労働争議激化の兆し?
―経営者の組合長傷害事件

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年3月

1999年11月の「工人日報」は、ある企業の経営者が、企業と労働者の利益を守る労働組合長に危害を加えた事件を報道した。1999年10月8日の早朝、江蘇省高郵織布工場組合長の童永平氏は、自宅で2人の凶器を持った男に襲われ、頭部や両手など11カ所を切りつけられ重傷を負った。警察は逃走した犯人の行方を追い、刑務所から出たばかりの前科者だと判明したが、驚いたことに彼らは童氏所属工場の工場長に雇われてこの犯行に及んだのであった。10月14日に、警察は高郵織布工場工場長の凌振安を身柄拘束した。

高郵織布工場は経営が行き詰まっている集団所有制企業である。1996年12月に、当時39歳の童永平氏は、従業員によって労働組合長に選ばれた。3年後の1999年2月に、当時、高郵市小物商品綜合店舗経営責任者の浚振安は、市役所の軽工業紡績局によって高郵織布工場工場長に任命された。浚氏は工場長就任後3日目から、織布工場の機械設備を売りに出し始め、従業員の不満を買った。同年2月9日の従業員代表大会で第3次産業転換の経営計画を発表した凌工場長に対して、組合長の童氏は、「第3次産業のみに依存するのでは、定年退職者を含めて1000人の労働者を養うことはできない。既存の染色事業を維持しながら、第3次産業を同時並行に行うべきだ」との意見を申し立てた。3月になると、凌工場長が75平方メートルの工場用地を売りに出した。従業員は猛反対で、童組合長は労働組合を代表して反対を申し立てたが、凌工場長の拒否と面罵を食らった。3月から4月の間、市の軽工業紡績局から圧力を受け、童氏はしばらく組合長職の停止を余儀なくされたが、結局は織布工場の共産党委員会から「童氏の組合長辞職に同意する」通達を一方的に通告される羽目となった。4月20日に、反撃に出た工場の従業員は自発的に集まって地元の政府部門に訴え、さらに従業員代表を出して工場長との交渉に出た。怯えた凌工場長は今後工場用地を売却しないと約束させられ、童氏も再び労働組合長に復帰した。しかし、その間に、すでに6つの倉庫や96台の機械設備を含めた200万元余りの工場財産は、50万元の捨て値で個人経営者に売却されてしまい、7万元余りの工場資金が無駄に使われていた。

怒り心頭に達した従業員は設備売却の真相解明と会計帳簿の開示を要求、上級主管部門に対して凌工場長任命の撤回と工場長の民主選挙を迫った。6月5日に、従業員代表大会が開かれ凌氏に対する工場長罷免が議決された。窮地に追い込まれた凌氏は、犯人を雇い童組合長を標的と定め、ついに流血事件が起きる結末となった。

事件はたちまち江蘇省の労働組合や企業の中に大きな波紋を広げた。江蘇省労働組合の責任者が病院に駆けつけ童氏を見舞い、高郵市労働組合は童氏を優秀労働組合幹部として表彰した。江蘇省共産党委員会副書記は「労働組合の幹部は、労働者の利益を守るために尽力しているが、彼ら自身の権益も守られるべきだ」と述べ、「この事件から教訓を学びとるべきだ」とのコメントを発表した。これからの経営者と労働者の関係、行政主管部門、経営者及び労働組合のあり方などを予測するには、興味深い事件である。

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