2001年 学界展望
労働調査研究の現在─1998年~2000年の業績を通じて(5ページ目)


4. 労働組合─未組織化と組織化

論文紹介(松村)

松村

ここでは第1に、労働組合と人事評価、すなわち労働組合の人事評価へのかかわりという点、第2に中小企業の組織化、第3に未組織企業における労使関係、以上の3点について報告いたします。

大原社会問題研究所『人事評価と労働組合』

まず、大原社会問題研究所(2000)は、労働組合の既存の人事評価への対応だけでなく、制度の導入あるいは改定に組合がどう対応したのか調べています。既存の調査は、どちらかというと現在の制度への対応を議論の中心にしてきましたが、本調査は導入時の対応を問題にしています。

調査者の状況認識は、労働組合は伝統的に平等主義の立場から、仲間同士の競争を避けることで団結を強めて、メンバーの利益を守り、労働条件の向上に努めてきた。しかし、能力主義、成果主義の進展の中で労働組合も人事考課を容認し、積極的に関与せざるを得ない状況が生まれている、というものです。競争を激化させる考課と団結の視点との矛盾を組合がいかに受けとめ、いかに対応しているのかを、大都市圏の組合員300人以上の単位組合2080組合へのアンケートと、いくつかの企業へのヒアリング(労使双方)を通じて明らかにしようとしています。アンケートヘの回答605組合、回収率29.1%でした。

調査結果を見ると、まず8割以上の企業で賃金・人事制度の「変更が行われた」、あるいは「行われて」おり、変更を「労使一体となって行った」と「会社主導で組合も協力して行った」が合わせて64%あり、労使が協調して賃金・人事制度の変更を実施していることがわかります。また、この調査ではこれまであまり対象とされなかった全労連系の組合も調査しており、「制度の変更が行われた」、あるいは「行われて」いる企業は4割にとどまっています。9割の組合が変更に反対したと答えており、連合系組合の対応とは対照的です。つまり、反対する組合があると制度改革は行いにくい、あるいは遅れるということを意味しているかと思われます。

人事考課そのものへの評価については、7割を超える組合が、「人事考課は個人の能力を評価し、処遇に反映させるために望ましい」という肯定的な見解を示していて、「客観性に欠ける」「管理を強める手段である」といった批判的見解を上回っており、この点は、例えば評価制度に関する三和総研(1996)でも、同様に非常に多くの組合が、制度に対して肯定的に評価していたと思います。ただし、多くの組合は、肯定と同時に、「昇給や昇進の最低保障をする必要がある」と考えていて(6割)、調査者はここに組合としての平等主義的エートスが依然示されているという評価を与えています。人事考課への取り組みでは、60%以上の組合が「制度の公正さと納得性」および「運用面での公正さ」の確保に取り組んでおり、「結果の個人へのフィードバック」「考課者訓練の徹底」も重視していると述べています。

労働組合は人事査定制度導入にどのように対応したのか、という似たような問題関心から行われた歴史研究に、岩田憲治「査定と労働組合─査定を受け入れたA社労働組合の事例」(『日本労働研究雑誌』No.470、1999)があり、これは査定を受け入れた組合の事例研究です。

労働組合が比較的高い割合で人事考課を評価しているという点は、ほかの調査でも大体共通していると思いますが、組合としていかなる能力を積極的に評価するのかは討論のポイントではないかと思います。例えば格差の幅の規制や、最低保障はすでに議論されていますが、労働組合にとっていったいどういう能力が重要なのかという議論が必要でしょう。

東京都立労働研究所『労働組合の結成及び活動と地域組織』

都労研(1998)は、金子和夫さんや佐藤博樹さんたちが行ったものです。中小企業では組合組織率は低く、新設労働組合の減少傾向が進んでいるとともに、中小企業組合にリーダーがいないなどのさまざまな制約が存在します。この調査は中小企業での組合結成時や日常活動において、活動を支えている条件を明らかにしようとしたもので、特に、産別の上部団体や地域組織との関係に注目しています。アンケート分析の対象は、70年以降に結成された東京の中小企業の組合で、結成時に企業内にほかの組合がなかったところ(187組合、従業員規模1000人未満、組合員数6名以上)です。さらに、上部団体等の地域組織(回答70組合)にもアンケート調査を行っています。

