1998年 学界展望
労働調査研究の現在─1995~97年の業績を通じて(3ページ目)


2. ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較

論文紹介

八代

ホワイトカラー関係の文献は2. と4. 高齢化・中途採用・職業資格と労働市場で取り上げられます。4. では、たとえば中途採用、出向・転籍、あるいは職業資格の台頭といった、現在、企業内労働市場が直面しているさまざまな環境変化を取り上げています。

これに対して、2. で私が取り上げた調査研究は、ちょうど採用、異動、昇進、人事制度そして「天下り」といったホワイトカラーの雇用管理の重要な側面にそれぞれ対応しています。

論文1.苅谷剛彦編『大学から職業ヘ─大学生の就職活動と格差形成に関する調査研究』

まずホワイトカラーの雇用管理の重要な側面は採用ですが、これについては苅谷剛彦編(1995)が対応していて、大学教育と就職との関係を取り上げています。苅谷さん自身がお書きになった、第2章「就職プロセスと就職協定」が、この報告書の概要を示しています。

この調査は、4年制大学の845人の卒業予定者を対象にして、1993年に行われました。ですから、就職協定というものがまだ存在していた、言わば「アンシャン・レジーム」時期における就職戦線の実態を記述したモノグラフとして大変重要ではないかと思います。

調査のユニークな点は、調査対象者を大学の偏差値別に高い順からA群、B群、C群の三つに分けて、その偏差値別に分析しているという点にあります。何を分析したかというと、まず就職活動の時間的推移、2番目は就職協定の役割、3番目は就職活動における大学ランク間の差異を検討しています。たとえば就職活動で資料を請求した時期はいつなのか、それから、内定獲得の時期というのを累積していくと、一体、どこの時点で内定の開始が始まり、どこでカーブが立っていくのか。OBがどういう役割を果たしているのか、といった点です。

非常に面白いと思ったのは、大学偏差値別に個人の選職行動というのがかなり違っていて、C群という偏差値のあまり高くない大学の学生ほど早い時期にスタートする。資料を請求したり、会社に連絡したり、人事セクションヘ連絡したり、リクルーターに連絡したりというのが早い時期に行われている。それに対して比較的偏差値の高い大学の学生というのは、その点はおうように構えている。

また企業のほうから見て、トップの企業、準大手の企業、中小企業というふうに分けて、企業のほうから学生に接触する時期がどのようになっているかというと、これもある程度傾向が出ていて、トップの大手の企業ほど就職協定を無視はできないということがあって、動き出す時期が遅い。それに対して、採用に際して労働市場で必ずしも立場が強くない中小企業ほど、早めに学生に接触しています。

内定時期を累積値で見ていくと、A群という偏差値の高い大学ほど6月中旬~7月上旬に一挙に決まってしまうのに対して、C群の大学はだらだらと10月を過ぎても、まだ全員が決まらないという状況です。それと同じような図式が大手、準大手、中小という形で見られていて、トップの企業は学生に接触をするのは遅いけれども、内定時期は7月のかなり特定の時期に集中していることがわかります。

このように、労働需要側から見ても、労働供給側から見ても、大卒労働市場というのは階層化されていて、それによって、学生が接触する時期、企業が接触を始める時期、内定が決まる時期、リクルーターの動き出す時期、そういうものが違ってきていることを、この報告書は指摘しているのです。

論文2.日本労働研究機構『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム』

2番目は、私も参加したのですが、日本労働研究機構(報告書No.95、1997)です。この研究では、大卒のホワイトカラー、あるいはマネジリアル・プロフェッショナルのヒューマン・リソース・マネジメント(以下HRM)を日米英独という先進4ヵ国の大企業を対象にして国際比較しています。こうしたマネジャー層の雇用の国際比較は、ノースウェスタン大学のマイロン・ルームキン教授の行ったものを除けば、海外でもほとんどないと思います。

