企業レベルでの労使合意強化する労働法改革
―成立後も続く労組を中心とする抗議行動

カテゴリー:労働法・働くルール労使関係

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  • 国別労働トピック:2016年10月

フランス企業の競争力向上と雇用促進を目的とした労働法典の改革がすすめられている(エル・コムリ法案)(注1)が、2016年4月5日から国民議会(下院)で審議され、469カ所もの修正が加えられた。政府は厳しい雇用情勢への対応が急務であるとして、5月10日には議会の採決を経ずに修正案を承認した。6月に入って審議の場は上院に移り、労組や学生団体による反対運動が展開されたが、3月末に行われたスト(国別労働トピック6月「労働法典改革と労組や学生組織による反対運動」参照)に比べてそれほど規模が大きなものとはならなかった。修正を加えられた法案は、再度、下院及び上院で審議され、最終的に、7月20日下院で可決された。その後、憲法評議会での違憲審査を経て、8月9日に官報掲載された。

39万人規模の反対運動

労働法典改革を巡って、2016年2月の草案発表以来、野党や労働組合だけでなく、与党内部や若年者層からも反対する声が上がった。急激な改革内容に対して、雇用労働者の労働条件の悪化や雇用の不安定化を懸念して批判が続出し、ストライキや抗議活動が続いた。

パリでは、3月31日夜から、若者らが共和国広場の占拠を続け、エル・コムリ法案や現政権への抗議の意思を示し、39万人(警察発表)の規模に膨れ上がった。この夜を徹した運動は、ニュイ・ドゥブ(Nuit debout:「抵抗の夜」や「夜に立ち上がれ」などの意味)と呼ばれた。メーデーの5月1日夜には、共和国広場で参加者の一部が、ゴミ箱に火をつけたり、近くの商店のショーウインドーを叩き割るなど暴徒化した。そのため、同日、治安部隊は催涙ガスなどを使い、広場を占拠していた者を排除した。

パリ以外でも、各地でストライキやデモ行進が断続的に行われた。例えば、フランス国鉄(SNCF)職員のストライキで新幹線(TGV)を含む多くの列車が運休した。5月中旬以降は、製油所などでもストライキが実施されてガソリンが不足するなど、国民生活にも影響が出た。

若者にとっても身近な労働法典改革

この法案に反対し、抗議行動を展開したのは、労働総同盟(CGT)、労働者の力(FO)、統一労働組合連合(FSU)、連帯(Solidaires)といった労働組合だけでない。フランス全国学生連盟(UNEF)や全国高等学校生徒連盟(UNL)、独立民主・高等学校生徒連盟(FIDL)といった学生団体も加わった。

だが、2006年の初回雇用契約(CPE)導入法案をめぐる若者の激しい抗議活動(注2)と比べると、今ひとつ盛り上がりを欠けた。それでも、こうした多くの若者が抗議行動に参加したのはなぜだろうか。この法案には、若年者にとって直接的に不利になるような、学卒採用者の解雇にからむ内容が盛り込まれているわけではない。高止まりする失業率と、近い将来の就職に対する不安が今回の行動の背景にはある。

この点に関して、社会学者のイレーヌ・ペレラ氏は、「若者にとって遠い問題として映っていないだろう。学生の半数は、学費を補填するために就労しており、夏季の季節労働では7割以上にも達している。労働法改正を身近な問題として捉えている可能性が高い」と指摘する(注3)

一方、若者のこうした抗議に関して、エル・コムリ労働相は、「この法案は、若者がより多く無期雇用契約(CDI)で労働市場に参入できることを企図したものだ。有期雇用契約(CDD)や研修など非常に不安定な若者の雇用を改善する目的がある」として、若者がこの法案に反対する行動を理解できないとコメントした(注4)

1年後の選挙を見据えた法案可決

政府は、2016年5月10日、臨時閣議を開き、憲法の第49条3項の規定を利用して、議員による投票・採決を経ずに法案を議会通過させることを決定した。ヴァルス首相は、「妥協点を見出す努力を続けてきており、469カ所に上る修正を行った」ことを指摘した上で、「改革は成し遂げなくてはならなく、国は前進しなくてはならない」と正当性を主張した。この法案に関しては、与党・社会党の国民議会議員の中にも、批判的な意見が少なくなかった。多くの造反者が出た場合、法案が下院を通過できないことを懸念したヴァルス首相は、強行採決を決断したのである。

政府が強行に法案の成立を目指している背景には、なかなか好転しない厳しい雇用情勢がある。フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると、 2016年第1四半期の失業率は10.2%であった(注5)。大統領選及び総選挙(国民議会選)が1年後に迫る中、改革で実績を残し、失業率を低下させ、何とか社会党政権を継続させたいという思惑がある。

