国際フォーラム開催報告:「日米比較:コーポレートガバナンス改革と雇用・労働関係」
パネルディスカッション

七つの疑問

鈴木:

パネルのテーマに入る前に、論点の整理をしておきたいと思います。ジャコビィ先生の著書『日本の人事部・アメリカの人事部』(2005年、東洋経済新報社)は、人事部の役割を通して日本とアメリカの大企業のコーポレート・ガバナンスのあり方を克明に調べ、総括的な全体像を描いた上で両国の人事部を分析している興味深い著書です。経済学を基礎としつつ、歴史的、長期的な見方でコーポレート・ガバナンスを議論していることが印象的です。この本の最大のポイントは、日本企業のコーポレート・ガバナンスは変化しているが、アメリカの変化のスピードが早いため、日本とアメリカのガバナンスの距離は大きくなっているという非常に興味深い指摘です。

さらに、おそらく多くの人が海外企業と日本企業を比較したときに感じると思うのですが、日本企業の人事部が戦略的な役割を担うのに対し、アメリカでは財務部門が圧倒的に重視されている事象をアンケート調査などの手法で非常に細かく実証した点です。人的資本の蓄積に基づく長期戦略と短期的に分権化された人事の機能の違いを明らかにしたことも記憶に残りました。

そこで、ここでは次の7つの論点を中心に議論してみたいと思います。

(1)労働市場の流動化についての現状認識

ジャコビィ先生の研究では、日本の企業は株主重視の傾向が見られ、雇用も以前より市場化傾向にあるということです。つまり、大企業を中心に正社員が内部労働市場から外部労働市場に開かれているとされています。しかし、日本の現状として、パートタイムや派遣労働者が使われている現場は、主に子会社、あるいはサービス業が中心であり、大企業、特に伝統的な製造業は従来と同じ正社員中心ではないかなと思っています。その意味で、労働市場が開かれたといっても、特に30、40代の部長、課長レベルに中途採用が行われているかというと疑問に思うところがあります。

(2)複雑化する組織形態―海外分社化など

日本の変化はアメリカより遅く、雇用はより安定し、人事部の権限はより強く、ボトムは変化しているものの、上層部の所得配分も割合安定しているとの指摘に対して、大企業の場合、多様な製品を生産し、事業部制を採用するなど組織が非常に複雑化している。また、分社化の進展や海外展開の中で、会社の数が増えていると思います。こういう多角化し、分社化した企業は、果たして本当に共同体といえるのか。トップは必ず、我々の会社は一つのコミュニティーですと言いますけれども、海外子会社の労働者といった現場労働者を皆含めて企業が一つのコミュニティーであるという見方がまだ成立するのだろうかと疑問を持っています。

(3)グローバル化の影響をどう捉えるか

日本の製造業は生産拠点をアメリカ、中国、EUなどに移し、グローバル化しています。この生産と市場との関係において、グローバル化の影響は、日本のコーポレート・ガバナンス、あるいはHR(人的資源)のモデルにどのように及んでいるのか。日本の組織、企業の大きな変革の要因は、グローバル競争にさらされていったことではないかと思う。こうしたなか、日本とアメリカの大企業のコーポレート・ガバナンスはどの方向に行くのだろうか。

(4)企業組合の影響力低下の原因

日本はハイブリッドなシステムを展開しつつあり、株主の権利に配慮しながら他のステークホルダーズを認めているという指摘に対して、企業組合の影響力が低下しているのは、組合の組織率の問題ではないと考えています。大企業ではユニオン・ショップ制があるので、それほど組織率は減っていないと考えるからです。むしろ積極的に労働組合の運動に参加する組合員が減り、能力があり献身的な組合リーダーが昔ほどいなくなっているのではないかと思います。

そうすると、従業員の要求をどう声にするのか。ほかのステークホルダーズとの関係で従業員が自分たちの要求を貫徹できるのかという問題があると思う。現場の労働者の声をどういうふうに伝えるべきなのだろうかという点もお聞きしたい。

(5)市場化の進展とステークホルダー型アプローチの有効性とは

ステークホルダーズ型アプローチに対して、株式市場の評価が介入してくれるのが、日本の将来になるだろうかという疑問について具体的に説明していただきたい。日本では、現政権は小泉政権と同様に市場化政策を継続しようとしています。このような政策とステークホルダーズ型の浸透として結論づけられるものとの関係がどうなっているのか説明していただければと思う。

