2001年 学界展望
労働調査研究の現在─1998年~2000年の業績を通じて(6ページ目)


5. 知的熟練論の精緻化

(1)ブルーカラーの技能形成

論文紹介(柴田)

柴田

今回のレビュー対象期間前ですが、村松久良光「量産職場における知的熟練と統合・分離の傾向」(『日本労働研究雑誌』No.434、1996年)では、大企業の機械加工職場では統合技能、大企業・中企業のプレス加工職場では部分的統合技能、そして中小企業の機械加工職場では分離技能が見いだされると指摘しています。

石田光男ほか『日本のリーン生産方式』

石田ほか(1997)は、日本の自動車産業の生産性と職場組織の関係、とくに職場における統制と刺激の仕組みを明らかにしようとしたもので、1992年から94年にかけて、日本の二つの自動車企業でインタビューを実施しています。

この調査では、日本の自動車直接生産職場に自動化機械補助技能、単純組付技能、そして異常対処技能の三つのタイプの技能を見いだしています。自動化機械補助技能が中心の職場はボディ職場で、異常処理のほとんどは保全担当者が、簡単な異常処置は役職者が担当しています。決められた時間内に正確に作業する単純組付技能が中心の職場は、最終組立職場で、異常処置はリリーフマン・職長・保全の仕事であり、改善のできる高い技能の持ち主は3割程度です。異常対処技能が作業者の定常的業務に入っているのが、機械加工職場です。しかし、保全の領域に深く立ち入ってはいないことを示唆しています。この調査では、機械加工職場、最終組立職場、ボディ職場の順で高い技能(ここでは知的熟練とはいっていません)が要求されるとしています。

中部産業政策研究会『もの造りの技能とその形成』

中部産政研(2000)は、日本(中部地方)の自動車産業における生産職場の技能とその形成を明らかにしようとしています。1998年から99年にかけて、大企業から中規模企業にわたる、自動車の素材加工工程から最終組立までのほとんどの直接生産職場と保全職場の職長クラスを対象に、聞き取りとアンケートを実施しています。これは非常に大規模でしかも綿密な自動車生産職場の調査だといえます。

主なポイントは、つぎの八つだと思われます、第1に、自動車の生産職場では、知的熟練が効率に大きく貢献している。第2に、これはこの報告書ではなく、調査メンバーの中馬宏之先生が他のところでおっしゃっているのですが、技能の統合度が高い職場は、プラスチック成形、プレス、鍛造、金型であり、低い職場は塗装、電子部品組立、エンジン組立である。第3に、職場により異なるが、変化と異常にかなり対処できる知的熟練の持ち主は、直接生産労働者の約6割である。そのうち、職務設計の見直しなど、最も面倒な仕事ができる者は1割前後である。第4に、技能レベルの低い期間工が職場に占める割合は、せいぜい2割である。第5に、直接生産職場がすべてのトラブルに対応できるのではない。機械設備トラブルに対して、半分以上、半分、半分以下に対応できる直接生産職場が、それぞれ約3分の1である。第6に、職場のローテーションは自動的でも定期的でもなく、能力主義に基づく職長の強い権限による。第7に、保全職場から直接生産職場への仕事の移管が増える一方、機械設備の高度化により、保全職場への依存も増している。そして弟8に、ロボット化や情報技術が進むほど、ますます多くの人に、しかも高度に知的熟練は求められる。

Koike, Kazuo "NUMMI and Its Prototype Plant in Japan"

小池和男先生のこの調査(Koike(1998))は、ほぼ同じモデルの自動車を製造しているNUMMIとトヨタ高岡工場の技能形成の比較であり、1990年の両工場でのインタビューに基づいています。

結論はつぎの六つに要約されると思います。第1、入社3、4年までの短期勤続者を比較するとNUMMIのほうが、長期勤続者に関しては高岡工場の労働者のほうが、より幅広い仕事を経験している。第2、職場での変化に対しては、両工場の直接生産労働者ともかなり対処しているが、高岡工場の労働者のほうがより深く関与しており、NUMMIでは深い部分はチームリーダーが対応している。第3、異常については、高岡工場では直接生産労働者が原因を分析し、グループリーダーに報告しているのに対して、NUMMIでは初めからチームリーダーが対処している。つまり、知的熟練のレベルは高岡工場のほうがNUMMIよりも高い。第4、技能形成に関して、高岡工場では上司が意図的にグループリーダー候補者に、関連する幅広い仕事を経験させているが、NUMMIではチーム内で定期的ローテーションを実施している。第5、賃金は、高岡工場では人事考課を含む職能給であり、NUMMIでは人事考課のない職務給である。第6、労働生産性は高岡工場のほうがNUMMIより15%から20%ほど高い。