研究の概要について触れると、日米英独の大企業30社に国別調査チームをつくって聴き取り調査を行いました。特に国際比較という観点から、営業と経理という二つの職能に限定して、HRMを比較しました。聴き取り調査としては、まず、人事部門に話を聞き、職能に下りて経理と営業のマネジャーに2度ずつ話を聞くというやり方をとっています。

プロジェクトのリーダーである小池さんの要約部分から主要な論点を2点挙げると、第1点は、キャリアに関することです。不確実性をこなすノウハウというのが技能形成において重要な部分であり、それはOJTでしか獲得できない。OJTを獲得するためにはキャリアを組むのが重要である。それでは、そのキャリアにはどういう特徴があるかというと、それは複数職能経験型もあるし、単一職能経験型もあるし、単一職能の中の特定の領域にさらに特化しているという場合もあるだろう。

そこで聴き取りを行った結果、ここでは「幅広い1職能型」、つまり営業なら営業というファンクションの中でさまざまな仕事を経験するというやり方が各国に共通していました。

それに対して、「幅広い1職能型」を企業内で形成するのか、あるいは外部労働市場で形成するのか、その点については必ずしも共通の傾向は見いだされませんでした。日本はほぼ完全な企業内労働市場ですけれども、アメリカはかなり流動的です。イギリスは短い他社経験の後、企業内化していきます。

第2点は、技能形成のインセンティブの問題です。不確実性をこなすノウハウというものが重要とすると、それをどのようにして企業が従業員に習得させていくのか。そのためには、インセンティブが必要となる。では何がインセンティブとなるのか。

この点について考えられるのは昇進と賃金です。この点について4ヵ国を比較した結果、「緩やかな資格給」という点が共通していることがわかりました。

今少し詳しく述べると、日本の場合は職能資格制度という文字どおりの資格給です。職能資格は労働供給側の属性ですから、労働供給側の職務遂行能力の水準によって給料を払うのが資格給です。したがって、職務遂行能力が高くなれば、その結果をきめ細かく賃金・処遇に反映できるというメリットがあります。他方、他国について資格給と小池さんが呼んでいるものは何かといえば、それはレンジのついた職務給です。シングルレートの職務給だと、これは完全に職務の価値で賃金が支払われます。ですから、個人の働きぶりが賃金に反映されないことになります。だから、多くの企業は職務給にレンジを設けています。このレンジが200%という非常に広い場合があって、これを「ブロードバンディング」と呼んでいますけれども、職務給のレンジが広くなればなるほど、それは実質的に資格給と同じなのではないか、そういう意味で「緩やかな」資格給が各国に共通していると考えることができます。

昇進のスピードについては国によって相当違っていて、入社後一定期間は同一年次の従業員の間に昇進・昇格で差をつけないという「同一年次同時昇進」をとっているのは、やはり日本だけでした。

論文3.石田英夫・守島基博・佐野陽子責任編集「研究人材マネジメント:そのキャリア・意識・業績」

石田英夫ほか編(1996)に移りますと、この研究は、大手製造業10社の基礎研究者1110名(有効回収989)を対象に実施した、質問紙調査の結果を検討しています。調査票では、採用方法、企業内人材異動、能力開発、専門職制度、さらには年齢限界など多岐にわたる問題を取り上げています。

ここで幾つか興味深い事実が見いだされています。まず企業の中で基礎研究所にいる人たちも相当幅広い異動を経験しているということがわかりました。「一貫型」という基礎研究部門と応用研究部門に一貫して配属されている人は2割前後であり、したがってある年齢になると別の部門に基礎研究所の人も転出していくわけです。

それがなぜ起こるのかということですけれども、ここでは「年齢限界」に関する設問を設けています。研究者に「年齢限界があると思いますか」と尋ねた結果、「ある」と答えた研究者が6割近くに達しました。その理由として考えられるのが、「管理業務による多忙」とか、「研究以外の仕事による多忙」とか、要するに雑用ですね。そういうものによって年齢限界が発生している。だから年齢限界を克服するためには、管理業務から解放した専門職のキャリアを設けることが必要であるというのが、この報告書の一つの主張になっています。