労組の結成の直接の契機ですが、これは労働条件、経営体質への従業員の不満という内発的契機が、まず第一に指摘されています。外部からの働きかけがそれに加えて重要ですが、内発的な契機が必ず存在しています。組織化の担い手としては、正社員層が多く、過去に存在した組合の職場委員、役員経験者が含まれている場合も多い。内発的要因から組合結成にいたる事例が多いわけですが、結成過程で外部からの支援を受けた組合が7割もある。その支援を受けた組織は外部の組合が90%と最も多いわけですが、それ以外にも労政事務所のような行政機関も関与することがあります(20%)。

組合結成過程の最大の課題は、一般従業員層の中での支持の拡大ですが、監督者や管理者層からも支持を得られたほうが、結成時の組織率は高くなることが確認できます。実際、監督者、管理者層が結成の主体になる場合も多いわけで、そこでの支持率が重要になっている。また、既に親睦組織や労使協議制など何らかの従業員組織がある場合には、ない場合に比べて組合が結成される確率は低いということです。

なお、結成後については外部の組合組織に加入する組合が増える傾向にあり、活動に関する相談、指導といったさまざまなサービスを受けるようになります。

他方、上部団体の地域組織に関する調査によれば、過去5年間に組織化した労働組合は1地域組合当たり平均7.3組合、組合員数の合計の平均は470人余りです。

ここで議論したい問題は、組合の結成における上部組織の役割とは、もう少し具体的にどういうことなのか、それから、結成の際に主体になることも多い監督者、管理者などの職層の支持が得られる条件とは、何かということです。

なお、組織化に関連するものとして、小川浩一「日本における外国人労働者の組織化(上・下)」(『労働法律旬報』No.1481、N0.1483)が、神奈川シティユニオンという組合のケーススタディーとして、そこでのアジア系労働者の組織化を問題にしています。組織化の研究としてはやや特殊な事例かもしれませんが、組織化の領域として将来的に重要になると思われます。この調査では持続的で、しかし代行主義的ではない労働運動はどうすれば可能なのかということを問題にしています。外国人の場合には、どうしても労災や解雇にからんで補償をとることが課題になりますが、補償の問題が解決すると、組合をやめていってしまうことが多い。組合員を抱えるような運動がどうすれば可能かを問題にしています。

守島基博「未組織企業の労使関係」

そして三つ目のテーマである未組織企業の労使関係については、守島(1999b)を取り上げます。これも非常に興味深い論文ですが、まず、組合未組織企業の増加に伴い、従業員組織や労使協議制のような非組合発言機構が従業員の発言力に対して与える効果が問題になると指摘しています。本論文は従業員側の発言の程度についての意識をデータとして、非組合発言機構と従業員の発言力がどのように関連するのかを考察していますが、その際、最近の非管理職を含めた全従業員への処遇の個別的決定の傾向を踏まえ、労使関係を従来からの「集団的労使関係」と、新たな広がりを見せている「個別的労使関係」の二つに区別して、分析を行っております。分析は、三菱総合研究所が行った調査(1995年)のデータを再分析しています。企業169社(回収率10.4%)、従業員1804名(回収率不明)について行われています。

推定の結果ですが、集団的労使関係では、がある企業の従業員が最も高い発言力を持っており、個別的労使関係では、非組合発言機構のある企業の従業員のほうが高い発言力を持っているという結果が出ています。この結果をどう解釈するのかが問題なわけですが、その点について、守島さんはいくつかの解釈をされています。例えば労使協議と個人面談がセットで制度化されてきており、それが個別的労使関係での効果として出ているのではないか。あるいは、組合以外の方法による労使コミュニケーションを追求する経営者が増えているのかもしれない。

守島(1999b)に関連して関西経営者協会が1999年に『労働組合のない企業の労使関係』という調査を行っており、これも非常に興味深い結果を引き出しています。例えば労働組合がない企業について、組合がなぜ消滅したのかということについても調査しています。

組織消滅の一番大きな原因として挙げられているのは、中心になる活動家の脱退や退職であって、その辺の指摘が興味ぶかい。また、経営側に対するアンケート結果をみますと、経営者の9割は、デメリットもあるにせよ組合なしを希望するという答えです。その理由としては、横断的なつながりを持った組合に関与されることに対する危機感を指摘している。この回答は、先ほどの組合以外の方法による労使コミュニケーションの追求とも符合するような気もします。

