グローバル経済下の出稼ぎ労働者
―沿海地域における労働者権利保護の問題

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年7月

ある女子出稼ぎ労働者の死

培雄五金電鍍工場は、深セン市竜崗区老坑村にある香港系企業である。1998年末のある日、工場内で硝酸運搬の途中、容器の破裂による硝酸漏れ事故が起きた。当時、事故現場に居合わせた29歳の女子労働者、妊娠5カ月の厳海蘭氏が、逃げる途中で床を滑り、濃硝酸溶液の中に転がり、全身71%のひどい火傷を負った。隣にいた同郷で恋人の陳偉平氏も、厳氏を助けるために、全身30%の火傷を負った。

病院に運ばれた厳氏は、胎児を失ったものの、一命を取りとめた。しかし、全治するまでには莫大な費用が必要で、貧しい地域から出稼ぎにきた2人にとって、自力で賄うのは不可能である。工場の香港人社長は、最初に2回に分けて計4.5万元(1元=12.87円)の治療費支払いに応じたが、治療費用の増加を見て、次第に支払いは滞り始め、終に、厳氏が無許可で職場を離れたので、労災としては認められないとの口実を作って、治療費用の支払いに応じなくなった。治療費用の中断により、病院側も厳氏に対する点滴治療を中止せざるをえなかった。

厳氏の命を助けるため、陳氏は、竜崗区の区役所と労働局に訴え、労働仲裁を申し込んだ。厳氏の治療が中止されてから33日後の1999年1月25日に、竜崗区労働局の労働争議仲裁委員会で仲裁が始まった。しかし、仲裁が始まってまもなく、陳氏のポケットベルに厳海蘭死去の知らせが入った。

厳海蘭氏が亡くなってから2カ月後の1999年3月に、労働仲裁の結果が出て、陳氏に会社側から9万元の賠償金支払いが決定された。しかし、その後、香港人社長は実際には陳氏に2万元しか支払わなかったようであり、陳氏は現在、火傷の治療を継続している。

政府統計によると、深セン市の人口は今400万人であり、そのうち、厳氏や陳氏のような出稼ぎ労働者が280万人を占めており、膨大な数の出稼ぎ労働者がこの都市の急成長を支えているが、彼らの労働条件や生活水準は決してよくはなく、社会的弱者の立場に置かれている者が少なくない。

致麗工場の事件が提起した問題

厳海蘭氏の死は、同じ深セン市で1993年に起きた致麗工場の大惨事を思い出させる。1993年11月19日午後、玩具製造工場の深セン致麗工場で火事が発生し、労働者が製品を盗むことを防ぐという理由で普段から建物のすべての窓や玄関が閉じられているため、逃げ出せなかった87名の出稼ぎ女子労働者が焼死し、47人が重傷を負った。

致麗工場は香港系企業で、イタリアのブランドChiccoの請負生産を行っていた。多くの多国籍企業と同様に、Chiccoは他国の企業に生産を委託しており、委託生産工場の多くは人件費の安い発展途上国に設けられている。1979年の改革開放以降、中国大陸の対外貿易の成長は沿海地域に集中しており(1990年代中期では、中国全体の輸出額の約45%を沿海地域が占めている)、同じ時期に、香港の製造業資本は徐々に内陸に移転した(1990年代初期、中国の外資投資の約6割が香港資本である)。培雄五金電鍍工場や致麗工場のような外資系労働集約型企業は、珠江デルタ地域をはじめとする華南経済圏に広く分布しており、これらの工場は、内陸の低所得地域から出稼ぎ労働者を集め、世界的大企業からの請負生産を行っている。農村と都市の所得格差が開いている中、大量の農村若年労働者は――そのうちの多くが女子であり、学業中退の者も少なくはない――沿海地域に出稼ぎにやってきて、無意識のうちに、グローバル経済の中に組み込まれている。

多国籍企業にとっての委託生産のメリットは、直接に現場生産を行う責任を負わずにすむことである。労働者の労働条件や合理的な賃金支給などは、すべて請負先の企業に任せており、親企業としては、現場労働者の福祉や労働組合との交渉などをいっさい考慮せずにすむ。利益追求に駆られる請負先の企業は、労働者の権利保護意識が弱く、生産現場をより人件費の安い場所に求める傾向にある。このようなところでは、労働者は搾取されているだけでなく、しばしば人権も侵害されかねない。致麗工場に火事が発生した時、女子社員はChiccoから請け負ったクリスマス玩具の生産に没頭しており、欧米市場では1個当たり数百ドルの製品を作る彼女らは当時、200人民元(約24.8ドル)の月給をもらっていた。それにもかかわらず、火事の後、Chiccoから死傷者に1銭の賠償も払っていない。現在、「香港玩具生産安全約章聯席」という組織が、死傷者の権利を守るために、証拠を集め、合理的な賠償を求める活動に奔走している。

雇用と賃金における労働争議

雇用や賃金などの面においても、出稼ぎ労働者は権利の保護が問われている。1999年末に、深センや珠海などの外資系企業では、突然の解雇や賃金の不払いなどの事件が相継いで起きた。香港の『明報』によると、珠海市のある日系電子企業は1999年末に、突然、数十名の労働者を解雇したが、そのうちの多くは勤続5年以上の者であり、最長勤続7年の者も含まれている。それらの労働者は、会社側との労働契約期間が満了していないにもかかわらず、ほとんど事前の通告なしに解雇を言い渡された。彼らが最も不満なのは、会社側から何も補償がないことである。

珠海市が定めた「出稼ぎ労働者(臨時工)管理暫定規定」によると、事業主は正当な理由なしに自らの都合で一方的に労働契約を解除する場合、従業員に補助金を支払うべきであり、勤続1年以上の者には、勤続年数に月給を乗じた額相当、勤務半年から1年以内の者には、月給1カ月相当、勤務1カ月以上半年未満の者には、月給半月分相当を補償金として支払わなければならない。

この規定に従えば、勤続5年以上の労働者は、解雇される場合数千元の補償金を受け取るはずである。しかし、実際にはわずか給料1カ月分程度の支払いですませた雇用主が少なくない。

ただ、今回がかつてと異なるのは、労働者に自己の正当な権利を守る意識が徐々に浸透した結果、多くの労働者が、即座に地元の労働部門に訴えたことである。労働行政部門の効率も相当改善され、素早く対応した。深センや珠海などの地域の労働行政部門は、労働者の要求が合法であれば、法に基づいて措置を取ると言明している。

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