AFL-CIO「労働運動の再定義」
 —AFL-CIO2013年大会(前編)

  • カテゴリー:労使関係
  • フォーカス:2013年10月

「もはや団体交渉を運動の中心に据えないということか」

「そうだ」

「労働組合員だけではなく、働いている人やその家族、つまり人びとすべてに広く門戸を広げる組織になるということか」

「そういうビジョンだ。」

このやりとりは、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)の会長補佐、アナ・アベンダーノ氏へのインタビューのひとこまだ。9月9日から11日にかけてロスアンジェルスで開かれたAFL-CIOの全国大会を控えた8月19日にJILPTの調査の一環として行われたものである。その成果も合わせながら、AFL-CIOの全国大会が示した新しい試みを紹介しよう。

写真:AFL-CIOの全国大会の様子
写真:AFL-CIOの全国大会の様子とアナ・アベンダーノ氏

なぜアメリカが示唆になるのか

日本から海外をみると、アメリカほど違った国はないのではないかという気になる。

激しい貧富の差、頻繁に転職を繰り返す働き方、能力重視で成功すれば莫大な報酬が手にできる一方で失敗すればすべて自己責任となる社会、そして入り混じる人種。

それは、労働関係の世界でも同じだ。対立的な労使関係、厳格な職務区分と年功的ではない賃金体系、産業別に組織される労働組合、転職を繰り返す働き方。

しかし、視点を変えれば、日本とアメリカの共通点に気がつく。

  • 健康保険や年金などの社会保障における責任は企業が大きな部分を担っていること。
  • 健康保険や年金などの社会保障が労働組合と使用者の交渉で決まる部分が大きいこと。
  • 転職を繰り返す人生を誰もが願っているわけではなく、そうすることがキャリアにとってむしろマイナスになると捉えられていること。
  • 経済のグローバル化が進んで、市場競争が激しくなるにつれて、労働組合が企業経営に協力するようになっていること。
  • 従業員同士の連携といった組織力が企業競争力の源泉と考えられるようになってきていること。

そのうえで、日本とアメリカで同時に進んでいることをみてみよう。

  • どちらも健康保険や年金の負担が重くなってきており、企業だけでは担えなくなってきている。
  • 労働組合の組織率はどちらも低下傾向だ。

アメリカの組織率は2012年で11.3%。民間企業が6.6%に対して、公共部門が35.9%という数字だった。2012年の日本の労働組合基礎調査では、民間企業が16.9%、公共部門が39.5%、全体では17.9%と似たような傾向になっている。

労働組合と使用者側の交渉は産業単位でまとまって行われることが稀になり、日本と同じように企業ごとの交渉が優勢になってきている。それと同時にどちらも、企業競争力への貢献と労働組合員利益の間でジレンマに悩むことが増えている。

従業員規模が小さいほど労働組合がなく、産業別でみれば、どちらも第3次産業の組織率が低いのも同じだ。

直面する課題も似ている。

日本では、パート、派遣といった非正規労働者と正規との処遇格差をどうすれば良いかということであり、アメリカでは非典型と呼ばれるパート、派遣、テンポラリーや自営業者とパーマネントと呼ばれる常用雇用労働者との処遇格差の問題だ。

日本もアメリカも同様に労働組合の組織率が低下を続け、非正規労働者の組織化は遅れている。

このままでいけば、健康保険や年金の維持、労働条件の調整といった機能が社会から失われかねない。

これらの共通点をあげたうえでも、なおアメリカのほうがより深刻な状況となっている。そのような、言わばどん底の状況から反転すべく、アメリカでは1990年代からさまざまな試みが行われえきた。それが具体的な提案として、目に見える形で現れたのが今回のAFL-CIOの全国大会だった。

5つの委員会

大会には5つの準備委員会が組織された。

  • 「成長、イノベーション、政治的行動委員会」
  • 「グローバル経済における繁栄を享受する委員会」
  • 「コミュニティ・パートナーシップと草の根の力委員会」
  • 「女性労働委員会」
  • 「公民権および人権委員会」

これらの委員会が中心となって決議案が作られた。

会長補佐、アナ・アベンダーノ氏はそのうちの「コミュニティ・パートナーシップと草の根の力委員会」の取りまとめを担当した。彼女は、この委員会の意義について、AFL-CIOトラムカ会長の言葉を引用して次のように紹介してくれた。

「変化は痛みを伴うが良いものだ。それは、長く続くアメリカの労働運動の歴史のなかで、現代に適するように、我々自身を再定義するものだ。それが今までと違っているからといって、もはや役には立たない昔ながらのことを続けることはできない」

その運営には、はじめての試みがあったという。

「この委員会には、政策、法務、コミュニケーション、公共政策、ソーシャルメディアなどAFL-CIOのあらゆる部門のスタッフが集結した。まさに組織内全体をつなげる役割を担ったのだ」