討論

未組織労働者とVoice

柴田

守島(1999b)での、「集団的労使関係では労働組合のある企業の従業員が最も高い発言力をもっているが、個別的労使関係では非組合発言機構のある企業の従業員の方が高い発言力をもっている」というご指摘ですが、これは「協調的な労使関係は維持するものの、組合を通じて不平・不満を言われるのは困る、むしろ直接言ってほしい」という、組合のある企業での経営側の主張に通じるものでしょうか。

守島

そうだと思います。もう一つの解釈として、先ほど松村さんが言われた、集団的労使関係の有無に関係しますが、個別的な問題に関して従業員の意見を、ユニオン以外のさまざまなメカニズムを通じて吸い上げるタイプの企業が出てきたということもあるのでしょう。この種の企業は一時期アメリカで議論されたユニオン回避企業として、位置づけることができるのかもしれません。コミュニケーションメカニズムをつくっておいて、従業員の意見を吸い上げ、労働組合が結成されないようにするか、できたとしても非常に協調的な労働組合にしておこうとするわけです。

従業員組織とユニオン回避

柴田

松村さん、都労研(1998)の報告で、「すでに何らかの従業員組織がある企業では、組合が結成される確率が低い」とあるのは、組合結成の必要がないから、という理由でしょうか。

松村

組合に代わる発言機構は、組合に比べればやはり発言力は弱いのかもしれませんが、これが存在することで従業員も一定の満足はしているでしょうし、経営側も、むしろそのほうが望ましいと考えているからでしょう。

柴田

従業員組織そのものが、組合に取って代わるように充実してきた、あるいは質的に変わってきたということは言えるのでしょうか。

守島

少なくとも企業側の意図としてはそういうこともあるのかもしれません。また、従業員側にそれが受け入れられているということもあると思っています。都労研(1998)の中でのべられており、日本労働研究機構の労働組合の結成に関する中間報告書にも出てきますが、企業側が一番恐れているのは、外部の労働組合の介入です。逆に言えば、親睦組織や、労使協議制、従業員組織は、外部とつながる可能性が極めて少なく、どんなにそれを活用して情報を吸い上げ、従業員とネゴシエーションしても、外部からの介入がないので許容するという経営者はいます。

アメリカのユニオン回避は必ずしもそうではなく、ほんとうに対立的な労使関係を避ける意図もあったと思いますが、日本の場合、各種の調査を見ていて思うのは、とにかく外部や上部団体の介入を避けたいがために、ユニオン回避をやるという傾向です。しかしながら、何らかの従業員側のニーズをくみ上げるメカニズムは必要で、そこにさまざまな方法を用意するような企業が、少しずつ出てきたわけです。

今、柴田さんが言われた、従業員組織がある場合新規の組合結成率が低いというのは、少し前に中村圭介さんたちが、組合が結成される確率が低くなるから、従業員組織を法制化すべきでないという立論をしていましたが、ある意味でそうした立場を支持する結果になっていますね。

マネジメントの権利と労働組合の権利

守島

あと、私がうかがいたかったのは、大原社会問題研究所(2000)で出ていた、能力のコンテンツについて労働組合がどう発言するかをもう少し考えるべきではないかという点です。非常におもしろい論点だと思うと同時に、非常にファンダメンタルな問題のような気がしています。どこまでがマネジメントの権利でどこからが労働組合の権利なのかという議論と関連してくるのではないか。つまり、きわめて経営寄りの考え方からすれば、職務能力をどう評価するかは、マネジメントの権利であって、労働組合に口を挟まれたくないというのも、話としてはあり得ます。そうすると、それに対する反論は、どういう形で提示されるのでしょうか。

松村

私は、やはり労働組合が職務能力の中身を考えるということは難しく、いろいろ考えてやってみても、結局うまくいかない可能性があるんじゃないかと思っているんです。それはおそらくマネジメントの領域の話であって、むしろ、組合としては、経営側が考えたものに関してあいまいなところを明確にしていくといった形での関与の仕方のほうがうまくいく可能性が高いように思えます。ですから、石田(1998)で問題提起したように、職務能力をどう考えるのかについて、組合も議論すべきではないかとは思っています。

守島

次の「5.知的熟練論の精緻化」とも関連しますが、労働組合は機会の平等(イコール・オポチュニティ)が原則ですよね。その場合、企業側は、能力のコンテンツには物を言わないけれども、この能力が重要と考えるのであれば、その能力を磨く機会はイコールに与えられるようサポートするのが原則だと考えていたのではないでしょうか。他方で、日本の労働組合も、ある重要な能力が必要なときに、その習得機会を特定の少数が占有するのではなく、みんなに平等に機会が提供されるようにするようサポートをしてきたのかどうか。

