メキシコで左派大統領が誕生
―最賃引上げなどの労働政策がひとつの柱に
- カテゴリー:雇用・失業問題、労働条件・就業環境、人材育成・職業能力開発
- フォーカス:2018年11月
去る7月の大統領選挙で、左派政党から出馬のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール氏が、53%という歴史的な得票率で勝利を収めた。次期大統領は、一部国民の間でカリスマ的人気を誇る政治家であり、過去にも二度の大統領選に出馬、接戦の末に敗れてきた。今回の選挙では、従来の支持層にとどまらず、広範な層から一票を得ることで圧倒的勝利を導いた。
メキシコシティ知事から大統領選出馬へ
オブラドール氏は、70年代半ば、一党支配体制下の与党・制度的革命党(Partido Revolucionario Institucional, PRI)に入党し、若くして政治の世界に足を踏み入れた人物である。PRI(注1)は、20世紀初頭のメキシコ革命によってディアス独裁政権を打倒した諸勢力-大農園主、農民、企業家、労働者ら-を代表する政党として生まれ、それぞれの利害を党内で調整することで機能してきた。それ故、思想的には左右両派を包摂する政党であった。オブラドール氏は、学生時代から先住民問題に関心を寄せており、入党後は公的な先住民支援事業に従事するなどしていた。しかし、82年の債務危機を契機に新自由主義的な政策が主流となったことに反発した党内の左派グループが88年に離脱し、オブラドール氏もこれに合流した。彼らは同年の大統領選でPRIに対抗し、敗北を喫したが(注2)(注3)、この時形成された政党は後に民主的革命党(Partido Revolucionario Democrático, PRD)となり、90年代後半に大きく躍進、下院の野党第一党まで成長した。(表1)
表1:主要政党の設立年と系譜
出所:筆者作成
オブラドール氏はPRD党内の重要ポストを歴任した後、2000年にメキシコシティ(注4)知事に選出され、これを機に政治家としての知名度を高めてゆく。
この年はメキシコの政治および社会にとっての大きな節目の年であった。90年代を通じて北米自由貿易協定への反対や先住民の権利回復、政治の民主化を求める運動が社会の中で大きく注目を集めていたところ、ひとつの政治的帰結として2000年、PRIが、経済的方針を同じくする中道右派の国民行動党(Partido de Acción Nacional, PAN)に政権の座を譲り、「民主化」が達成されたからである。当時の社会的な機運を背景に、首都では、知事選に勝利したPRDのオブラドール氏が、PANのフォックス政権に対して強硬な対立姿勢をとった。年金プログラムや地域食堂、奨学金、母子家庭支援、公立大学の創設等々、多くの社会政策を施し、ポピュリストとの批判も受けたが、首都住民の彼への支持率は高く、任期終盤には85%に達したほどである(注5)。
左派カリスマ政治家の地位を確立したオブラドール氏が次に目指したのは、大統領の座であった。2006年に行われた選挙では、PANのフェリーペ・カルデロン氏に僅差で敗れ、2012年選挙では現職大統領であるPRIのペニャ・ニエト氏に敗れた。しかしながら、2000年、2006年、2012年の3回の大統領選を比較すると(表2)、2000年にPRDから出馬したカルデナス氏が16%と低い得票率だったのに対し、オブラドール氏は、2006年、2012年選挙で30%を超える票(表内太字)(それぞれ約1457万票、1585万票)を獲得し、安定した支持層を有している。
年 | 得票率(%) (■最大得票) | PRD※の大統領候補者 | ||
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PRI | PAN | PRD | ||
2000 | 36.1 | 42.5 | 16.6 | C.カルデナス |
2006 | 22.3 | 35.9 | 35.3 | L.オブラドール |
2012 | 38.2 | 25.4 | 31.6 | L.オブラドール |
※正式には政党同盟からの立候補。
運動と政治への積極的な関わりから、全国組織MORENAの形成へ
オブラドール氏の政治家としての才能は、社会運動と政治活動を相互に密接に関連させる力にある。そこに多くの人々が惹きつけられると考えられ、後援者には著名な文化人、ジャーナリスト、学者らが名を連ねていることで知られている。同氏は、2006年の大統領選後、選挙結果に対する一連の抗議行動を始め、これ以降さらに広範な問題に対して-公的ポストに就くことなく-社会空間と政治の双方を利用し、長期的に運動を展開していった(表3)。
