アジア諸国の日系企業をとりまく投資環境の変化と労使関係:インド
労使関係の課題

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JILPT国際研究部 主任調査員補佐 北澤 謙

  1. インドでの労使紛争の共通点
  2. 紛争の種を予防する工夫
  3. 日本人と親和性のあるインド人の性格
  4. インドの労使関係は決して特別ではない
  5. 「遅々として進むインド」

2014年に行われた総選挙の結果、インド人民党(BJP)が単独過半数を獲得し10年ぶりに政権に返り咲いた。同年5月に発足したナレンドラ・モディ政権は、「モディノミクス」と称する経済改革に着手し、外資にとって投資環境の改善への期待が膨らんだ。だが、1年と7カ月経過して、経済改革及び労働法改革がスムーズに進んでいるとは言い難い状況にある。

JILPTでは、モディ首相就任という政治的に大きな転換と前後して、インドを対象とする労働事情調査に着手し、2013年2月と2014年9月に現地調査を実施した。本稿ではインドにおける日系進出企業の投資環境を雇用・労働という視点を中心に検討する。インドで起きている労使紛争に共通してみられる特徴を指摘した上で、労使紛争につながりかねない職場のトラブルに着目する。そうしたトラブルを早期に把握、防止するための雇用管理上の工夫などを、現地調査で把握したエピソードを辿ることによって紹介する。

1. インドでの労使紛争の共通点

2014年5月に発足したナレンドラ・モディ政権は、「メーク・イン・インディア(製造業の振興)」や「スキル・インディア(職業訓練の促進)」「デジタル・インディア(電子行政の推進)」といった一連の経済改革を掲げた。「メーク・イン・インディア」政策の実施は、グジャラート州の首相としてモディ首相が行った外資導入策の実績を背景として、投資環境がインド全土で改善していくのではないかと期待が広がった。実際に新政権誕生後の対インド直接投資は前年同期比で増加傾向という結果につながった。だが、国内外の企業にとって投資障壁となっている土地収用に関する法律の改正や、国営企業の民営化、労働者保護的な性格が色濃い労働法の改正といった、大掛かりな改革は遅れが目立ってきている。労働法改革については、同年12月にはラジャスタン州で進展が見られたが、中央レベルの改革では2015年9月に大規模な反対運動が起き国会での審議すらできていない。

世界銀行が公表している『ビジネス環境の現状』に関する国際比較において、インドは低い順位に甘んじている。2015年度版では189カ国中142位となっており、前年度から2つ順位を下げた。2015年10月末に発行された2016年版では130位へと改善しているが、モディ政権の発足によって投資環境が劇的に改善されているようには見えない。

JETROが毎年行っている調査(注1)によると、インドにおける企業経営上の問題点として、「従業員の賃金上昇」を挙げる企業が2010年以降最も多い。「通関手続きの煩雑さ」や「競合相手の台頭(コスト面で競合)」とともに上位に挙がっているのが「労働者の質」である。ここ数年は半数以上の企業が問題と答えており、しかも増加する傾向が見られる。この調査の対象となる企業数は年々増えており、雇用・労働面での問題点を指摘する企業の割合が増えているように見える。

インドで発生する労使紛争は最近10年~20年の間で見てみると、件数が減少しているものの1件ごとの規模は拡大する傾向が見られる(注2)。しかも以前は発生要因として「賃上げ要求」に伴う紛争が最も多かったが、近年では「労働者の規律違反」を要因とする紛争が最も多い。

インドにおける労働争議の発生要因と解決までの経緯を、現地新聞報道を中心に辿ってみると共通点が多いことがわかる。香川(2013)は、2001年以降に起きた日系自動車会社での労働争議やストライキに着目して共通点を分析している。マルチ・スズキで起きた2011年6月から10月及び2012年7月の労使紛争や、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社等での2005年4月と2009年6月の労使紛争、さらにトヨタ・キルロスカ・モーター社で起きた2006年1月の労使紛争を取り上げて、「労組設立の承認問題」「外部労組指導者の存在」「政府の大きな役割」などの論点が挙げられている。また、香川(2013)の脱稿後になるが、トヨタ・キルロスカ・モーター社では2014年2月から4月にかけても労使紛争が起こっているが、やはり共通する特徴が見られる。香川(2013)が挙げた共通点は、JILPTが2014年9月にインドに進出する日系進出企業17社を対象として行った現地調査でも確認できた(注3)

