1998年 学界展望
労働調査研究の現在─1995~97年の業績を通じて(7ページ目)


6. 未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係

論文紹介

佐藤

これまで(1)で中小企業の雇用問題、(2)あるいは(4)でホワイトカラーの人事労務管理の問題を取り上げました。そこで、ここでは中小企業とホワイトカラーの労使関係にかかわる研究をとりあげたいと思います。つまり未組織労働者が増えてくる、管理職層が増えてくるという状況の中で労使関係が一体、どうなっているのかという点について、この間の調査を見てみました。

簡単に論点を申し上げますと、日本の大企業に比べて中小企業の労働組合組織率が非常に低いわけです。小池さんが最初に、中小企業の労働問題を整理していますが(小池和男『中小企業の熟練』同文舘、1981)、一つは企業規模間賃金格差。第2点は、労働組合がなく未組織だということ。分配にかかわる発言権での劣位に一つの大きな問題があるという指摘です。本来、労働条件が悪いところでは労働者の利害を代表する仕組みがあって、底上げをしていくというのが非常に重要な課題になってきますが、事実は組織率は下になるほど低くなってくるわけですから、労働条件の悪い人たちが労働条件の改善を目指す仕組みというものがないというところに問題があるわけです。

しかし、労働組合がないということがイコール、いわゆる中小企業の労働者の集団としての発言機構がないということを意味するのかどうか。あるいは、従業員と経営者との間のコミュニケーションがないということを意味するのかどうかについてはまた別の問題です。事実、小池さんがいわばパイオニア的に従業員組織の事例を分析(小池、前掲書)するなかで、中小企業でも週休2日制の導入に関して賃金や労働条件について話し合いをしている従業員組織が存在していることを見いだしたわけです。

論文1.佐藤博樹「未組織企業における労使関係」

まず、佐藤博樹(1994)を取り上げたいと思います。

主な事実発見の要約として、個人単位の組織率だけでなく、事業所単位の組織率も実際、推移としては低下してきている。また、未組織企業で労働者の集団的発言機構がないわけではなく、労使協議制や、あるいは従業員組織はかなり広く存在しており、一定の機能を果たしているということが明らかにされています。この場合、労使協議制が約3割ないし4割の事業所、そして従業員組織が約5割の事業所にあるということが指摘されています。

特に、佐藤さんの研究の中で重要なのは、従業員組織の中でも社員会、親睦団体など、労働条件に発言している発言型の従業員組織がかなり存在していることが明らかにされていることです。

さらに、その発言型従業員組織の性格というのは、労働組合に対して、受容的ではない。むしろ、従業員の意向や要望を把握する必要性は認知されているけれども、その要望伝達機能というのは労働組合でなくてもよく、むしろ従業員組織でもいいというような評価が主流になっている。したがって、未組織での、組合のない事業所での発言型従業員組織の組織化が、労組の組織化を受け入れる形での労使コミュニケーションの必要性というものを低下させている可能性がある。もっと乱暴に言うと、発言型従業員組織があれば労働組合はなくてもいい。発言ができているわけですから必要性はない。経営者のほうもそういうような認識はかなり強いという指摘がなされています。

論文2.都留康「無組合企業の労使関係」

さらに、そういう研究も踏まえて、都留康(1997)(バックデータは日本労働研究機構〔報告書No.88、1996〕)を取り上げます。

都留さんによると、これまで未組織分野での労使コミュニケーションには、幾つかのチャネルがあった。一つは、すでに言われていますが、労使協議制。もう一つは従業員組織である。それから経営者や管理者との懇談会や管理職会議。それと中間管理職。このように整理したうえで、解かれていない課題として次の3点を整理します。

第1点は、未組織での従業員参加のレベルあるいは組織セクターの研究が多いわけですが、発言型の性格規定については、なお深い考察をする必要があるという点です。特に労働組合の機能を代替しているかは、非常に重要な問題なので、果たして発言型であっても、従業員組織が労働組合の性格と一致するのかどうか。これについてはさらに深い考察が必要だろうとしています。

2点目には、労働条件決定プロセスの分析をする必要があるということです。小池さんのフロンティア的な研究では労働時間、特に週休2日制の導入にかかわるケーススタディがあったわけですが、もう一方の賃金について、それがどのような仕組みで決められるのか。未組織についてはこれがよくわかっていないわけです。