まず、2006年7月、選挙不正を訴えて自らを「正統な大統領」と宣言し、いわゆる「影の内閣」として、諮問メンバーからなる「正統な政府」を樹立、街頭では大規模なデモ行進・座り込みデモを指揮した。運動の一環で、「民主的国民大会(Convención Nacional Democrática, CND)」を開催し、支持者らに対して意見を求めると同時に、新たな運動の呼びかけや政策方針の承認を求めるなど行った(注6)。CNDの第三回大会では、2008年にPANのカルデロン大統領がエネルギー改革(注7)を推進したことに対して、これを阻止する目的で、「石油・国家主権・民衆経済防衛のための国民運動 (Movimiento Nacional en Defensa del Petróleo, la Soberanía y la Economía Popular)」を起こすよう、人々に呼び掛けた(Bolívar Meza, 2013)。
社会運動体 | 政治運動体(議会・選挙での政党同盟) |
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2006年 - 正統な政府 - 民主的国民大会(CND) 2008年 - 石油・国家主権・民衆経済防衛の国民運動 2011年 - 国家再生運動(Morena) |
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2006年9月登録 「進歩主義広範戦線(FAP)」 PRD-労働党-コンベルヘンシア同盟 |
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2010年2月 登録 「メキシコ再構築のための対話(DIA)」 PRD-労働党-コンベルヘンシア同盟 |
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2012年3月 登録 「進歩主義運動」 PRD-労働党-市民運動※同盟 |
※「市民運動」党の前身はコンベルヘンシア党。
出所:Bolívar Meza (2011)を参考に筆者が作成
これらの運動を各地で行うための組織化の活動が、オブラドール氏個人の全国的な支持基盤の形成につながっている。この支援体制が、2011年、「国家再生運動 (Movimiento Regeneración Nacional, Morena)」と命名され、市民組織として正式に登録された。Morenaは当初より選挙を意識した組織であり、全国各地に支部をもつだけでなく、学生やアーティスト、労働組合などのセクター別支援組織も作られた。例えば、Morenaje(Morena Jóvenes y Estudiantes)という組織は、学生や若者による4つの運営委員会から構成されており、それぞれ、大学等での学生組織の形成と機関誌の配布、SNSやウェブサイトでの宣伝活動、コンサート等文化的活動の企画・運営、若者たちの提案の議論分析-を担う。次期政権の労働相と目されるマリア・アルカルデ女史は、Morenajeの主要リーダーであった。他にも、音楽家や作家、俳優らの参加するMorena Culturaは、文化を社会変革のひとつのツールと捉え、様々な文化的活動を行った。また、Morena Laboralは、教員組合(SNTE)の民主派組合員、メキシコ自治国立大学の組合員、メキシコ電話(TelMex)組合、運送組合などによって構成される。具体的な目標として、腐敗した組合幹部による搾取の終了、使用者保護契約(注8)の拒否、PRIとPANによる新自由主義政策の停止、PRIとPANの労働改革の反対戦線の構築などの提案を行っている(Bolívar Meza, 2013)。これらの組織が行う様々な提案は、オブラドール氏が大統領に就任することで実現すると期待されたものである。
写真:南部国境チアパス州の小さな町に選挙演説に来たオブラドール氏と迎える聴衆(2012年1月15日、筆者撮影)
写真:Morenajeに参加する若者たちと筆者(2012年1月15日)
一方、政治空間では、左派政党同盟を通じて、自身の提案を議会で追求する方法がとられた。2006年から、議会の左派勢力としてPRD-労働党-コンベルヘンシア党からなる「進歩主義広範戦線(Frente Amplio Progresista, FAP)」が活動していたが、2010年には、次期大統領選を見据え、FAPより大きな大義、広範な参加(社会運動、組合、農民ら)を求めて、新たな同盟「メキシコ再構築のための対話(El Diálogo para la Reconstrución de México, DIA)」が設立された。さらに、党内の意見対立などを経て、2012年に「進歩主義運動(El Movimiento Progresista)」が作られた(注9)。この頃から、労働党や「市民運動党」(前身コンベルヘンシア党)の議員候補にMorenaの活動家が含まれるようになった。
