公共部門労組委員長交替
―Verdi設立をめぐる対立で

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年2月

公共部門労組OTVは、Verdi設立の賛否を問うために、ライプチヒで特別代議員大会を開催し、大会に招かれたシュレーダー首相も2000年11月4日の挨拶で、5労組合併によるVerdi設立の意義を強調した。だが、Verdi設立後の協約交渉地区の区分け等について O¨TV内部にある利害の対立(本誌2001年1月号参照)は継続し、2000年11月7日に行われた556人の代議員による決議でも、この対立から賛成得票は65.5%に留まった。これは現時点で必要とされる70%を大きく下回ったもので、Verdi設立賛成に向けて奔走したヘルベルト・マイ委員長は極めて厳しい立場に追い込まれ、その責任問題にも発展し、11月8日に予定された委員長選挙も延期されるに至った。

引き続き開かれた緊急の幹部会会議で、2000年度の公共部門の賃金協約交渉でのマイ委員長の妥協的手法にも批判が上がり(本誌2000年9月号参照)、Verdiが設立された場合の同委員長のリーダーシップに対する疑問も提起された。この結果11月8日、同委員長は委員長選挙への立候補を断念する声明を発表し、組合員数でIGメタルに次ぐ規模(約150万人)をもつドイツ第2の産別労組の委員長職を辞することになった。その声明発表直後、 Verdi設立の賛否をめぐって再度議決が行われたが、今度は2001年3月の最終特別代議員大会の招集に賛成する78%の得票があり、マイ委員長のもとでの65.5%から得票率は大幅 に増加した。ただ O¨TVの規約では、2001年3月の大会で最終的に同労組を解散して Verdi設立に参加するのに必要な賛成得票率は80%とされており、ここからも Verdi設立の最終的見通しにはまだ不確定要素が含まれているといえる。

その後、マイ委員長の後任には、11月9日の委員長選挙で、一般には無名の緑の党出身のフランク・ブジルスケ氏が選出された。

他方、その後11月後半になって、Verdiに参加する他の4労組のうち、ドイツ職員労組 (DAG)、商業・銀行・保険労組(HBV)、郵便労組(DPG)は、それぞれの大会で相次いで Verdi設立に多数で賛成決議を行った。したがって、Verdiが O¨TVも参加する当初の形で発進 できるか否かは、2001年3月の O¨TVの特別大会での決議にかかってきた。

今回退任を余儀なくされたマイ氏は、1994年に O¨TV委員長に就任したが、Verdi設 立に関しては、97年10月5日のハンブルグ宣言でサービス業労組への合併構想が打ち出 されて以来、その後の紆余曲析の中で、Verdi設立に向けて重要な拘わりを示してきた。 特に、Verdiに参加する5労組中最大労組のO¨TVと他の4労組の権限上の対立から、 Verdiを4労組で先行発進させ、O¨TVはそれに協力していくいわゆる「4プラス1」構 想が2000年8月に浮上してからも、5労組による Verdi設立に向けて努力してきた。し かしマイ氏に対しては、いわゆる調整型の指導者で、「角のない」人物としての評価が定着 している半面、IGメタルのツビッケル委員長のような闘争的リーダーシップに欠けるとの 評価が O¨TV内部の Verdi設立賛成派にもあり、賃金協約交渉での妥協に対する批判も 含むこのような同氏に対する評価が、今回の代議員大会の紛糾で前面に噴出した感がある。 ただ、リースター労相は、マイ氏の退任は労働運動にとっての損失だと、同氏の退任を惜 しむ言葉を述べている。

他方、新任のブジルスケ氏(48歳)は、ドイツの産別労組では初めての緑の党出身の委員長で、ニーダー・ザクセン地区の副委員長、ハノーバー市の人事局長の経歴があり、委員長選挙では、94.7%という20年ぶりの高い得票で新委員長に選出された。O¨TV内部でも広く知られていなかったので、一部に驚きの声もあったが、O¨TVの幹部からは、決し てその場つなぎの人選ではないとの声が上がっている。また、ブジルスケ氏は、Verdi設立懐疑派からの支持も当てにできるとされており、来年3月の特別大会にはまだ不確定要 素はあるが、5労組合併で Verdi設立が実現すれば、世界最大の産別労組の委員長になる 可能性もあるだけに、今後の同氏の O¨TVの舵取が注目される。

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