EU拡大と域内労働力移動:EU
「労働者の自由移動」実現に最長7年の移行措置

5月に10カ国を加えて第5次拡大を果たしたEUは、人口約4億6000万人、域内GDP約10兆ドルの巨大単一市場の実現に向けて、新たなスタートを切った。「人、サービス、資本、財の自由移動」は、EU単一市場の基本理念。しかし、新旧加盟国間の所得格差、労働者の大量流入への懸念等を背景に、労働市場の完全自由化に向けては、移行措置が導入される。これにより、就学や滞在目的の移動はただちに可能になるものの、就労を目的とする労働者の移動は、最長7年制限され、完全な自由移動の実現は2011年となる運びだ。

加盟条約に盛り込まれた移行措置によると、拡大当初2年間の既存加盟国の労働市場へのアクセスについては、既存加盟国の個別措置及び政策もしくは二国間協定に従う。各国の具体的な措置は、段階的市場開放、労働市場への深刻な影響が見られる場合に制限を設けるセーフガード条項の導入、受け入れ枠を制限する定数クオータ制度の導入等さまざまだ。当初2年経過後にレビューが行われ、既存加盟国の判断で、さらに3年を限度とする移行措置の延長が認められる。拡大後5年間の措置は、既存加盟国の決定に委ねられる、というシナリオになる。ただし、5年を経過した後でも、「労働市場に深刻な影響がある」との事実が客観的に認められれば、さらに2年の延長申請が可能。経過措置の期間は、最長7年という計算となる。なお、移行措置の導入にあたって既存加盟国は、加盟条約締結時点より労働市場を制限的にすることはできない(いわゆる「停止条項」の適用)ほか、域内労働者となる既存加盟国の労働者を域外労働者より優遇しなければならない。

移行措置の対象となる新規加盟国は、チェコ共和国、ラトヴィア、リトアニア、エストニア、ハンガリー、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキアの8カ国。キプロスとマルタについては、加盟と同時に自由移動が保障されている。また、対象となるのは、既存加盟国における雇用契約を有する労働者で、学生や、自営業者(オーストリアとドイツの建設業に従事する者は除く)、EU拡大時点に既に新規加盟国で合法的に就労する労働者は、対象外となる。

各国の対応に目を移すと、大量な労働者流入を懸念するドイツ、オーストリアはもちろんのこと、当初は労働市場開放のスタンスだったオランダ、デンマークも制限措置を導入。最近では、労働市場は自由化する方針の英国、アイルランドも、社会保障受給権については制限する意向だ。こうした動きは新規加盟国の反発を少なからず招いており、ポーランド、ハンガリーは、逆に既存加盟国からの労働力流入を制限する措置を導入する方針を示している。

たしかに、新規加盟国の国民一人あたりのGDPは、既存15カ国平均の47%に過ぎず、失業率も二倍弱と、極めて高い。また、既存加盟国における、反移民政策を掲げる政党の優勢といった世論も大きく影響している。だが、欧州委員会がまとめた欧州統計局などの集計は、新規加盟国からの長期的流入に劇的な変化はなく、EU15カ国人口の1%程度に過ぎない、との予測を示している。例えば、ドイツ経済研究所(DIW)の最新推計(2004年)では、中欧・東欧諸国(ブルガリア、ルーマニア含む)からの流入は、年間31万8000人から40万人程度、向こう25年間で370万人程度だとされている。(図1)。このうち労働者は40%に満たない。経済的にも、貿易・投資機会の拡大等のプラス効果が強調されており、経過措置は無意味、あるいは過度な利用がディメリットになるとの見方すらある。

欧州委員会はこうした全体の流入の定量的把握に加え、国・地域・産業に応じ、拡大による影響のマグニチュードが多様であることに着目している。国別で流入の集中が予測されるのは、現時点で6割の流入を吸収するドイツを筆頭に、オーストリア、イタリアといった主要国。地域的には、国境付近の労働者の流入、越境通勤の増大に伴う地域の活性化が予測される。周辺・辺境地域の活性化による経済統合の実現は、単一市場化の利点のひとつだ。欧州委員会は、居住地を自国に構えたままでの「通勤型」労働移動のインセンティブは大きく、拡大によって、労働力の1%から8%が、国境をまたがる通勤をする可能性があるとしている。現時点で既に活発な国境地域は、フランス、ベルギー、ドイツからの通勤者が約3割にも及んでいるルクセンブルグだが、拡大後は、国境を挟んで人口密度の高い、ベルリン(ドイツ)、シチエチン(ポーランド)、ウィーン(オーストリア)、ブラチスラバ(スロバキア)、ドレスデン(ドイツ)等が活性化する見通しだ。さらに、産業別では、IT部門をはじめ人手不足が深刻な産業で、拡大によるベネフィットが顕著となる一方で、労働集約型の未熟練部門では競争が激化する見込み。経過期間中に、十分なセーフティネットの提供と平行して、単一労働市場を徐々に実現していくことが課題となる。

EU全体としては、雇用戦略でも、深刻な高齢化への対応策のひとつとして「労働者の自由移動」促進が重要項目に位置付けられていることでも明らかなように、長期的な労働力維持が、失業率の低下や雇用率の向上等の政策だけでは難しいのが現状だ。2000年の国連の推計によると、EU15カ国の現状の人口規模を維持するには、1995年から2050年までに約4700万人の移民が必要となる。さらに、高齢化による就業人口の減少を加味すると、15-64歳層では約7900万人(年間140万人)もの補充移民の必要が予測されている。

こうした人口動態にかんがみると、移行期間導入により形式的・一時的な緩和措置は講じるものの、拡大に伴う域内労働市場の統合は、EUに不可欠な政策的選択といえる。労働市場自由化のマイナス影響が最小限だとすると、経過措置期間を短縮するなど各国の積極的な政策変更もありうる。「労働者の自由移動」を保障することで、従来のインフォーマル・不法な流入は、合法的なスキームに組み込まれることになる。政策的に意味深いのは、EUが、拡大というプロセスを通じて、今後不可欠となる労働者の移動や移民の動きを、厳格な規制というアプローチから、各国の協調にもとづく秩序ある流入管理というアプローチへと徐々にシフトしている点だ。


2004年7月 フォーカス: EU拡大と域内労働力移動

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