政党Morenaの形成と初の選挙参戦
2012年の大統領選後、オブラドール氏は選挙不正に対する抗議を再び起こし、裁判に訴えた。同年9月、連邦司法選挙裁判所がその訴えを棄却すると、同氏はPRDおよび左派同盟「進歩主義運動」からの脱退を発表し、政党Morenaの形成を開始した。
オブラドール氏がPRDからの離党を決めた最大の理由は、PRD内部の派閥対立と分断であったとされる。党内の複数の派閥のうち、特に2008年より「新しい左翼(Nueva Izquierda)」と呼ばれる集団が党執行部の中心メンバーを構成するようになったが、彼らとオブラドール氏の方針がしばし大きく食い違っていたのだ。例えば、左派同盟の「メキシコ再構築のための対話(DIA)」では、設立当初より「新しい左翼」派を中心とするPRD幹部が、形勢が好転しつつあるPRIへの対抗ブロックを形成するため、右派のPANを同盟に加えたいと目論んでいた。しかし、オブラドール氏はこれに強く反対の立場をとっていた。結局、この時PANと同盟する選択は取られず、2011年に行われた複数の地方選挙で同盟DIAはことごとくPRI候補に敗れたため、オブラドール氏に責任の一端があるとされた。分断が決定的となったのは、2012年の選挙後だった。オブラドール氏が大統領選挙の不正を訴えて市民を巻き込んだ抗議活動を起こしたのに対して、「新しい左翼」派は反対し、さらに彼らは、三大政党の合意文書「メキシコのための協定」(注10)をオブラドール氏ら党内の反対を押し切る形で進めたのだ。このように党の強大な派閥の圧力によって、オブラドール氏自身の政治・選挙戦略に強い制限がかけられてしまったことが離脱を決心させたと言われる(Navarrette Vela y Camacho Sánchez, 2017)。
すでに述べたとおりMorenaは、「正統な政府」や「民主的国民大会」、「石油・国家主権・民衆経済防衛のための国民運動」等の運動を通して、すでに広範な地域とセクターを抱える市民組織であった。それ故、政党登録の要件を満たすための党員登録の活動は、迅速に進められた。また、この間もオブラドール氏は、ペニャ・ニエト政権が推し進めるエネルギー改革に反対するため、大統領府前の中央広場(ソカロ)で集会を開いたり、改革が議会で承認された後はエネルギー改革を無効にするため、平和的な運動と話し合いの呼びかけを行うなど、社会運動に積極的に関与し続けた。
2014年、Morenaは正式に政党として登録され(注11)、翌年の国政選挙で初めて選挙に参戦した。その結果、下院選では33.5万票(約8.4%)と、誕生したばかりの政党としては極めて高い支持を集め、500議席中35議席を獲得した。さらに、同時期に行われたメキシコシティ区長選では、16区中Morenaが5区、PRDが4区で勝利。区議会ではMorenaが20議席、PRDが17議席を占め、首都で97年以来続いていたPRD支配を崩すことに成功した。これらの勝利は、長い時間をかけて構築された強力な支持組織に支えられたものと言える。
2018年大統領選で勝利
現政権のPRI・ペニャ・ニエト大統領は、2012年12月の就任直後から急速に国民の支持を失ってゆき、就任時の支持率53%から、2018年2月の選挙前には21%まで下落した。歴代大統領の中でもっとも低い支持率である(表4)。2013年に行われた教育改革は評価が高かったものの、その他の改革に対する評価は低い。国民から特に批判を受けたのは同年のエネルギー改革で、石油価格の高騰など庶民の生活を脅かしたことが大きかった。とりわけ2017年1月からリットルあたり20%の値上げが行われた際には、各地で暴動やデモが発生した。その他、近年悪化の一途をたどる治安問題も、現政権のイメージダウンにつながった。2000年から二期続けて政権に就いたPANの成果に落胆し、改めてPRI政権に期待した人々の反応が、今回の選挙を大きく左右したと考えられる。この結果、新生党Morenaのオブラドール氏は過去二回の得票率を大きく上回り勝利し、PRIは歴史上最低の得票率で敗北した(表5)。PANーPRDの右派・左派同盟は、PRI候補をわずかに上回ったものの、戦略ミスであったことは明らかである。
表4:歴代大統領の支持率の推移(%)(1989-2018)
出所:El Economista紙(2018.3.1付け記事)から筆者作成
同盟 | Juntos Haremos Historia “共に歴史を作ろう” |
Por México al Frente “メキシコのために前へ” |