(6)資源ベースの人事政策はグローバル競争時代に有効か

国際金融市場の圧力のもとで先進国はステークホルダーズの価値を維持することができるだろうか。また、日本の昔からある長期雇用を前提として、会社の中での訓練を中心として人を育成していく資源ベースの人事政策はグローバル競争の時代にひとつの選択肢として存続できるのだろう。

(7)従業員代表制の法制化の可能性

日本企業のモデルは、社会的な規範に依拠しており、法制化されていないが、本当にそれは安定しているだろうかという疑問に対して、たとえば、日本の労使協議制は、1950年代に法制化されることなしに発達したと例示されている。専門家の一部は従業員代表の法制化を考えているようですが、近い将来に実現の可能性はあるのでしょうか。

市場拡大と規制の動きは常にある

ジャコビィ:

日本企業がパートや派遣社員の非正規労働者を使う傾向は高まっていいます。興味深いのは、それが構造的な変化なのか、循環的なものなのかということです。私は、パートや派遣社員の採用は、正社員の仕事を守っていくためのやり方で、循環的、一時的なものだったのではないかと思います。

なぜなら、2005年以降、非正規労働者の比重は変化しておらず、むしろ正社員の雇用が増えてきている。非正規労働者の仕事の一部が正規労働者に切りかえられる現象がおきています。パートの増加は、部分的には正規社員の雇用を守っていくための一時的な、すなわち循環的な手段だったのではないか。株の持ち合いについても同様のことが言えると思う。

次に会社の中に本当のコミュニティーがあるか否かという問題について、その解答としては、法政大学の稲上毅先生の『コミュニティーとしての企業』という本を紹介します。この本では、日立を詳細に分析しているが、複雑な組織を持ち、海外でのさまざまな活動も展開する日立がどうやって企業文化を保ち、企業としての一体性を保とうとしているのか、経済的なさまざまなプレッシャーに対してどのように取り組んでいるかを分析している。

従業員は、他のステークホルダーに対してどう発言して行くべきかについては、荒木先生に答えていただきたい。

一方、ステークホルダーの価値を国際的な金融市場の圧力から守りうるのかという問題については、1930年代から70年代にかけて、世界各国は、金融化の最初の波に対して、市場の規制を確立することによって対応したのではないかと思う。カール・ポランニーという有名なエコノミストが、『大いなる変革』(1944年)という著書で、過去200年間の資本主義の歴史を書いた。市場が拡大する自由市場の理念と同時に、それに対してバランスをとるための市場に大使する制限や規制が見られたという。こうした二重の動きは常にあらわれてきたということではないだろうか。

どこで振り子をゆり戻すか

昨今、自由市場は拡大しているが、規制がまったくない市場は問題を起こしている。したがって、規制緩和の問題は何かといえば、振り子がどこで揺り戻すかである。そこで大事なのは、ステークホルダーの価値に対して、もちろん発言されていくけれども、よい社会とは何であるのか、それに対して完全に規制を撤廃しようというリバータリアンの考え方と、人々のために市場は貢献すべきだという考え方の調和はどのようにとっていくのか。どちらを市民が求めていくのかという問題になるはずである。

人的資源型と市場型は競合できる

また、人的資源と人事、市場志向型の戦略については、企業のビジネス戦略によってかわってくるかと思う。産業界でコストが安い物だけをつくろうと考えていくのならば、市場志向型は非常にうまくいく。事例としては、ウォルマートをあげることがでる。これに対して高所得者をターゲットにしている小売事業者もある。こうした小売業者はウォルマートとは異なる従業員施策をとっており、ビジネス戦略がかなり違う。

従って、そういった資源ベースの戦略が競争できるか否かは、企業がどのようなビジネス戦略をとるかによって変わる。

国際市場をみても明らかに資源ベースの経営が、ウォルマート型の市場ベースと競合できる証拠が出てきている。トヨタとアメリカの市場型の取り組みをしているビッグスリーの自動車メーカーを比べてみると非常によくわかる。

