長引く日系電機関係企業の労使紛争、一応の決着

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年8月

会社側が組み立てラインの作業工程を従来の「腰掛けて作業する形態」から「立って作業(立ち作業)する形態」へと変更したことに抗議して、日系電機関係企業の工場で、2000年4月26日に労働者がストライキに入った。

会社側によると、立ち作業の導入は作業の効率性と労働生産性を向上させるためであり、このような作業形態を取っている企業は同日系企業以外にも多くの例がみられ、特別な形態ではないという。しかし、この作業形態の変更は昨年から労働者に問題視され、さる2月にも28日から3日間と半日行われたストライキを背景に、経営者側と労働者の代表が数回の会合を持って問題解決に努めてきたが、大きな進展はなく、今回の事態にいたったという。

現地紙によると、同社の労働者はストライキに入るとともに、2000年4月27日にはジャカルタ市内の国連ビルの前で抗議活動を行った。約60人の労働者は制服を着て、同社の製品を買わないようにとのメッセージを書いたビラを配ったり、演説を行ったりした。抗議行動に参加した労働者によれば、抗議の理由は「1999年に労組リーダーをはっきりとした理由も提示せずに解雇した」ことや、「組合の活動を制限するような制約を加えていた」ためと主張。さらに、組合側との協議を十分にしないままに会社側が労働条件を一方的に決定してしまうこともしばしばであったという。また、勤務時間中は家族からの電話でも取り次ぎはしてもらえず、トイレに行くにも監督の許可が必要である、という抗議も聞かれ、このような慣行を、1942~1945年の日本統治下の「労務者」の名残であるとも主張していた。4月26日のストライキには全従業員1500人のうち900人の労働者が参加し、ストライキにより1999年と比較して2億米ドルの売上げ減少は避けられないと見られている。同社では1日平均約4000台のオーディオ製品とテレビ製造していたが、ストライキによって600人の従業員で1000~1200台生産する状態が続いている。

こうした事態の推移を重視したボメル・パサリブ労相は、これ以上外国人投資家に悪い印象を与えないように、また、インドネシアに対する外国企業の投資を減退させないように早急な対応が必要だとの考えから、当該企業の役員と話し合って最善の解決方法を見つけたいと表明している。

なお、SPSI(全インドネシア労連)改革派の国際担当によれば、6月末には紛争は収拾に向かったという。また、今回のストは工場レベルの労組が主体となって実施したもので、インドネシア金属労組など外部の労組上部団体は直接には関与していないという。

同紛争については、7月5日、中央労使紛争調停委員会(P4P)は職場放棄を続ける928人の従業員を会社側が解雇することを認める裁定を下した。同裁定は、労組が変更命令を出さない限り、行政としての最終判断となるが、組合側が不満な場合は行政裁判所に訴え、司法の判断に委ねる道が残されており、最終的な解決までにはなお、曲折がありそうだ。なお、宗教・人的資源に関する国会第6委員会は、労使再交渉を勧告している。

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