Todos por México “みんなでメキシコのために” |
---|---|---|---|
政党 | MORENA, 労働党, 社会会合党 |
PAN, PRD, 市民運動党 | PRI, PANAL, 緑の党 |
候補者 | L.オブラドール | A.コルテス | M.クリブレーニャ |
得票率 | 53%(2413万票) | 22%(1025万票) | 16%(747万票) |
Morenaへの投票は、PANとPRIへの懲罰的投票という側面も否定できないが、オブラドール氏の提示する政策が広範な層に受け入れられたことをも示している。メキシコ社会の問題とその変革のために次期大統領が掲げた数多くの政策の中で、その軸と言えるものは次の5点に集約される。1つ目は、汚職の一掃と大統領を含む高官の減給や特権の剥奪の実行である。これにより他の政策に充てられる財源が生まれ、増税などの必要がないとする。2つ目に、貧困対策として、農村や先住民地域への支援、労働政策や年金など、社会政策の増大を約束している。3つ目は、治安問題に対する具体的な行動である。4つ目に、国内産業の保護による経済成長を約束している。5つ目は、石油と電気の国内生産を拡大し、ガソリン代や電気代を高騰させないという約束である。すべての政策を実行する予算があるのか、特に経済政策については懐疑的な意見も多いが、法の順守と民主主義、反権威主義を唱えながら行われるこれらの主張は、過激というより、国民全般の期待を反映する内容であった。また今回の選挙戦では、多くの企業家を訪問、投資家に向けたメッセージを送るなど、これまで敵対することの多かった経済セクターにも民主的で柔軟な姿勢を示したことで、同氏を脅かす反対勢力の圧力を一定程度押さえたと言われる。現政権の人気低迷を背景に、政治的バランス力を高めて3度目の選挙に臨んだオブラドール氏が勝利を手にした。
次期政権の労働政策
2018年12月に就任するオブラドール大統領の率いる内閣は、女性比の高さ(男性9名に対し女性8名)や若者の参加、少ない政治経験者などの点で特徴的である。労働相に指名されているマリア・アルカルデ女史は、現在30歳で、法科大学で集団的権利を教えている。彼女は、メキシコ国立自治大学の法学部出身で、カリフォルニア大学バークレイ校の修士課程でも学んだ。学生時代には、2006年大統領選後に行われたオブラドール氏の抗議運動や「正統な政府」運動に参加している。後に、Morenaの学生・若者組織であるMorenajeの代表として活動し、2012年選挙で連邦議員に選出された(任期は2015年まで)。政治的経験は浅いが、政治活動に積極的に参加した経験と、労働に関する専門的な知識を有している。
400頁を超えるMorenaの政策パンフレット「国家計画2018-2024」(注12)によれば、次期政権の労働政策は、次の8つを主軸とする。①職業訓練の促進、②職業能力証明制度の拡大、③労働監督機能の強化、④産業別団体交渉を促進する新機関の設立、⑤職業紹介のデジタルプラットフォームの設置、⑥最低賃金の引き上げ、⑦帰国した元移民の労働市場参入支援、⑧公正な賃金を支払う企業への「公正な労働証明書」の発行――である。これらの一部については、すでに関係者らとの対話が進んでいる。
勝利が決定した直後の7月4日、オブラドール氏と代表的使用者連盟の企業家調整評議会(CCE)は、社会経済政策における協働に向けた話し合いを行い、複数の合意を結んだ。若者の教育と就業を促進するプログラム「未来を構築する若者(Jóvenes construyendo futuro)」はそのひとつで、260万人の若者の参加を予定している。政府の補助金によって企業は若者を見習生として雇用し、若者の職業訓練を行うと同時に、若者は公立大学に通学するという制度だ。訓練後は、同企業で継続して就業または職業能力証明書をもって終了することができるという(注13)。また、次期政権チームは、最低賃金の引き上げについても、メキシコ中央銀行と使用者セクターとの話し合いを始めた。インフレ率に加えて、年15.6%の上昇で、任期終盤の2024年には、日給171ペソにインフレ率を加えた額まで引き上げるとの提案を行っている(注14)。現在の最低賃金は日額88.36ペソ(約530円)と、他のラテンアメリカ諸国と比較しても極めて低いレベルにある。
注
- PRIは、1929年の設立から2000年の政権交代までの71年間、組合主義的な政治とコントロールされた選挙を通じて、実質的な一党支配体制を堅持した。農民や労働者らを組合員として統合し、一定の恩恵(農地改革等)を与えながら体制の下に置く一方で、国内経済は第二次大戦後の世界的な好況と国内産業の保護を通じて急速な経済成長を遂げ、60年代中頃までは「安定した」統治を行った。しかしその後、学生運動や農民運動、対外債務、石油価格の暴落が続き、社会的にも経済的にも不安定な状況の中、82年の債務危機が起こった。以降、新自由主義的な政策が中心となる。(本文へ)
