第1回「フランスの失業保険制度」
 ―労使の社会保険と国の雇用政策及び社会的保護のはざまで

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鈴木 宏昌(早稲田大学名誉教授、IDHE-ENS-Paris-Saclay客員研究員)

フランスの現行の失業保険制度は高度成長が軌道に乗りはじめた1958年に、経済構造の変化に伴い衰退産業で失職する労働者の所得補償を行い、円滑な再就職を支援するビスマルク型の労使の社会保険として出発する。ただし、広域の労働者の強制保険とする必要もあり、枠組みは労働法で規定され、その運用を民間のUnedic(全国商工業雇用連合)という労使代表が集まる団体に委託する形をとった。財源は労使の共同拠出で、失業給付の支払いにはAssedic(商工業雇用協会)という地域別の労働金庫(民間の団体)が設立された。

1960から1970年代はじめまでは、失業給付を受給する労働者は少なく、この失業保険は黒字財政が続いたので、寛大な条件の所得補償が可能だった。ところが、1970年代後半以降になると失業率は上昇し、1980年代には2ケタ台に跳ね上がる。失業は単に衰退産業の労働者の問題ではなく、賃金労働者の一般的なリスクに転じる。経済成長の時代に確立した長期雇用を原則とした雇用モデルは、労働市場の流動化やサービス経済化で崩れ、雇用形態の多様化が顕著になる。そのため、長期雇用モデルに立脚し、失業保険への加入期間と拠出額を考慮する失業保険制度では多くの失業者(若年労働者、短期雇用の労働者や育児の終わった女性など)は失業補償の安全網から漏れることになる。このため、国は次第に失業保険制度に介入し、その適用範囲の拡大、失業給付の期間や水準に直接・間接的に影響力を行使する。そして、1990年代以降はEUやOECDなどが旗を振る失業者の早期再就職奨励(activation)が意識され、次第に失業給付を受ける条件として、求職者には個人的な再就職計画の作成が義務化される。2008年には、長年課題であった国の雇用促進の機関ANPE(国立雇用機関)と失業給付を担当していたAssedicが政治主導で合併し、Pôle emploi(以降、雇用センター)という国の労働市場政策と失業保険制度を結ぶ大きな公共サービスが出現する。2008年の改革の際、労使が運用するUnedicは保険料率の決定や失業保険の目標を決定する団体として残るが、失業保険の実務と雇用促進の業務は国の機関である雇用センターに移行する。その後、2008年の金融危機とその後遺症で、再び失業率が増加したため、Unedicの財政事情は相当に悪化する。2018年には、国が介入し、失業保険制度の財源に、それまでの労働者拠出分の代わりに、一般化社会拠出金(CSG)の一部を当てることを決定する。さらに、毎年の失業保険の運用方針は、まず政府がロードマップ(cadrage)を示し、その枠内で労使交渉を行うこととした(2023年までの時限立法)。

このように、フランスの失業保険制度の歴史を概観すると、この制度が労働市場の状況と時代の政治・経済を反映し、その性格が大きく変化してきていることが分かる。とくに、経済情勢の悪化とそれに伴い高失業率が長年続いていたという実態とその対策として失業者の早期再就職を促す理念が流れになったことが失業保険制度の方向を定めてきたように思われる。その結果、失業給付と雇用促進を直接結ぶ雇用センターが失業保険制度のキーアクターとなっている。また、2017年以降、マクロン政権は、労働市場の流動化を目指すとして矢継ぎ早に失業保険制度の改革を行っている。これに対し、労働者の権利を守る立場を擁護する専門家や実務家からは多様な批判があり、労働市場の流動化を支持する主に経済学者グループと議論が続いている。