なお、「3.個別的労使関係」で言及しました私の日米工場の比較調査によりますと、日米それぞれにばらつきはありますが、日本は統合技能、アメリカは分離技能という特徴があります。

こうして五つの調査研究をみてきますと、今も厳しい批判はありますが、大規模で詳細な内外調査により、知的熟練論は精緻化してきているのではないかと思います。すなわち、知的熟練がはっきり見いだされる直接生産職場とそうでない職場があること、すべての直接生産労働者が知的熟練をもっているのではなく、日本の自動車工場でいえば約6割の労働者が知的熟練を保有していること、そしてアメリカではまだ知的熟練は見いだされないこと、こうしたことがはっきりしてきたと思います。

私の関心のひとつは、最後に申しました知的熟練の海外移転です。小池和男先生と猪木武徳先生が『人材形成の国際比較』(東洋経済新報社、1987年)において、アジアでは知的熟練は芽生えているものの、まだそのレベルは低いと指摘しておられます。その後、アジアにおいて知的熟練は深まり広がったのか。また、それ以外の地域、例えばヨーロッパでこうした知的熟練は広がりうるのかについて、知りたいと思います。

討論

知的熟練の分布:キーパーソンはどれだけ必要なのか
松村

われわれの調査(石田ほか(1997))についても報告していただきましたが、この調査ではいわゆる小池・野村論争をかなり意識して議論を展開しています。例えば日本の現場のいろいろなレベルの高さ、パフォーマンスの高さとは単に生産労働者の知的熟練だけによるものなのかどうか。例えば職場にかかわる人としては保全労働者もいれば技術員やそれ以外の人たちもいて、分業がなされており、その辺りの全体像を見るべきではないかというような議論を行った結果、例えば、保全職場の技能形成などについても、ようやく視野に入ってきたのではないかという気がします。

さらに、変化と異常への対処の能力が果たしてラインのレベルで、一体どれぐらいの人たちに保持されているのかに関しても、改善能力といったことも含めて、調査をしました。やはり、生産ラインでは必ずしも知的熟練の程度は高くない、それから改善に関しても、日本の労働者の改善能力は高く評価されてきましたが、必ずしも全員がそれを備えているわけではなく、せいぜい班長とか職長が中心になって、アイデアを生み出しているのが実態であるということも明らかにされたわけです。知的熟練に関しては、だれがその保有者なのか、どういう分布なのかが、やはり重要になってくるのでしょう。

柴田

小池先生ご自身も、日本のすべての直接生産職場の労働者が、知的熟練を持っているとはお考えになっていなかったと思います。それから最近、中馬宏之先生は知的熟練と職場の技術革新の関係も分析されています。

守島

柴田先生が報告した、Koike(1998)でのNUMMIとトヨタ高岡工場の比較には、より多くの人たちが知的熟練を持っているほうが、つまりここでいえば高岡のほうがNUMMIよりも生産性が高いということを言っているような気がしますね。

ところが、今の松村さんの議論や、中部産政研(2000)では、そうではなくむしろ分布が重要だと言っているのではないでしょうか。そこで、知的熟練はみんな持てばいいのか、それとも、その中に階層性があって、一部の人たちが非常に高い知的熟練を持っていれば、ほかの人は持っていなくてもいいのかということが論点となると思います。これに関してはキーパーソンが非常に高い知的熟練を持っていることが重要であるという結論を提示した研究が出てきましたね。例えば、柴田さんが述べられた中馬さんの研究などです。

柴田

私が報告した調査の多くは、職場の職長・班長の重要性を指摘しています。

守島

すると、極端な解釈をすれば、自動車製造業は末端まで知的熟練のレベルが高いほうがいいということになるのでしょうか。

柴田

職場にもよりますが、中部産政研(2000)の結論は、守島さんが先ほど言われたとおりだと理解しています。労働組合の職場への関与が先ほど話題になりましたが、この調査では今後の課題として発言の問題を取り上げています。すなわち、知的熟練の形成にあたっては、直接生産労働者の希望をいかす方式の確立と、それに対する組合の側面的支援が必要であるといっています。発言に関して、先ほど取り上げたShibata(1999)では、日本における上司の管理による統合技能の形成と、アメリカにおける個人の選択による分離技能の形成を対比させていますが、それに対し脇坂明先生は、個人の選択を取り入れた統合技能の形成も可能ではないかと、鋭い指摘をされました。

