JILPTリサーチアイ 第87回
失業者の心理と社会システムをつなぐアプローチ─研究双書『失業の心理学』から見えるもの─

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特任研究員 榧野 潤

2025年6月4日(水曜)掲載

1 はじめに

2025年3月に、研究双書『失業の心理学─失業から再就職への橋渡し─』を上梓した。本書は、失業者が直面する心理的課題と再就職への道筋を体系的に検討した書である。本稿の目的は、本書を貫く問題意識と主要概念を整理し、読者が全体像を俯瞰できる見取り図を提示することにある。

その問題意識は、失業によって損なわれた労働者の自立性(self-reliance)をいかに回復するか、そして、その根底にある、雇用関係における力の不均衡という社会システム上の課題をいかに克服するかの二点に集約される。

本書でいう「自立性」とは、心理学で用いられる「コントロール感」(personal control)を土台とし、これを包含するより広い概念である。コントロール感とは、自らの力で人生を変えられるという信念を指す。自立性は、労働者が失業という困難な出来事に直面しても課題から目を背けず、主体的に解決を図ろうとする姿勢であり、その行動面での帰結が「自ら働き収入を得て生活費を賄う」経済的自活(self-support)である(本書p.55)。賃金労働を基盤とする資本主義経済においては、経済的自活の実現が労働者のコントロール感を強化し、自立性をさらに高める好循環につながる。

心理学者は失業を「非自発的に有給の雇用を奪われる生活上の出来事」(Latack, Kinicki & Prussia, 1995 p.313)と定義している。ここでいう「非自発的に」(involuntarily)とは、「自らの意思によらず、意図せずに、または選択することなく」[注1]を意味する。つまり心理学研究が焦点を当ててきたのは、失業が労働者から──雇用状況を自らの力で左右できるという信念、すなわちコントロール感──を奪う点にある。心理学では、この非自発的に雇用を奪われる出来事を“job loss”(失業)と呼び、その後の雇用がない状態を“unemployment”(失業状態)として区別している(序章「失業の心理学:研究領域の概観」参照)。

本書の終章「失業問題への心理学的アプローチ:16の提言と未来への展望」では、16項目にわたる具体的な提言を示している。その中でも提言15と提言16は、筆者が特に強調する柱となる主張である。

提言15では、失業がもたらす心理的影響の緩和策として、メタ分析により一定の効果が確認された「再就職」(McKee-Ryan, Song, Wanberg & Kinicki, 2005, Paul & Moser, 2009)を挙げている。そして、その再就職を実現するには、「雇う側」の事業主と「雇われる側」の労働者との間に存在する力[注2]関係の非対称性という構造的前提を踏まえる必要があると指摘する。なぜなら、失業も再就職も、雇用関係の「構築→脱構築(解消)→再構築」という連続した過程の一局面に位置づけることができ、各局面での判断や意思決定は常に双方の力関係に左右されるからである。

提言16では前述の構造的前提を踏まえ、労働者が自立性を維持・回復しながら主体的に雇用関係を築く方策として、「自律型求職活動モデル」(van Hooft, Wanberg & Van Hoye, 2013)に基づく「求職活動マインド」(労働政策研究・研修機構, 2019)の実践を提案している。このモデルの要は「自己調整」(self-regulation)にある。自己調整とは、目標達成に向けて自身の感情、思考、行動を意識的に調整し、状況に応じて柔軟に選択・修正していく過程である。

求職活動マインドでは、労働者が自らの願望や欲求を優先して①目標(Goal)を設定し、②計画(Plan)を立て、③実行(Do)し、④結果をふり返る(Reflection)というGPDRサイクルを繰り返すことが重視される。

この反復的な実践を通じて、労働者は自らの労働供給意欲と事業主の労働需要との間にある均衡点を試行錯誤しながら主体的に探り、働き方を柔軟に調整することで、事業主の労働需要に能動的に対応する力を高めることができると期待される。