ところで、現在の失業保険制度は実に巨大な組織で、複雑な統治機構となっている(図表1参照)。その実務を担当する雇用センターに登録されている求職者数は650万人、そのうち実際に失業給付を受けている人は260万人に上り、払わられた失業給付の総額は約380億ユーロに達している(2021年)。すなわち、民間の雇用労働者約2千万人の約3人1人は雇用センターに登録した計算となる(同じ失業者が何回も登録することもあり、実数値は異なる)。雇用センターは全国にオフィスを展開し、その職員数は実に5万人を超える。その統治機構は実に複雑である;まず、失業保険制度の枠組みは労働法典に細かく定められているが、実際に失業保険制度を運営・管理するのは国が委託するUnedicと雇用センターとなっている。Unedicには3つの使用者団体と5つの代表的労働組合が集まり、自主的に運営されている。このUnedicが財政の均衡を維持する保険料率(2018年までは労働者と使用者の拠出、その後は使用者負担と一般化社会拠出金CSGの一部)や失業給付の水準を決めたり、毎年の事業の方針を定める。しかし拠出金の徴収業務は現在では社会保障費などの徴収を一括して行うUrssaf(政府機関)(社会保険料徴収機関)に委託されている。一方、失業給付の認定や支払いの業務は、2008年以降、雇用センターに移行されている。その雇用センターは求職者一人ずつに雇用アドバイザーを配置し、面談の上、PPAE(個別再就職計画)と呼ばれる求職者個々人の再就職ための計画書を作成し、その早期再就職を援助する。同時に、失業給付有資格者に対する失業給付の認定と支払いを行う。雇用センターの運用方針は国とUnedic、雇用センターが3年ごとに結ぶ3者協定で定められる。このような統治機構は、歴史的な経緯の産物であるとともに国と労使団体との微妙な関係を反映している。ただし。近年は、立法機能を持つ国の権限が強くなっていることは否めない(Unedicの労使協定も労働省の許可(agréer)が必要である)。

以上は現在の失業保険制度の現状だが、なぜ毎回の失業保険の改革案に強い反対の声が上がるのか、あるいはなぜ複雑な統治構造を持っているのかは、やはり失業保険制度の歴史を少し掘り下げて見る必要がある。したがって、この稿では、まず第1節で、失業保険制度の改革の歴史を簡単に展望する。その後、失業給付期間を終えた失業者の救済のために制度化された公的扶助と最後の最低所得保障であるRSA(積極的連帯所得手当)に言及する(第2節)。第3節は、失業保険・雇用政策のキーアクターである雇用センターの実際の活動を紹介する。前述のように、登録された求職者が650万人という膨大な数に上り、しかも個別に雇用アドバイザーが書類を作成する原則なので、雇用センターはその対応に追われ、その仕事量もすさまじい。ここでは、とくに、求職者と雇用アドバイザーが共同で作成するPPAEの役割に着目する。第4節は、社会保険の原則と普遍主義的な労働者保護の理念的な関係を考えてみる。実は、失業保険制度に関しては、その改革案が示されるたびに、多くの専門家(経済学、社会学、法律など)や実務家が論文や論評を発表した。その大部分は失業者の権利を守る立場で書かれているが、反対に財政的見地からの接近もある。さらに、労使自治という立場から政府の介入に批判的なものもかなりある。ただし、多くの論文や論評があるにもかかわらず、数次の改革の影響を実証した研究は実に少ない。そのため、現在では、制度改革の是非をめぐる議論と実態が大きく乖離しているように思われる。ようやく最近この分野に詳しい社会学者Grégoireらが失業保険の制度改革の影響を実証研究しているので、彼らの研究を紹介してみる。結びとして、簡単に日本の雇用保険とフランスの失業保険の比較(むしろ比較の難しさ)を考えてみたい。

1 失業保険制度の変遷

現在の失業保険制度は1958年に、フランスの経済復興を狙うドゴール大統領の意向を受け、労使が交渉した結果、労使が拠出する社会保険として出発する。ただし、強制保険とする必要もあり、立法化され、形の上では、国が運用を労使代表が集まるUnedicに委託し、さらに、その実務(失業給付の認定と支払い)のためにAssedicが創設された。この時代は経済成長が軌道の乗り、鉄鋼や自動車などの産業が急成長中ではあったが、経済構造の変化に伴い、繊維・造船などの衰退産業で失職した人に対し所得を補償し、他の産業の雇用への円滑な移動を促進することを主な目的としていた。なお、失業保険の対象となる失業者は企業から解雇されたものに限定され、自発的な辞職者は対象外であった(この原則は現在まで維持されている)。失業保険の適用範囲は、最初大企業とその労働者から始まり、その後、中小企業や商業、零細企業およびその労働者へと拡大され、1967年には民間のすべての労働者をカバーすることになった。

