1991年から2001年までの労働市場に関する立法措置

1.はじめに

「いわゆるビアジ法および来るべき政府の労働改革」との題目でLabour Listに最近掲載された労働改革の議論に対するウンベルト・カラベッリの貢献は、その提案が明確かつ直接的であり、現行の立法が対処すべき問題を明らかにしただけでなく、プローディ政権が提示した労働改革案が、「よく検討すれば、いまだ漠然としており、いずれにせよ全体として、将来よりも過去に注目して策定された文化的な形成物という色彩が濃いようにみえる」ことを的確に指摘する際の方法論的基礎が強固であるために、高く評価されるべきものである。

カラベッリは将来について検討しているが、過ちを繰り返さないために、過去に目を向けることも有用かつ適切である。先日終了した第14立法期間(2001年から2006年)は、過去の2期の立法期間(つまり、1994年から1996年までの第12立法期間と、1996年から2001年までの第13立法期間)から労働市場に関する法的枠組みを引き継いでいるが、この法的枠組みを整理することは有用であろう。カラベッリは、次の2つのキーワードを利用して分析している。第1のキーワードは、制度上のもので、以下の3つの基本的制度に関連する。(1)ECの規制、つまり、EC指令ないしEC司法裁判所の判例および競争保護に関する条約の制限の双方にイタリアの制度が縛られること、(2)1997年改革後、州の権限を遵守するよう定められていること(行政上の連邦制)、(3)立法者が使う法律上の処理方法である。第2のキーワードは、目的論的なもので、1991年から2001年の10年間に実現された労働市場関連の改革と、同改革が対処しようとした問題への帰結を分析する。

2.基本的制度

2-1.EU規制による拘束

  1. EC指令およびEC司法裁判所の判例に対する適正化の側面

    国レベルの立法がEC指令や判例に対する適正化が構造的に遅れているために、その間指令や判例が積み重なっている場合に、国の立法とEU規制とのいずれを遵守すべきかについて混乱が生じている。この点については、職業紹介の公的機関による独占についてイタリアの受けた非難およびその後の立法的措置(1997年の2つの立法措置、つまり、派遣労働に関する1997年6月24日法律196号〔雇用促進に関する規制、いわゆる「トレウ法」〕1条ないし11条と民間仲介業に関する1997年委任立法12月23日469号〔1997年3月15日法律59号1条に定める労働市場に関する権限および任務の州および地方自治体への委譲〕10条)や、集団的解雇の意義(2004年4月8日委任立法110号〔集団的解雇に関する1991年7月23日法律223号の修正および補完〕)、労働時間(2003年4月8日委任立法66号〔労働時間の組織化に関する1993年EC指令104号および2000年EC指令34号の実施〕)を思い起こしてもらいたい。

  2. 競争保護に関するEC条約の定める制限を遵守の側面

    この場合も選択に関する問題が生じる。たとえば、訓練労働契約(ビアジ法により「参入契約contratto di inserimento」に変更)に関する規制がこうしたケースであった。訓練労働契約に関する規制では、企業に対する助成制度があまり中立的でなかった。しかし、こうした中立性の欠如は、雇用水準を高めるための関連優遇措置をめぐってイタリアの企業間で格差が生じていたためであり、理解しえないものではない。

2-2.1997年バッサニーニ改革後における州の権限の尊重

権限侵害のケースはさまざまであり、あるものについては憲法裁判所が把握しているが、それ以外の場合では、奇妙なことに憲法裁判所の判断から「漏れて」いる(こうした例の多くは、訴えがないことによる)。こうした2つの場合については、労働市場の運営に関する立法措置でいえば、職業訓練に関する次のケースが挙げられる。まず前者の例としては、2001年憲法裁判所判決74号がある。同判決は、1997年委任立法469号4条1項b)、c)およびd)の違憲性を指摘した。後者のケースとしては、1998年省令142号によって、訓練・指導見習制度(いわゆる実習)に関する州の権限の廃止が挙げられる。こうした権限の一部は、職業訓練に関する州の権限と統合された。

