最低賃金引き上げの影響

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  • 国別労働トピック:2022年8月

最低賃金制度の諮問機関Low Pay Commissionは5月、最低賃金引き上げの影響に関する報告書を公表した。2016年以降の引き上げ促進策は、雇用に目立ったマイナスの影響を及ぼすことなく低賃金層の賃金水準を上昇させたものの、並行して実施された低所得層向け給付の削減により、世帯収入の増加には必ずしもつながらなかったと分析。また、当初想定された生産性上昇については、効果を示すエビデンスは得られなかったと結論付けている。

賃金収入は増加、雇用には影響せず

報告書は、最低賃金の引き上げ促進を目的として2016年4月に導入された「全国生活賃金」の最初の5年間について、その影響を分析している。全国生活賃金は、従来の全国最低賃金に上乗せする形で、25歳以上層(注1)に新たな最低賃金額を設定(注2)(図表)するとともに、2020年までに時間当たり賃金の中央値の6割に引き上げるとの目標を掲げたもの。その達成のため、従来よりも雇用の減少を許容し、賃金水準と生産性を向上させることが目指された。導入以降、全国生活賃金額は2020年4月までに年平均で6%上昇し、従来の制度下での年3.8%を大きく上回った。

図表:各最低賃金額の推移
画像:図表

注:旧全国最低賃金(21歳以上)は、2016年4月の全国生活賃金(25歳以上)導入に伴い、21-24歳に対象が限定された。

報告書によれば、全国生活賃金は高い賃金上昇をもたらした。2015年4月から2019年4月にかけての26%の上昇は、この間の労働者全体の賃金中央値(12%)や物価(CPI、8%)の上昇率を大きく上回っている。また、計量分析によるエビデンスは、この引き上げによる雇用への影響はほとんどなかったか、あっても小さくかつ一時的であったことを示している。各種調査では、雇用主は対応にあたって解雇よりも採用抑制を選択したと回答しており、また低賃金企業ほど雇用の伸びも相対的に小さかったことが確認されている。

ただし、時間当たり賃金の増加は、世帯所得の増加には必ずしもつながらなかったとみられる。全国生活賃金労働者のいる世帯の賃金収入の増加率は、それ以外の世帯より高かったが、世帯所得で比較すると、増加率はほぼ同等であった(注3)。これには、低所得層向け給付の削減(支給額の改定凍結、収入増に対する給付の減額)が関係している、と報告書は指摘している。

生産性上昇の効果は確認されず

一方、全国生活賃金の導入にあたって目的の一つとされた生産性の上昇については、そのような効果があったとのエビデンスは得られなかった、と報告書は述べており、関係者に対する調査から、いくつかの要因を推測している。その一つは、投資の不足だ。全国生活賃金への対応として、大規模企業では投資拡大の傾向がみられたが、小規模雇用主の間では、全国生活賃金額が増加するにつれ、投資を削減する傾向が強まったとされる。また、投資を行った企業の間でも、新たな技術の導入が必ずしも利益につながらなかったケースがみられたという。

報告書は、こうした状況が、一部の企業に生産性向上を目的とする労働強度の増加を促す要因となったと推測している。少なくない企業が、従業員により多くのタスクを与え、よりフレキシブルな勤務を求め、仕事のペースや要求する業績を高め、あるいは欠勤に関する締め付けを強めるなどの対応を行っている。一部では、こうした対応が生産性上昇につながった可能性はあるものの、全国生活賃金労働者の比率が高かった産業・地域では、そのような効果に関するエビデンスは得られなかったとしている。

離職を抑制した可能性

また、間接的な影響として、離職が抑制された可能性が指摘されている。一般的に最低賃金労働者は、より賃金水準の高い労働者に比して転職比率が高く、また転職によって賃金水準が上がる傾向にあるが、全国生活賃金の導入以降、転職比率は減少している。報告書は、全国生活賃金の導入が、より高賃金の仕事との間の賃金額の差を狭めたことによる可能性を指摘、雇用主にとっては、採用や訓練費用の減少を意味しうるが、労働者にとっては、長期的にはより高賃金の仕事への移行の妨げとなるかもしれない、としている。

加えて、報告書は、最低賃金層における賃金格差縮小の効果も指摘している。全国生活賃金は、地域内の時間当たり賃金の格差を縮小させたほか、賃金水準がとりわけ低い地域におけるより大きな賃金増加を通じて、地域間の賃金格差も改善している。また、全国生活賃金労働者の比率は女性でより高いことから、大幅な引き上げやこれに伴う波及効果は、男女間の賃金格差の縮小に寄与しているとみられる。エスニシティ(人種・国籍)間の賃金格差についても、同種の状況が報告されている(注4)

さらなる引き上げに向けて

政府は、2020年以降2024年までの全国生活賃金の改定について、新たに賃金中央値の3分の2への引き上げを目標として掲げており、報告書はその実施にあたって、2020年までの状況を踏まえて留意すべき点を挙げている。

一つは、今後の全国生活賃金額の引き上げは、世帯所得の増加につながり得るということだ。2021年予算では、低所得層向け給付における収入の増加に対する減額率の引き下げと、減額が適用される収入額の引き上げが行われており、将来の最低賃金額の引き上げにおける手取り額は増加するとみられる。

二つ目に、従来の雇用主の対応は、ポストコロナの環境では実行が難しい可能性がある。コロナ禍の影響を大きく受けた業種の企業や小規模企業は、収益の減少あるいは負債の増加から、さらなる費用の増加に対応する余裕を失っているとみられ、採用や事業拡大を手控え、投資も抑制するかもしれない。

三つ目に、将来の引き上げにおいても、生産性の上昇は必ずしも期待できない。上昇がみられる場合も、新技術の導入や訓練・作業方法の改善によるものではなく、労働強度の増加によるものとなるかもしれない。

最後に、2010年代半ば以降と同様の雇用が豊富な状況が再び訪れるかは分からない。例えば、長期にわたり継続的に成長したホスピタリティ(飲食サービス等)のような業種は、参入障壁の低い多くの雇用を提供したが、コロナ禍により恒久的な影響を被った可能性がある。

参考資料

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