日系企業労使紛争、ようやく決着

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

インドネシアの記事一覧

  • 国別労働トピック:2000年11月

本誌2000年8月号でお伝えした日系電機関係企業の労使紛争が、4月から5カ月経ち、ようやく解決した。紛争の発端は、2000年4月26日から生産ラインの立ち作業への移行に猛反対し、労働組合の約6割の従業員が職場放棄したことである。その結果、同社は2カ月近く操業が停止し、多額の損失を被ったとされている。7月5日には、中央労使紛争調停委員会(P4P)は、同社の職場放棄を続けていた928人の従業員全員の解雇の決定を認めた。これに対して国会の第6委員会(宗教・人的資源)は、労使双方と労働力省を招いて聴聞会を開き、2週間かけて労使が再交渉することを勧告した。

しかし、P4Pの決定内容を不服とする組合側が、ジュネーブに本部のある国際金属労連(IMF)から支援を取りつけ、7月25日に国際金属労連とインドネシアの加盟団体であるSPMI(インドネシア鉄鋼労働者組合)、そして労組側が使用者側との交渉を行った。労働者側の弁護士によると、国際金属労連のマレンタッチ議長から「928人の従業員解雇の判決は、スハルト大統領が権力を持っていたときの法律をもとに行われている。インドネシア政府は国際的な水準まで法律の改正をする責任がある」といった内容の書簡がワヒド大統領とボメル労相(当時)に渡されたという。国際金属労連は、インドネシアの法律が、労働者のストライキの権利や労使紛争中の解雇からの保護を十分に反映していないとの意見を述べている。

その後、使用者と労組との交渉が9月1日に合意に達していたことが明らかになったが、その内容はまだ明らかにされていない。

関連情報