2-3.立法者の用いる法律上の処理方法

1991年12月から2001年12月の10年間は、行政庁による立法的な措置がしばしば行われたために、国会がこうした措置を取り消すような事態が多くあった。実際、一方では、憲法裁判所による警告にもかかわらず、法律命令decreto legge(注1)が頻繁に利用されていた。こうした法律命令の多くが、労働市場改革に関する措置を定めるものであった(たとえば、1993年7月16日法律236号〔雇用措置緊急支援に関する1993年5月20日法律命令148号の法律への修正付き転換〕、1994年7月19日法律451号〔雇用緊急措置および社会的負担に対する租税投入緊急措置に関する1994年5月19日法律命令299号の法律への修正付き転換〕、1996年11月28日法律608号〔社会的有用労働、所得支援措置および社会保障分野の緊急措置に関する1996年10月1日法律命令510号の法律への修正付き転換〕)。このような事態の欠点の最たるものは、国会が「疲労に襲われる」、つまり、同じような法律命令が繰り返し出されることで国会が倦怠感に覆われ、いつの間にか法律命令の転換に達することである(たとえば、上記の1996年法律608号は、政府の題した14度目の法律命令が転換されたものである)。また他方で、原則や命令規範の点で明確性を欠く委任が発せられる現象も広まっていた。結果、国会による委任の取消がますます増えたのである。

3.1991年12月から2001年12月の間に実施された改革

1991年12月から2001年12月の労働市場関連立法に関する第2のキーワードについては、次の6つの領域を一まとめに考えることができる。つまり、(1)教育および職業訓練、(2)州の職業訓練、(3)職業紹介および就業促進サービス、(4)社会的緩衝措置、(5)企業に対する助成、そして、(6)闇労働対策である。

3-1.教育および職業訓練に関する制度改革

1997年法律196号17条は、その前提において、適切な教育および職業能力向上の機会を労働者に保障する仕組みとして、一方で学校・大学制度と職業訓練制度を、また他方で、労働市場と職業訓練制度を統合することを規定していた。

こうした発想は、EUの方針、とくに構造基金(注2)に関する規制の方針に沿った適切なものである(EUの方針に合致する措置のみが同基金の資金を利用できることになっている)。また、教育および職業訓練制度に関する改革、つまり、1998年12月22日のクリスマス協定と、教育サイクルの再編に関する枠組法(2000年2月10日法律30号)という2つの措置も、この発想を受け入れている(後者の2000年法律30号は、クリスマス協定によって政府が引き受けた責務を取り急ぎ立法化したものである)。教育制度の再編がほとんど実施に移されなかったのは、主として立法措置の開始(2000年2月)とその終了(2001年5月)との間に十分な時間がなかったためといわれている。

しかし、このような正当化は、次の2つの理由により支持できない。まず第1に、クリスマス協定(1998年12月)と立法措置の終了(2001年5月)との間では約2年半、つまり選挙から解散までの議会の存続期間の約半分が過ぎている。そして第2は、2000年法律30号の特殊性に関連するが、同法が実施措置の後に書かれた枠組法だということである。実際、2000年法律30号の公布日(2000年2月23日)にはすでに、教育および訓練のシステムの修正に関する法的な仕組みの大部分ができあがっていた。たとえば、1997年法律196号(トレウ法)、1999年1月20日法律9号〔義務教育の引き上げに関する緊急措置〕(8年から10年への義務教育期間の拡張)、1999年5月17日法律144号〔投資措置、雇用措置とINAILに対する規制の再編に関する政府への委任および社会保障機関の再編〕68条(18歳までの義務的訓練の導入)、1998年2月11日委任立法112号〔1997年5月15日法律59号第1章の定める国の行政権限および任務の州および地方自治体への委譲〕などである。

以上の教育訓練改革(いわゆるベルリンガー改革)については、次の2点を指摘できる。第1点目は、教育に関する点である。1999年法律9号によって定められた義務教育期間の拡張(1999年秋より実施予定)は、法律が実施された後も2年の間実施されていなかった。公教育省は、1999年法律9号の実施のために、1999年8月9日省令323号の公布までの8カ月の期間を費やし、同省令1条2項で、高等学校の最初の2年間、学校に通うことで義務教育期間の拡張を実施すると定めていた。第2点目は、訓練に関するものである。18歳までの間に強制的に訓練を受ける制度を導入するためには(1999年法律144号68条)、次の3つの分野が関わってくる(また、こうした訓練の義務は、かかる3つの分野における課程の履修によっても補完しうる)。つまり、(1)学校教育制度、(2)州の権限にかかる教育訓練制度、(3)見習労働である。この場合の法律の施行措置(2000年9月15日の官報に掲載された2000年7月12日大統領令257号)に関しても、学校教育制度や職業訓練の改革案が策定されることなく16カ月以上が経過している。なお、訓練の義務は、代替可能である。というのも、見習労働を通じて年120時間以上の付加的な訓練を経た場合および年120時間以上外部で訓練を経た場合(トレウ法16条)には免除されると定められているためである(2000年大統領令257号5条)。後者の場合については、企業による見習労働の利用を妨げる効果をもつだろう。実際、雇用に対する国の助成に関するEU法規と抵触するとして、欧州委員会は、訓練労働契約の合法性を問題にしていた。