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マネサール工業団地

1. 労働組合設立の承認問題

マルチ・スズキで2012年に発生した労使紛争やホンダでの2009年の労使紛争は、組合の承認申請をめぐる問題に端を発している。当機構のインドでの現地調査結果からもわかるとおり、日系進出企業で労働組合が設立されている企業はそれほど大きな割合ではない。ただ、社内において組合結成の兆候が見られる企業、あるいは実際に組合承認の申請が提出され問題が生じている企業もあった。

調査を実施した企業のうち少なくとも2社において労働組合の結成過程で問題を抱えていた。実際に組合設立申請が提出された企業では、当初は従業員の意見をとりまとめるリーダーの必要性は感じていたため、前向きに組合承認を考えていた。しかし、そのリーダーは従業員意見を束ねることもできない上に、扇動するタイプの者だということが判明したとのことで、組合承認に否定的な見方に変わっていった。しかも、組合設立申請の書類に虚偽の記載があったことがわかり、労働裁判所に訴えを起こす事態に発展した企業もある。

2. 外部労組指導者の存在

組合結成の申請の際に伴うことではあるが、社内の労使関係に外部の労働運動を専業とする組織が介入してくるケースもある。調査を実施した企業のうち、少なくとも3社が外部労働組合の介入を受けた経験があると語った。自社では経験はないが、他社事例として耳にした経験があると回答した企業は少なくない。労働契約の終了に関連するトラブルが発生して、外部労組による強圧的な介入を経験した企業もある。社内での上司と部下の間でトラブルが起き、部下の方が職場環境の悪さを理由として辞めていった。しかし、その数日後、その元従業員は共産主義系の外部労組からそそのかされたようで、法外な退職金を労働組合のメンバーを伴って要求してきたという。時には屈強な男性を大勢引き連れて脅迫めいた要求をしてくることも。そうした揉め事が起きると州政府の労働局が仲介者となって話し合いが行われる。当初法外な要求額のため合意しなかったが、粘り強く交渉を重ねた結果、要求金額がかなり下がったため和解した事例もある。ただ、そうした企業の関係者は自ら問題解決に関わることによって、労組から脅迫を受けることもしばしばで、警察当局に定期的に連絡を入れているという。

3. 州政府、行政当局の仲介

紛争を労使当事者では解決することができず、政府当局の関係者に仲介役を依頼する場合も少なくない。労働局の果たす役割は大きく、企業経営に良くも悪くも影響を与えている。調査対象となった企業のうち、州の労働局や警察に定期的に連絡を取り合っているという企業は少なくとも5社あった。警察官の工場巡回を依頼するなどによって、普段から紛争の予防に留意している企業もあった。

2. 紛争の種を予防する工夫

新聞で報道されるような大きな規模の紛争は突如として発生するわけではなく、何らかの兆候が見られるはずだ。そうした兆候は事後的に判明することがほとんどであるかもしれないが、社内で起こっている小さなトラブルや軋轢などを立ち止まって見つめなおすことで、大きな紛争を回避することが可能かもしれない。日系企業の関係者への聞き取りによると、インドでは日本人が予期しないトラブルが発生する可能性が高いが、インド人の習慣や価値観を理解していれば、そうした小さな軋轢を回避することは不可能ではないように思えてくる。

1. バランスに留意が必要の採用方針

インド人を採用する際、従業員の属性が、同じ出身地・居住地域や血縁関係などで偏らないように留意する企業が多い。同じ出身地の労働者を集中的に雇ってしまうと、社内で集団化して、会社に圧力をかけてくる危険性が大きくなる。社内に親族の上下関係を持ち込まれて、上司部下関係が成立しなくなる危険性も指摘されている。また、一斉に辞職してしまうことも想定され、経営に大きな影響を与える事態が生じかねない。

社内での集団化は労働組合結成の可能性を高めることにもつながる。組合結成の可能性を回避するために、正規従業員とコントラクトワーカー等の非正規従業員の雇用の組み合わせに留意している企業も少なくない。インドにおいて正規従業員を解雇することが法律上困難であるため、一年を通じて生産量に必要な下限に合わせて正規従業員を雇用し、それ以上の生産活動に必要な人員はコントラクトワーカー等で対応するという人員採用の方針をもっている企業が珍しくない。厳密に解釈すれば法律上、違法であるが、それを承知の上で組合結成の可能性を回避するためにコントラクトワーカーを活用している企業もある。しかも、正規従業員とコントラクトワーカーの待遇の格差が紛争の要因となることが往々にしてあるため、全従業員に占めるコントラクトワーカーの割合がどの程度まで許容されるのか、閾値を見据えながら採用数を決定する企業もある。