当初は失業給付を受ける人は少数であることから、所得補償額も高い水準で、失業給付を受けるための最低加入期間という制限はなかった。しかし、失業者が増加する1970年中葉からは次第に失業給付の要件の厳格化や補償水準の引き下げが行われたが、1970年代までは失業保険財政は絶えず黒字を記録した。なお、国の雇用政策の当事者として大きな役割を果たすANPEは1967年に労働市場の流動化と雇用促進のため国の機関として誕生している。

1980年代になると2桁台の失業率が多くの年で続くようになり、失業保険の財政は苦境に陥る。そのため、いくつもの制度改革が実施される(注1)。まず、1982年には、失業給付を受給するには失業保険への最低加入期間が制度化され、3カ月から1年未満の加入期間しかない労働者の失業給付は大きく減額された。これ以前には失業給付は年齢と従前の賃金に基づいて計算されていた。1984年には労使の社会保険である失業保険と国が負担する公的扶助を明確に区別することを決定する。それまでは、失業保険が赤字に陥るたびに、政府がUnedicに一括の補填を行っていた。しかし、1984年以降は、失業保険の給付資格を持つ者は失業保険制度で失業給付を受け、その資格がない人(短期雇用者や新規求職者)や失業給付期間が終わった者には公的扶助とすみ分けられた。

その後、大きな改革としては、2001年に早期再就職のための雇用復帰支援計画(PARE)が労使協定で採択されたことがあげられる。1990年代から国際的な流れとなる失業者の早期再就職奨励(Activation)の流れを受け、失業給付を受けるためには、求職者は個人的な雇用復帰計画をたてることが条件となった。その後も、Unedicは、再就職の支援策の一つとして、起業を希望する求職者への支援拡大などを定め、次第に、失業後の所得損失を埋める役割から再就職支援に軸足を移し始める。

2008年には政治主導(サルコジ政権の選挙公約の一つ)で長年の課題だったANPEとAssedicの合併が成立し、雇用センター が設立される(注2)。それまで、失業保険の徴収と保険給付の支払いは労使が運営するUnedicとAssedicが担当し、再就職支援は国の雇用サービスであるANPEが行うと役割が分担されていたものを、one-stop serviceと称して、失業保険業務と再就職支援を一つの機関に任せようとするものだった。ただし、この合併は単純なものではなかった。この合併の過程で一つ大きな問題となったのはANPEが公務部門に属し、その職員の大部分は公務員であったのに対しAssedicの職員は民間の労働者という地位上の違いと25%と言われた賃金格差(Assedicの方が高い賃金)であった。結局は、両方の職員が、再訓練の後、給付業務と雇用アドバイスの業務をこなすことで、旧ANPE職員の給与をAssedicの水準に引き上げた。しかし、その後、失業給付業務が各地で遅延したために、結局、給付担当者と雇用アドバイザーの役割は専門化される。

この雇用センターは、ANPEの3万人強の職員とAssedicの1.5万人を吸収し、国の機関(労働省管轄)となるが、職員の身分は民間の労働者となった。この合併の結果、雇用センターは、フランスの公共機関としては、社会保障関連の機関に次ぐ巨大な組織となる。合併後のこの大きな組織の運営は平坦なものではなかった(詳しくは、第3節)。

この2008年の改革以降、Unedicと雇用センターの関係 は3年ごとに更新される国、Unedic、雇用センターの3者協定で雇用センターの運用の基本方針が決定される。失業保険の実務を担当する雇用センターの予算はその3分の2は国が負担し、残りはUnedicの負担となる(この比率は国の予算案で定められる)。このように、公務部門に属する雇用センター の出現により、失業保険制度は労使が運営する社会保険の性格が薄れ、国の影響力が強くなったことは否めない。