2 労働心理学の視座

労働問題を検討する際には、一見すると労働者の個人的な心理的問題に見える現象であっても、市場・組織・制度といった社会システムに内在する構造的要因を常に念頭に置く必要がある(玄田, 2017)。

心理学者は一般に、失業がもたらす主観的な苦痛や無力感といった心理的問題に焦点を当てる傾向がある。こうした側面は失業者の行動として現れやすく、当事者も言語化しやすいからである。これに対し、市場・組織・制度といった構造的要因は目に見えにくく、心理的問題と比較して当事者が意識しづらい。だからこそ、心理的問題をこうした構造的要因と関連付けて考察することで、労働問題を心理学の視座から捉える意義──すなわち労働心理学(labour psychology)の使命──がいっそう明確になる。なぜなら、労働者の心理的問題を社会システム側からも解決へと導く道筋を示せるからである。

1930年代の大恐慌期、心理学者は失業を単なる経済的困窮にとどまらず、労働者のアイデンティティや社会的つながりを揺るがす社会現象として捉え、その社会心理的側面の解明に取り組み始めた。第1章「失業の心理学研究の進展と現代的視点」では、こうした黎明期の研究を手がかりに、初期の問題意識の形成から現代の失業の心理学へと継承・発展する過程が描かれている。

これらの研究は、経済システムが深刻な機能不全に陥った大恐慌期という不可抗力的な状況下で発生した失業を前提とし、労働者とその家族が示す心理・行動的反応を記述的に追跡することを主眼としていた。その背景には、失業を怠惰や能力不足といった労働者個人の問題ではなく、産業構造の変化や景気循環といったマクロ経済要因の帰結として捉える視座が、20世紀初頭にはすでに芽生えていたことがある。

この視座を体系化した経済学者ベバリッジ(Beveridge)は、1909年の著書『失業─産業問題』で、労働力余剰を生む要因としてそれらマクロ経済要因を挙げた。こうした要因が雇用を左右する以上、失業を当事者の責任だけに帰すのは誤りだと論じた。この立場は、その後の社会科学研究や政府の失業対策に大きな影響を与え、失業問題をより包括的・構造的に捉える視点を定着させた(Garraty, 1986)。

経済学からの視座は、1930年代の大恐慌期において、心理学者が失業を社会システムの問題として捉える際の理論的な土台になったと考えられる。心理学者が特に問題視したのは、失業直後の抑うつや不安といった心理的苦痛に加え、長期失業がもたらす「状況を自分では変えられない」という無力感であった(Eisenberg & Lazarsfeld, 1938)。無力感は、自立性の裏返しでもある。無力感が強まるほど、労働者の自立性は低下し、求職活動への意欲も著しく損なわれるため、再就職の可能性は遠のく。こうした知見は、政府による雇用創出策や失業保険制度の拡充といった政策的アプローチを後押しする理論的根拠となった。

とりわけ、心理学者ヤホダと社会学者バッケは、失業者が抱く無力感を個人の心理的問題にとどめず、資本主義経済に内在する構造的要因の現れとして捉えた点で画期的であった。彼らは、無力感を克服するには労働者個人の努力だけでは不十分であり、雇用を取り巻く制度や社会環境の再設計を伴ってはじめて根本的に解決できるという視座を提示した。

こうして失業者一人ひとりの主観的体験を社会システムの問題と結びつけることで、失業の心理学は個人内の心理的メカニズムの研究を超え、労働問題を扱う学問として確立された。本書もこの視座を継承している。

3 ヤホダとバッケの失業問題に対する対照的な視点

ヤホダとバッケは失業を社会システムの問題とみなす点では一致していた。しかし、図表1に示すように自立性を維持・回復させる考え方は対照的であった。

ヤホダは、資本主義経済の構造的問題がもたらす労働者の無力感を深刻に捉えた。そのため、経済面だけでなく社会心理面も視野に入れた政府による全面的な支援を提唱した。一方バッケは、資本主義経済の持続可能性を前提に、失業保険制度を通じて労働者の経済的自活への意欲を維持する支援を重視した。

