「下崗」と失業労働者急増の背景

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年5月

アジア金融危機の影響を受けて、中国は1998年の対外輸出が伸び悩み、1997年の水準を辛うじて維持するにとどまった。国内経済もデフレの様相を示し、市場の低迷は極めて深刻である。不況の波は、改革開放後最も活気を持ち続けてきた郷鎮企業にも及んだ。同年下半期、政府は財政出動政策を講じ、6回にわたる利子率の切り下げと共に1000億元の国債発行によって、インフラの建設を拡大させ、公約の8%に近い7.8%の成長率をどうにか維持した。

1998年の国内の労働問題の焦点は、言うまでもなく「下崗」と呼ばれる国有企業労働者の一時帰休である。国有企業は現代的企業制度を導入した結果、「下崗」(一時帰休)労働者を急増させた。「下崗」という言葉が最初に現れたのは1994年頃であったが、この下崗労働者は1996年に892万人、1997年に1200万人になった。そして、1998年年末には1600万人に上り、1999年末頃にはさらに2700万人程度になるとの予測もある。1998年公表された都市部の失業率は3.3%であるが、実際は6~7%にのぼる模様で、実質的な都市部失業人口は約1100~1250万人と内外の専門家は見ている。これは建国50年来最高というべき記録である。

なぜ急にこのような高失業の状況が中国で起きたのであろうか。

第一の原因は、中国は1970年代末から「1人子政策」により人口増加の抑制に努めてきたにもかかわらず、現在依然として就業適齢人口は逓増中である。世銀の統計によれば、中国の15~64歳の人口は約7億人で、この膨大な就業適齢人口の存在は就業への大きな圧力となっている。計画経済時代から高就業政策を実施した結果として、中国は現在、総人口比の就業率は発展途上国と先進国のいずれの平均水準も大きく上回っており、女性の就業率でも群を抜いている。大量の下崗労働者の出現は、中国がかつての行政主導型の高就業モデルから、市場調整型の就業モデルに転換する陣痛期にあることを示すものであろう。

次に、中国は現在、産業構造の大規模な調整期に直面している。1990年代に入り農業部門はかつてのように大量な労働人口を吸収できなくなり、新規労働力受け入れの主力は第二次産業に移った。しかし、既に20年間の改革開放を経て中国経済は、かつてのような「物不足」時代から「生産過剰」、「供給過剰」の時代へと変化した。このような深刻な構造変化は紡績、繊維、石炭、冶金、機械、鉱業、軍需などの伝統産業の国有企業を生産ラインの稼動停止、若しくは休業、ひいては破産にまで追い込み、大量の下崗労働者を生み出したのである。現在の高失業率は、このような経済構造の変化による構造的な失業問題である。

三番目に、近年の市場経済の発展は、中国経済に占める国有企業のウエイトを著しく低下させたが、他方、非国有企業はまだ国有企業の余剰労働者を大量に吸収するほどには成長していない。1985年から1997年までに、国有企業が工業総生産に占める割合は64.9%から26.5%へと大幅に減少したのに対して、国有企業従業員の工業企業従業員総数に占める割合はほとんど変わっていない。下崗とは、このような国有企業の余剰労働者を顕在化させ、非国有企業に吸収移動させるまでの待機期間を作るというやむを得ない選択である。

四番目に注目すべき点は、近年の中国経済の高度成長は、それによって当然生じるはずの労働力需要を生み出さず、成長に見合った高就業率を伴っていないことである。過去5年間、中国は平均して11%を超える経済成長を達成した。しかし、この5年間は同時に就業増加率の最も低い時期でもあり、平均してわずか1.3%しか伸びなかった。すなわち、最近の経済発展は、資本投入による成長が顕著であるものの、新規労働力を大量に吸収するどころか、国有企業の既存労働力を押し出す結果となったのである。

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