守島

産業のグローバルな分業が仮に進んでいくとして、知的熟練論で考えると、例えば、中国でのある産業の場合には、このタイプの知的熟練が重要であり、日本のようにハイテクや高付加価値の製品をつくっている産業の場合には、別のタイプの知的熟練が重要であるという議論もありますが、むしろそれは国の違いの問題よりも、産業や職場の違いで分かれてくるという議論のほうが説得的に思えるのですか、いかがですか。

柴田

おっしゃるとおりかもしれません。次のホワイトカラーの人材形成にかかわる議論とも関係するのですが、知的熟練に関していえば、ブルーカラーの知的熟練に対応するホワイトカラーの技能とは何かという問題があります。小池和男先生は『大卒ホワイトカラーの人材開発』(東洋経済新報社、1991年)などで、経理部門における予算と実績のずれの原因分析と解決など、ホワイトカラーにおいても変化と異常への対応の知的熟練が重要だと指摘しておられますが、それ以外には考えられないのか、関心のあるところです。

守島

ホワイトカラーの人材育成を知的熟練の側面から考えたものとしては、日本労働研究機構『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム』(報告書No.95、1997;報告書No.101、1998)の国際比較研究が代表的ですね。

この国際比較調査では、ホワイトカラーの場合にも異常への対応、変化への対応を当てはめ、それをキーとしてホワイトカラーの人材開発を見ていくことに有効性はあるし、また、そういうタイプの人材育成がなされているような職場が、生産性が高いとしています。別の言い方をすれば、ドイツでもアメリカでも、いわゆる長期的な雇用をやっているような大企業を考えた場合には、程度の差はあっても、似たようなタイプの人材育成が行われていて、それは日本のブルーカラーで発見されるものと大きく質的に違いはないということです。

(2)ホワイトカラーの人材育成

論文紹介(守島)

守島
日本労働研究機構『変化する大卒者の初期キャリア』

日本労働研究機構(報告書No.129、1999)は、先ほど柴田さんが言われた知的熟練の議論をある意味では一つの前提にして、このタイプの人材育成が成立するために日本の大卒者がどういうキャリアを歩んできたかを提示しています。

この調査は、大卒男女について、92年と98年の2回にわたって職業キャリアを調べています。92年調査は、全国の4年制大学35校を1983年~92年に卒業した男女5万5997名を対象として、有効回答2万335通を得ています(回収率36%)。この報告書では、92年調査回答者のうち83~84年および89~91年卒業者5441名を対象とした追跡調査のデータを用いており、有効回答を2343名から得ています(回収率43%)。

具体的には、83年から84年に大学を卒業した大卒のグループと、89年から91年に大学を卒業したグループを比較することで、入社後8年から10年目までの民間企業に勤続する大卒ホワイトカラー(女性含む)についての初期キャリアを比較しています。

先ほどの大卒ホワイトカラーの国際比較研究をベースにすれば、いわゆる幅の広い専門家タイプの人材開発が、ホワイトカラーの場合でも多く見られるというのがこの比較研究の発見でした。そこで、83~85年卒業の勤続8~10年目の人は、主に最初の10年を1980年代に過ごしており、89~91年卒業グループは、最初の10年を1990年代に過ごしている人たちで、この二つの世代を比較した場合、次の結論が導かれます。

すなわち、事務系ホワイトカラーに関しては、経験職種数が減少し、とりわけ単一職のみの経験者が90年代に増加しています。別な言い方をすれば、初期キャリアの幅の縮小が、傾向として観察される。これは比較的早くから専門家を育成しているということかもしれません。ただ、同時に、事務系の場合はもう一つ大きなパターンとして、複数の職務を経験するキャリアも、少数ながら見受けられ、この人たちはより幅の広い職務ローテーションを経験するようになってきている。つまり、キャリアの幅が減少しているグループと、拡大しているグループの二つに分化するような傾向があるというのが大きな発見です。なお、技術職については80年代、90年代を比較した場合に大きな違いがなく、どちらの年代でも、単一職務のみの経験者が多いという結果が出ています。

次に、男子大卒に関しては、90年代の男子ホワイトカラーは以前のホワイトカラーに比べて、5年先までの継続勤務志向が低下している。特に、低下しているだけではなくて、事務系・技術系ともに「5年先どうなっているかわからない」と答える割合が多くなってきている。でも、実際に転職を経験している者は、同時期とも24%から27%ぐらいの割合で、実際の転職傾向にはまだ結びついていない。