ただし、年齢限界が何歳で発生するかというと、かなり個人差があるわけです。それに対して管理業務とか雑用は、年齢に相関しているんですね。そうすると、ある一定年齢で与えられる管理業務から解放したからといって、ほんとうに年齢限界を克服できるのかという点については若干疑問があるというのが私の感想です。しかし、年齢限界と管理職、専門職の関係というのは面白いポイントではないかと思います。

それから研究のインセンティブとしては、企業側が大事だと思っているものと個人が大事だと思っているものが異なり、個人の側は仕事の裁量をもっと高めてほしいと考えている。会社のほうは、どうも昇進とか賃金で報いたいと思っているけれども、個人のほうは仕事の裁量性とか研究テーマを自由に選びたいと考えている。そういうふうに個人の考えるインセンティブと会社の考えるインセンティブに乖離が生じていることもわかりました。

論文4.竹内洋『日本のメリトクラシー─構造と心性』

第4番目は、竹内洋(1995)です。ここでは、昇進に関する部分のみを取り上げます。先の日本労働研究機構(報告書No.95、1997)で各国間の差が大きかった項目で、ここでは大手生命保険会社と他の1社を対象にして、大卒社員の縦のキャリアを検討しています。

ここで竹内さんが見いだされた論点というのは二つに整理できると思います。

一つは、同期入社における昇進競争が時間の経過とともに、異なる形態に転化していくこと。まず、全員が一律に上がっていく「同期同時昇進」。次に、今度は全員が昇進できるという面では同期同時昇進と同じだけれども、昇進する時期に差がついていく「同期時間差昇進」。小池さんによれば、「第一選抜出現期」です。それから今度は昇進できる人とできない人が出てきて、できる人は一律に昇進できるんだけれども、できない人は同一資格に滞留してしまうという「選抜」、小池さんは、これを「横ばい群出現期」と呼んでいます。最後に少数の昇進する人としない人が分かれていくという「選別」。この四つの段階に転化していくことを明らかにしています。

これは前回の労働調査の学界展望が取り上げていた今田さんと平田さんの大手製造業を対象にした事例研究(今田幸子・平田周一『ホワイトカラーの昇進構造』日本労働研究機構、1995)とかなり一致しています。あれは、「一律年功」「昇進スピード競争」「トーナメント」という三つでしたけれども、昇進競争の転化という事実発見が、他の企業の事例からも見いだされた、その意味では、大企業における昇進選抜の典型が、このようなものだということが改めて確認されたわけです。ただし今田さんたちが「トーナメント」と呼んでいたところを竹内さんはさらに細かく分けています。

第2点は、ローゼンバウムという社会学者がキャリアの研究には相当強い影響を与えていますが、彼は企業の中の昇進を「トーナメント」であると規定した。では、トーナメント異動という切り口で日本の昇進選抜を理解できるかというと、竹内さんは組織の構造を所与とすれば基本構造がトーナメントであるのはどこも変わらない。しかしながら、その中でリターンマッチがあるかどうかという点に注目するのが重要ではないかとしています。日本の場合には、ローゼンバウムが言うような「キャリアの底」あるいは「キャリアの上限」が必ずしも固定的なものではない。そういうことからかなりリターンマッチの可能性があり、ローゼンバウムの言う意味での「トーナメント」では必ずしもないというのが竹内さんの結論です。

これを、日本型キャリアは「トーナメント」と本質的に違うものだと考えるのか、あるいは基本は「トーナメント」であるという前提のもとに、そこから逸脱する部分があると考えるのか、その辺は議論の分かれるところだと思います。私白身は、今田さんたちの本の書評で奥西さんが議論しているように(奥西好夫「書評『ホワイトカラーの昇進構造』」『日本労働研究雑誌』424号〔1995〕)、基本はトーナメント異動の範疇で説明できるのではないかと考えています。