図表1 ヤホダとバッケの失業問題に対する対照的な視点

視点 ヤホダ バッケ
経済システムに対する態度
  • 資本主義経済への批判的視点
  • 資本主義経済の枠内での失業問題の解決が可能
研究の中心テーマ
  • 失業による無力感、社会的孤立、生活の変化
  • 失業保険制度が労働者の経済的自活に与える影響
失業問題の本質
  • 資本主義経済の構造的問題
  • 労働者の経済的自活の困難さ
解決策の基本方針
  • 経済的問題だけでない社会心理的問題も含む政府による包括的支援
  • 失業保険により心理的安心感をもたらし再就職活動を続けること
現代の心理学への影響
  • 失業がもたらす心理的にネガティブな影響とその緩和策の研究
  • 求職活動とその支援策の研究

出所:Jahoda, Lazarsfeld, Zeisel & Fleck(2017)、Jahoda(1982)、Bakke(1933)

(1)ヤホダの視点

ヤホダは同僚と調査チームを組織し、1929年にオーストリアのマリエンタール村(Marienthal)で唯一の工場が閉鎖されたことに伴う失業の社会心理的影響を詳細に調査した(Jahoda, Zeisl & Forschungsstelle, 1933)。

主要産業を失った同村では、ほぼすべての家族が失業の影響を受け、深刻な経済的困窮に陥った。チームは家計記録の分析、歩行速度を含む生活時間調査、家庭訪問など多角的なフィールド調査を実施した。これにより、失業が住民から活動性と時間感覚を奪い、無気力と希望の喪失をもたらす過程が明らかになった。

ヤホダらが強調したのは、こうした変化が労働者個人の怠惰や努力不足ではなく、地域全体の雇用機会の喪失という構造的要因によって引き起こされた点である。大恐慌に伴う工場閉鎖は個々人の意思や努力では到底克服できず、その結果「状況を自分では変えられない」という無力感を招いた、と彼らは考えた。

この調査を通じてヤホダらは、労働者の無力感──すなわち自立性が低下していく過程──を描き出し、問題の本質が労働者個人ではなく、雇用機会の不安定さを生み出す資本主義経済システムにあることを示唆した。

戦後、ヤホダはこの知見を発展させ潜在的剝奪モデルを提唱した(Jahoda, 1979)。彼女は雇用には賃金収入の確保といった顕在的機能に加え、①生活時間の構造化、②社会的活動の拡大、③目標や努力の共有、④アイデンティティと地位の明確化、⑤規則的活動の強制といった潜在的機能があると整理した(第2章「失業の心理学理論」参照)。

彼女によれば、これらの機能は人間が本来持っている基本的な欲求に応えるものであり、失業はこれらの機能を同時に奪うことで、深刻な心理的・社会的ダメージをもたらすとされる。そのため、失業の影響を緩和するには経済的側面だけでなく、社会心理的側面にも対応した政府による全面的な支援が不可欠であると論じた。

(2)バッケの視点

バッケは、ヤホダらと同時期に失業者の心理を研究しており、イギリスのグリニッジ(Greenwich)(Bakke, 1933)とアメリカのニューヘイブン(New Haven)(Bakke, 1940)でフィールド調査を実施した。

グリニッジでの調査では、失業保険制度が労働者の経済的自活に与える影響に焦点を当てていた。バッケは労働者階級の家庭に住み込み、彼らの日常生活を観察することで、失業者が直面する経済的困窮や心理的プレッシャーを明らかにしようとした。