また、転職をした者だけについて見ると、90年代と80年代を比較した場合、90年代には、より小規模の企業へ、年収のより大きな低下を伴って移ることが多くなってきた。また、80年代は転職によって満足度が上がったが、90年代は転職することで満足度が低下する傾向が見られる。つまり、転職によって満足度が下がる結果が見られるということです。したがって、男子大卒については、キャリアの幅の縮小と早期からの分化によって、今の会社でのキャリアをより不確実なものとして考える傾向がはっきりと見られている。転職の場合でも、より不利な条件へというのが90年代の初期キャリアには特徴的な条件としてあるのかもしれません。

次に、大卒女子に関しては、90年代に採用された大卒女子はより基幹的な職務に配属されたり、より高度な専門知識を活用したりすることが多く、かつ年収も高まっている場合が多かった。その理由としては、90年代に就職した大卒女子は、80年代の同様の人たちに比べて、前職がより大企業であり、かつ専門的な職務につくことが多く、これが結果として定着率や労働条件の上昇に貢献していると考えられます。

もう一つ、大卒女子に関しては10年目での有業率も高まっていて、これは、結婚・出産をこの時期までに経験する割合が20%ポイント近く低下していることが大きな原因であるとこの調査では言っています。

キャリアの幅が縮小し、広いタイプのキャリアを経験する者とそうでない者に分化しているということは、日本の企業が能力育成の仕方に関して、比較的早い段階からの選抜をし始めているのかもしれません。ただ、それが将来的に知的熟練にどう影響を与えるかについては予測できません。一つの解釈として考えられるのが専門家として育成していくパターンとマネジメントとして育成していくパターンの、二つの人材育成のタイプが出てきているのかもしれないということです。

討論

ホワイトカラーの生産性と問題解決能力
柴田

日本企業の人たちは、これまでのようなゼネラリストではだめで、国際化に対応するために、スペシャリストを養成しなくてはいけないと言っていますが、守島さん、どう思われますか。

守島

おそらく、先ほどの分布の議論が重要になってくるのは、この点に関してだと思います。ホワイトカラーの国際比較調査でわかったことは、ゼネラリストと言っても実際そんなに職務の幅は広くはなく、ある職能の中でさまざまな職務を経験して、一定のところで選抜が行われる。今起こっている変化とはよく言われるようなゼネラリストからスペシャリストヘという流れではなくて、これまでならある程度まで同様のパターンでみんな上がってきた人たちが、非常に早い段階から、今よりも広い範囲の職務を体験する人たちと、今よりも狭い範囲の職務を体験する人たちの、二つのタイプに分かれてきたことであるというのが結論ではないでしょうか。

なぜ知的熟練の分布が重要かというと、より多くの変化に対応する能力を身につけさせる対象として企業が選んでいる人間がある割合でいるわけですよね。そのキーマンがどれだけいるかに関して、あまり企業は明確な認識を持っていないかもしれない。ブルーカラーの場合には、長年の蓄積があり、この職場ではこのぐらいの割合でキーマンが必要になるということを、暗黙知的にわかっているのもしれません。しかし、ホワイトカラーの場合はまだわからない。ただ、柴田さんが言われたようにグローバル化などの外的な要因などで、企業は試行し始めているのかもしれない。

ホワイトカラーに関しては、あまり知的熟練という論点から研究もされていなかったし、実務上もあまりこうした視点を考えなかった。ブルーカラーについて構築されてきたような知的熟練論がなかったために、ホワイトカラーの人材育成のあり方に関する実態研究もほとんどありません。それは、ホワイトカラーの生産性が非常に測りにくいということと関連しているのではないでしょうか。

柴田

S. Zuboff先生はIn the Age of the Smart Machine (1988)のなかで、コンピュータ・テクノロジーの進展に伴い、抽象化と明快で論理的な推論を可能とするintellective skillが求められていると言っておられますね。

守島

問題解決能力のようなものが重要だというのはおそらくみんなわかっている。ただ、問題解決能力というときに、ブルーカラーの場合には、産業や職場が規定されると、ある程度、仕事との対応関係が見えてくる。ところが、ホワイトカラーの場合は、その対応関係が見えにくい。抽象的なレベルでの問題解決能力とかintellective skillが重要だというのはわかるのですが、では具体的に何をやると、それがintellective skillになり、問題解決能力になるのかがわからなかったんだと思うのです。研究者の怠慢もあるのかもしれませんが。

最初に柴田先生が言われたスペシャリストの必要性などが出てくるから、それに対処しなくてはいけないというタイプの言明が研究の中で必ずしも出てこなかったと思います。でも、おそらく企業はそんなこととは関係なく、グローバル化などの環境要因でシステムを変え始めたのでしょう。それが合理的な変え方であるかどうかは、10年後の判断を待ちたいですね。