(香港特別行政区)居住権判決をめぐり、中国政府との間に波紋

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年5月

香港最高裁判所は1月29日、親が香港に永住権を持つ中国本土の子の香港における居住権の存否をめぐって判決を下した。この判決に対して中国政府が香港基本法の解釈権限に対する判断に不満を表明したため波紋が広がり、返還以来最大の一国二制度の根幹にかかわる憲法体制問題にまで発展した。また香港でも、引き続く不況と失業の中で、この判決の労働市場に対する将来的影響について危惧の念が表明された。

以下、まずこの判決の主要部分とそれに対する中国側の反応をめぐる波紋を概観し、次に判決の労働市場に対する影響について表明された香港側の意見を見ていくことにする。

香港基本法24条は親が香港の永住権を持つ子は香港の居住権を持つと規定しているが、1997年7月1日の返還直後の7月10日に制定された移入制限法は、子の出生時に親のいずれかが香港永住権を取得している場合に、子は香港の居住権を持つと規定した。親が永住権を持つ香港在住の大陸生れの子4人が、この移入制限法は違憲だとして香港の居住権を主張して訴えを提起したのが本件である。

裁判では、基本法158条が基本法の中国政府当局の責任に関連する部分または中国と香港の関係に関連する部分は全国人民代表大会(中国の国会)常任委員会の解釈に委ねられねばならないとしているので、移入制限法のような制限を基本法に加える解釈の判断は全人代に照会せねばならないかどうかが争われた。

これに対して香港最高裁は、事案の争点が香港の自治の範囲内に属するならば基本法の解釈は全人代ではなく香港最高裁によってなされるべきで、全人代の立法が基本法に反する場合は香港最高裁はそれを妨げることができ、事案を全人代に照会するか否かの判断も全人代ではなく香港最高裁が行うべきであると判示した。そして、当該事案は居住権という香港の人権に関するから基本法の解釈は香港の司法権に属するとした原告弁護団の主張を受け入れて基本法24条を解釈し、同条で保証された親が永住権を持つ子の居住権は制限できず、これを制限する移入制限法は違憲であり、永住権を持つ親の子は、出生が親の永住権取得の前後いずれの場合も、さらに婚姻外の非嫡出子の場合も、香港の居住権を持つとの判断を示した。

これに対して2月6日、基本法の起草に携わった中国の法学者が、この判決は基本法違反で中国の裁判権を侵犯し、香港を独立の統治体にするものであると批判し、中国憲法では全人代が最高の国家機関で、いかなる組織や部門も全人代の立法や決定に挑戦することはできないとした。さらに2月8日、国務院情報局長が学者の意見を支持し、居住権判決は誤りで変更されるべきだと言明した。

この中国側の反応に対して、香港の法曹界や諸政党は一国二制度の憲法体制の危機だとしてあくまで判決の維持を要望し、波紋が広がった。だが、香港特別行政区政府は努めて平静を装い、2月13日に董建華長官の意向を受けてエルスィー・ルン司法長官が北京を訪問して中国側の関係者と会談を開き、中国側の趣旨説明を受けた。

その後、司法手続きとしては全く異例の事態であるが、香港政府の要請により最高裁が2月26日に新たに手続きを開き、居住権判決の行論を中国政府の意向に添って説明し直した。この手続きでアンドリュー・リー最高裁長官は、先の居住権判決は全人代常任委員会の香港基本法解釈権限に疑問を差し挾んだものではなく、その解釈に裁判所は従わねばならないと述べ、さらに、基本法に即した全人代の立法に裁判所が疑問を差しはさむことはできないとした。この最高裁の説明は、具体的事案に対する判決の結論自体を左右するものではないが、法曹界と立法会はこれに反発し、司法が政治の圧力に屈した印象を与えて法の支配を危うくするとしている。

他方、香港政府や使用者団体などは、この判決が失業や社会保障支出等に及ぼす影響について懸念を表明している。2月22日に発表された統計では、1998年11月~1999年1月の失業率は5.8%(暫定季節調整値)、失業者数は20万2000人、不完全雇用も前期比で0.2%上昇の3.1%だった。また、2月26日発表の来年度予算の政府見積では、生活保護費は一連の見直しにもかかわらず20%上昇して、130億香港ドルから155億香港ドルに達し、教育費は5.1%上昇して440億香港ドルに達すると予測されている。

このような状況の中でドナルド・ツァン財務長官が座長を務める失業に関する作業部会は、移入者の増大が失業の悪化の原因の一部をなしているときに、居住権判決によって中国からの移住者が増大し、これがさらに失業の増大に影響するとの懸念を表明している(政府関係者は、非嫡出子を含む移住予備軍は100万人を超える可能性があると指摘している)。また、香港商工会議所のジェームズ・ティエン代表は、居住権判決の結果移住してくる成人の技能がどの程度かわからないので、産業界は彼らが社会のためになるかどうか判断しかねており、仕事を提供すべきかどうかもわからないとしている。またカトリーヌ・フォク衛生・福祉長官は、政府見積の155億香港ドルの生活保護費は、居住権判決によって中国から移住する可能性のあるものを考慮に入れていないが、移住者の数がある程度確定できるまでは、生活保護費にどれだけ巨額の上乗せをする必要があるかも決められないとしている。

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