写真:ジョセフ・スティグリッツ教授
写真:ジョセフ・スティグリッツ教授

そして、「労働組合ではない組織の代表と学識経験者を委員会のメンバーに加えた。これは、極めて普通ではないことで、ほんとうの意味での社会的対話を行う機会となった」という。
その言葉を裏付けるように、ノーベル経済学賞、コロンビア大学ジョセフ・スティグリッツ教授が大会で基調講演に登壇した。

そのような背景のなかで提案された、「コミュニティ・パートナーシップと草の根の力委員会」の第16決議「永続的な労働組合とコミュニティのパートナーシップの構築」は、大会のハイライトとなったのである。

労働組合とコミュニティのパートナーシップは18年前の繰り返しか?

昔のことを覚えている人であれば、1995年のジョン・スウィニー元会長の提案がよみがえり、「またか」という気持ちになるかもしれない。その時も、コミュニティやマイノリティ、宗教組織、各種NPO、学生との連携がうたわれていたからだ。

サービス従業員労組(SEIU)出身のスウィニー氏は、「ニューボイス」という改革派の支持で会長に選出された。チームスターズ、アメリカ州郡自治体従業員組合連合(AFSCME)、全米自動車労組(UAW)、全米鉄鋼労組(USWA)が、「ニューボイス」を構成していた。

ところが、その改革派とみられていたチームスターズやSEIUなどが、2005年に反旗を翻してAFL-CIOを離脱したのである。

そうなると、そもそもニューボイスが本当に改革をリードしていたのか疑問符がつく。

写真:ウェイド・ラスキー氏
写真:ウェイド・ラスキー氏

その点に関し、2012年にJILPTが行った調査が参考になる。その時には、ルイジアナ州を本拠に置くコミュニティ・オーガナイジング組織ACORN・インターナショナルのトップ、ウェイド・ラスキー氏を訪ねた。

彼は1980年代に、南部で次々と介護労働者や医療機関を組織化していった経験を持つ。その手法は、コミュニティの家々の戸口をたたき、一軒ずつメンバーにしていくというものだった。そのような家は高齢者が住んでいることが多く、彼らが介護を受ける側だったことから、そこから介護施設や医療機関の組織化につなげていったという。

その手法に注目したSEIUは、ラスキー氏とその仲間を組織内に取り込み、コミュニティ・オーガナイジングの手法を組織化に応用していった。その戦略を進めたのがのちのAFL-CIO会長のスウィニー氏だった。

SEIUはカリフォルニア州でも組合員数を大きく伸ばしたが、その運動もラスキー氏の仲間が引っ張ったという。コミュニティ組織側からみれば、1980年代から90年代の改革派労働組合の躍進はコミュニティ・オーガナイジング手法によるところが大きいのである。

ところが、蜜月は長く続かなかった。労組がコミュニティ組織に向けた予算を打ち切ったからだ。AFL-CIOもSEIUも、小さい組織を合併、統合することで組織力を強化することへ舵を切った。

詳しくは、JILPT海外労働情報「労働力媒介機関におけるコミュニティ・オーガナイジング・モデルの活用に関する調査」を参照いただきたい。

ピットソン炭鉱ストライキとトラムカ会長

写真:トラムカ会長
写真:トラムカ会長

スウィニー会長の後は、2009年から、炭鉱労組(United Mine Workers)出身のトラムカ会長となった。なぜ、炭鉱労組がカギを握ったのか。そのことは、「JILPT労働政策研究報告書 No.144アメリカの新しい労働組織とそのネットワーク」に詳しいので参照いただきたいが、簡単に紹介しよう。

1989年から90年にかけて、テネシー州ピットソン炭鉱で一つのストライキがあった。

退職者の年金や健康保険の水準を引き下げようとする会社側とそれを防ごうとした炭鉱労組の対立が原因だった。このときに、全国から支援する労組や地域コミュニティ、宗教組織などが結集した。

これが、全米規模で労組とコミュニティ組織が連携した初めての成功体験になったのである。そのストライキを率いていたのが、現在のAFL-CIOトラムカ会長だった。

もう一つの大きなターニングポイントは、1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)の成立だった、と会長補佐アベンダーノ氏は言う。

「それ以降、低賃金の移民労働者が急激に増えたが、同時に彼らをサポートする数多くの組織がつくられてきた。」

写真:トラムカ会長
写真:トラムカ会長

JILPTにおける調査でも、働く人の権利を守り、職業訓練をし、生活をサポートするという新しいタイプの労働組織は1990年代から2000年代にかけて存在感を増してきていることが裏付けられている。

スウィニー時代に種をまいた成果がトラムカ時代になってようやく機が熟したといえるだろう。

(AFL-CIO「労働運動の再定義」 —AFL-CIO2013年大会(中編)に続く)

2013年10月 フォーカス:アメリカ

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