論文5.猪木武徳「人的資源から見た戦後日本の官僚組織と特殊法人」

最後に今回の学界展望の対象期間からは外れるのですが猪木武徳(1993)を取り上げたいと思います。これは「中央官庁という企業内労働市場」からの退出を取り上げた論文です。問題認識は非常に鋭く、なぜ日本の人的資源の良質な部分が必ずしも経済的には高い賃金を提示していない官僚組織を目指しているのかという点にあります。それは今までは政策に関与して国を動かすことができるからとか、いろいろな議論があったわけですけれども、その一つの理由として賃金後払いがあるのではないかというのが猪木さんの仮説です。

つまり猪木さんは、天下りについての一つの合理的な説明としては、中央官庁のいわば「本丸」の部分で高いポストに昇進できた人ほど転出先の特殊法人で高いポストを得られる。あるいは高いポストで転出した人ほど、長い間、天下ることができる。そういうキャリアコースを用意することによって、「本丸」の中での人事の新陳代謝を可能にし、また本丸の中でインセンティブを高めているのではないか、という仮説を提示し、それを幾つかの事例で確認しています。

ただ、これは猪木さん自身もおっしゃられていることですが、たしかに「本丸」の中ではそういう合理性があったとしても、出向というのは必ず受け入れ先があるわけで、その法人が独自に人を採用しているとしたら、その特殊法人の従業員のモラールというのはどう考えればいいのか、そういう問題が出てくると思います。

そうなると、特殊法人を「本丸」とは一応独立した団体と考えるのか、それとも事実上は法人が別なだけで実質的には中央官庁の企業内労働市場に組み込まれていると考えるかによって、異なるインプリケーションが導き出されるのではないかと思います。

討論

日本型昇進構造のメリット、デメリット

佐藤

小池さんと竹内さんでは、昇進選抜に関する認識はどこが違うのですか。

八代

小池さんは、昇進選抜を、「第一選抜出現期」と「横ばい群出現期」の二つに分けています。竹内さんの言う「同期同時昇進」についての認識はお二人とも同じですね。そして、小池さんの「第一選抜出現期」から「横ばい群出現期」までの間が、竹内さんの「同期時間差昇進」に該当します。ただ、竹内さんは小池さんの言う「横ばい群出現期」以降を、さらに「選抜」と「選別」に分けているということです。

竹内さんの議論を少し詳しく説明すると、最初は「同期同時昇進」なのです。その次は「同期時間差昇進」。差はつくけれども、たとえば課長に第一選抜で昇進してから最後の人が昇進するまでに10年かかる。だけれども、同期がとにかく課長までなれる。その後は「選抜」です。今度は上がれる人と上がれない人が出てきます。同期間同時昇進は10年たっても上がれたわけですけれども、今、自分がいる職位より上の職位には上がれないという人がかなり出てくる。上がれない人のほうが同期の中で多い。ただし、上がれる人は大体、「同期同時昇進」のように差がつかないで上がっていく、これが「選抜」です。だから、上がれない多数の人と差がつかないで上がっていく少数の人に分かれるということです。最後に今度は少数の人の中で上がれる人と上がれない人が分かれてくる。これが「選別」です。

佐藤

すると、竹内さんの言う「選抜」「選別」が小池さんの言う「横ばい群出現期」以降にほぼ対応するということですか。

八代

そうです。

佐藤

もう一つは、私は、特に竹内さんの言うリターンマッチの有無との関連で、トーナメントであるかどうかが、個人的に重要だと思っています。特に小池さんの遅い選抜、第二選抜の入社15年前後での「横ばい群」の出現です。これは高いモラールをできるだけ多くの人から長期間にわたって引き出すという意味では非常に優れた仕組みですが、逆に言うと、もしトーナメントだとすれば、最初から、勝ち残りのような話になって、「より少なく」絞られた人は頑張るかもしれないけれども、頑張れない人はやる気がなくなってしまう。したがって、前提としては、小池さんの言う第二選抜までは基本的にはトーナメントではないほうが、むしろモラールを引き出すという意味では優れているという理解でよろしいですか。