バッケは、再就職を妨げる要因として、自立性の低下、すなわち「自分の力で生活を立て直すことができない」という認識に注目した。この点はヤホダの指摘と重なるが、彼は失業によって自立性が一時的に損なわれても、労働者には本来、経済的自活の意欲が備わっていると考えた。そして、この自立性は、個人が属する社会の文化や価値観によって形成されるものであると位置づけた。

バッケは、労使の拠出によって成り立つ失業保険制度を、単なる救済措置ではなく、労働者が経済的自活を維持し、再就職に向けた主体的行動を支えるための心理的基盤を提供する制度的枠組みと捉えた。

彼は、失業を資本主義経済システムに内在する構造的限界と捉えながらも、失業保険制度のような制度的手段によってその限界を補完することで、資本主義経済システムを持続可能にすることができると考えた。


ヤホダとバッケは、失業を資本主義経済システムの構造的要因から発生する問題として捉える点で共通していた。しかし、その対応の方向性には明確な違いがあった。資本主義経済においては雇用の不安定性が常につきまとう構造的リスクがある。失業はその深刻な帰結の一つである。この点についてヤホダは、失業が労働者の自立性に与えるネガティブな影響──すなわち「状況を自分では変えられない」という無力感を強調した。

一方、バッケは、資本主義経済を持続可能にするには、労働者が自立性、特に経済的自活を維持することが不可欠であり、そのためには制度的支援が重要だと考えた。というのも、自立性それ自体が社会システムの中で社会的に形成されるからである。

現代の心理学は、ヤホダやバッケのように経済システムに直接言及することは少ない。しかし、両者の視点は失業の心理学研究に引き続き大きな影響を与えている。

図表2に示すように、現在は失業に関する二つの心理的段階が並行して研究されている。その一つが「失業による心理的にネガティブな影響を受ける段階」である。これはヤホダの研究の流れを汲むもので、たとえば、抑うつ、不安、自尊心の低下といった心理的問題に注目し、それらの影響を緩和するための方策を検討する研究が積極的に進められている。

もう一つは「求職活動を通して再就職を実現する段階」である。バッケの考え方を発展させ、労働者の自立性を促進することに重点が置かれている。とくに自己調整理論を取り入れ、求職者が主体的かつ自発的に再就職に至るまで求職活動を持続することを支援する研究が展開されている。

現代の失業の心理学研究は二つの段階が分断されて進められているだけでなく、いずれも労働者個人の心理的過程に主として焦点を当てている。その結果、これらの過程に影響を及ぼす社会システムに内在する構造的要因が十分に考慮されていない。ヤホダとバッケがともに重視した社会システムの視点は、現代の失業の心理学研究では見失われていると言えるだろう。

図表2 失業の心理学研究における2つの異なる心理的段階

失業から再就職まで
のプロセス
研究の構成要素
失業による心理的にネガティブな影響を受ける段階 求職活動を通して再就職を実現する段階
主要理論 (潜在的剥奪モデル)対処行動理論 自己調整理論
動機づけ ストレス状態の緩和 就職目標の達成
失業の捉え方 非自発的な出来事 雇用関係の解消
再就職の捉え方 問題焦点型対処 主体的な雇用関係の再構築
行動の捉え方 対処行動 目標達成行動
失業者像 受動的 能動的

4 構造的要因はなぜ問題となるのか

本書は、失業の心理学研究における2つの異なる心理的段階をつなぐ枠組みとして、事業主と労働者がそれぞれの立場から雇用関係をどのように認識しているかに注目する。図表3の枠組みを参照しながら、労働者の心理に及ぼす雇用関係の構築、脱構築(解消)、再構築に内在する構造的要因を検討している。その中核となるのは、資本を保有する事業主が優位に立つという、両者間に存在する本質的な力の非対称性である(労働政策研究・研修機構, 2024)。

図表3 雇用関係の認識

雇用関係の認識図(事業主と労働者)

