1億総活躍社会の実現は、労使コミュニケーションの経営資源性発揮から!

本コラムは、当機構の研究員等が普段の調査研究業務の中で考えていることを自由に書いたものです。
コラムの内容は執筆者個人の意見を表すものであり、当機構の見解を示すものではありません。

労使関係部門 主任研究員 呉学殊

2015年10月7日、第3次安倍改造内閣が発足した。新たな大臣ポストとして「1億総活躍社会担当大臣」が設けられた。人口減少が進む中、それを最小限にとどめて、GDP600兆円の達成や社会の中長期的な維持に必要なポストというふうに解釈したい。

ところで現在の約1億3千万の人口の中で、活躍している人はどのくらいだろう。仕事ができる15歳以上を基準に活躍できるだろうという1つの指標として労働力率をみると、約6割である。それを高めてもっと多くの人々が職場で働くことを目指していくことが肝要であるが、主な対象者は、女性、若者、高齢者ではないかと思われる。しかし、「活躍」という言葉の意味は、単に仕事をすることだけを示すものではなく、「めざましく活動すること」、「勢いよく躍りはねること」を表すものとして、自分の能力を十分発揮することを含んでいるといえよう。

活躍する最も重要な場は仕事を行う職場だろう。職場の実態調査をしてみると、活躍できないところが多い。それは、「自由にものがいえない」、「職場の風通しが悪い」、「会社の経営や働かせ方、処遇に納得できない」等からである。仕事をめぐっては、不平・不満、疑問、改善点などさまざまな思いをもつのが普通であるが、それを発言することができない。また、いろんなワークルールがあるが、ルールの決定や実行プロセスに参加できない。こういう職場の中で労働者が果たして活躍できるといえるのだろうか。労働者に最も重要な雇用、賃金、労働時間(残業)や休暇を決めるのに労働者が参加することは、労働組合のないところでは、難しいだろう。そのこともあって、個別労働紛争が絶えないのである。注1)

私は、1億総活躍社会の実現には、まず、現在の労働者が職場で自由にものがいえて、ワークルールに納得する中で仕事ができる職場環境をつくることが何よりも重要であると考える。そのためには労使コミュニケーションの円滑化が必要である。

私は、労使コミュニケーションが経営資源であると考える。なぜなら、よい労使コミュニケーションが経営危機を回避し、危機にあってもそれを早期に克服すること、労働者の協力を多く得ること、やる気やチームワークを高めること、主体性を高めるのに資するからである 。注2)しかし、残念ながら、こうした労使コミュニケーションの経営資源性が発揮できる環境ではなくなってきている。それは自由にものをいえる環境をつくってきた労働組合の組織率が低下しているからであり、また、過半数組合のないところに「休日・残業協定」の締結等の役割を与えられている従業員の過半数代表者の選出に問題がある等過半数代表制が形骸化し、労使関係の対等性に大きな問題が生じているからである。注3)

先日は、非常勤をしているある大学の授業で、学生に「就職したら自由にものがいえると思う人は手を挙げて」といったら、約80人の学生がいたのにゼロであり、反対に「ものがいえないと思う人は」と聞いたところ、ほとんどの学生が手を挙げた。このように思っている学生達が職場でものがいえないのは当然だろうし、そういう職場で「活躍」できる人は果たしてどのくらいいるだろう。

日本では個別企業の労使コミュニケーションを全体的に律する法律が存在しないので、労働組合のないところでは、労使が話し合う基盤が整っていない。そのために、2014年と15年、賃上げや非正規労働者の処遇改善等を促す政労使合意がなされていても、現場でそれを受け止めて労使が議論することは期待できない。政労使合意文が素晴らしくてもこうした現場には響かないのである。

1億総活躍社会の実現には何よりも現在の労働者が職場で自由にものがいえて、納得しながら仕事ができる環境を作ることが先決だと思う。そのためには労使コミュニケーションの経営資源性が発揮できるように労使コミュニケーションの基盤を法律によってつくることが肝要であり、「1億総活躍社会は労使コミュニケーションの基盤づくりから」という強い思いを私はもっている。ドイツをはじめ多くのヨーロッパ諸国に法制化されている「従業員代表制の法制化」 注4)を日本でも実現することが望ましいと考える。このことを通じて、より多くの方々が労働市場に参加し良好な労使コミュニケーションの下で活躍してその経営資源性を発揮していくことが1億総活躍社会の実現に本質的につながると確信する。

(2016年1月7日掲載)