退職年金改革法案が成立

カテゴリー:高齢者雇用労使関係

フランスの記事一覧

  • 国別労働トピック:2003年10月

7月24日、退職年金改革法案が国民議会と上院で可決され、最終的に成立した。2回の投票はフィヨン社会問題相が戦後の最も重要な改革と呼んだ内容を承認したことになる。社会問題相とデルヴォワイユ公務相によって推敲された法案の本文は、5月15日に民主労働同盟(CFDT)および管理職総同盟(CGC)の2団体と合意に達して以降、その骨格部分(拠出期間を2008年に40年、2012年に41年にする、14~16歳で働き始めた労働者には60歳前に引退できる可能性を認める、年金の物価スライド制など)には手がつけられていない。

1995年に特別年金制度の改革を目指したものの、街頭からの強い圧力に屈して退陣せざるを得なかったジュペ首相。民衆運動連合(UMP)はこのトラウマに悩まされながらも、今回は公共部門の制度と民間部門の制度を横並びにするという象徴的な一線を乗り越えた。とはいえ、決して容易な道のりではなかった。数週間にわたる激しい抗議行動、1カ月半に達した両院での国会審議。社会党と共産党は共同戦線を築いて、頑強に抵抗した。国民議会では、社会党が2900、共産党が7000もの修正案を提出した。さらに、あらゆる規則を動員して、審議の引き延ばしを図った。

社会党のジャン・マルク・エロー議員は、「われわれが意図しているのは、議論を行い、事の本質を究明し、国民を啓蒙することだ」と述べた。だが、野党の立場は国民に理解されたのだろうか。エロー議員は、「年金水準、雇用政策、苦痛と資金調達の概念など、いくつかの基本的なポイントを引き合いに出すことに成功した」と自賛した。しかし、社会党の立場は分かり難いと考えている向きも少なくない。社会党は対案の提出に後れをとったばかりか、内部の意見対立を調整できなかった。とりわけ、ミシェル・ロカール、ベルナール・クシュネール、ジャック・アタリらの有力社会党議員が公然と政府の改革案を支持したことは、社会党の混乱を際立たせ、イメージの低下を招いたことも間違いあるまい。

一方、労働界に生じた亀裂も深刻だ。当初は一致してフィヨン案に反対していたものの、統一戦線は結局のところ、破綻した。1月に共同宣言に調印した7団体のなかから、CFDTとCGCは政府の改革案を承認した。キリスト教労働者同盟(CFTC)は政府案を正式に承認したわけではないが、反対戦線からは離脱した。CFDTは労使協議の特権的なパートナーの地位にとどまりたいとの意思を示し、公務部門における力を維持しながらも、民間部門や中小企業の労働者を保護する立場も明らかにした。ただし、そのために厳しい内部対立を抱え込むことになり、一部の組合はCFDTからの脱退を選択した。

労働総同盟(CGT)は紛争を通じて「真の交渉」の開始を求めてきたが、最終的に政府の選択に影響を与えることができなかった。CGTは議論への参加を望む立場と社会運動を一般化していこうという意思との間で引き裂かれ、その方針を明らかにできなかった。しかも、ゼネスト指令を拒否したことにより、数多くの活動家を失望させることになった。

関連情報