柴田

最近の調査によれば、生産職場でのローテーションや技能形成は、決して平等ではなく、職長の強い権限のもとに行われ、将来中核になる人には前後の関連する職場の仕事や保全などを経験させていることが明らかになっています。労働組合も、平等なローテーションや技能形成を強く主張してこなかったようです。

守島

日本の労働組合は査定を受け入れてきたと、これはきわめてマネジリアルだ、という議論がありますが、実際は、それよりもさらにマネジリアルであったということでしょうか。

柴田

ただ、「1.評価・処遇」のところでとりあげた連合総研(1999a)によると、組合は最近の人事制度改革において「能力開発機会の平等化」策を支持していますね。

守島

石田(1998)で言われている仕事の個別化に労働組合がもっと関与しなくてはいけないという議論というのは、今のような問題意識、つまり仕事の与え方においても、ある程度公正さや平等さがないといけないという議論ではないんですね。

松村

その議論とはかかわるとは思いますが、むしろ、個別化という話からいうと、例えば仕事を選ぶことに関してもっと自由を与えるとか、このポストは気に入らないから別のポストを選ぶ選択の幅を認めてもらいたいという議論はしていますね。

柴田

それは社内人材公募制のようなことも念頭においてということですか。

松村

それもあります。

守島

日本の労働組合は、マネジメントの権利との境界をどこに引くのでしょうか。たしかに、過程の公平性は重視している。イコール・オポチュニティが原則というのもわかる。ただ、現場での仕事の割り振り、石田(1998)で言うところの仕事の個別化などについては、やはりあまり発言していないわけですよね。そうすると結局、アウトプットとしての処遇の部分ではぎりぎり公平性を確保しても、インプットの部分、つまり能力形成の部分では公平性を確保しているのかどうか。

松村

仕事の配分、例えば、部門ごとにどう目標が割り振られるか、職場にどう割り振られるか、さらにそれが個人にどう割り振られるか、これについては労働組合が発言をしてこなかったということが、一番の問題関心ではないかと思います。あるいは、賃金個別化に関する配慮については、発言してきたかもしれないけれども、仕事の配分に関しては、必ずしもやってこなかったのではないか。それは、残業など全部がかわってくる問題だと思うのです。

仕事の配分のルール形成と労働組合

守島

一つだけお聞きしたいのですが、アメリカの現場のいわゆるワーカーインボルブメントは、誰がどの仕事を担当するといった、仕事の配分まで発言していないのでしょうか。

柴田

ソシオ・テクニカル・システムに基づく自律的チームでは、チームメンバー自らが職場でのローテーションなどを決めるという動きがありましたね。ただし、そうした意思決定への参加が進むと、経営側にとってチームシステムは組合よりも脅威になるかもしれないと、H. Katz先生はShifting Gears(1985)で早い段階から指摘していました。実際に、1990年代前半に私が調査したアメリカの工場での自律的チームは、90年代後半以降、廃止されたり参加度合いの低いチームに変わっています。

守島

アメリカの場合、いわゆる日本的なシステムを導入しはじめたときは、現場にかなり仕事の配分に関する発言を許していたように思います。逆に日本の場合、労働組合がかかわるか、現場がかかわるかは別の問題として、だれがどの仕事をやるか、どういうルールで決まってくるかといった、仕事の配分に対する発言はあまり注目されてこなかったように思います。

柴田

アメリカのチームシステムについて少し補足すると、アメリカの生産職場では、もともとブルーカラーの職場の意思決定への参加の程度は日本より低かったと思います。そこへ日本では見られないほどの多くの権限を一気にチームに与えた。これは私のように企業経験がある者からするとまさに驚きでした。しかし、結局行き過ぎとわかり、撤退し修正したということでしょう。

守島さんの言われた組合の生産職場へのかかわりについていえば、アメリカの組合はいまも残る労使対立の中で、積極的かどうかは別にして、職場の制度にかかわり、不平・不満も吸い上げてきたのではないでしょうか。アメリカほどの問題や不満がないと言ってしまえばそれまでですが、多くの日本の組合はアメリカの組合のようには職場に入り込まなかったのかもしれません。