八代

私は基本的に次のような理解です。つまり、課長選抜のところまでは「同期時間差昇進」、その前に「同期同時昇進」がありますね。課長選抜の上はかなり上がれる人と上がれない人が出てくる。したがって、たしかに現象面から見ると課長以上がトーナメントなんですが、実際にはキャリア全体を通してトーナメント方式の選抜が行われていると思います。ただし、トーナメントというのは1回戦と2回戦と3回戦を同じインターバルでやる必要はないわけです。1回戦の部分を非常に長めに設定していて、そこではかなり個人の能力とか業績に関する情報が開示される。しかし、2回戦以降は、すでに能力が開示されているわけだから、今度は短い期間でふるい落としていく。そういうふうにしているのではないかと思うのです。そういう意味では、「同期同時昇進」があってもトーナメントとは矛盾しないのではないかというのが私の理解です。

こうした日本型選抜方式がモラールを維持することに貢献しているというのは全くそのとおりだと思います。ただし、それに伴うコストが問題になります。つまり結果としては「横ばい群」になってしまう人に、ある時期までは相当高いペイを支払うわけですね。今まではそれがモラールを維持するということで機能してきたし、結果的に、その人たちもある程度のところまでは昇進できたわけですけれども、今後、右肩上がりの成長が難しくなると言われるなかで、彼らにあるところまで相当高いペイを支払うことが許容されるのかどうか。その辺をどう見るかが重要だと思います。

ですから、今までは全部そういうことを勘案して10~15年が均衡点だった。しかし、これからは今私が言ったようなことを勘案して、もうちょっと同時昇進の期間を短縮するというような微調整はあってもおかしくないと思います。

R&D人材のインセンティブ

佐藤

さらにもう一つ、その評価を踏まえたうえでのR&Dについて質問したいと思います。石田ほか編の論文を読んだ印象では、技術系で基礎寄りのほうを見る限りは、もう少し、その選抜時期を早めて、専門職コースや管理職コースで行くかを早く自覚させて分かれていくとか、あるいは研究の「年齢限界」との関連でも、もう少し選抜の時期を早めたらどうかという提言も出されているように思うのです。その辺は事務系とR&Dの違いなのか、それとも、R&Dを事務系に置き換えても同じ評価ができるのか。

八代

R&Dの場合は昇進は必ずしもインセンティブにならないので、同じような土俵では議論できないと思います。ですから、管理職コースか、専門職コースかをどこで分けるかという議論はあるかもしれませんが、事務系で出てきているような議論はストレートには当てはまらないと思います。

松繁

R&Dに関して、この研究で二つ面白い発見がなされていると思います。これまでの調査(たとえば、日本生産性本部『英国の技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1990〕、日本生産性本部『ドイツの技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1990〕、日本生産性本部『米国の技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1991〕)で、海外の研究者は「年齢限界」があるとは思わず、日本の研究者だけが思っていることが示されています。今回の調査では、その理由として、雑務や管理業務など、研究以外の業務が増えるという点が挙がっている。

ところが、企業側は管理職への昇進をインセンティブとして考えていて、この認識のギャップが問題だと思われます。実はR&Dの人たちはずっと研究職一本でいきたいのだけれども、企業は昇進させてマネジャーにつけようとするので、結局、生産性が落ちてしまうという問題がある。

ただ、最近は専門職を高度専門職としてまとめ上げて、R&Dの優秀な人はほんとうに研究職一本で育てていこうという意識を持っている企業もあるようです。日本は長期的に見ると研究開発投資のウェイトが高まっていることからもわかるように、今後、最先端の知的なところで競争する必要があり、いかに優秀な研究者を育てるかということがその決め手になります。