出所:Fryer & Payne(1986)をもとに筆者が作成。

事業主は、資本を活用して事業を展開・運営し、労働需要を創出したうえで、その対価として報酬を支払う立場にある。一方、労働者は、一般的には自らの労働力以外の資本を持たず、労働を提供することで報酬を得る立場にある。このような雇用関係の構造において、以下のような力の不均衡が生じている。

事業主は、資本を基盤に事業を主導し、経営判断にもとづいて労働条件(賃金、労働時間など)の設定や雇用調整(採用・解雇など)に関する広範な決定権を有している。一方、労働者は主に労働を提供するか否かの選択肢しか持たず、雇用関係の構築・維持や労働条件に関する交渉では事業主よりも相対的に弱い立場に置かれる。

この力関係の不均衡は、特に失業と再就職の局面で顕著に現れる。雇用関係の解消や再就職の可否が、事業主の経営判断に大きく左右されるからである。こうした構造的な不均衡を背景に、心理学者が注目する「非自発的な失業」が生じるのである。

本書が提案する方策は、労働者が自らの労働の供給意欲を自己調整によって戦略的に管理することである。ここでいう「自己調整」とは、単なる動機づけの維持や継続的な努力を促すものではない。

図表3が示すとおり、事業主は報酬などの処遇制度を通じて労働需要をコントロールし、制度的に労働者の供給意欲を左右する手段を有している。これに対し、労働者個人が事業主の労働需要や処遇制度に直接働きかける手段は乏しい。自身の供給意欲を調整することが、力の非対称性に対抗し得る唯一の有力な手段となる。

つまり、労働者が自身の供給意欲を継続的にモニタリングし、事業主の労働需要や処遇の変化を読み取り、雇用関係の枠組みを踏まえて労働を戦略的に管理することが重要である。冒頭で紹介した「目標→計画→実行→ふり返り」のGPDRサイクルは、こうした自己調整を具体化する手段である。労働者はこのサイクルを回すことで事業主の労働需要を見極め、自身の供給意欲を能動的に調整することが可能になると考えられる。

自己調整を中心としたアプローチの詳細は、理論面を扱う第3章「求職活動の研究」と第4章「求職活動支援の研究」、実践面を扱うオンライン再就職支援プログラムの開発とその効果検証をまとめた第5章「『へこたれない研修』の開発」で解説されている。さらに、第6章「テクノロジーと求職活動」では、ICTを活用した求職活動における自己調整支援の可能性が心理学的観点から検討されている。

5 社会システムが導く行動:赤穂浪士の事例

最後に、心理学者が失業者の心理を考えるうえで、なぜ、構造的要因、すなわち社会システムに注目する必要があるのかについて、赤穂浪士による討ち入り事件[注3]を例に説明する。

赤穂浪士の討ち入りは、一般に「忠義」や「復讐心」といった個人の心理的動機によって説明されることが多い。確かに、主君の無念を晴らすという強い感情が行動の直接的な契機となったことは否定できない。しかし重要なのは、その感情が武士階級の名誉規範、主君と家臣の間に存在する身分序列、世論を形成した儒教的価値観などの社会システムによって正当化され、称賛される行動へとつながった点である(藤田, 1990)。

この事件から導かれる重要な視点は、感情そのものの心理的メカニズムを理解するだけでは、人間の行動を十分に説明できないということである。同じ復讐心であっても、社会システムが「大義名分のある正義の行い」と位置づければその行動は推奨され、「個人的な恨みによる許されない仕返し」とみなせば抑圧される。したがって心理学的支援には、感情の問題に対する直接的なサポートに加え、その感情に社会的意味をもたらす制度・規範を批判的に点検する視座が不可欠である。

この点について──繰り返しになるが──労働心理学には2つの視点がある。第一に、ヤホダは、人間が本来持つ基本的な欲求が長期間満たされないことで生じる無力感と社会システムの不適合を問題視し、社会構造そのものの変革を訴えた。すなわち、人間心理の本質から社会システムに欠陥があると捉える立場である。