日米における規制緩和の差異

アメリカでも規制緩和の時代があった。しかも、アメリカの規制緩和は、日本よりもラジカルで、大胆だった。アメリカと日本の違いは、アメリカはそもそも公社といった政府系の企業体が余りなかったので民営化の対象が限られていた。

米型ステークホルダーモデルとは

荒木:

ジャコビ-先生は、日本もアメリカもベクトルとしては同じ方向、すなわちステークホルダーモデルから株主価値モデルに動いてきているとみている。しかし、そのスピードが違う結果、両国の現在のポジションが違うという見方である。その一つの例証として、1956年にステークホルダーモデルを宣言した『アメリカン・ビジネス・クリード』のご紹介があった。これは1955年の日本の生産性3原則と非常に似ている点で興味深いが、1956年当時にこれが出た意味を知りたいと思います。ステークホルダーモデルが実現されていたからなのか、それともステークホルダーモデルがないから目指すべきものとして宣言がなされたのかという点だ。また、実際、アメリカでは、ステークホルダーモデルは実現されたのだろうか。

労働法の視点からみると、アメリカは「随意雇用原則」(Employment at Will Doctrine)を維持してきた。労使環境が非常に敵対的で、日本のような従業員参加は、法律上禁止してきた。従業員が経営者と一緒に話し合って経営をうまくしよういうモデルをつくると、御用組合とみなして法で禁止してきました。こうした点からみて、アメリカモデルは、本当に従業員をガバナンスの中で位置づけてきたと言えるだろうかという論点がある。

近時、CSR(Corporate Social Responsibility)やSRI(Socially Responsible Investment)など株主の投資行動を利用してステークホルダーの価値を実現しようという動きがある。法律家から見ると、アングロサクソン社会ではステークホルダー、とりわけ従業員の価値が法律によって十分に守られていない。そのために、ほかの方法で同じ価値を達成しようとするからこうした議論が起きているのではないか。ドイツとか日本のように従業員の価値を正面から認めていく国ではこういう議論があまり盛んにならない。そこで今後、ステークホルダーの価値を配慮したコーポレート・ガバナンスを考える場合、どういうアプローチをとるべきか。

サンフォード・M・ジャコビィ:1950年代のアメリカ企業にステークホルダーモデルはあったが、穏健で日本よりも弱いものだったと思う。しかしアンチ株主的な要素は明らかに存在し、総体的に労働組合に対しては今より親和的、友好的だった。しかし、到底日本的なものとまでは言えない。

社会に対して責任ある投資行動をというのは、アメリカでも大きな産業となってきている。しかし、市場の比重は非常に限られたものにとどまっています。

率直に言うと、アメリカ国内で、社会的に責任ある行動をとっている投資家の多くは、従業員の扱いを余り気にかけていない。彼らが気にしているのは、地球に優しいビジネスかどうかという環境の問題、また、たばこなどの道徳的な問題、そして場合によって第三世界などの新興国で労働者の権利と結び付けられた持続可能な開発が行われているか否かとことである。

社会的責任投資(SRI)などのファンドが、先進国の従業員の問題に関心を持っているという証拠は余りない。例外的に女性や少数民族などのグループに対しての差別の問題はあるが、目立った問題はその程度である。

しかし、CSRについては、労働組合のナショナルセンターであるアメリカ労働組合総同盟・産別会議(AFL-CIO)が、コーポレート・ガバナンスについて非常に大きい関心を払っている。とくに役員の報酬の方にかなり焦点を絞り込んでいる。

このようにコーポレート・ガバナンスのモデルとしては、依然、株主第一主義をとっている。したがって、株主市場型、株主優先モデルに対して大きく批判するような動きになっていない。

従業員代表制の行方

荒木:

鈴木先生の問題提起の中で、日本は株主の権利に配慮しながら他のステークホルダーズを認めるハイブリッドなシステムを展開しつつあるが、組合は組織率を低下させているなかで、要求をどのように通すのか、また、そこでの法律の役割を問われた。

ステークホルダーとしての従業員を考えると、従業員の利益を代表することが非常に難しくなっている。かつては労働者といえば壮年の男性で、フルタイムで働いている人がモデルだったが、近年、非正規労働者がふえたことで、その利害も一つではないため、これを代表するのは非常に難しい。日本の企業別組合はこれまで正社員の利益しか代表してこなかったとも言われており、いま問われているのは、多様化した労働者の利害をどう代表し、システム化するかということである。そこで研究者は、ヨーロッパのようなワークス・カウンシル、すなわち従業員代表制度で事業場の労働者をすべて代表する制度を労働組合とは別につくることが必要ではないかと提案している。

