労働市場の構造改善のための労使政合意(大妥協)
11月14日、ソウル市内で大規模なデモが発生した。抗議の対象は、労働市場改革、教科書国定化、外交政策等、昨今の一連の政策に向けられ、いわば朴槿恵(パク・クネ)政権そのものに対する批判であったと見ることもできる。中でも、労働市場改革に対しては、デモを呼びかけた二大労組の一方である民主労総(KCTU)は法案阻止の強い構えを見せている。
労働市場の構造改善を巡っては、労働組合、企業、政府の労使政(注1)は9月15日、労働市場の構造改善に合意(大妥協)し、一年以上に及んだ議論はひとまず決着したはずであった。本合意内容には、賃金ピーク制(注2)の導入の促進、労働契約の解除手続きの明確化、非正規労働者の雇用安定、青年層の雇用拡大のための努力――等が含まれており、本合意に基づき、政府は関連法案の国会への提出を見込んでいたところであったが、合意直後に各界から批判の声が上がったことも事実であった。やがてそれが11月14日のデモへと発展していく。
今回のデモの発端となった9月15日の経済社会発展労使政委員会(注3)(以下、労使政委員会)における「労働市場の構造改善のための労使政合意文――社会的大妥協――」(以下、労使政合意文)について、その概要とこれに関する各界の見方を紹介する。
労使合意文の概要
労使政委員会において9月15日、労働側代表の韓国労総(FKTU)、使用者側代表の韓国経総(KEF)、政府側代表の雇用労働部の各代表および労使政委員会委員長は本合意文を議決した。グローバル化、少子高齢化、産業構造の転換等、経済社会の急速な変化の中で、企業規模や雇用形態の違いによる賃金をはじめとした労働条件の格差は拡大し、労働市場の二極化という深刻な結果がもたらされている。効率的に機能しているとは言えない現在の労働市場には、根本的な革新が必要であるという共通認識のもと、韓国経済の新たな跳躍と雇用問題の解決に向け、労使政の間で熾烈な議論が展開された結果、今回の合意に至ったことが合意文の前文には記されている。また、本合意文は、大きく6つの柱から成っている。各項目の概要は次のとおりである。
1. 労使政の協力を通じた青年雇用(注4)の活性化
大企業と公的企業は青年の新規雇用の拡大に取組み、政府は青年雇用を拡大した企業に対しては、税制面で優遇する等の支援を強化していく。また、賃金ピーク制を導入することで節減された財源を青年雇用に活用することや、高額所得者や企業の役員は自主的に賃上げを抑制し、青年雇用の拡大に向けた努力をしていくこと、そして有望な中小企業を発掘し、支援を強化していくこと、更には、青年層に対して、在学段階から体系的な就職支援を付与していくため、学校と雇用支援センター(注5)が連携した取組みを実施していくこと――等が謳われている。
2. 労働市場の二重構造の改善
大企業と中小企業間の賃金、労働条件等の格差縮小に向けた労使政の取組みが挙げられている。具体的には、大企業・元請企業の賃上げの費用負担が中小企業・下請企業に転嫁されないよう、労使が努力すること。また、大企業・元請企業は中小企業・下請企業の労働条件の改善を支援していくこと等が盛り込まれている。
非正規雇用の問題に関しては、常時、持続的業務に就く非正規職を正規職として雇用するよう努力し、特に公共部門の雇用にはその先導的役割を求め、非正規職から正規職への転換を活性化していくとしている。また、期間制労働者、派遣労働者に関しては、実態調査、専門家の意見を収斂し、今後方策を整備していくとしている。なお、期間制労働者の期間と更新回数、派遣労働の派遣対象業務、また核心業務部分に対する非正規職の使用制限等については、追加議論課題となった。
一方で、労働市場の活性化策のひとつとして、労働契約の解除基準と手続きを明確化させていくことについても合意文には謳われている。すなわち、今後、労使政及び専門家と協力して労働契約全般に関する制度改善方策を整備していくとしている。
3. セーフティネットの拡充
零細事業主や特殊形態業務(注6)従事者に対する社会保険制度の適用等、社会的保護の拡大や労災保険に関しても、通勤災害等の業務上の認定基準についても今後、労使で議論して整備していくとされた。
最低賃金に関しては、段階的に引上げていくことが合意され、その遵守のためのキャンペーンの推進、違反時の制裁強化、監督の強化も盛り込まれた。また、最低賃金の決定にあたっては、実態調査を土台に、統計に基づく科学的、合理的な決定方法を取るとされた。その他、本項目には母性保護事業の拡大、脆弱階層就労支援プログラムの改善等が含まれている。
4. 3大懸案の解決を通じた不確実性の除去
3大懸案とは「通常賃金制度の明確化」「実労働時間の短縮」「定年延長(注7)のための賃金制度の改善」である。
通常賃金(注8)については、2013年12月18日の大法院の判決(注9)を土台に、明確な基準を立法化していくとしている。実労働時間の短縮については、2020年までに全産業で年平均実労働時間が1800時間以内となるよう積極協力すること、週労働時間については、最大で52時間(基準労働時間40時間+延長労働時間12時間)とすることとした。また、定年延長のための賃金制度の改善については、定年延長の定着と併せて、青年の新規採用の拡大との両立を図るためにも、政府は壮年層の賃金、労働時間、労働日数を調整していくことを推進していき、また、労使は壮年層労働者の雇用安定と青年層労働者の雇用拡大という世代間の共存体制を構築するため、賃金ピーク制の導入をはじめ、賃金体系を合理的に改編するよう自律的に取組んでいくとした。