以上、第1の側面をまとめると、1999年法律9号および2000年法律30号は「非改革」であり、これを廃止したいわゆるモラッティ改革は(2003年3月28日法律53号〔教育に関する一般規定ならびに教育および職業訓練に関する給付の本質的水準の定義についての政府への委任〕)は正当だといえよう。

3-2.職業訓練制度

職業訓練に関する州制度の改革を支える方針は、1997年法律196号(いわゆるトレウ法)の中にすべて規定されている。同法は、1996年の協定で政府が担うことになった責務を性急に立法化したものであるが、こうした責務は1998年の協定でも繰り返し定められ、後にこれは1999年法律144号として公布されている。

1997年法律196号17条に規定された、職業訓練の一般的制度に関する改革の骨子は下記である。

  1. 職業訓練制度を、学校制度および労働界と統合すること。なお、1997年から2001年の5年間に採用されたあらゆる措置が、これとは逆の方針を採っていた(象徴的なのは、職業訓練に関する国と州との権限配分について定めた1998年委任立法112号の140条から147条が、州の職業訓練制度と国の教育制度を厳格に分離して規定していたことである)。

  2. 改革の大きな流れとして、改革の第1段階において規制的性質の措置が採用されたこと。ただし、いくつかの措置は頓挫した。

  3. 一方で、中小企業や職人企業といった企業の競争力を高めるために、また他方で、企業家や自営業者、協同組合の組合員といった人々職業能力を向上させ、これを現代化するために、職業訓練の仕組みを有効活用すること。

  4. 1993年法律236号9条4項によって定められた職業訓練のための循環基金が、継続的訓練のための労使職業間基金に代わった。この基金は、労使協力のもと、企業や地域での職業訓練計画におけるあらゆる継続的訓練措置を運営するためのものである(ただし、2000年法律388号118条が公布されてから3年半も経った後に実施措置が定められた。また、労使の参加は、いわゆるビアジ改革の主たる方針の1つであったことも指摘しておかねばならない)。

訓練指導見習制度に関しては、トレウ法18条と1998年省令142号に沿った規制が採用されている。この規制は、1978年の枠組法(1978年12月21日法律845号〔職業訓練枠組法〕)15条で定められた州の権限と抵触するため、1998年省令142号10条がこの15条を廃止した。

最後に、訓練契約の改革についてみよう。とくに若年者に向けた職業訓練制度の改革の中の重要な契約類型については、1996年から2001年の5年間に政府に対して2つの委任がなされた。つまり、1997年法律196号16条5項(実施期限は、法律の施行日より9カ月以内)と1999年法律144号(同1999年12月31日まで。その後、2000年4月30日までに延期された)である。

訓練契約に対する規制の修正は、訓練労働契約に関する1999年5月11日EU委員会の決定の後、緊急に実施すべきこととなったが、4年間の期間があったにもかかわらず、上記の2つの決定は全く遵守されなかった。ただ、見習労働、採用年齢の引き上げ、契約の最大利用期間の短縮および最低期間の導入といった措置だけが実施されたに過ぎなかった。外部訓練に関する措置も定められたが、省令の採択には約3年間かかった(1997年6月から2000年2月)。

3-3.職業紹介および就業促進サービスに関する変化

この分野に関する立法措置は、1996年から2001年の5年間に集中しており、以下の4つのものがある。

  1. 職業紹介の過程のうち、とくに使用者の負う義務(1996年法律608号9条の2、3および4)および義務的職業紹介に関する改革(1999年3月12日法律68号〔障害者の労働に対する権利に関する規制〕)

  2. 国、州および県が実施する職業紹介および積極的労働政策に関する権限の配分(1997年委任立法469号)

  3. 求職と求人の合致を促進するための措置(2000年4月21日委任立法181号〔1999年5月17日法律144号45条1項a)に定める求職および求人の合致の促進に関する規定〕および2000年7月7日大統領令442号〔1997年3月15日法律59号20条8項に定める労働者の通常職業紹介の過程を簡素化するための規制〕)

  4. 派遣業および求人と求職との仲介業における民間業者の参入(派遣業につき1997年法律196号1条ないし11条、仲介業につき1997年委任立法469号10条(後に2000年12月23日法律388号〔2001年財政法〕117条によって修正))