企業内での発言機構の組織状況を見ると、労使協議機関があるところが16.9%。それから、そういうものを開催したところが24.6%。常設でなくても、その時々で開設していることも示唆されているわけです。それから、従業員組織があるところが6割強となっています。そのうち、発言型が2、親睦型が8という割合になっています。

それから、発言機講の全体構造を見たときに、労働組合のあるところでは団体交渉や労使協議が当然中心になってくるわけですが、無組合企業では経営方針の発表会だとか職場懇談会といったものや、ラインを通じたコミュニケーションも行われている。いろいろなチャネルがいろいろな形であることが明らかにされています。

最後に第3点は、従業員組織、特に発言型の従業員組織の場合の意義と限界についてです。春季の賃金改定プロセスを見ると、実際には妥結の決定時期が無組合企業は組合のあるところよりもばらつきが大きくて遅いという結果が得られています。これは何を意味するかというと、無組合企業で発言型の従業員組織があった場合でも、組合と違って、その従業員組織独自の判断で賃金決定を行っているのではなく、組合のあるところの妥結水準が波及してきて、それを見て決めている。つまり外部(=労組)に依存しており、その意味では限界を持っているのではないかという指摘です。いいかえますと、従業員組織が発言型であっても、労働組合の機能と一致するものではなく、そこに意義と同時に限界もあることを明らかにしております。これはある意味では小池さんが従業員組織は事実上の企業別組合である、といったように、いわゆる産別機能の上部団体を持たずに、世間相場のパターンセッティングというものを自ら行いえない。そういう限界を具体的な数値に基づいて明らかにしたという意義があるのではないかと思います。

論文3.連合総合生活開発研究所『労働時間制度における労使の関与に関する調査研究』

次の連合総合生活開発研究所(1995)は労働時間をめぐる労使関係について触れています。

これによると、細かな事実発見は割愛しますけれども、一つは労働時間における労使関係は大きく分けると、[1]労働組合の代表がたとえば三六協定の締結主体になっている場合、[2]未組織の場合では従業員組織の代表が協定の代表になっている場合、[3]協定の代表がその都度決められている場合と三通りあるわけですけれども、組合のあるところで組合と従業員組織の代表と協定代表を比べてみると、[1]~[3]の順で産業民主制度の程度が劣ってくるという傾向が見いだされています。

さらに分析として面白いのは、[1]労働条件を上げるためにも経営領域にまで発言しているような「参加分配型」、[2]経営領域には関与しないけれども労働条件だけはよくしろという「分配重視型」、[3]経営領域には発言するけれども労働条件にはあまり発言しない「参加重視型」、[4]どちらにも発言しない「ほどほど型」というふうに分けて分析しています。

その結果、組合が代表のところでも、「ほどほど型」のようなものがある反面、組合以外が代表になっている場合でも「参加分配型」や「分配重視型」が結構入っており、組合があっても、ほどほどのところもある。ないところでもちゃんとやっているところがあるという示唆がなされています。

今一つ重要な点は、労組の有無を問わず、経営協議の場で従業員代表の類型と労働時間の実態を調べた結果、「参加分配型」>「分配重視型」>「ほどほど型」の順で労働条件の状態が良好になることです。これは一つの解釈ですが、労働時間の実態を改善するには、制度のみならず組織や仕事のあり方も含む改革が必要であると考えられます。つまり、分配だけを重視するような発言ではなく、それをよくするためには経営領域にまで踏み込んだ発言が必要になってくる。そして、事実、そうやっているところでは労働時間の状態も良好である、という結果が得られています。

論文4.久本憲夫「管理職クラスと労働組合員の範囲」

これまでの研究は中小企業(=未組織分野)の労使関係にかかわる研究でしたが、最後にホワイトカラー(=管理職)の労使関係にかかわる研究として久本憲夫(1994)(バックデータは連合総合生活開発研究所〔1994〕)をとりあげます。これはすでに管理職層が増大してきているという前提のうえで、それではそういう人たちの利害にかかわる発言あるいは労使関係がどうなっているのかについて見ています。