しかし、これをうまく導入できるかどうかは難しい問題だ。ヨーロッパでは労働組合は企業外の存在で、産業別に存在し、企業内には代表制の空白がある。そこにワークス・カウンシルのような従業員代表制度をつくることは可能だった。ところが、日本の場合、企業別組合がある中で、どのように設けるかという問題がある。

話を広げて、コーポレート・ガバナンスとの関係でみると、従業員の声をどのように吸い上げるかということにつながる。ドイツの共同決定法の下では、株主と従業員代表で構成する監査役会が、実際の取締役を任命する。こうしたモデルにすれば、ステークホルダーモデルを法律で強制することになる。

しかし、ジャコビィ先生の話にもあったように、各国のコーポレート・ガバナンスの実態は非常に多様で、日本でも商法がアメリカ・モデルの委員会設置会社という新しいガバナンスモデルを取り入れたものの、強制しているわけではなく、伝統的なモデルとアメリカ型のモデルのどちらをとるかは企業が自由に選択できる。たとえば、トヨタは日本型を維持し、ソニーはアメリカ型をとっている。

したがって、どのガバナンスモデルをとるかは当時者が決めるもので、法律が強制するものではない。お互いが競い合ってよりいいモデルを選び取っていく、そういう状況にあるのではないかと思う。

労働法はもともと労働者の利益を守るために市場に強行的に介入する制度といえる。例えば企業は労働基準法違反をしないように経営をしなければならないといった枠を外からはめるのが労働法である。難しいのは、その労働法の規制を、ガバナンスモデルを規定するためにどこまで介入していくのかということだ。ガバナンスモデルに特定のベストモデルはないといわれるなかで、一つのモデルを学者が頭で考えて押しつけるのは必ずしも賢いことではない。他方で労働者の利益はきちんと守らないといけない。どういう形態で法規制をすれば、当事者の選択の自由を維持し、新しい試みを活性化させながら、かつ労働者の利益を守ることができるのか。我々が直面しているのはそういう課題ではないかと思う。

講演者・パネリスト略歴

サンフォード・M・ジャコビィ/Sanford M Jacoby

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)アンダーソン経営大学院教授。1980年よりUCLAで


教鞭をとり、現在同大ハワード・ノーブル寄付講座教授を務める。最近の著書“The Embedded Corporation: Corporate Governance and Employment Relations in Japan and the United States”は、2005年にプリンストン大学出版局から英語版が、(東洋経済新報社から日本語版を邦題『日本の人事部・アメリカの人事部』)が出版された。

荒木尚志/あらき・たかし
東京大学大学院法学政治学研究科教授。東京都労働委員会公益委員、労働政策審議会労働条件分科会公益委員、国際労働法社会保障法学会理事。最近の著作として、『雇用システムと労働条件変更法理』(有斐閣、2001年)『Labor and Employment Law in Japan』(The Japan Institute of Labor、2002年)“Corporate governance reforms and labor and employment relations in Japan: Whither Japan’s practice-dependent stakeholder model?”1 University of Tokyo Journal of Law and Politics 45-86(2004年)、『諸外国の労働契約法制』(共編、労働政策研究・研修機構、2006年)など。

鈴木宏昌/すずき・ひろまさ
早稲田大学商学部教授。1970~1986年ILO賃金・労使関係局にて研究に従事、1991年より現職。最近の著作として、『アジアの社会的発展と社会的対話:開かれたアジアの社会的対話』(鈴木宏昌・連合総研編著、日本評論社、2002年)、“L’emploi du temps au Japon, futuribles, analyse et prospective” 285.,pp.51-58(2003)、“Changing Employment Relations in four East Asia Countries (China, Japan, South Korea and Taiwan)” Waseda Business and Economic Studies, No.40, pp1-23.(2004)、 『2015年の労働市場、成長の持続可能性』(商学研究科研究会(早稲田大学)、東洋経済新報社、2005年)など。

2007年3月 フォーカス: 日米比較:コーポレートガバナンス改革と雇用・労働関係