- この時立候補したクアウテモク・カルデナス氏は、ラサロ・カルデナス大統領(1934-40)-石油産業の国有化や農地改革など大胆な政策を実行した英雄的政治家-の息子で、高い人気を有していた。(本文へ)
- この時の選挙は投票を算出するコンピューターシステムが突如落ち、その後にカルデナス氏の落選が発表されたため、不正が強く疑われた選挙であった。(本文へ)
- 1997年、PRDのカルデナス氏が首都メキシコシティ(当時の正式名称はメキシコ連邦区)の第一回目の知事選に勝利した(それまで連邦区の知事は選挙でなく政府による任命制であった)。メキシコシティの知事は、これ以降PRD知事が歴代務めたが、今年の選挙においてモレーナ党候補が勝利した。(本文へ)
- Reforma紙による2005年4月の支持率。(本文へ)
- CNDは本来人々が民主的に議論し決定するための場であるはずだが、オブラドール氏の開催したCNDは、同氏を中心とした支持者らの決定機関という傾向が強かったという(Darán Marínez, 2006)。(本文へ)
- ペニャ・ニエト現政権のエネルギー改革より小規模な改革であったが、国有石油企業PEMEXの部分的民営化につながると批判された。(本文へ)
- 使用者の利益を優先させた労働協約を、「使用者保護契約(contrato de protección patronal)」と呼ぶ。このような労働協約が結ばれる場合、一般に労働組合が労働者への意見聴取や情報開示をすることはない。(本文へ)
- 同年の大統領選は上述の通り敗北に終わったが、下院選挙では、2009年に比較して左派同盟の勢力は回復し、下院の第2勢力となった。(本文へ)
- 「メキシコのための協定」は、PRI-PAN-PRDの協力による改革の促進を目的としたもので、教育改革や通信改革、金融改革等が行われた。ただし、PRDは後にエネルギー改革における意見の相違で協定から脱退した。(本文へ)
- 政党登録には、直近有権者の0.26%(約22.68万人)以上の党員の保有が要件となる。Morenaの提出した49.6万人の党員リストは、2017年夏、選挙管理機関(INE)の監査によって他党との重複等が確認され、正式には約32万人の党員数が承認された。PRDも同様に党員数を減らしたが、なおも525万人の党員を擁していた。(2017.8.20付けEl Universal紙)(本文へ)
- Proyecto De Nación 2018- 2024.(PDF:6.3MB)
(本文へ)
- Obras誌ウェブ版7月4日付け記事
(本文へ)
- エクセルシオール紙ウェブ版7月10日付け記事
(本文へ)
参考文献
- Bolívar Meza, Rosendo. 2011. “Los frentes políticos’electorales de izquierda en México (2006-2012),” Estudios Políticos núm.28, enero-abril, pp.51-79.
- Bol Bolívar Meza, Rosendo. 2013. “El lopezobradorismo: la construcción de un movimiento social y político”, El Cotidiano, vol.178, marzo-abril, pp.81-92.
- Darán Marínez, Óscar. 2006. “La Convención Nacional Democrática "Por el bien de todos".” El Cotidiano, vol. 21, núm. 141, enero - febrero, 2006, pp. LIX-LXIX
- Navarrete Vela, Juan Pablo y Omar Arturo Camacho Sànchez. 2017. “Formación, Liderazgo y desempeño electoral de MORENA”. Revista Mexicana de Estudios Electorales. Núm. 18, julio-diciembre, pp.11-60.
- その他、各種新聞等。
参考レート
- 1メキシコペソ=5.59円(2018年11月15日現在 みずほ銀行ウェブサイト
)
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