第二に、バッケは、労働者の自立性は制度や規範によって形成されると捉え、その自立性の喪失に伴う無力感は、既存の社会システムの枠内で制度や慣行を改善することで克服できると考えた。この視点は、人間心理と社会システムが相互に作用し合い、両者のバランスを調整することを重視する。こうして見ると、前者は構造的転換を目指しているのに対し、後者は漸進的な改善を志向しており、両者の立場は対照的である。

両者の視点の違いをより具体的に理解するため、赤穂浪士の事例を用いて検討する。ヤホダの視点に立てば、人間心理に合わせて社会システムを変えるべきだという人間中心の発想になる。この視点からすれば、浪士らが抱いた「復讐心」を人間として自然な感情と捉え、それを抑圧する社会システムの方を変革すべきだと考えるだろう。

これに対し、バッケの視点では、その「復讐心」自体が社会の制度や価値観によって形成されたものと見なし、この事件を社会システムの不備がもたらした帰結と捉えるだろう。そして、復讐心という感情を変容させたり、その表出の仕方を社会的に許容される行動へと導いたりするため、既存の社会システムを漸進的に改善していくことを重視するのである。

6 心理的支援と制度改革の相互補完

失業者の心理を論じる際には、無力感や心理的苦痛といった心理的現象を検討するだけでは不十分である。その背後にある雇用制度、労働慣行、社会規範などに内在する構造的要因を掘り下げてこそ、現実的な支援策が見えてくる。こうした要因を踏まえ、①支援者による心理的ケアと求職活動支援、そして②政策立案者による制度の再編成・再構築という二本柱が連携し、相互補完的な効果を発揮することが重要である。

心理的支援と制度改革を車の両輪として推進することで、失業者は現状の課題に主体的に向き合い、自立性を維持・回復できるだろう。また、事業主との構造的な力の不均衡を是正するための本質的かつ戦略的な対応も可能になるだろう。これらの仮説は、現場での実証研究や社会実験を通じて検証する必要がある。失業者の自立性の維持・回復と社会システムの再編成・再構築が相互補完的に機能すれば、雇用関係を含む社会システム全体の健全な発展へとつながると考えられる。

引用文献

  • 榧野潤・西垣英恵(2025).失業の心理学─失業から再就職への橋渡し─ 労働政策研究・研修機構
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  • 労働政策研究・研修機構(2019).ここがポイント!求職活動マインド─希望の就職を目指して 研修実施マニュアルVer.1.0 労働政策研究・研修機構
  • 労働政策研究・研修機構(2024).離職過程における労働者の心理─認知的タスク分析を応用したインタビュー調査 労働政策研究報告書No.229 労働政策研究・研修機構
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脚注

注1 INVOLUNTARILY | English meaning - Cambridge Dictionarynew window(最終閲覧日2024年12月12日)

注2 ここでいう「力」とは、心理学でいう“social power”(社会的パワー)を指す。これは、他者が抵抗しようとしても、その行動や考えに影響を及ぼすことができる能力であり、複数の要因から生じる(VandenBos & Association, 2007)。その要因には、①報酬パワー、②強制パワー、③正当パワー、④参照パワー、⑤専門パワー、⑥情報パワーがある。

注3 この事件は江戸時代の元禄14年3月、赤穂藩主である浅野内匠頭が江戸城で吉良上野介を切りつけたことから始まる。浅野は即日切腹し、赤穂浅野家は領地が没収され、家が取り潰しになった。主君の死後、旧家臣らは離散したものの元禄15年には大石内蔵助を中心に再結集し、12月14日深夜に47人の赤穂浪士が吉良邸へ討ち入り、吉良を討ち果たした。彼らは翌日自首し、元禄16年2月、幕命により46人が切腹となった。彼らの行動は忠義の象徴として、のちに「忠臣蔵」として語り継がれた。

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