八代

専門職について考える場合に、これは事務系でも同じですが、専門職の業績評価をラインの人がどれぐらいできるのかという問題があると思います。もし年齢限界で専門的な能力が陳腐化してしまって、結果として管理職についているという人たちが多いとしたら、そういう人たちに専門職を評価できるのかという問題が出てきますね。その意味では専門職の問題は専門職そのものの問題とともに、ラインに専門能力を評価できる管理職が果たしているのかという問題でもあるわけです。専門職に評価されていない人がラインにいたら、専門職のほうが意図的に低い目標を設定して、目標を達成したから自分の給料を上げてくれということになり、管理そのものが変な方向にいってしまうのではないでしょうか。

佐藤

これは印象ですけれども、基本的には、技術系にしても、事務系にしても同じ職能資格制度が適用されますね。そうすると、ある程度、昇進年齢とか対応年数が決まって、それは事務系、技術系同じになる。その中で技術系を分析してみると、研究に関する自由裁量性といった点をかなり重視している。ところが、職能資格制度の場合には、それを位置づけるようなものではない、基本的には資格と賃金をリンクさせて職位を対応させるという形になっているから、こういう制度の下では、やはり技術系分野でのインセンティブはなかなか高まらないと思うのですが。

八代

職能資格制度を前提に運用すれば、だれでも一定の年齢で管理職対応の資格に到達してしまいますね。

佐藤

けれども、ニーズとしては、自由を求めるとか、裁量性を求めるという人たちがかなりいます。これは重要なファクト・ファインディングじゃないでしょうか。

松繁

遅い昇進の一つのメリットは、優秀な人材を下に置いておくということですね。それは組織として、どこに判断業務を委譲していくかという問題とかかわっています。そうすると、日本の場合は、小池さんも言われているけれども、かなり下部の人に判断が任されている可能性がある。それは多分、賃金制度ともかなりかかわっていて、下の段階から査定が入って、大きなばらつきじゃないですけれども、ある程度、賃金にばらつきが生じます。そういう組織構造の問題と賃金の連携というとらえ方もできると思います。

八代

組織のどこに一番できる人材をストックしておくのかという問題ですね。

松繁

判断があるということは不確実性があるわけですから、そこでリスクを取らないといけない。リスクは何に返ってくるかというと報酬に返ってくるわけです。したがって、日本の場合には下の方の賃金のばらつきが、結構、海外に比べて高いと思われます。

八代

賃金のばらつきが大きい階層が、一番不確実性を必要とされているということでしょうか。不確実性にどれぐらい対処したかによって賃金にも差がついていくということでしょうか。

就職協定の廃止とその影響

佐藤

苅谷さんの調査ですけれども、これは就職協定が存在していた「アンシャン・レジーム」の下での調査ですね。しかしそれがなくなると、今後、大学銘柄別の格差がもっと助長されるんじゃないか。その辺はどうですか。

八代

そうですね。就職協定廃止の問題は、日が浅いので難しいのですが、いろいろな仮説が考えられると思います。

一つは、「適性発見の論理」とでも言うんでしょうか。つまり就職協定が解禁されれば、仕事を探す側も、人を探す側も就職協定にこだわらずにより長い期間をかけて、それぞれが行動ができるから、これまでよりも適性のあった人材が採用できる。だから、解禁されたほうがいいという考え方がありますね。

もう一つは、適性発見は真空状態ではなく、市場競争の中で行われているわけですから、いい人材はどこでも欲しいわけです。だから、労働者が適性を発見したいのはやまやまだけれども、やはり企業としてもいい人材をキープしたい。いわば「競争の論理」という側面もあります。