2. 業績評価に関する不満への対応

日本では上司が業績評価を行い、部下との面談でフィードバックしながら評価を確定させるのが一般的だが、インドでは様相が異なる。業績の自己評価にしても、日本人は自分を謙遜して低めにする傾向も見られるが、インドでは誰しも自分自身を職場の中で最も能力が高い社員だと思う傾向が強く、高い評価を受けるべきだと思っている。評価結果に不満があれば明確に訴えかけてくるため、プライドを傷つけないように、査定では客観的な評価基準を用いて明確で丁寧な説明が重要である。評価結果や給与額に合意したことを示すため、サインさせて書面で残すことが原則である。しかし、同意してサインしたはずだが、不満を訴えてくることさえある。また、日本人は同僚どうしで給与明細を見せ合うような習慣はないが、インドでは従業員の間で給与明細が筒抜けになっていることもしばしばである。だから業績評価に同意した後に同僚の給与額が自分よりも高いことを知り、不満を訴えてくる場合が少なくない。ただ、不満をはっきりと訴えてくることや給与額を教え合う行動がインド人特有かというとそうではなく、日本人の方が特殊であろうと指摘する声を何度も聞いた。給与額を従業員間で教え合う行動は少なくとも東南アジア諸国全般に見られる行動パターンらしく、避けて通ることのできない上、対処しようがなく諦めともとれる姿勢の企業がほとんどであった。だが、調査した企業の中には社内規定で給与額を従業員間で情報共有することを禁止しているところもあった。

3. 職場のルールづくり

社内規定といえば、インド企業では「就業規則」に不正行為を100項目以上にわたって規定することが珍しくない。インドで一般的に入手できる人事管理や労働法令に関するテキストには就業規則のサンプルが挙げられているが、そこに列挙されている不正行為の内容に驚き唖然とする。例えば、「本人以外がタイムカードに出勤記録を付ける行為」や「私用でのインターネット閲覧、私用メール送信」を禁止する事項のほか、「度重なる警告に従わず、事業所内での口論、奇声を上げたり、社内使用禁止用語を発する行為」「会社の許可なく就業時間中に私的な仕事や活動、取引を行う行為」「仮病による休暇の取得、偽りの理由による欠勤、居眠りする行為」を禁じるといった事項が挙げられている。このような行動をわざわざ不正行為として定める就業規則のサンプルは複数のテキストに掲載されているので、インドでは一般的な規定だと考えられる。

例えば不正行為を問いただそうとすると「自分の行為はそれに該当しないはずだ」と反論されるため、抽象的な書き方では言い負かされてしまう。そのため細かく具体的に規定する必要があり100以上もの数になってしまうというわけである。不正な行為をした従業員を解雇したい場合に、不正に該当するかが争点となることもあり、裁判に発展させないために、あるいは争いに敗けないために、細かく規定する必要があると話す日系企業関係者もいた。

4. 価値観・文化・風習の違いによる職場トラブル

職場の規律の低さは遅刻や欠勤の多さに如実に現れている。遅刻して出勤しても悪びれる素振りもみせずに仕事を始める社員もいれば、遅刻を注意しようものなら、デリーの朝の渋滞がひどいのだから仕方がないだろうと逆に反論された例も。欠勤についても、週末に旅行に出かけたまま週明けに出勤しない者が少なくないという。職場の規律が確立されるためには相当の努力が必要だ。そういった遅刻への対策として、罰則を設ける日系企業もある。30分以内、月に3回までならば許容する企業もあれば、1回でも遅刻すれば、減給対象とする厳しい規則を定める企業もある。

休日に旅行に出かけたまま出勤しないというのは、会社組織に対する価値観の違いの現れでもある。勤務先の優先順位は極めて低く、家族が第一と考える傾向が強いという。社内で勤務時間中に、家族を相手に私用の電話をする光景が職場ではよく見られるという。彼らにとって家族が最優先であるから、勤務時間であろうと連絡を取り合うことは問題ないと考えているようだ。だから、こうした態度を、頭ごなしにとがめるようなことをしては、社内トラブルの発生要因となってしまう。

カースト・宗教への留意

また、カーストや宗教についての配慮も人事管理をする上で全くしていないとは言い切れない。カーストによる差別は憲法で禁じられているが、インド社会にカーストの痕跡がなくなったとは決して言えない。それどころか調査対象企業の2社で、人事上の判断においてカーストに留意しているとの回答があった。しかも、詳しく話を聞くと、明確なかたちで留意していなくとも、暗黙のうちに判断に影響を与えているという企業は4社あった。インド人人事担当者の行動を日ごろから見ていると、社内でカーストや宗教の配慮がなされているのを感じると話す駐在員は複数いた。そのほかの企業でも、明確には回答ができないとした企業も含まれており、はっきりと「カーストや宗教に留意せず人事上の決定をしている」と回答したのは6社にとどまった。ただ、インドに駐在する日本人の大半は基本的な姿勢として、カーストや宗教に対して特別な姿勢を持たないように心がけているとのこと。関与しても理解できないという判断に基づき、敢えて関与しないようにしているという言い方が適切である。