仕組みとしては、公的な職業紹介から就業促進サービスへと180度転換する改革であり、とくに権限については、官民の協力のために国による権限の独占を廃止して完全に制度を転換した。

こうした措置の大きな目的は、一連の限界に阻まれて達成されなかったが、限界の大部分は、最近の立法によって修正や補完がなされたことで、解決が図られている。

まず、1)についてみると、2002年12月19日委任立法297号〔1999年5月17日法律144号45条1項a)に定める求人および求職の合致の促進に関する2000年4月21日委任立法181号の修正・矯正規定〕6条および2003年9月10日委任立法276号〔2003年2月14日法律30号にいう雇用および労働市場に関する委任の実施〕19条は、管轄局によって遂行される失業状態に関する監視活動と、最近改正された監視局の権限である非正規労働対策との関係で、職業紹介における使用者の果たすべき義務の機能性を高めている。

また、国から州への権限移行の際に実施された障害者の労働への組込みに関する規制について、ここ5年間に州が指揮をとった措置により、1999年法律68号(非常に中央集権的な規制を定めている)に伴う違憲の疑いは弱まった。

2)の権限配分は、2005年以降のいくつかの州法の採択(マルケ州、トスカーナ州、エミリア・ロマーニャ州、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州)に現れている通り、憲法第5編(州・県・地方自治体)の改革の影響を受けている。これらの州法は、1997年委任立法469号が就業促進サービスや積極的労働政策に関する州の規制を、憲法改正によって生じた新しい権限の配分の規定に合致させるために、1997年委任立法469号の規定を完全に塗り替えた。これによって、先に引用した2001年憲法裁判所74号判決の要請が満たされ、さらなる憲法裁判所判決が出ることはなくなった。

さらに、3)の求職と求人の合致を促進するための措置については、2002年委任立法297号および2003年委任立法276号によって、規制が大きく修正されている。これらの委任立法は、一方で一種の実験的な性質をもつ制度を設立し、他方で2)に関連する措置との調整を行っている。

最後に、4)の民間仲介業者に関する規制についても、大きな修正がなされている。こうした民間業者については、仲介業が「排他的に遂行する活動」であることを条件に、業務の遂行が認められてきたため、仲介業者や派遣労働供給業者の事業の開始の大きな障害となっていたが、この制限が撤廃された。

以上に述べたとおり、2001年から2005年の5年間に実施された修正措置は、先の5年間に実現した労働市場改革が、部分的には懐胎期における不安定さのためであるとはしても、極めて不完全であったことの証左であるといえる。

3-4.社会的緩衝措置の改革

良く知られているように、法案848号の2(労働者憲章法18条に定められた解雇規制の修正案を含む)については議論がある。同法案には、社会的緩衝措置および所得支援制度に関する規制の再編を政府へ委任した条文が含まれている(法案2条)。法案848号の2が、法案848号の対象としていたテーマのうち4つの規制(解雇に関する労働者憲章法18条、社会的緩衝措置、失業給付および個別労働紛争の仲裁)を取り出したものであることも同じく良く知られている。これら4つの規制を切り離した後の法案848号は、後に2003年法律30号として承認された。

こうした改革は、制度や財政への影響が大きく骨の折れるものである。議会における議決の課程が遅く、結局実施されなかったというような事態を招く。しかし、実際には、所得支援策に関する改革が、ここ2年間に実施された一連の立法措置を通じて部分的に実施されていることも忘れてはならない。たとえば、2003年12月24日法律350号〔2004年予算法〕3条137項、2004年12月3日法律291号〔2004年10月5日法律命令249号の転換〕1条の5ならびに2005年法律80号〔労働社会政策緊急措置に関する2005年法律命令35号の法律への修正付き転換〕13条2項および7項ないし10項などである。

これらは、社会的緩衝措置に関する「ミニ改革」として非常に重要なものである。というのも、保護の積極的役割(事前対策)に関する1991年7月23日法律223号〔所得保障金庫、労働移動、失業手当、EC指令の実施、職業訓練および労働市場に関するその他の規定に関する規制〕の哲学を、労働移動手当とは異なる所得支援制度に持ち込んだからである。同法は、過去2年間の措置を有効活用して、改革が本当に必要か、問題の簡潔な体系化だけで十分ではないかと自問することが妥当であるという視点に立っている。客体(原因)と主体(受益者)の両側面のもとで社会的緩衝措置の領域について熟考はするが、まず、既存の措置、とくにここ2年間に採用された措置に目を向けるのである。