5. 労使政パートナーシップの構築
労使政は、雇用創出に寄与していくことのできる未来志向的で合理的な労使関係の発展に向けて、不法、不当、不合理な慣行を改善し、生産的な交渉文化を定着させるために努力していくこと、労使政委員会に青年や非正規職の代表を参加させ、委員会の機能と役割を強化していくこと、経済、産業、雇用動向に関する情報を共有し、国家経済の向上及び雇用創出のため、相互に協力し、方策を議論していくこと――等、労使政パートナーシップの取組みが合意文の中で確認された。
6. 合意事項の履行及び拡散
今回合意した事項を誠実に履行していき、地域別、業種別における協議において、また、個別の事業所における団体交渉において反映していくよう労使政は努力していくとともに、本合意事項の具体化に必要なことに関しては、追加議論していくこと、そして履行に必要な立法措置及び予算措置が迅速に進められていくよう要請している。
合意(大妥協)後の各界の反応
今回の労使政による合意(大妥協)には、成立直後から不協和音が帯びていた。ポイントとなったのは労働契約の解除の事項であった。労働界からは、低成果者に対する解雇が緩和されるのではないかという懸念から、反発の声が上がった。労働側代表として労使政委員会に参加していた二大労組の一方である韓国労総(FKTU)の内部からも、暫定合意直後から合意内容を批判する声が出はじめ、FKTUは中央執行委員会を開催し、そこで委員長の「労働現場に不利がないよう最善を尽くす」との説得のもと、執行委員会での承認を取り付けることができた。二大労組のもう一方の民主労総(KCTU)は労使政委員会で議論が開始された直後から離脱しており、FKTUが今回、合意文に署名したことに対しても激しく批判するとともに、スト等の手段で対抗することを表明した。その後の一連の活動が11月のデモへとつながっていった。
本合意文には「解雇を緩和する」という表現は含まれていないものの、それまで政府と使用者側は「雇用の柔軟性」「解雇規制の緩和」等についてたびたび論じてきた。今回労働者側の激しい反発を招いた背景にはこうした状況がある。
経済界からも、今回の合意(大妥協)に関して、公正で柔軟な労働市場を作るには不足している面が多く、具体性にも欠けると不満の声が上がった。事実、全国経済人連合会、大韓商工会議所、中小企業中央会、韓国貿易協会、韓国経営者総協会の経済5団体は共同声明を通じて、「韓国社会が必要とする労働改革にはほど遠い水準である」と表明した。経済界からの不満は、低成果者に対する解雇について法制化が先延ばしされた点にあると言える。
政府側からは、李基権(イ・ギクォン)雇用労働部長官が「優秀な労働者は60歳まで雇用が保障され、企業の競争力は向上し、青年雇用は拡大し、非正規職は減少する」、と一石四鳥の効果が期待できると今回の合意(大妥協)を高く評価した。
立法化を巡って今後、激しい応酬が予想され、関連法の成立への道のりは遠いという見方が有力である。
注
- 韓国では政府、労働組合、使用者の三者を並べる時、一般的に「労使政」の順を用いる。(本文へ)
- 労働者が一定年齢を超えた場合、その生産性に応じて賃金を削減する代わりに定年までの雇用を保障する賃金制度。韓国政府はこれまでにもこの制度の導入を企業に対して奨励していた。(本文へ)
- 韓国の労働問題に関して労使政の同意をもたらすための大統領諮問機関。1997年の経済危機の克服と雇用安定を目的に1998年1月に発足。労使政の三者で構成される。(本文へ)
- 日本の若年雇用に相当する概念を、韓国では青年雇用と表現する。(本文へ)
- 職業紹介、就業支援及び職業能力開発などの業務を行う雇用労働部の機関で、全国的な組織網を持つ。(本文へ)
- コンクリートミキサー車運転手、保険外交員、家庭教師等、個人で仕事を請負う形態の業務。(本文へ)
- 定年を延長する「雇用上の年齢差別禁止および高齢者雇用促進法改正法」が2013年4月30日成立した。改正法は、それまで努力義務であった60歳以上の定年を、従業員300人以上の事業所は2016年から、300人未満の事業所は17年から義務化する。また、定年延長に伴う企業の負担増に配慮し、労使は賃金体系改編等の必要な措置を講じなければならないと規定した。JILPT海外労働情報、国別労働トピック2013年6月および2015年6月参照。(本文へ)
- 通常賃金は、労働者に一般的に支給される賃金として、時間外・休日・深夜労働に対する加算賃金や退職金などの算定基準となる。韓国では経済成長過程で、賃金上昇を抑える目的で様々な手当を増やした結果、賃金構成が複雑となっている。JILPT海外労働情報、国別労働トピック2014年2月参照。(本文へ)
- 大法院は、通常賃金について、労働契約で定められた労働の対価として支給されるいくつかの項目の賃金が、一定期間に応じて定期的に支給され(定期性)、すべての労働者に一律に支給され(一律性)、その支給の可否が業績や成果、その他の追加的な条件とは関係なく、既に確定している(固定性)必要がある、という基準を示した。JILPT海外労働情報、国別労働トピック2014年2月参照。(本文へ)
参考資料
- 『労働市場の構造改善のための労使政合意文――社会的大妥協――』(2015年9月15日)経済社会発展労使政委員会
- 『Labor Today』(September 24, 2015) Korea Labor Foundation
- 『NNA ASIA』(2015年9月17日)
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