その傾向は2018年の制度改革でさらに明確となる。2018年に政府は法改正を行い、毎年 政府が失業保険に関する大まかなロードマップ(cadrage)を示し、それに基づいて、労使が交渉し、協定を結ぶ方式に変更された(2023年までの時限立法)。また、同年の改革で、国は失業保険への労働者拠出を廃止し、その分、一般化社会拠出金の一部が失業保険の財源とすることにした(2019年から)。一般化社会拠出金は国民すべて(年金生活者、労働者、使用者、独立自営業など)が受け皿となっているので、労働者の2重負担を防ぐという名目である。この動きを受けて、2018年には労使協定で保険の適用範囲を一定の範囲の起業家や自営業者に広げることが定められた。ただ、この自営業への拡大は限定的なもので、自営業が取引している企業が倒産したりや更生法の適用を受けたりした場合などで、その所得補償期間は6カ月のみで、補償額も低く設定されている(注3)。そのほかの変更点としては、最低加入期間(4カ月から6カ月への延長)や失業給付の支払期間などであった。

政府がロードマップを示した2019年の労使交渉は不調に終わり、結局政府がその年の決定を行った。この改革で、短期雇用を多く使う企業の使用者負担を重くし、反対に安定雇用が多い産業の負担を軽減するいわゆるBonus-Malusが採択される。それまで、すべての産業に一律に4.05%課せられていたものを解雇や短期雇用の頻度に応じて3~5.05%の幅で変動させることになる(注4)

2020年の春から2021年にかけては新型コロナの影響で、改革はストップしたが、雇用維持の政策として大々的に採用された部分失業制度の財源の3分の2を国が負担し、残りをUnedicの負担したことから、Unedicの負債は2019年の約350億ユーロから600億ユーロへと大幅に増加した(注5)。その負債は政府担保の市場からの借入金で処理したが、将来的な国とUnedicの負担の割合に関してはまだ明確な答えはない。現在の失業保険制度についてまとめたのが図表1である。

こうして失業保険制度の変遷をみると、制度の基本的性格が大きく変わってきたことが分かる。高度成長の時代に失業という小さなリスクに対する労使拠出による社会保険として出発した制度は経済成長の鈍化と大量の失業でその役割が大きく変化する。まず。高い失業率を記録する時代になると労使の負担が大きく膨らみ、どうしても失業給付受給要件の厳格化や失業給付の期間に制限をかけざるを得ない。その結果、多くの失業者が失業給付を受けられなくなり、その救済のために公的扶助が制度化される。そして、2018年の改革では、枠組みが決められた中で労使が交渉するというアングロ・サクソンの国では考えられない労使自治となる。2番目の大きな変化は、失業保険業務と再就職支援を一手に引き受ける雇用センターという重要な機関が出現したことであろう。失業保険制度は、この雇用センターの存在により国の雇用政策の一環という性格を強くした。3番目の変化は、失業保険制度が国の社会的保護(社会保障)の一つの柱になったという事実である。失業率が10%を超える年が長く続き、失業が賃金労働者の一般的なリスクになっているので、所得補償は疾病や老齢と同じように社会がカバーすべきリスクになっている。この理念の延長線に独立自営業者や起業家も含める失業保険の適用範囲拡大(普遍化)への動きがあると解釈することができるだろう。

図表1:現在の失業保険制度
画像:図表1

2 失業保険制度と公的扶助

第2次大戦直後の1945年にフランスは医療、労働災害、老齢、家族手当の4つの柱からなる社会保障制度を法制化するが、失業のリスクはその中に入らなかった。この出発点の違いが失業保険制度のハイブリッドな性格をもたらしたように思われる。前節に見た通り、1980年代以降、高い失業率の時代が続き、失業保険の財政状態が緊迫するにつれ、Unedicは保険料率の引き上げや給付条件の厳格化を行わざるを得なかった。その結果、給付期間が終了した失業者や加入期間が少なく失業給付をもらう資格がない人、例えば若年労働者、短期雇用者、子育ての終わった女性など、の割合が増える。他方、フランス憲法はすべての人、とくに子供、母親、高齢労働者に、健康の保持、物質的な安全、休暇および余暇を保障すると明記し、国または自治体が困窮する人を救済する義務があるとしている。そのため、失業給付を受けられない失業者には、昔から様々な名目で救済策がとられていたが、1984年以降は社会保険による所得補償とその補足としての公的扶助-特別連帯手当(ASS)-が制度化される。特別連帯手当は失業給付の期間が過ぎた失業者の救済を目的としたもので、国がその財源の負担し、雇用センターが実務を担当する。その受給要件としては、失職前の10年間に5年以上働いていたこと、積極的に求職活動を続けていることとなる。この手当の金額は1日17.90ユーロ、1カ月536.95ユーロ(2022年)と低く設定されている(Unedicの2021年の統計では、全く働いていない失業者の平均失業給付は1,070ユーロ)。この給付期間は6カ月だが、延長は可能である。かなり低い所得制限(現在の所得制限額は独身者で月当たり約1,200ユーロ、二人で約2,000ユーロ)が課せられている。この特別連帯手当はあくまで失業給付の補足なので、受給者は労働市場への参加の意思がある者に限られる。受給者の人数はここ20年間35万人から50万人弱の間で推移している(図表2参照)。