社会的緩衝制度改革について定めたものとしては、1996年12月23日法律662号〔公的財政の合理化に関する措置〕2条28項があるが、その他にはとくに、1997年2月28日のオノーフリ報告書を策定した政府の特別委員会がこの問題に関わっている。さらに、1998年12月のクリスマス協定やその他の報告書および声明もこの問題に触れており、また、1999年法律144号45条1項では、社会的緩衝制度改革は政府への委任の対象になった。

この委任は、1999年12月31日までに遂行すべきものとされた。実際には、この期限は2000年4月30日に延期されたが(1999年8月2日263号〔労働社会保障省の付属局の廃止規制および見習労働推進緊急措置に関する1999年7月1日法律命令214号の法律への修正付き転換〕1条)、延期後の期限も遵守されず、最終的に改革は頓挫している。

3-5.助成措置に関する改革

この問題に関する研究および検討は、1990年代末ごろから行われている。それによると、雇用促進のために企業に対して行われる助成措置制度の限界として、制度の「硬直性」が指摘されている。具体的には、次の4点である。

  1. 優遇措置に関して定められた手続の複雑さや一貫性の欠如に関わる硬直性。したがって、企業に対する公的支援措置の簡素化および合理化が早急に必要である。

  2. 国の法律が定める優遇措置の許可や利用の要件に関する硬直性(安定的な雇用形態で採用することや、全国労働協約の適用を要件としている)。したがって、グローバル化された市場においては、助成措置や優遇措置をイタリアの企業が利用することが、企業の裁量に委ねられるのではなく、必要不可欠なものになっていることを考慮して、こうした負担を「緩和する」ことが必要である(たとえば、有期雇用での採用にも優遇措置を適用する、全国労働協約の適用については賃金部分だけでも可とするなど)。

  3. イタリアの制度ではほとんどすべての措置について言えることであるが、措置の併用が認められていないことに関する硬直性。

  4. 優遇措置の利用が偶然に左右されることに関する硬直性。たとえば、財源によって上限が定められた場合などがこれにあたる。

このような検討は、雇用に対する助成措置の改革について定めた1999年法律144号に反映された。ここでの改革案においても光と影が存在するが、いずれにしても実施が望まれていた。しかし、同法の委任も期限が延期され(1999年12月31日から2000年4月30日へ)、後に失効している。

3-6.闇労働対策

2003年委任立法276号は、この問題に関して多くの注意を払っている。

  1. 失業手当受給中の労働者を非正規に利用する場合に対する規制(13条)

  2. 使用者が採用に関する通知の義務を怠った場合の罰則規定の再定義(19条)

  3. 偶発的または不規則に労働者を闇で利用する現象を阻止するための派遣労働制度の導入(34条)

  4. 非正規労働の利用がしばしば見られた付随的偶発労働に関する規制(70条ないし73条)

  5. 労働契約の認証に関する規制(75条ないし81条)

2003年委任立法276号のこれらの規定のほかに、監督業務の改革に関する2004年4月23日委任立法124号〔2003年2月14日法律30号8条に定める社会保障および労働に関する監督権限の合理化〕も当然付け加えなければならない。

これらは具体的かつ実効的な仕組みであり、その評価については2001年までの闇労働対策(1989年12月7日法律389号〔拠出逃れ、社会的負担に対する租税の投入、南部における拠出軽減およびに慈善団体への融資緊急措置に関する1989月10月9日法律命令338号の法律への修正付き転換〕、1996年法律608号5条、1997年法律196号23条、1998年12月23日法律448号〔安定化および発展のための公的財源措置〕44条・78条・79条、1999年法律144号44条1項・45条20項・58条13項・63条3項、2000年法律388号116条1項ないし7項)と比較にならない。2001年までの12年間には、7つの措置が実施されたが、これはすなわち、実効性に欠く措置であったために、立法者が次々と介入しなければならなかったということである。

4.まとめ

以上の分析は、1991年から2001年までの立法措置と、第14立法期間(2001年5月~2006年4月)における重要な改革とを比較して評価するものではない。しかし、過去の遺物を取り除こうとするならば、つい先日始まった第15立法期間(2006年4月~)における立法措置がどのような領域に対処すべきかについて見極めるのには有用であろう。ただし、暗い未来を回避することは非常に労を要すると言わねばならない。

出所

  • 当機構海外委託調査員レポート

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