マルチ・スズキの2012年の暴動に発展した労使紛争は、管理職によってなされたカーストに関する差別的発言が原因であるとする見方もある(注4)。しかし、我々の現地での聞き取り調査(注5)では、カーストが要因であることを否定するインド人の見解もあった。それは、曲がりなりにも憲法でカーストによる差別を禁止しており、カーストによる差別を原因とする紛争を認めたくないという気持ちの現れのようでもある。インド人にとってカーストは差別や紛争の要因として、建前として認めることはできないが、暗黙の潜在的な人間関係の中には確実に存在しているというところが実態なのではないだろうか。そう考えると、カーストに関する差別的な態度や発言が紛争の主要因になることはなくても、積み重なっていく紛争要因の一つとして考えることはできるように思う。

5. インド人のモチベーション管理をする上での工夫

日系企業の駐在員の話を聞くと、インドで雇用管理する場合の基本姿勢として、性善説の立場に立つのではなく、性悪説の立場に立って職場のシステムづくりをすることが避けられないように思えてくる。そういった、インド人の不平・不満の基本となる価値観を理解して、人事制度上の小さな工夫をすることによって、インド人のやる気を引き出すことにつながる。

昇進グレードの細分化

日本人は3年から5年を定期として異動や昇進、昇格があるのが一般的だが、インド人にとって3年や5年は長過ぎるようで、毎年何らかの変化が明確に見えるようにしないと不満が募ってしまうそうだ。昇進・昇格グレードを細分化し、毎年少しでも昇格していることが実感できるように工夫するだけで、不満を訴えることがなくなるという。制度上、実質的には何ら変わりない工夫ひとつで、不満を解消することができる一例だ。また、要求されたことを全て応えるのではなく、少しずつ対応することも大事だという。要求に対して小さなことでも確実に何かを手に入れ、次にも何かを期待できる状態を保つことによって不満のない状態を維持することができる。換言すれば、常に一定程度もの足りない状態にしておくことが賢明だということだ。

福利厚生としてのイベントの重要性

インドでの人事労務管理の中で福利厚生は重要な位置を占めている。インドの日系企業で広く行われている福利厚生の制度は、食堂や託児所の設置、貸付制度(家族が急病になったときの出費等の支援)、社員旅行や催し物(イベント)などがある。中でも最も効果的とされているのがイベントの開催で、食事会の開催やクリケット大会の実施、バレーボール大会、ダンスやカラオケのコンペといったプログラムを少なくとも年1、2回は行っていると全17社の企業が回答した。休日に工場に家族を招いてイベントを開催している企業もあり、子どもに工場内を見学させて、食事を提供する企業もある。インド人にとって家族が会社組織よりも優先順位が高い場合が多いため、家族ぐるみのつきあいを会社で演出できれば効果的である。

社内で定期的にイベントを開催することによって、インド人の会社に対する帰属意識や仕事へのやる気を高めることができる。業績が芳しくないためコスト削減を日本本社から要請されている企業の話では、たとえ人材育成の予算の削減は認めるとしても、慰労会やイベントの開催は止めるべきではないという意見を持つ駐在員さえもいた。

3. 日本人と親和性のあるインド人の性格

インド人を相手にした労使関係を考えると、自ずと懲罰的な対策に多くの時間と労力を取られてしまい、敵対的な関係を交渉によって丸め込ませる対応をせざるを得ないように思える。しかし、インドで聞き取り調査をした企業のすべてが、労使関係を敵対的なものと考えているわけではない。信頼関係のある組織づくりへと歩んでいる企業もある。

インド人は権利意識や自己主張が強い一面を持っているが、コミュニケーションを密にして、粘り強く語りかけることで、信頼関係を築くことができると話す企業の経営幹部もいる。インド人は金銭額によって影響を受けやすいと言われている。つまり給与額の良し悪しで、やる気が向上したり逆に不満を露にするといったことは否定できない。ただしかし、それだけではなく日本人経営者の意図することを納得してもらうために時間をかけて熱意をもって語りかけることで、家族的な人間関係をインド人の職場に形づくることは可能だと力説する日本人駐在員もいる。インド人は存外、義理人情的な考え方をもっており、日本人と分かり合えるところがあるという。この企業では尊敬され信頼できるインド人幹部を育て、今現在は日本人が担っている企業経営のポストを、数年後にはインド人が担うように現地化を促進していきたいと話していた。インドにおける信頼関係と一体感のある組織作りへの途がそこに開かれているように感じる。

