JILPTリサーチアイ 第19回
EU労働法政策における『協約』の位置

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労使関係部門 主席統括研究員 濱口 桂一郎

2017年3月10日(金曜)掲載

去る1月27日に、JILPTより『EUの労働法政策』を上梓した。かつて日本労働研究機構(JIL)時代の1998年に刊行した『EU労働法の形成』の全面改訂版である。本書はEU労働法の全領域にわたり、指令として結実したものも、未だに結実していないものも、法政策として取り上げられたほとんど全てのトピックを、さまざまな公刊資料やマスコミ報道等をもとに、歴史的視座に立って叙述している。細かい活字で500ページを超える本書は、現在日本で話題の同一労働同一賃金や長時間労働の規制といったトピックについても詳細なEU法政策を紹介しているが、より広くイギリス、フランス、ドイツを始め、EU加盟国の労働法政策に関心を寄せる人々にとっても、有益な知識や情報が詰まっているはずである。

今回は本書における重要なトピックとして「EU労働法政策における『協約』の位置」についてごく簡単に論じてみたい。EU労働法を研究する者がもっとも強い印象を受けるのは、労働立法システムの中に強烈なコーポラティズムの刻印が刻まれていることである。EU運営条約という憲法的規範において、労使の関与とイニシアティブが規定され、それが立法における民主主義の表れとして位置づけられている。その根源は、1980年代に英サッチャー政権により、労働分野の立法提案が悉く潰えたことにある。これを反転させるべく当時のドロールEC委員長が構築したのが、1991年のマーストリヒト条約社会政策協定による労使立法システムであった。これによりEUの労働立法はすべてまずEUレベルの労使団体に協議しなければならず、協議された労使団体が自分たちで交渉するといえばボールがそちらに移り、交渉の結果EUレベル労働協約が締結されれば、それがそのまま指令という形で、EU加盟国を拘束するEU労働法になるという仕組みである。育児休業指令、パートタイム指令、有期労働指令など、日本でも有名な重要政策に係る指令はこうして作られた。また船員、民間航空、多国籍鉄道、内水運輸など特定業種の労働時間規制も産業別労使の協約をそのまま指令とする形で形成されている。その段階的な進展は拙著に詳しいが、今日でもこれがEU労働立法の基本原則であり、EU法における「協約」とはまず何よりもEU法を制定する上でその内容を決定するもっとも重要な一段階として位置づけられている。

しかしながら、各国で発達してきた労働法を学んだ者は、「協約」とはまずなによりも労使団体が自発的に交渉をし、その結果として締結するものではないかと考えるだろう。確かに欧州大陸諸国では協約の一般的拘束力制度があり、本来労使団体間の私的な契約である労働協約を国家権力の関与によってアウトサイダーにも適用してしまう仕組みが広く行われているが、初めから立法過程の一段階と位置づけられているわけではない。

実はEU運営条約の規定ぶりも一応そうなっている。条約155条はこう規定している。

  1. 労使団体がそう望むならば,欧州連合レベルの労使団体間の対話は,労働協約を含む契約関係になることができる。
  2. 欧州連合レベルで締結された労働協約は,労使団体及び加盟国の手続及び慣行に従い,又は153条に含まれる事項については,締結当事者の共同要請により,欧州委員会からの提案に基づく閣僚理事会決定により実施されるものとする。

まずは普通の労働協約、すなわち「労使団体及び加盟国の手続及び慣行に従い」実施される協約というものがあり、そのうちから「締結当事者の共同要請により」「閣僚理事会決定により」実施される、つまりEU法になるものが出てくるという枠組である。しかしながら1990年代には、サッチャー政権時代に成立できなかった指令案をこちらのルートを使って立法することが最優先され、本来の姿としての自律協約というのは登場してこなかった。

これが転換するのが2000年代であり、欧州委員会からの協議を受けたテーマについて、テレワーク協約、職場のストレス協約、職場のハラスメントと暴力協約など、EU運営条約が定めるEU法の形をとらず、労使団体が自ら、具体的にはEUレベル労使団体に加盟する各国の労使団体を通じて実施するという、ある種のソフトなEU法が生み出されてきている。

しかし近年の動きはさらに複雑怪奇の度合いを増している。一つは、欧州委員会からの協議のないまま労使団体の側が自律的にEUレベル交渉を開始し、労働協約を締結してしまうという事態である。EU運営条約155条1項にいう「労働協約」とは、154条(労使団体への協議)を前提としてその結果締結されたものに限るのか、それとも154条とは切り離してEUレベルで締結された協約を指しているのか、文言上決め手となるものはない。こうした自律的に始まり自律的に締結された協約は、産業別レベルで近年増加傾向にあり、プロサッカー選手契約の最低要件協約のように注目を集めたものもある。

こうした自律的な協約も労使団体自ら自律的に実施している分には問題は起こらない。問題となるのは、その自律的に締結した協約を条約155条2項に基づき指令として実施してくれと欧州委員会に持ってきたときである。2012年EU理美容協会と欧州サービス労連の間で締結された理美容部門安全衛生協約について、当初好意的であった欧州委員会は、加盟国政府から批判を浴びると掌を返して、指令案化を拒否した。

ところで、こうしたマクロ的な政策手法として発達してきたEUレベル協約とは別次元で、EUレベルのある種の「協約」が増加してきている。1994年に成立した欧州労使協議会指令に基づき、多国籍企業とその労働者組織との間で締結された協約は既に250を超えており、その主たるテーマはリストラクチャリングである。しかしこうした「協約」に関しては、現在いかなる法規定も存在しない。上記条約155条を除けば、EU労働協約法と呼びうるものは存在しないのである。

そこで2000年代に入ってから欧州委員会は、研究グループに依頼したり、専門家会合を開いたりしながら、多国籍企業協約の立法化に取り組んできた。興味深いのは、EUレベルの労働団体である欧州労連が2016年に公表した立法提案である。欧州委員会の議論が主として欧州労使協議会という従業員代表組織を一方の主体とする企業協約(協定)を想定しているのに対し、欧州労連案では労働側当事者はあくまでも労働組合、具体的には欧州レベル産別組織を想定している点が大きく異なっている。

このように、近年のEU労働法政策において、「協約」は労働法制の根幹に触れるような問題を提起し続けているのである。