管理職層で問題になってくるのは2点あります。一つは、[1]労働法上で労組法第2条但書1号による使用者の利益代表者であるということで、役員や、雇い入れ・解雇・昇進・異動に権限を持つ立場にある者、これらについてはいわば労働組合の範囲から除外していくという規定がある。それからもう一つは、[2]労働基準法上、いわゆる監督者もしくは管理の立場にある者は労働時間、休息・休日に関する一般職員に適用されるものは適用除外になってくる。

法律上は、[1]、[2]はいわゆる非組合員という形になるわけですが、実態は定かではなく、久本さんはその点を分析したわけです。特に、管理職層とはどのような従業員から構成されているのか。名実ともに[1]、[2]を満たした者であるのかどうか、この点が争点になると思います。

結論的に言うと、実際には管理職層といっても使用者の利益代表ではないような者が随分入っていて、その割合が明らかにされているわけです。また、労働基準法上の管理職と労働組合法上の非組合員資格はほぼ重なっていることも明らかにされています。

先ほどの範囲の問題でいうと、実際に部課長は別としても、副課長だとか、ライン外の課長であるとか、こういう人たちが実際、非組合員とされるべきなのかどうかということについては慎重であるべきであり、むしろ現実の権限だとか法律上の規定に照らして言えば、それは組合員であるべきです。むしろ、組合はその層をもっと組織化していかないと、これから管理職層が増えていくなかで、組合は従業員青年部になってしまう可能性がある。

そのようなことで、最近のホワイトカラー、特に管理職層の増加のなかで組合員の範囲が事実上問われている。そして、法律の規定に厳密に照らして言えば、当てはまらない、特に使用者の利益代表者じゃない管理職層はもっと積極的に組織化していくべきではないか。これが久本さんの結論です。その意味で非常に注目すべき研究であると思いました。

討論

無組合企業の労使交渉

松繁

切り口としては二つあると思います。

一つは、要するになぜ企業内に、こういうグループというか労働者の団体というものが要るかという組合の根本にかかわる問題です。考えられる理由としては個々に交渉するよりも団体で交渉したほうが効率がいいという点です。それから、企業規模があるレベルになると、経営側だけではすべての要求をすくい上げられず、もっと下部の組織をつくったほうが労使関係が良好になるという点があると思います。さらに、人的資本の理論から言えば、企業特殊的な技能があり、相互独占の状況が起きるので、経営者も労働者も協調的な関係を持ったほうがいいという点があると思います。要はこれらの要因がどの程度存在するかということだと思います。

もう一つの切り口は、普通、会社側は1人の首を切ったり、1人がやめても経営全体には大きな影響を及ぼさない。ところが、首になったり、仕事を失ったりした人たちは生活そのものの基盤が崩れるわけですから、非常にリスクが大きい。1企業と1労働者ということだと圧倒的に企業の立場が強くなる。だから、組合や従業員組織が必要だという見方です。

前者の規模の問題で面白い例を挙げますと、ニュージーランドでは新しい法律ができたことで、経営者が個々の労働者と個別に雇用関係を結べるようになり、結果、組合がほとんど壊滅的な状態に陥ったわけですが、その後、また徐々に企業内組合みたいなものができてきたようです。やはり、あるレベル以上になると、どうしてもそういうものが存在する必要がある。それかどのレベルなのかということが気になっています。

そうすると、佐藤さんはすなわち、規模の小さいところの労働者が比較的強く企業内従業員組織を必要としているにもかかわらず、そこでは企業内従業員組織が存在しないといわれましたが、本当にそうかという疑問が生まれます。もし、企業規模が大きいところで、情報伝達を円滑にするために組合が存在するとすると、規模の小さいところは、あえて伝達機能を入れる必要がないということになります。となると、未組織のところは従業員組織がなくても、特に問題はなく、逆にあるからといって、ない企業と比較しても、賃金などが特に変わらないという結果が出てもいいのではないでしょうか。

それから、後者の切り口の企業と労働者のどちらが強いかですが、先ほど八代さんが言われたように、かなり外部的な市場が発達して、一つの企業をやめても容易に次で働けるという状況が起きてくると、労働者の立場は強くなります。そういう状況が生じてきたので、組織率が低下しているのかもしれないという仮説も成り立ちます。これまでの分析ではどうなっているでしょうか。