こうしたさまざまな要因が絡まって、実際にどこからスタートし、どの時点で内定を出すかという企業の行動が規定されるのではないか。そこで、今後の動向をこの調査との関連で予想すると、まず苅谷さんの言うA群から内定を出していく。A群の内定を4月ごろ出すと1年あり、当然、拘束できないから、A群の部分のかなり部分はよその企業に流れていく。そうするとA群の歩留まりを見ながら、今度はB群に内定を出していく。B群もまた流れていくと、そこでC群に内定を出していく。つまり大学の銘柄別に内定時期を変えることによって、大卒労働市場の階層化がさらに進行していくというシナリオが考えられます。あまり良いシナリオではありませんが。

日本の「切れ目」のない競争メカニズム

松繁

日本社会の選別構造をとらえるという点でここで挙げられる研究は重要だと思います。日本では細かい差が常につき続ける構造を持っている気がします。それは就職前も就職後も続く。日本の労働者がよく働くのは、たとえある選抜から落ちても、周りに同じレベルの競争相手がいて差がつき続け、さらにまた落ちてもまだその段階で差がつくので、やはり負けないで頑張ろうという気を起こさせるメカニズムがあるからではないかと思います。ひょっとしたら加熱が永遠に続いてるかもしれないなという印象があります。それが転職や中途採用もかわってきて、本社には残れなかったけれども、出向先に出ることができ、またそこで競争があり細かな差がいつまでもつき続ける仕組みになっている。

竹内さんの本では高校から分析されていますが、そこでも差がつき続けている。

八代

猪木さんの特殊法人もそうですね。次官にはなれなくても、いい局長で終わればいい天下り先に行けるというように。

佐藤

最後の最後まで加熱があるんですよ。

八代

勝者と敗者が二極分化しているんじゃなくて、その間にいろいろな段階がある。

松繁

なぜマラソン選手が最後まで走るかということに関係するかもしれませんね。ある段階で、トップにはなれないことは明らかになる。けれども、横を見たら走っている人間がいるから、負けたくないという気になる。そういうインセンティブ構造があるのかもしれない。

八代

あるいは同期の中で遅れをとっても下の年次の人には抜かれたくないと。それはここにも出てきます。そういう意味での細かなインセンティブというのは、たしかに日本の特徴かもしれませんね。

佐藤

そういう意味で、竹内さんの分析は見事です。

後払い賃金と「天下り」

松繁

最後に、猪木論文ですが、要点は特殊法人に行ったときのほうが給料が高いという賃金後払いシステムが官僚組織の中にはあり、これが日本の官僚が非常によく働き、かつ優秀な人材を集め続けているメカニズムだということです。これ自体は正しい分析であるのですが、問題は、何を目的として働いているかだと思うんです。

企業の場合も賃金後払いシステムは、頑張れば年金が高くなるとか退職金が高くなるというような形で存在しています。しかし、市場のシグナル、要するに価格や需要が必ず反映されています。要するにサービスを買う側、財を買う側の意図が必ず入っているわけです。けれども、官僚の場合は納税者の意図がどういう形で反映されているか問題です。いくら働いても、そもそも努力の方向が悪ければ、この官僚機構のパフォーマンスがいいということにはならない。

それから、猪木論文のもう一つのインプリケーションは、賃金後払いシステムをやめるとすると、インセンティブががっくり落ち、いい人材が集まらない可能性があるという点です。賃金後払いを設定する一つの理由は、細かなモニタリングをしなくても、賃金を後払いにすることで、みんな怠けずに働くというところがあるわけです。これをやめてしまうのなら、代わりにモニタリングを強化し細かく査定して、その結果が報酬に反映されるようにしないと、やる気がなくなるわけです。今の行政改革の議論でこの点が触れられていないのは大きな問題だと思います。重要なのは、これまでの制度に代わる昇進、処遇、人事制度は何かということですね。

八代

いい人材が官僚を目指さなければ困るわけですよね。もちろん、デレギュレーションの時代だから、官僚機構にいい人材は要らないというなら、それでもいいですけれども……。