農村余剰労働力は中国の経済発展の足かせになるか

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年8月

中国の経済改革の先鞭は1980年代初頭の農村地域である。郷鎮企業とよばれる農村の地場産業の発展は、農民の懐を豊かにし、沿海地域や都市部周辺では豊かな農村を誕生させた。2000年における中国の農業、林業、牧畜業及び漁業などの生産高をみると、1978年の改革開放前より実に合計3.27倍にも増えており、年平均で6.4%の成長率で伸びてきたのである。しかし、1980年代では顕著にみられた農村住民の所得増は、1990年代以降減速し、農村世帯の一人当たり純所得の成長率はどの年においても6%を下回っている(1996年を除く)。農村地域の経済成長は1990年代後半から次第に暗雲が漂ってきている。

1997年以降、中国は供給過剰による産業構造の調整を余儀なくされ、都市部企業でもフル稼働が少なく、投資額も低下している。そのため、都市部では新規雇用機会が減少し、農村出稼ぎ労働者に対する吸収力も弱くなった。他方、全社会における生産能力の過剰は、技術、生産管理および品質面で立ち遅れる郷鎮企業にはさらに大きな打撃を与え、多くの郷鎮企業を生産中止や倒産にまで追い込んだ。さらに、私営企業家による郷鎮企業の買収が進んだ結果、郷鎮企業の役割は、かつての農村地域の雇用維持から利益追求へと変わり、農村労働力に対する吸収力も次第に弱まっている。以上の理由により、1998?1999年の農村地域における郷鎮企業の就労者数は1000万人も減少した。農村労働力の多くは付加価値の低い農業生産に逆流し、農民の所得減が社会問題化しつつある。

WTO加盟は、中国にとって金融、自動車、通信産業などの分野における大きなインパクトとして受け止められているが、実は、最も大きな衝撃を受けるのは農業と8億人の農民である。米、小麦や綿花などの生産において中国は相対的な競争優位がない。市場開放により、中国の農民は熾烈な国際競争にさらされ、余剰労働力が一気に増加すると思われる。中国の農村労働力は約6~7億人と推算されるが、耕地面積との割合では1億人の労働力しか必要としない。つまり、5~6億人が顕在もしくは潜在的余剰労働力なのである。郷鎮企業が吸収可能な労働力を除いても依然として4~5億人の労働力が余っている。こうした余剰労働力による都市部への流入は避けられない様相である。中国の専門家の推計によれば、今後数年間にわたり、農村労働力は年間1300万人の規模で都市部に流入し、都市部の失業問題にさらに大きなプレッシャーをかける。農村余剰労働力の増加や農民の所得減は、農村消費市場の低迷を招き、生産過剰をさらに助長する。それは逆にデフレを深化させ、都市部失業者の増加に拍車をかける。都市失業者が増加すれば農村からの出稼ぎ労働者の排斥を激化させる。こうした悪循環の構造が懸念されている。

1950年代以降、中国では戸籍制度の確立によって、農村人口と都市人口の身分格差が人為的に作られた。そのため、農民は不平等な地位を強いられ、大きな制限を受けている。所得からみると、1998年では、都市部一人当たりの消費、所得および生活費用はそれぞれ6182元、5425.1元および4331.6元であったが、農村部では、同じ項目ではそれぞれ1895元、2162元と1590.3元にすぎない。都市と農村の格差は世界各国の中で最も大きいといっても過言ではない。中国経済景気監測センターのデータによれば、2001年全国農民の平均所得は2434元であり、そのうち、東部沿海地域では3649.4元、中部地域では2170.6元、西部地域では1605.8元となっている。都市と農村の格差が存在する一方、内陸部農村地域はさらに立ち遅れていることがわかる。近年、農民に対する徴税は2倍にも増えており、農業生産の伸び率より倍以上も伸びているとの指摘もある。都市部では比較的に厳格に守られている一人っ子政策も、農村部となると、政策の施行にかなりの柔軟性があり、ほとんどの農村世帯は実質上、2人の子供をもつことができる。一人当たりの耕地面積が限られている農村部では、人口増大はさらに貧困を加速させる結果になっている。戸籍制度は事実上の等級制度であり、農村戸籍は農民から移動の自由を奪った。それだけではなく、彼らは都市人口と同様な社会保障、雇用と就業、医療、教育、交通、通信と情報など、国が提供するあらゆる公的サービスからも排除されている。社会サービスは目に見えない無形資産であり、所得などの有形資産以上に農村と都市の格差を拡大させている。たとえば、内陸農村部では、地元行政体が農村の学校教師の賃金を支払えないため、多くの農村小学校が廃校に追い込まれている。

2002年春の全人代において、農業、農村と農民のいわゆる「三農」問題が、さらなる経済発展の足かせになりかねないと警戒する声も聞かれた。これからの問題解決の1つの糸口としては、農村部の都市化が挙げられている。大量の低廉労働力は、労働集約型産業における中国の競争優位でもある。農村部の都市化は、労働集約型産業の発展に大きなチャンスを与えることになる。農村地域の都市化の成功例として、華南モデル及び江南モデルが挙げられる。冷蔵庫や空調機など世界でも屈指の生産基地として知られる広東省の順徳、東莞などの地域は、世界工場といわれる中国華南地域の工業地帯を形成している。順徳、東莞などは、1980年代まではまだ村落地域であった。しかし、今では、これらの地域で郷鎮企業として出発した企業の数々は、家電や電子部品のブランドを育てあげ、全国市場を制覇し、海外市場にも浸透しつつある近代的な大企業に生まれ変わっている。

江南モデルの代表例として温州が挙げられる。温州市は今や地元企業のほとんどが私営企業の町として知られているが、その私営企業の多くは地元の農民の手によって育てられてきたものである。1980年代に、温州人はボタン、靴、生活雑貨などの生産を始め、次第に全国最大の雑貨や日常用品の市場を育てあげ、周辺農村地域の労働力を巻き込んだだけでなく、他の地域からの出稼ぎ労働者を吸い込みはじめた。温州の地元農民は素早く農業から手を引き、地元の農業はほとんど他の農村地域からの出稼ぎ労働者の手に任されている。

規制が解かれれば、中国の農民は市場経済に最も適応力があるといわれる。これまで農民は自らの力で2.5億人分もの就労機会を創造した。そのうちの1.3億人は郷鎮企業で働き、残りの1億人は都市労働市場に入り、家事手伝い、野菜販売などを営み、都市住民の生活に大きな便利をもたらした。しかし、中国では、戸籍の壁は依然として厚く、農民は都市での就業が制限されるだけではなく、郷鎮企業は融資などにおいても差別を受けており、農民起業家のベンチャー精神が損なわれている。WTO加盟は農村労働力にとって大きな脅威であると同時に大きなチャンスでもある。膨大な農村労働力を経済発展の足かせから、牽引力にかえるためには、都市住民と平等な国民待遇の付与が必要であろう。

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