佐藤

なぜ中小企業に労働組合が少ないか。この問題は事実として存在するわけです。それは今、松繁さんがおっしゃったことがかなり説明していると思います。しかし、中小企業という場合も、これは私の個人的な整理ですけれども、基本的には30人未満の層と300人ぐらいのところと労使関係というのは大きく異なるだろうと思います。

たとえば30人未満のところは労使関係が成立する世界ではないし、また逆に言うと労務管理が成立する世界でもない。ここはある意味では自助努力の世界でやっていくという感じだと思います。自助努力でやっていくという場合に、一つには労働条件を上げようとする場合に独立開業がある。それからもう一つは転職です。悪いところはやめて、いいところに移っていく。それが事実上、成立しています。

八代

ボイス(発言)ではなくて、エグジット(退出)ということですね。

佐藤

そう、エグジットということですよ。ボイスはそこでは働かない。必然性もないわけです。そしてまた、会社の社長も十数人のところは働きぶりをすぐ見たらわかりますから、別にそんなやかましいルールをつくらなくても職場懇談会でいいという感じになると思うのです。あってもレクリエーションぐらいの機能があればいい。これが、従業員組織の一つのタイプですね。

ところが、300人ぐらいになってくると、都留さんの調査対象企業の平均は313人ですから、これは完全に労務管理の機構とある意味での労使関係が芽生えてくる世界ですね。この規模になってくると、社長は当然、従業員の意向を把握するには逆にコストがかかる。そこで組織をつくってもらって従業員にニーズを伝えてもらったほうがいいという意味で会社から見てもメリットがあるし、従業員もある意味ではスケールメリットが働きますから、1人よりも集団で発言したほうが労働条件がよくなる。そういうことが相まって、一定の労使関係の世界が出てくるわけです。

八代

労使関係でも、人事管理でも、制度をつくるスケールメリットみたいなものがあり、それが規模によって制約されている。30人では労使関係でも、人事制度でも、スケールメリットがないということですね。むしろ属人的な世界になっている。

佐藤

属人的のほうがコストがかからなくていい。いちいち、ルールをつくるのもコストがかかるわけですから。また、運用するのも面倒くさくなってくる。

松繁

もう一つの点としては、組織率が減っているのは組合の必要性が減少しているからだという議論は、ちょっと拙速な気がします。

これだけ情報化が進んでいると、ほかがどうしているかを簡単に把握し、まねができる。実際、賃金決定において未組織のところは春闘の結果を見て自分のところの判断を下す。そうすると、組合が一つでもありさえすれば、ほかはそのまねをするので、結果として全く同じになる。ならばたとえ一つしか存在しなくても、組合の存在価値は十分あるということです。

八代

いわゆるパターンセッティングですね。

松繁

そうです。模倣が非常に簡単にできるようになったとすると、組合の効果がはかりにくいのは当然のような気がします。

また、今まで組合の効果をいろいろな人がいろいろな角度ではかってきましたが、一つ新しい点は、労働時間については効果がありそうだということです。どうしてかは、理論的にも詰めていく必要がありますが、これは新しい発見ではないでしょうか。

佐藤

今まで、わりと賃金が多かったですからね。

成果主義管理と労働組合

八代

先ほどの議論で成果主義管理、つまりアウトプットによる管理がこれから広がっていくだろうと言われている。しかし、組合というのは伝統的に、どちらかというとインプットで管理される人たちを対象に組織されていました。そうすると、アウトプットで管理される人たちが増えてくると、そのことは組織率や労使関係にどのように影響するのでしょうか。

佐藤

それは非常に大きな問題だと思いますね。

八代

成果主義で管理される裁量労働の人たちというのは、かなり仕事の内容は個別化していますね。そうすると、組合のコレクティブ・インタレストになじむのかどうか、よくわからない。その辺を含めた人事管理の変化に伴う労使関係の変化というのは、どうなんでしょうか。

佐藤

中小の未組織の話と管理職層の話とを分けたいのですが。

まず管理職層の課長クラス、こういうところで見たときに、純粋に管理職として部下がいて仕事をしているのではない人たちが増えてきているというのが久本論文のポイントですね。そこはまさに、組合が働きかけたとして彼らが組合員になるメリットというのは何なのかということになりますと、それはまさに今の八代さんのご質問にかかわってくる。一つは、昇進の問題とか評価の問題について組合がきちんとした情報を提示してくれる。あるいは、その問題にまで企業側に踏み込んでやってくれるということ。あるいは逆に、組合として経営側が提示する昇進や評価のルールとは別のルールを提示していく。こういうものが魅力としてないと、組合側に取り込むということは難しいと思うのです。その人たちにとってのメリットはないですよね。