4. インドの労使関係は決して特別ではない

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インドにおける労使関係は対立が激しく、企業経営が特に困難だという印象が日本人にはあるようだ。それは、近年起きている日系企業関連のストライキが日本においてあまりにも誇大に報道されたことによる影響が大きいのではないかと、インドに赴任している駐在員の多くは見ている。実際のインドにおける企業経営や労使関係は、インドネシアやベトナムといった労使紛争が頻繁に起こっている諸国と比べて特別に難しいわけではないと話す駐在員も少なくない。インド全土で日系進出企業が同じ労働問題を抱えているわけではなく、地域間でも多様な一面もある。我々が行った調査対象地域でみても、北部のデリーやハリヤナ州と南部のチェンナイやバンガロールでは大きく異なる印象をもった。特に南インドにおける人々の気質は東南アジア諸国と大きな違いはないと話す駐在員が多くいた。しかも、先に触れたように日本人と共有できる価値観を指摘する声もある。

5. 「遅々として進むインド」

冒頭でインドのビジネス環境の困難さや企業経営上の問題点を紹介し、モディ政権発足後も改善傾向が見られないと指摘したが、10年以上のスパンで見た場合、インドの変化はめざましい。それは例えば、日系企業がオフィスや事業所を構えるデリー近郊ハリヤナ州グルガオンの変貌ぶりや、デリーをはじめとする都市部でのメトロ網の整備状況を見れば明らかである。

だが、10年単位で考えれば見える変化もモディ政権発足後の1年数カ月だけで眺めると見えづらい。改革はめざましいものというよりも、ゆっくりと進んでいるという言い方が適切だ。「インドは遅々として進む」。インドの改革を語る際に冗談交じりに言われる言葉である。変化が明らかなかたちで見られないために、進んでいないように見えても、確実に変化していると捉えることも可能だ。

モディ政権の経済改革は、遅れ気味と言われるが、予想された範囲内の遅れかもしれない。そうしたゆっくりと進むインドにおいて、うまく企業経営をしていくために必要なことは何か。信頼関係を構築すること、それが時間のかかる方法ではあるが確実に成果が出る取り組みかもしれない。聞き取り調査をしていて、インドにおける事業の悪い点ばかりに目を向けるのではなく、前向きに捉える企業関係者は、今現在は決して好業績ではないが、良い方向に向かっているように思えると力強く語る。決して多くはない良い点に目を向ける企業では、インド人と真摯に対峙した上で、「企業経営をやらせて貰っている」といった謙虚な姿勢で企業を経営していることが共通点であるように思う。そういう姿勢で企業経営に取り組むことが、インドでの雇用管理、ひいてはインドでのビジネスをうまく導いていく秘訣なのかもしれない。

なお、JILPTが実施したインドでの現地調査の結果は、2016年2月に書籍として刊行予定である。

参考文献

  • Shimla/Chandigarh (2015) Statistics on Industrial Disputes, Closures, Retrenchments and Lay-Offs in India during the Year, 2012, Government of India, Ministry of Labour & Employment, Labour Bureau
  • World Bank (2014) Doing Business 2015: Going Beyond Efficiency, World Bank Publications― (2015) Doing Business 2016: Measuring Regulatory Quality and Efficiency, World Bank Publications
  • 香川孝三(2013)「硬直的な労働者保護法制とグローバル競争下の企業経営 ―インドに進出した日系企業での労使紛争処理」『Business Labor Trend』2013年9月号
  • 山田剛(2012)「スズキ・インド子会社の暴動事件」『週刊東洋経済』2012年9月15日

プロフィール

北澤 謙(きたざわ・けん)

JILPT国際研究部主任調査員補佐。1994年、日本労働研究機構(現JILPT)に入職。2013年、東京工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科博士課程単位取得退学。主な論文等に「インド・ラジャスタン州で労働関連法が改正」『Business Labor Trend』2015年2月号、“An Empirical Study on Relation between Management Styles and Human Resource Development focusing on a Group Activity新しいウィンドウInternational Journal of Human Resource Management and Development, Inderscience Publishers, Vol.12, No.3, 2012, pp. 187-206など。

2016年1月 フォーカス:アジア諸国の日系企業をとりまく投資環境の変化と労使関係

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