図表2:ASSとRSAの受給者数の推移、2000-2020年 (単位:千人)
画像:図表2

出所:insee,  Allocataires de minima sociaux, données de 1999-2022

この特別連帯手当を受けられない人達の受け皿は、RSA(積極的連帯所得手当)と呼ばれる最低所得補償となる(注6)。これは、1988年にRMI(挿入最低所得)として立法化されたもので、他の公的扶助が受けられない人を対象とした最低所得保障で、主に県が運用し、実際の事務は家族手当を担当する機関が行う。受給の要件として、労働市場への参加意思を示す契約書を交わし、3カ月ごとにその後の経過を報告する義務が課せられていた。しかし、実際に受給者が求職活動を全くしていないとの批判が強く、しかも受給人数が増加し続けたことから、2009年からは名前をRSAに変更するとともに、その適用範囲や受給要件などが修正された。現在の仕組みでは、原則的に25歳以上の労働者とその家族で、他に所得がなく(あるいは極端に低い)人に対し最低所得を保障する(注7)。その受給要件としては、国籍要件(フランスおよびEUの国籍、5年以上の滞在許可証を有する外国人)のほか、他に所得(失業給付や老齢年金など)がないことが前提となる。子育て中の女性や疾病を持つ人のように働くことができない人を除くと、一般的には求職活動(雇用センターへ登録されていること)や社会活動に参加することが求められる。この手当は家族構成により額が異なり、独身の場合は月に598ユーロ、子供一人では897ユーロ、2人で1,077ユーロ(2022年)であった。RSAの受給者数(個人または家計)は2008年の134万人から2020年には200万人を超えたのち、2022年6月には188万人となっている。この受給者の大半は独身の人だが、かなりの母子家庭も含まれる。社会的に大きな役割を果たしている最低所得保障である。

このように、フランスの失業保険制度を補完する公的扶助は、重層となっていることが分かる。労働市場の雇用情勢が悪化すれば、教育や特殊な技能を持たない労働者、健康上の問題を抱える人やシングルマザーには良好な雇用機会は少なくなり、長期失業者の群れに入る可能性が強くなる。また、フランスの労働市場の特性として、50歳以上の雇用労働者がいったん失職すると、再就職の可能性が非常に低くなる。これらの長期失業者予備軍の一部(とくに、高齢労働者)は失業保険制度でカバーしているが、短期雇用と失業を繰り返す労働者は失業保険制度から落ちこぼれることになる。このような不利な立場にある労働者が多くなるに従い、新たな社会的受け皿が必要となり、公的扶助の網が制度化されたと言える。言い換えれば、失業問題は昔のような一部の労働者の問題ではなくなり、一般的な貧困の一つの大きな原因になったことを反映している。労使が運営する社会保険として発達してきた失業保険制度は、フランスの複雑で、手厚い国の社会保護制度の中で、その位置を探しているようにも思われる。また、国の方も、普遍的な保護政策と社会保険の方式の中で、いまだに失業保険制度の明確な位置付けができていないように思われる。

プロフィール

写真:鈴木宏昌氏

鈴木 宏昌(すずき ひろまさ)

1964年早稲田大学政治経済学部卒業、69年ルーアン大学(フランス)博士課程修了、70年から86年までILO本部(ジュネーブ)勤務、86年から早稲田大学商学部助教授、91年同教授(2010年まで)、現在、早稲田大学名誉教授、IDHE-ENS-Paris-Saclay客員研究員。専門分野は、労働経済。特に雇用、労働時間、労使関係の国際比較。

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