船員の大量解雇
船舶会社による船員およそ800人の突然の解雇が、批判を集めている。法律が規定する労働者との事前協議手続きを経なかったことに加え、代替要員として調達を予定している派遣事業者からの船員の賃金が、国内の最低賃金額を下回るとみられることなどが理由だ。
派遣船員への切り替えで人件費を削減
船舶会社P&Oフェリー(注1)は3月半ば、イギリス国内外で運営している4航路(国内1航路のほか、アイルランド、フランス、オランダとの間で各1航路)の船舶の船員およそ800人に対して、事前の予告なく即時解雇を実施した。同社は解雇の理由として、過去2年間、年間で1億ポンドの赤字事業となっていることを挙げ、事業継続には人件費の削減が必須であるため、より賃金の低い派遣事業者からの船員に入れ替える、と述べている。
通常、企業が20名以上の労働者を解雇しようとする場合、ビジネス・エネルギー・産業戦略相への事前の通知(注2)のほか、解雇に先立って労働者と事前協議を行うこと(注3)など、雇用主に対する各種の義務が法律により規定されている。しかし、船員の場合、事前通知の対象は船舶の船籍を置く国の当局とされ(注4)、P&Oフェリー社はここ数年で、船舶の船籍をイギリスからキプロスやバハマなどに移していたことから、国内での通知義務はない(注5)。一方、事前協議の義務については、同社は法律に反する選択を行ったことを認めているが、解雇対象となる船員に対しては、訴訟を行わないことや守秘義務の順守などを前提に、裁判で違反と判断された場合に課されうる保護裁定(最高で90日分の賃金の追加支払い)の額も加味した好条件の解雇手当の支払いを提示したとされる。このほか、同社は解雇対象者に対して、転職支援やグループの他の仕事のあっせんなどを行うとしている。
また会社側によれば、従来の船員の給与額は平均で年3万6000ポンドだが、派遣船員は稼働時間により報酬が支払われ、賃金額の平均は時間当たり5.50ポンドとされる。これは、国内の最低賃金額(2022年4月時点で時間当たり9.50ポンド)を下回る額だが、最低賃金の適用は国内航路やイギリス船籍の船舶の船員に限定されており、外国航路の船員についてはILOの海上労働条約に基づく額(月およそ500ポンド)(注6)が適用されるに留まる。現地メディアによれば、派遣船員には、インドやフィリピンなどからの外国人が多く含まれるとみられ、こうした層が低賃金で派遣されると推測されている。
最低賃金の順守徹底などで対策
同社の船員の多くが加盟する労組RMTやNautiluls(注7)は、解雇の撤回と船員の職場復帰を要求し、支援者とともに各港で連日の抗議行動を実施したが、最終的に、経営側が条件の良い解雇手当の適用期限としていた3月末には、ほぼ全ての船員が条件を受け入れたとみられる(注8)。
また政府も、経営側に解雇の撤回や経営者の辞任などを要請、また対抗措置として、最低賃金や解雇手続きの順守の徹底を図る各種施策を打ち出した(囲み参照)。低賃金の船員への入れ替えのために解雇を行う今回のような手法で、利益を得にくくすることが目的であるとしている(注9)。また、監督機関である海事・沿岸警備庁は、政府の指示によるとされる各船舶の安全性に関する検査で、複数の船舶について設備の不具合や、新たな船員の船及び航路に関する知識の欠如などの問題を指摘、問題改善まで運行の停止を指示した。
- 歳入関税庁は、国内の全てのフェリー運航事業者の最低賃金の順守状況を検査する
- 海事・沿岸警備庁は、法執行方針の見直しを行う
- 労働側との協議なく解雇を行う場合、補償額を25%増額する(法改正を実施)
- P&Oフェリー社CEOの経営者としての資格はく奪の検討を倒産局に要請する
- 海員の労働条件向上に向け、ILOに働きかけを行う(国際最低賃金、海事訓練・技能枠組みの設定、海員のメンタルヘルス支援ツールの導入など)
- 国内に海運業の事業所を設置しやすくすることで、法律の適用逃れの防止を図る
- 海員への最低賃金の適用に向けて、欧州各国と二国間協定の締結を協議する
- 最低賃金違反の事業者に対しては、定期運航を許可しない
- 公正な賃金を支払っていない事業者について、各港に利用拒否を要請する
注
- 同社は、19世紀創業のイギリス企業P&O社のフェリー事業部門だったが、分社化や買収を経て、2019年にドバイの港湾管理企業DP World社(ドバイ政府の持ち株会社の子会社)の傘下にある。(本文へ)
- 同省所管の倒産局(Insolvency Service)への剰員解雇手当に関する届け出を通じて行う。(本文へ)
- 対象者が20名以上の場合は解雇実施の30日以上前から、100人超の場合は45日以上前から。(本文へ)
- 2018年の法改正による。(本文へ)
- なお船員の雇用契約も、国内からイギリス領ジャージーの関連会社に移管されていたが、労働法の適用は拠点を置く国の如何によることから、本件では実質的な影響はなかったとみられる。(本文へ)
- 週36時間労働で換算すると、時間当たり3.21ポンド(House of Commons Library "P&O Ferries Employment law issues"の試算による)。(本文へ)
- 解雇対象となった船員およそ800人は、一般船員(crew)600人と上級船員(officer)200人からなるとされ、前者をRMTが、後者をNautilusが組織している。(本文へ)
- 現地メディアによれば、解雇対象者のうち1名のみが、不公正解雇や差別、ハラスメントなどを理由に会社と役員を提訴するとしている。(本文へ)
- RMTは、最低賃金の順守徹底については賛同するものの、解雇対象の船員の賃金額は最低賃金の水準よりはるかに高いことから、現状の解決にはならない(例えば、船員が6割の賃金カットで雇用に留まることは望んでいない)、とコメントしている。また港湾業界は、港湾運営者に最低賃金を執行する能力はないとして、政府の施策案に難色を示している。(本文へ)
参考資料
- Gov.uk
、UK Parliament
、RMT
、Personnel Today、Finacial Times、BBC ほか各ウェブサイト
参考レート
- 1英ポンド(GBP)=136.46円(2022年5月26日現在 みずほ銀行ウェブサイト
)
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