柴田

私は今回のレビュー作業をしながら、労働調査研究の品質向上のためには、次の五つのことを心がけるべきではないかと改めて思いました。守島さんや松村さんはじめ、多くの研究者の方々にとっては当たり前のことでしょうが、私自身はできておらず、反省も込めてということです。第1に、既存研究のレビュー、そしてそれを含む十分な事前準備です。私も最近増えつつある社会人大学院生のひとりでしたが、企業経験のある院生や研究者は、ある意味で企業における問題を実によく知っており敏感で、比較的、調査テーマも見つけやすい。しかし、調査結果に対して、あたかも自分が初めて発見したかのような錯覚に陥りがちです。そうならないためにも、また後で述べるoriginalityの高い調査研究を行うためにも、既存研究のきちんとしたレビューが必要だと思います。第2に、小池和男先生が強調される仮説の設定と、同時にその仮説にとわれ過ぎないこと。第3に、英語でいうとoriginalitycausal argument、そしてevidenceの重視。第4に、国際比較。アメリカはオープンだとよくいわれますが、1990年代前半、私は工場調査を拒否されたことがありました。国際比較は面倒で難しいものではありますが、普遍性と特殊性を考えるうえでも不可欠ですね。第5に、私は企業に長くおりましたので強調したいのですが、調査結果の企業へのフィードバックです。企業で働く人というのは、オフィスで働く大卒ホワイトカラーに限らず工場の生産職場で働く人たちも、非常に知的レベルが高く好奇心が旺盛だと思います。しかし、我々研究者にとっては当たり前のことを、企業の人たちが意外に知らないこともある。そして、よく知らないまま海外に進出し、現地で戸惑ったりします。先ほどの、調査にあたって企業はコストを払っているということに関連しますが、やはり我々は調査結果を企業の人たちにわかる言葉できちんと報告すべきではないかと思います。私がアメリカの工場で調査をした後には必ず、工場の人たちの前で報告を求められ、実に多くの鋭い質問を受けました。これもひとつのよい方法ではないかと思いました。調査結果を企業ヘフィードバックし意見のやりとりをすることは、労働調査研究の一層の品質向上にも役立つと思います。

労働調査研究の品質向上のために:[2]国際比較の重要性と研究成果のフィードバック

松村

今、柴田さんが言われた国際比較の重要性は、私も認識しているつもりです。むしろ私はフランス研究から仕事を始めて、その後、日本での調査をやるという経験をしました。これは国による違いがあるかもしれませんが、国際比較をやる場合に日本よりやりやすい面と、日本より難しい面と両方あるのではないかと思っています。もちろん言葉の障壁も関係しますが、何か国際比較をスムーズに進める方法をもう少し勉強できればと常に考えています。

また、企業へのフィードバックですが、この点ではかつてフランスの企業に調査を依頼した際、われわれを調査するんだったら、われわれにもあなたが日本でやってきた研究について教えてくれと、逆に提案をされたことがあります。実際、私もOHPを使い、ヒアリングを時々中断しながら、いろいろ説明したことがありました。調査先企業にとって、必ずしもそれが希望しているものとは限らない、かえって迷惑であるということもあるだろうと思います。聞きたいことだけ聞いて帰ってもらいたいという場合もあるでしょうし、原稿を読むだけの時間もないという場合もある。だから、必ずしも一概に言えないのですが、相互のギブ・アンド・テイクの関係が実現できるということは、重要ではないかという感じがします。

労働調査研究の品質向上のために:[3]自己の問題関心に忠実に

守島

僕は、日本と外国とを比較した場合、やはり調査研究がどういうコンテクストで起こってくるかで大きく違うような気がします。今回レビューした調査研究の中でも、政策担当者や企業、労働組合が考えたテーマや問題に関する調査依頼に基づいてなされた研究が多いように思いました。そういう調査は、期間も限られており、また依頼された人がその専門家ではない場合もあって、過去の研究のレビューがおろそかにされてしまうことが多いのではないでしょうか。

労働調査の品質向上のためには、われわれ一人ひとり自分にとってほんとうに重要なテーマ、理論的にも、実証的にも重要なテーマを常に追いかけて、丁寧に研究を続けていくことが大切ではないかと思います。研究テーマが時代の要請から生み出されてしまう今日であるだけに、その時々の話題ではなく、自己の問題関心を長期にわたって探究することで、理論的にも耐えられる丁寧な研究が出てくることを望みたいですね。

そのためには、日本の学者の働き方の問題や、今日議論したような調査研究がどういう機会で生起しているのかについても注意をはらい、つねに問題の立て方を組み直していかないければいけないのではないか、という気もいたしました。

今日は長時間、どうもありがとうございました。

この座談会は2000年11月29日、東京で行われた。