セクハラ関連の「紛争前強制仲裁合意」を無効に
バイデン大統領は3月3日、「性的暴行及び性的嫌がらせ(セクハラ)に関する強制仲裁撤廃法(Ending Forced Arbitration of Sexual Assault and Sexual Harassment Act of 2021、以下「強制仲裁撤廃法」)」に署名し、同法が成立した。多くの米国企業は雇用契約に、従業員と紛争が生じた際に訴訟ではなく、会社の指定する仲裁人を通じて解決をはかるとする条項を設けている。強制仲裁撤廃法は性的暴行及びセクハラに関する紛争が生じた際に同条項を無効化し、被害者が訴訟を起こす権利を保障する。
#MeToo運動が支援
連邦議会の審議に際し、この法案は「#MeToo法案」との通称でも報じられていた。#MeToo運動は、2017年にハリウッドの女優らが自身の性的暴行やセクハラの被害を告白し、多くの人がツイッターなどのSNS上で「私も被害者だ(#MeToo)」と書き込んだことに始まる。被害者と連帯して社会の関心を高めるとともに、訴訟を支援する運動になっている。
米国の多くの企業は雇用契約を結ぶ際、会社との間で紛争が生じた際に民事訴訟ではなく、裁判外の紛争解決手続きにより、会社が選ぶ第三者の仲裁人を通して解決をはからなければならないとの条項を設けている。これにより性的暴行やセクハラの問題が生じても法廷の場で明らかにならず、企業内で秘密裏に対処することが可能になっている(注1)。#Me Too運動では同条項の存在が加害者を保護し、企業でセクハラ問題が生じる温床になっているとの批判が高まっていた。ホワイトハウス(米大統領府)によると、全米で6,000万人以上がこうした「紛争前の強制仲裁」への合意を含む雇用契約の下で働いている。
1925年施行の連邦仲裁法(Federal Arbitration Act、FAA)は「船員、鉄道労働者、その他、外国又は州際通商に従事する、あらゆる種類の労働者の雇用契約」を強制仲裁の適用除外としている。連邦最高裁判所は2001年のCircuit City事件の判決で、適用除外の対象を「船員や鉄道労働者のように直接に通商に従事する運輸労働者のみとする」と極端に限定した解釈を示したことで、こうした強制仲裁条項の設定が雇用契約一般に広がっていった(注2)。
連邦仲裁法の改正で訴訟も可能に
強制仲裁撤廃法案は超党派の議員らで作成された。2月7日に下院、同10日に上院でそれぞれ可決され、3月3日に大統領が署名して成立した。同法はFAAを改正し、雇用契約における「紛争前の強制仲裁」に合意した後で性的暴行またはセクハラの被害を訴える場合、当該仲裁合意は無効となり、連邦や州などの裁判所で訴訟を起こすことも選択できるようにした。集団訴訟への不参加に事前合意していた場合も同様に無効となる(注3)。
#Me Too運動が展開される中で、大手企業の一部はすでに対策を講じている。ウェルズファーゴ(金融機関)、マイクロソフト、アルファベット(グーグルの持株会社)、フェイスブック(現メタ)などが自社でのセクハラ問題への批判を受け、雇用契約における性的暴行やセクハラに関する「紛争前の強制仲裁」の条項を撤廃した。
対象は「性的暴行・セクハラ」に限定
改正連邦仲裁法(強制仲裁撤廃法に基づく改正)は性的暴行及びセクハラについてのみ適用され、その他の差別や賃金などをめぐる紛争は対象にならない。今回の改正が実現したのは、#Me Too運動による社会的関心が高まり、性的暴行・セクハラに関する紛争に関する「紛争前の強制仲裁」への合意を無効化することで超党派の議員が合意したためだ。
労働者の権利の強化をめざすバイデン政権の与党民主党議員らは、すべての紛争について事前の強制仲裁への合意を禁じることを目指している。こうした内容を含む「団結権保護法案(Protecting the Right to Organize Act of 2021、PRO法)」が2021年3月9日、「強制仲裁による不公平撤廃法案(Forced Arbitration Injustice Repeal Act of 2022、FAIR法)」が22年3月17日に、それぞれ下院を通過した。だが、与野党の議席が拮抗する上院での法案の可決は困難な見通しとなっている。
注
- なお、こうした事前の仲裁合意によっても、法律上の権利実現のために設けられた公的機関の権限を奪えないことが2002年の最高裁判決(EEOC v. Waffle House, 534 U.S. 279)で確認されている(労働政策研究・研修機構 2015)。(本文へ)
- Circuit City Stores, Inc. v. Adams, 532 U.S. 105。FAA第一条の条文(原文)は「nothing herein contained shall apply to contracts of employment of seamen, railroad employees, or any other class of workers engaged in foreign or interstate commerce.」。この判決の多数意見は「従事する(engaged in)」とは「かかわる(involving)」という文言より限定的で、州際通商そのものを行う事業に限定される」という解釈を採り、適用除外となる雇用契約を運送業におけるものに限定した(労働政策研究・研修機構 2015)。
現在、適用除外になる運送業の労働者の範囲や独立請負事業者を含むかどうかをめぐる訴訟が多発している。(本文へ) - 2018年の最高裁判決(Epic Systems Corp. v. Lewis, 138 S. Ct. 1612)では、雇用契約に個別の仲裁合意があれば、労働者は集団訴訟などに訴えることができないという、仲裁合意尊重の立場を明らかにしていた(吉田 2019)。(本文へ)
参考資料
- 性的暴行及び性的嫌がらせ(セクハラ)に関する強制仲裁撤廃法(連邦議会ウェブサイト)
- 強制仲裁による不公平撤廃法案(連邦議会ウェブサイト)
- 吉田仁美(2019)「仲裁と司法権」『法学』83巻3号
- 労働政策研究・研修機構(2015)『アメリカにおける個別労働紛争の解決に関する調査結果』資料シリーズNo.157
- 連邦議会、ニューヨークタイムズ、ブルームバーグ通信、ホワイトハウス、各ウェブサイト
(ウェブサイト最終閲覧:2022年4月6日)
2022年4月 アメリカの記事一覧
- セクハラ関連の「紛争前強制仲裁合意」を無効に
- 労働者の組織化、権限強化を提言 ―ホワイトハウスの検討部会
- ニューヨークのアマゾン倉庫、労組結成案を可決
関連情報
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:掲載年月からさがす > 2022年 > 4月
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:国別にさがす > アメリカの記事一覧
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:カテゴリー別にさがす > 労働法・働くルール、労使関係、労働条件・就業環境
- 海外労働情報 > 国別基礎情報 > アメリカ
- 海外労働情報 > 諸外国に関する報告書:国別にさがす > アメリカ
- 海外労働情報 > 海外リンク:国別にさがす > アメリカ