八代

電機連合などは、わりと組合員でも格差をつけようということを言っていますね。組合が組合員の間の格差というものをどのように考えるか、あるいは査定というものをどのように考えているか。その辺が重要な問題ですね。

松繁

ただ、歴史家に聞いてみないとわかりませんが、職能等級とか査定が入ってくる段階で、組合はそれほど強く反対しなかったのではないでしょうか。

八代

それは藤村博之さんの論文(藤村博之「賃金体系の改訂と労働組合の対応」橘木俊詔編『査定・昇進・賃金決定』有斐閣、1992年、所収)で、査定制度を採用していて、一度やめた企業で、組合のほうからむしろ仕事ぶりを正当に評価してほしいということで査定制度を復活したという事例がありますね。

松繁

ヒエラルキーの下部のところでも差をつける点が日本の特徴ですが、労働組合がそれに対して強い反対をしていないとすると、管理職のところで成果主義で差をつけるということに対して組合の中にそれほど大きな抵抗はないのではないかと思います。とすると、あとはノウハウの問題で、どういうような評価、処遇制度を提示するかという議論に移ってしまうと思います。

八代

今の職能給で査定が入った際に、組合が反対しなかったというのは松繁さんがおっしゃるとおりだと思います。ただし、職能給における査定というのは、ある意味で「下方硬直性」の世界ですね。しかし、組合員のほうに成果主義が入ってくると、成果主義における査定の問題というのは、今までの職能給における査定の問題とは、組合の受けとめ方が違ってくるかもしれませんね。

電機連合の場合は、査定を是認するというのは、雇用を守ることに対する優先度が強いということの裏返しかもしれないんですけれども。

それから、組合員の範囲という久本論文の視点は面白いと思います。先ほど、従業員青年部という話が出ましたけれども、組合財政という面から見て組織化の問題、そして、それを規定する組合員の範囲というのは重要ですよね。

松繁

そこでも規模の経済性というのがありますからね。

八代

組合が組織化するインセンティブというのは一つは財源の問題ですよね。

佐藤

そうですね。財源がないと運営もできませんから。

松繁

労働時間の問題に関して言えば、たしか未組織のところのほうが労働時間が長い。一方、今までの議論にも出てきましたが、裁量権が下にどんどん下りてきて、成果主義にならざるを得ないようです。そうすると、労働時間を縮めようという動きとは逆に裁量性が増えるので労働時間が増える、さらに成果主義がそれとともに入ってくることで、また労働時間が増えるという問題が起きてくるかもしれない。

佐藤

連合が基準法の改正を事実上改悪だと言っていることのベースにある認識はそれですよね。裁量労働にすると結局、粗放的な労働になる可能性がある。いい成果を出すには実態として労働時間が長くなることもあるわけですから、そういう傾向を踏まえた危惧が一つあるということです。

もう一つは、要するに三六協定が本来の残業抑止効果として機能していないということがあるんですね。組合側は、法律に目安表示じゃなくて、上限をきちんと書き込むことを要求しています。

松繁

となると、家事との両立がますます難しくなる可能性がありますね。

佐藤

そうですね。今までの男性の労働基準と女性の労働基準の2本立てできたものを、男の労働基準1本でいくということですから。

松繁

非常に競争が激化したところで仕事をしないといけない。まさに競争に直接さらされるような労働が増えていく、家庭をだれが守るのかという問題がさらに重要になってくる。

佐藤

はっきりと出てくると思いますね。

松繁

女性が家事を負担しつづける状況ではちょっと女性にとっては……。

佐藤

厳しい状況ですね。

松繁

しかし、次の世代をどうやって育てていくかというのは社会全体の重要な問題ですから、社会制度として適切に制度化していく必要があるでしょう。労働市場全体の流れで見ると逆の方向に行く可能性が非常に高いとすれば、ますます制度的に別のメカニズムを経済の中に組み入れていく必要があるように思います。

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