はじめての過労死訴訟

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年5月

2000年9月7日、中国ではじめての過労死訴訟が上海市静安区人民法院(裁判所) で審理された。当事者の唐英才は、上海市静安区第6糧油食品会社の従業員である。1998年8月14日に、56歳の唐氏が夜勤中に急死しているのが、翌朝、出社した他の 従業員に発見された。検死官の鑑定によれば、唐氏は病気を抱えており、高温の職場 で過度の疲労によって、身体機能が衰弱し、死亡に至ったのである。

唐氏の家族は、会社が唐氏に過度の仕事をさせたことが、死亡の真因だと考え、2000年8月に、静安区人民法院に訴訟を起こし、第6糧油食品会社に対して、1998年1月から8月までの唐氏の時間外超過労働分の賃金5600元、賠償金14万元、家族の精神的な苦痛に対する賠償金5万元など、計20万元を要求した。

原告側の弁護士は、法律で定めた労働時間を守らず限界を超えた長時間労働による突然死について、検死によって突発の病気による死亡の可能性を排除した場合、法律上では、過労死と認めるべきとの見解を表明した。しかし、労働行政の上海市労働局関係者は、過労死と認めるべきとの見解を表明した。しかし、労働行政の上海市労働局関係者にとっては、過労死は耳新しい言葉だった。労働局によれば、労働者が死亡した場合、"まず労災であるかどうかを認定すべきであり、労災と認定されれば、既存の労災賠償方法により賠償を行うべきある。過労死について、中国ではまだ、明確な法的な定義が定められていないため、この訴訟は社会的な注目を集めている。過労死訴訟は、中国の労働者や市民の法律による自己防衛意識向上の現われとして、経営側にも警鐘を鳴らした。

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