国民大多数が撤回あるいは修正を望む

調査会社のIFOPが5月下旬に行った世論調査によると、46%の国民がこの法案を撤回することを、40%が法案を更に修正して成立させることを望んでいるという結果が示された。そのまま成立させるべきだとしている国民は13%にとどまった(1%は無回答)(注6)。すなわち、半数以上の国民は、法案に盛り込まれた内容の一部に理解を示していたのである。

この法案を原案通り、あるいは一部修正して成立させることを望んでいる者の割合は、与党・社会党の支持者で69%、最大野党の共和主義者党でも59%に達した。それに対して、極左政党・左派戦線の支持者では72%が、極右政党・国民戦線の支持者では68%が、法案の撤回を求めた。また、現場労働者(ブルーカラー)の66%が法案の撤回を望んでいる一方で、自由業者(フリーランス)や(上級)管理職では28%が法案の撤回を望んでいるに過ぎなく、年齢階層別にみると、18歳以上25歳未満で48%、25歳以上35歳未満で52%、35歳以上50歳未満で45%、50歳以上65歳未満で52%が法案の撤回を望んでいるという結果であった。

法案公示後も反対運動は継続

6月に入って、審議の場が上院に移った。これに対して、労働組合はストライキなどの抗議活動を続けるとしたが、抗議活動への参加者は、3月31日に全国で39万人(警察発表)(主催者発表で120万人)を記録したのをピークに、減少に転じた。政府が法案を国民議会で強行採決させた直後の5月12日にも抗議活動が行われたが、参加者は、全国で5.5万人(警察発表)であった。

6月13日に上院本会議で審議が始まったのを受けて、CGTが全国的な反対デモを呼びかけた。14日のデモにはパリだけで約8万、全国で13万人が参加した(警察発表)。このタイミングは、夏休み前の学生が参加する、大掛かりなデモの最後のチャンスだったが、労組間の対立などもあり、目標とした参加人数には遠く及ばなかった(注7)

14日のデモは、過激なグループと治安部隊が衝突し、警官29人とデモ参加者11人が負傷して、逮捕者が58人に及ぶなど激しいものとなった(注8)。デモ参加者による投石などの破壊行為によって、パリ15区にあるネケール小児病棟のガラスが割られるなどの被害も出た。パリ市内では廃棄物が回収されず街路にゴミが山積したり、製油所の稼動が停止したことによってガソリンスタンドに燃料が供給されなくなるなど、社会生活に影響が出ており、国民の間にデモ活動に対する否定的な見方も出始めていた(注9)

6月23日のデモの実施にあたって、パリ警視庁は労組に対して、デモ参加者による暴力・破壊行為を防止する目的のために、行進せずに一カ所に留まるように要請した。フランスにおいて、こうした措置は、1962年のアルジェリアの独立をめぐって非常事態宣言が出された時以来となるものであった。これに対し、労組が強く反発したため、バスティーユ広場からアルスナル運河を周回する1.8キロメートルほどの小規模なコースでデモが許可されることとなった(注10)

下院で可決された法案は、上院で改定が加えられ、6月28日に通過した。労組は改めてデモを実施したが、参加者数は、パリで1.5万人、全国で6.4万人(警察発表)となるなど、沈静化へとむかった(注11)

上院での可決後、修正が加えられたため改めて下院での審議となり、政府は尚も法案に反対する労組に対して、産別協定の効力を明確化するなどの妥協案を提示した。

7月5日には、下院で再び強行採決され、この際も12回目となるデモを実施したが、参加人数はパリ市内で7500人、全国で3万人(警察発表)にとどまった。

その後、法案は20日、下院で最終的に可決された。憲法評議会で違憲審査が行われたが、法案の重要項目はすべて承認され、削除を命じた条項はごく一部にとどまった。8月9日に官報に掲載された。

一部の改正措置は公示に伴って施行されたが、今後、適用政令が官報に公示されてから施行される重要措置がある。特に、企業レベルの労働時間に関する労使合意の強化については、適用政令が10月中にも公示される見込みである。この法案に特に反対しているCGTやFOなどの労組は、9月15日に全国で改正法反対デモを行った(注12)。ただ、パリでのデモの参加者数は、警察発表で1万3500人程度であり、その他の、ナント、グルノーブル、モンペリエなど全国のデモを合計しても、7万8000人(警察発表)であり、これが最後のデモになるという印象が強いものとなった。反対派の労組も、今後はデモというかたちではなく、違憲審査請求を含めて法的手段に訴える構えを見せている。

(国際研究部)

(ウェブサイト最終閲覧:2016年9月16日)

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